♯28 加速していく憎悪は、駆け征く銀狼の如く
「コノママ、ミンチ肉ニ、シテヤルッ!」
「まだまだ……!」
2本の鉄鞭が再び唸りを上げ、打撃が降り注ぐ。
剣閃を走らせ、火花と金属音を響かせながら応戦した。
「生温イナ!」
怪異殺しの太刀がドラゴン・アッシュで創造した鉄鞭に通らなくなっている。
戦うたびに強くなるというのは、どうやら相手の戦いに順応するだけでなく、物理・概念問わず攻撃干渉の耐性もつくらしい。
だが、今のイリスにはそんなことなど、どうでもよかった。
「ハイヤァア!」
勢いのまま、体術をけしかけてくる。
鉄鞭で、イリスの頭を上段から叩きのめし、ふらつく彼女の顔面に蹴りをくらわした。
イリスの口や鼻から鮮血が舞う。
頭からもおびただしい流血が。
「コレデ、終ワリダ!」
鉄鞭が消え、無手での攻撃。
長年練り上げた武の真髄。
イリスの額に鋭く当てた拳から、頸を通し、脳へとダメージを走らせる。
勝った。
だが、その考えが覆ることに、1秒もかからなかった。
「ウ゛ウ゛ウ゛……、ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ッ!!」
人とは思えぬ異様な唸り声をあげ、額で拳を押し退けながら睨みつける、イリスの姿があった。
「キ、貴様ッ!」
「舐めてんじゃないわよ……」
すぐさまイリスとの間合いをあけ、もう1度鉄鞭を創り、構える。
獰猛な気配を漂わせ1歩ずつ迫ってくるイリスに、思わず戦慄した。
銀色に揺らめくオーラのようなものが一瞬垣間見え、明らかに先ほどとは違う雰囲気だ。
「イイィヤァアアアアァァ!!」
イリスの気に飲まれまいと、怪鳥が如き雄叫びをあげる。
1打1打が破壊と乱風を孕み、近づくイリスに血飛沫と鈍い音を響かせていった。
一方的な攻撃が続く中、リー・ゼンフは更に恐怖する。
「ア゛ァ゛ア゛ア゛……ッ!」
まるで攻撃をものともしていないかのように、防御もとらず、怯みもせず、彼に向かって睨みつけたまま向かってくるのだ。
頭からはおびただしい血が流れ、砕けた鎧から、青アザで腫れ上がった肌を覗かせていた。
(オレノ……、金属スラモ破壊スル、コノ攻撃ヲ受ケテ……立ッテイルダト!?)
だが、それ以上に不気味に映るのが、一切の反撃がないところだ。
先ほどから刀を振ってこない。
迫ってくる以外に、大きな動きも見せない。
ギリギリと歯を食いしばりながら、犬歯をむき出しにするイリス。
「ナラバ、一撃デ、決メテヤルッ!」
跳躍し、鉄鞭をイリスの頭部目掛けて振り下ろす。
風を切り、唸りを上げ、イリスを打ち抜こうとした瞬間、リー・ゼンフは勝利を確信した。
――――バキッ!
鈍い音が響き、大量の血が、濁流となって地面と壁に流れる。
しかし、リー・ゼンフには違和感しかなかった。
手ごたえがない、空振りだ。
そして、それはすぐに己の絶叫と共に理解することとなった。
「ぎぃやあああああああああああああああ!!?」
着地した直後、バランスを崩し、地面を転げる。
同時に右足から、骨すらも焼けるような激痛が走った。
リー・ゼンフの右足、太ももから下が、おもちゃ箱に放った人形のように転がっていた。
「ア、アァァア! 足、オレノ、アシィィイイイ!?」
太ももを両手で抑え、目の前の現実に絶叫する。
なぜ、このようなことになったのか、理解できないでいた。
そんな中、イリスは血の混じった唾を吐き出しながら血振りを1回。
言わずもがな、イリスが斬ったのだ。
「キサ、……貴様ァァアアアア!!」
リー・ゼンフが、イリスの頭を打ち抜こうとした直後に行った、零縮地の零斬による『切り抜け』
如何に零縮地を注意していたとしても、攻撃の真っ最中に零縮地を躱すなど不可能。
なによりイリスにとって、跳躍しながら自分に突っ込んでくるなど、『足を斬ってくれ』と言われているようなものだった。
リー・ゼンフは、痛みや苦しみの表情から鬼の形相へと変え、鉄鞭で殴りかかろうとするも、激痛と右足を失ったことにより、うまく動けない。
