♯40 優越者の親密は腹を焼く毒である、特に真逆の者に対しては。
「ここが私が住んでる家よ!」
「……綺麗な家ね」
村長ほどではないが中々に洒落た2階建てで新築に近い。
隣には小屋があるが、反対にそこはかなり年季の入ったボロ屋である。
「あそこは保安官さんの仕事場よ。私は小さいときに両親が死んでね。友人だったっていう保安官さんが私を住まわせてくれてるの」
「ふーん……」
親がいない点は一緒ではあるが彼女は恵まれているようだ。
イリスはほんの一瞬羨ましくも妬ましい気持ちになった。
だが他人の境遇と自分を比べても、それは無意味だ。
エヴリンが扉を開けると同時にそれらを頭の中から振り払う。
「どうぞ中に入って。大丈夫、保安官さんには私から言っておくわ」
(中は普通、ね)
小走りで奥へと進むエヴリンをよそに視線のみでリビングを見渡す。
窓から射し込む朝日がこの小さく潔癖な空間を包み込み、静かな時間の流れを感じさせた。
エヴリンが奥へ行って戻ってくるのに1分とかからなかったはずなのに、何時間もここでくつろいでいたような感覚を抱いたのは言うまでもない。
イリスは心から安らぎを感じたのだ。
「おまたせイリスさん! ……どうしたの?」
「いや別に……。で、保安官さんとやらはオッケーしてくれた?」
イリスの気怠げな問いと同時にエヴリンの後ろから男が姿を現す。
銃と細剣を持つ褐色肌の偉丈夫で、顔立ちはイリスから見ても目を見張るほどの色男だ。
エヴリンに優しげな表情は向けるものの、その瞳のドス黒さにただならぬ雰囲気を感じる。
それにこの今までに感じたことのある"嫌な気配"。
間違いなくこの男は『神託者』だ。
「この娘の無礼をどうか許していただきたい。この通り人懐っこい性格なのだが……どうも歯止めが効かない部分がある」
「別にいいわ。……で、アンタが保安官さん?」
如何にも、と男は一礼した後に握手の手を伸ばす。
「私の名はコシュマール。この村の保安官を務めている……と言ってもそんな大層なモノじゃない。単に私しか戦闘経験のある者がいないから、というだけでね」
「あら、そ。……よろしく」
差し伸べられた手には一切目もくれず、乾いた返事だけですました。
コシュマールは一瞬瞼をヒクつかせたがすぐに冷静さを取り戻す。
年の功で多少の芝居は上手いのか、笑顔からはイリスに怒りを感じさせなかった。
「……エヴリン。外の人間に興味を持つのはいいが、あまり困らせないようにね?」
「はーい」
「さて、イリスさん。申し訳ないが引き続きエヴリンと一緒にいてやってはくれないかな? 私はこれから村長の所に用があってね」
「……はいはい」
そう言って彼は2人をリビングに残し外へと出ていった。
子守をやらされることはある程度予想できたが、やはりどうも気が乗らない。
生返事などするのではなかったと、イリスは反省する。
「じゃあイリスさん! 早速村を案内してあげるわ!」
「ん~……その前にさ。卑しいようだけどなんか食べるものない? 馬に乗ってここまで飲まず食わずで……」
例え幼女であっても強請る姿勢を崩さない。
イリスの"貰えるものなら寄越せ理論"である。
しかしエヴリンはそんな強欲なイリスに嫌な顔一つしなかった。
「うふふ、いいわ。じゃあバスケットに軽い食べ物と飲み物を入れて持っていきましょ? 大丈夫、保安官さんには私から言っておくわ」
「うん、ご苦労」
鼻歌交じりにエヴリンは台所からパンとジュースの入った瓶、コップを入れたバスケットを持ってきた。
手際の良さに感心しつつ彼女の後ろをついていく。
村のあちこちをエヴリンは元気に歩き、風車や畑、林、そしてそこで働く村人達ををイリスに紹介していった。
人々の営みと太陽の暑さを感じながらイリスはこの平和な光景に目を細める。
母が殺されてから失った、もしかしたら得られたであろう平穏な時間を。
「さ、イリスさんお待ちかねのお食事タイムにしましょ!」
「ようやくか……」
