♯45 アンチゴッド <Ⅱ>
「神々はまず、人間の知能に着目した」
フレイム・ダッチマンは丁寧に答える。
「意志と創造力において他の動物より上回る能力を持つ人間達に対し、地上に降り立った神々は彼等にこう言った。"諸君らは我々が創造したのだ"と」
そうして知恵や力を与え人間から絶大な支持を得た神々は一先ず安心した。
別にそうしなくとも人間は神々と同じような知恵と力を持つと知りながら、まだ到達できていない彼等にそれを見せることで自分達を頂上者として認識させたのだ。
神々は次のステップへと進む。
人間が進化を続けるにつれ、新しい神や知識も生まれることになった。
神々は更なる支配の為、あるものを人間に与えようとする。
即ち、戦争と平和である。
「ここが神々の狡猾な所だ。いいか? 君達は平和と聞くと清廉かつ美しい安寧の時間を想像するだろ
うが……、それこそ神々の罠だ。本来の"平和"とはとてつもなく残酷なものなのだよ」
「平和が残酷? なんでよ?」
「平和というモノは人間が創り出す一種の状態だ。だが永遠ではない。人間が創る以上、あらゆるものは"有限"だ。即ち、平和には限界があるのだ。時間的にも範囲的にも効果的にも……。となるとどうか? 平和の中で生きる者達とそうでない者達が生まれるとは思わんかね? 果たして両者は分かり合うことが出来るかな? こういった格差から妬みや憎悪が生まれないとでも? ――――神々はそれを知っていた。もっとも……新しく生まれた神達がそれを知っていたかはわからんが、大方知らされずにいただろうな」
フレイム・ダッチマンは目を伏せながら嘲笑した。
そんな彼に対し、ミラは陰鬱だが鋭利な眼光を向け問う。
「ちょっと待ってください。その言い方だと神はわざと地上の者に平和を駆けて争いをさせたようにも聞こえますが? 世界がいつまでたっても平和にならないのは……神ではなく戦争を支持する者達や富を独占する者達ではないのですか!?」
「なるほど、そういう意見か。だが勘違いはしてほしくないな。私は別に平和を獲得する為の争いに関しては否定しないよ。誰だって平和の中で暮らしたい……その過程の中で妬みや憎悪はあれ、それが自己研磨に繋がるならそれはそれでいい。……私が神々が狡猾だと言ったのはそこじゃあない」
「え……?」
「言ったように平和とは他と同じように有限の状態だ。……だが、そこにもしも"永遠"なんてものが神の口から漏れたとしたら? 自らを慰めてくれる救済の地があると言われたら?」
この発言にミラはハッとする。
ベッドに座り考えるように米神に手を当てていたルインは指を鳴らしながら答えた。
「……なるほど、よく言われる"天国"という概念でござるな」
「そうだ! 天国、楽園、その他各地で言い方は違うが基本は同じものだ。死んでからの魂の救済……そして永遠の安息。神々はそれをあたかも存在するように人類に啓示したのだッ! そこからは人類規模の大パニック状態さ。『天国へ行くにはどうしたらいい?』『どの神を崇めればいい?』『一体そこはどこにあるのか?』『そこへ行く手段はないのか?』……こうした大騒ぎが神々の当初の教えを分裂させ、世界中で別々の教義となり宗教となった。……そして、神々の暴走が始まった」
「暴走? 神々がなにをしたというのです?」
ミラはイリスに寄り添いながら恐怖に耐えていた。
彼の言うことはあまりに暴論だ、それはわかる。
だが嘘をついているようには見えなかった。
サキュバス特有の男への勘というか。
(だからって……アタシに引っ付かれてもなぁ)
「……あらゆる神話や宗教が創られるようになったとき、神々の一柱があることを呟いた。『人間達が崇めてやまない神々の中で最も優れた神は誰か?』と。……さぁこう言い出したからにはプライドの高い連中は、今まで人間同士の争いなどただの観戦物として見ていなかったがそれ以上の熱を入れ込んだのさ。自らの信者と相手の信者を戦わせる……その過程で生まれた知勇に長けた者を"英雄"だの"救世主"だのと呼び、更なる戦火を広げたのだ。人間を使った神々同士の醜い争いだ」
平和という偶像が、平和という英雄が。
天国という偶像が、天国という英雄が。
彼等をよりデカダンスへと陥れた。
人間も神も等しく同じ狂気に晒された瞬間である。