「ふふふ、ふふふふふふふふふ……」
背中を向けている状態のイリスから、突如として笑い声が漏れる。
リー・ゼンフはその声に寒気を感じた。
獲物として狙いを定められた動物のように、呼吸は荒くなり、身動きが出来なくなる。
総毛立つほどに輝く白刃。
まだ残っていた血が切っ先から、生き物のようにポタポタと地面へと落ちる。
「じゃあ、死のっか?」
勢いよく顔だけをリー・ゼンフに向ける。
獣のような形相とは打って変わり、天使の柔毛のような笑みに、輝きのない瞳。
だがそれは対峙しただけでわかるほどの、邪悪さを宿していた。
それを見たリー・ゼンフは小刻みに震えながら首を横に振る。
逃げようとしても遅かった。
一瞬にして間合いを詰められる。
そして、胸倉を左で掴まれるや軽々と持ち上げられた。
「逃げんなよ。……男でしょ?」
刀で刺し殺されると思った直後、顔面に衝撃が走り、周囲の景色が何度も点滅した。
口と鼻から、盛大な血を噴き出す。
次のイリスの行動ですべてを理解した。
身体をを大きく仰け反らせ、反動をつけながら頭をリー・ゼンフの顔面に打ち付けるこの行動。
――――『頭突き』だ。
「グガッ!!?」
再度同じ部位を頭突きが襲う。
今度は先ほどより威力が強い。
「ア゛ッ! グハッ!! ウグゥウッ!!?」
己の頭部を鈍器として、リー・ゼンフに幾度となく打ち続けた。
最早、彼の顔面に原形はなく、誰のものかもわからないほどに、血と傷で乱れてしまっていた。
ほぼ脱力状態でイリスにされるがままの状態で、言葉にならない声を呻いている。
その様子を、彼女は口を三日月状に歪めながら悦に浸った。
そして、今度は彼の後頭部を掴む。
彼の身体をうまく支えた状態で、家の壁に向かって猛突進したのだ。
直前の距離で腕に力を籠め、彼のズタズタの顔面を壁に叩きつけた。
激しくも鈍い音と、骨と肉がシェイクしたような音をが響く。
「オ゛ォ゛オ゛ラ゛ァ゛ア゛!!」
そして、容赦のない追撃がリー・ゼンフを襲った。
イリスの驚異的な脚力からなる回し蹴りが、彼の後頭部を打ち付けたのだ。
家の壁をぶち破り、内部へと吹っ飛ぶ。
中の一家が悲鳴を上げ、隅の方へと縮こまるが、イリスは気にせず入り込み、リー・ゼンフをまた掴み上げる。
「……"アレ"、使えるわね」
内部に備えられているキッチンにある、"ある物"が目に付く。
歯はおろか、歯茎まで不自然な形に歪んでいるリー・ゼンフには最早言葉も満足には話せない。
そんなことなどお構いなしに、その"ある物"の前まで彼を抱えてくる。
そして、イリスはこの家の住人にこう告げた。
「……貴方達、今夜は外食なさい」
次の瞬間、火傷には十分なまでに煮えたぎったソレに彼の頭を勢いよく突っ込ませた。
ある物とは、"スープの入った鍋"である。
「――――――――――――ッ!!!!」
地獄から響くような断末魔を上げながら、リー・ゼンフはもがき苦しむ。
息もできない、焼き尽くすほどの熱と、傷や抉れた顔肉にスープが入り込み、血管や神経を這うような激痛が一瞬にして彼を支配した。
抵抗しようにもイリスの攻撃によって受けたダメージや彼女の力強さも伴って成す術がない。
「最期の晩餐よ? うれしいでしょクソ神託者。……うれしいって言えよホラァ!!」
自分の手ごとリー・ゼンフの頭を鍋に突っ込ませる。
イリスにもスープの熱が伝わるが、お構いなしだ。
スープが血と唾液で醜く染まったころ、リー・ゼンフの両手がダラリと下がった。
鍋から引き揚げ、彼をその場に放る。
出会った直後に見せたあの威容さは、見る影もなかった。
「もしかして、死んじゃった? ……この後刺し殺そうと思ったのに。……まぁいいわ、他の神託者を当たったほうがいいわね。ミラも襲われてるし、一応助けとこうかな」
そう言って、彼女は家を後にする。
家の住人は、その光景に恐怖し酷いトラウマを植え付けられたとのこと。
ぐったりと倒れるリー・ゼンフ。
顔も身体も惨劇のものと化した憐れな武術家。
そんな彼の小指が、ほんの一瞬ピクリと動いた。