薄ら高い丘の木の下に座り、陰と風に涼みながらエヴリンの持ってきた食べ物に手を伸ばす。
ひたすらがっつくイリスを微笑みながら見るエヴリンはとても満足そうだった。
「ところでさ……」
「ん?」
イリスは口に詰め込んだパンを咀嚼しつつジュースで流し込みながらエヴリンに問う。
ずっと気になっていたことだ。
「アンタさ、両親が死んだって言ってたけど……寂しくないの? 親代わりがいるとはいえさ」
イリスの問いにエヴリンはにこやかに答えた。
「寂しくない、と言えばウソになるわね。……私がまだ小さい頃に家に強盗が入ってね。2人共、隠れてた私の目の前で死んじゃった。私だけが、生き残ったの」
(目の前で……か)
その状況に既視感に似た感情を覚える。
忌まわしい過去の記憶だ。
エヴリンもまた同じ経験をしているのだと、ちょっとだけ親近感がわいた。
だが、エヴリンの言葉ですぐに覆された。
「でも、私は恨んでなんかいないわ」
「なんですって?」
自然にイリスの目が鋭くなる。
しかしエヴリンはまるで動じずに明るく答えるのだ。
「その強盗さんは金目の物を盗って、すぐに消えたわ。今でも見つかってない。忌まわしい過去だった……きっと永遠に忘れられないような。でもね、過去の悲しみに囚われ続けたまま未来を生きるのは、あまりに残酷なことなの。だからね……」
立ち上がり日の当たる場所へと出てイリスと向かい合う。
その表情には悲しみはおろか怨恨の欠片もない無垢なる顔だった。
「私は……私の両親を殺した強盗さんを、――――許すわ」
イリスの顔が彫刻のように無機質なものへと変貌したまま固まった。
限りなく収縮した瞳が木陰からエヴリンを射抜く。
脳内に虫かなにかが這いずり回っているような感覚が、エヴリンに対して怒りの感情を呼び覚ましていった。
「きっとその強盗さんにもそうしなければならない理由があったのよ。そのせいで両親は犠牲になったけど……私は生き残った。悲しいことだけどそれだけよ。それ以上でもそれ以下でもなく」
「アンタは……それでいいの?」
イリスの声には怒りだけでなく殺意までもがにじみ出ていた。
今にも牙をむいて食って掛かりそうな空気が抑えられない。
理性が爆発寸前だった。
だが、エヴリンは不気味なほどに物怖じしない。
「世の中の"正しいこと"には2種類あるわ。『皆に認めてもらえる正しさ』と『誰にも認めてもらえない正しさ』が。そして後者は大抵"間違い"と同一視されて切り捨てられる。淘汰っていうのよね? ……きっととても冷たくて孤独で悲しい決断なのでしょうね」
「両親より、強盗の肩を持つの? 強盗の行いが……両親よりも正しいと?」
「そうは言っていないわ。ただ許すだけ。強盗さんの罪は強盗さんの物よ。いつか償う日が来たら、償えばいい」
でもね、と言葉を繋ぎイリスの真前まで近づく。
鬼のような形相とは反対の天使のような笑みでエヴリンは語った。
「そういった孤独な決断の中でも、世界に悪と決めつけられても、それでも自分を曲げなかった人がいる。自分の正しさを世界へ貫いた人がいる。私の尊敬する人はこんな言葉を死ぬ前に残したの。――――『それでもこの世界は回っている』って」
その笑顔はあまりに眩しかった。
本当の意味で正気を疑うほどに。
気づけばイリスは抜刀しエヴリンの首筋にその冷たい刃が食い込むスレスレの位置で止めていた。
呼吸は荒く顔は幽鬼が如く青い。
エヴリンは微笑んだままイリスを見ている。
「……斬らないの?」
「……き、斬るかボケ!!」
慌てたように納刀し両手で顔を拭う。
頭がおかしくなりそうだ。
相手を許す? ありえない。
自分の全てを奪った相手をそんな理由で許すなど正気の沙汰ではない。
大量の汗と共に動揺を隠しきれないイリスにエヴリンはハンカチを渡す。
「……いらない」
「あらそう?」
「……ちょっと休むわ」
「そばにいるわね」
この所、他人に振り回されてばかりだ。
イリスは改めてそう思った。




