♯38 ダ・ウィッチ村 ~来訪の前日に~
「ほう、眠れない? 君のような若く美しい女性が」
イリス達が訪れる前日の夜の『ダ・ウィッチ村』
ボロけた木造の小屋でテーブルを挟むように座り向かい合う2人の男女。
男は銃と細剣を持つ褐色肌の偉丈夫。
蝋燭の揺れる灯を黒い瞳に映させ、女の身体をじっとりと観察する。
「ん~、この小さな村の保安官を長年務めさせている私には様々な相談事が舞い込んでくるが……君のようなケースは初めてだ。いや、勘違いしないでくれ。別におかしいわけじゃあない」
紅茶を入れよう、と席を立つやカップを取り出し水の入ったヤカンを暖炉にくべた。
ヤカンの底を熱する火を見ながら男は話を続ける。
「眠れない理由は様々にある。だが、ここではあえて専門的な話はさけよう。……眠ろうと思っても眠れない、眠りたいのに眠れない。生きていれば誰もが抱えるであろうこの問題に、私は独自解釈というメスを入れてみようと思う」
紅茶を淹れる為の沈黙の数秒後、湯気をたてる紅茶が女の前に置かれる。
続けざまに男が向かい側へと座った。
「君はなんの為に眠るのかな? 明日の仕事の為? 疲れを癒したいが為? やれ明日の為だとか仕事の為だとか、私はこういった人間の意思を見るに、彼等にとっては睡眠はむしろ一種の『強迫観念』に近いのではないかと私は思う」
紅茶を一啜り。
女は男の話に聞き入り自分に出された紅茶の存在を忘れているかのようだった。
「睡眠とは『無意識からの力』だ。この力は一個人の思惑や都合などで操れはしない。……いいかい? 人間というものはなにかにつけて、コントロールしたがる。……自らのものとしたがる。即ち、"支配"だ。それが心に大いなる焦りと苛立ちを生む原因となる。……『明日の為に眠らなければならないのだ』とね」
男は女の背後まで歩き、そっと両肩に手を添える。
「支配しなければ、自分でコントロール出来なければ落ち着けない人間特有の病気ともいうべきか……。君は『明日という都合の為に睡眠を支配しようとしている』のだ。もう1度言う。それは無理だ。君も、私も、何人にも『無意識からの力』をコントロールすることは出来ない」
男の囁きに女は応えるように、男の手の甲にそっと柔らかな掌を乗せた。
その反応を舌なめずりしながら男はニヤつく。
「……少し話は変わるが、感情をコントロールせよなどと宣う輩が大勢いる。私からすればなんと浅薄なことをと叫びたくなる。怒りや憎しみの感情を罪か悪かと考え抑え込んで、それをコントロールしている状態だと言うのはあまりに驕りだ。そんなものは一時的な状況回避でしかない。潮の満ち引きを、月の満ち欠けを人間の都合でコントロール出来ないように、人間の感情もまた本来コントロール出来ないものなのだ。……ただ、この地上で唯一、人間がコントロール出来ていると"思い込んでいる"だけの文明妄想の産物なのだよ」
女の耳元にその唇を近づけ、甘く囁いた。
「――――いいか? 耳を澄ませなさい。自分より外の音を、目を閉じて聞くのだ。木々の騒めき、鳥の鳴き声、狼の遠吠え、家の軋む音、自分の呼吸音から鼓動まで。……静寂を以て鼓膜に入る音を満遍なく聞くのだ。眠れないという自らの内からくる声に、耳を傾けてはならない。『睡眠をしなければならない』という支配欲から逃れる第1歩だ。まずは、これから始めてみたまえ」
そう言って男は女の首筋に唇で印をつけた。
女は吐息と情欲で紅潮し蒸れた肌を震わせる。
「……明日も来たまえ。実技指導も兼ねて叩きこんであげよう」
男は不敵に笑んで女を見送った。
その姿を部屋の少し開いた扉の隙間から、"少女"がそっと覗いていたのを知らずに……。
村の近くにある森の入り口にて、不吉な影が目撃された。
大地を抉るけたたましい車輪の音。
白い異形の姿をした馬のような怪物。
月光すら通さぬ漆黒の鎧。
そして、一番目を引くのは……――――その者には首がないところだ。
1人乗りのチャリオットを操る『首のない女黒騎士』が今宵もまた村の周りをたまたま通りかかったキャラバンに襲い掛かったのだ。
老若男女問わず皆殺しの大惨事。
死体にはチャリオットで何度もグチャグチャにされたのもある。
ダ・ウィッチ村に彗星の如く現れた怪異『首のない女黒騎士』
一通り暴れたら森へ帰るというサイクルが今までの通例であり、大体夜の21時から日の出までが活動時間となる。
無論、出てきてもなにもせずすぐに帰った例も何回かあるが、今回は違った。
彼女は次の標的を、――――急遽、村へと変えた。
生前から刻まれた闘争本能が"なにか"を感知したのだ。
面白いことになる、と――――。
あそこへ行けば、"強い奴"と戦える、と――――。
次回はかなり遅くなります
御了承のほどお願い申し上げます。