「人間同士の争いの中、神々の間でも貶め合いが始まった。……この狂気で一体どれほどの勇猛にして有能な男神が悪魔や魔物へと堕とし込まれ、どれほどの美しく慈愛に溢れた女神がその身体を蹂躙されつくしたことか。……現代に至ってはその影は落ち着きを持ってはいるが……、未だ人間も神もこの狂気の渦中にある。『我が意志に従え、さすれば救われん』、まったくもってお笑いだ。神々はいつまでも人間を手中に収めておきたいらしい」
そう言って彼は拳を固く握る。
それは憎悪というよりも、悔しさを滲ませたような雰囲気を醸し出していた。
「そして、一部でとんでもない愚行をした神達もいた。それこそ人類史や異能史におけるあまりにも嘆かわしい所業だ」
「そ、その所業というのは?」
「君達も聞いたことはあるだろう。……『人間が自分達と同じ神になることを許してやる』という愚行だ。呆れを通りこして吐き気さえ覚える! しかもあらゆる人類が盲目的に切望したものだから救いようがない! 優れた異能がなんだというのか……神に認められた聖人がなんだというのか!? そんなものは結局、神々の虚栄を満たす為の一種の記号に過ぎない! 他の神を貶め、犯す為の都合のいい肩代わりに他ならない! それからと言うもの……人類は完全に神の奴隷に成り下がった……。完全に自らの指針を見失った」
一通り喋り倒したフレイム・ダッチマンは髪を掻き上げる仕草をした後深呼吸をし、気分を落ち着かせた。
しかし、イリスは話の中でどうしても気にかかることがある。
「ねぇフレイム」
「なんだね?」
「アンタが神様にどういう思いを持っているかはわかった。それに対してアタシは口出ししない、てか興味がない」
「……まぁ君は、そうだろうな」
「で、よ。……その話は"叡智の果実"と関係するのよね? アタシとアンタにとって重要なのはそれだけ」
それだけが気にかかる。
彼の目的はこの果実とやらだ。
神に対して否定的なフレイムの意見からは、まだそのことは話されていない。
まさか、実はそれも嘘っぱちだったなんて話じゃ済まされないのだ。
「あぁ、そういえば以前君に話したな。ブリガンティア教典第48章の『魔術師の楽園』……実を言えばあれもかなりの脚色がされている。だが、……"叡智の果実の存在"については真実であると断言する」
「どうしてそんなことが言えるの?」
イリスが問うた瞬間、フレイムは先ほどの勢いが嘘のように黙った。
隠しごとをしようと俯く子供のように。
しばらくして彼はゆっくり口を開いた。
教え子に諭すように。
「それについては……まだ言えない。もし話すときが来れば、話すとしよう。」
それ以上は口を聞かなかった。
というよりも、フレイム・ダッチマンはそれ以上のことをまだ隠している。
全てをここで話したわけではない、神に対しても、人に対しても。
イリスはこう感じた。
「あら、そ。だったらなにも言わないわ。あ~、お腹すいた。そろそろ夕飯になるんじゃない?」
軽く伸びをするイリス。
時計を見るともう20分は経っていた。
いや、数時間の話し合いがたったの20分しか経っていなかったというべきか。
「そうだな……。お、そうだ聞いて喜べ。どうやら村長は我々を歓迎するパーティを開いてくれるそうだ」
「マジで!? オレンジジュースとか出る!?」
「で……出るんじゃあないか?」
子供のようにはしゃぐイリスを見てミラは少しだけ元気を取り戻した。
女中がノックし呼び出しに来るやご機嫌な様子でイリスは出ていった。
ミラも後を追う。
「……いやぁダッチマン卿。中々の名演説でございましたな? どうです? 小生の詩にそれを使わせていただくことは?」
「茶化すな……これは私の、私自身への使命なのだ。……そういえば、君もさほどショックは受けていないよだが? なんだ不信心者か君も」
「ハハハ、女神に振られてしまいまして、絶賛非信仰中なだけでござるよ」
「女神に振られたと来たか! ハハハハハ! 君ならあり得るかもな」
そう言って豪快に笑う彼の後ろを、いつもとは違うニヒルな表情を一瞬浮かべながら歩くルイン。
この屋敷に設けられた会場からは既に人々の笑い声が聞こえてきた。
一方、森の中ではある異変が起きていた。
首のない女黒騎士がチャリオットを操り、木々をなぎ倒しながら村へと迫っていっていた。
通常の刻限よりも早いこの時間。
血の臭いを振りまきながら、そうとは知らず騒ぐ村人達の安寧の地へと徐々に加速していった。




