♯24 そいつの名は、ルイン・フィーガ
ようやく見つけたのは、派手な装飾で彩られた、大陸料理を扱う店だ。
こってりとした油、それに焼かれる肉と野菜、鶏ガラの香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「久々にこういうこってりとした食事を食べたくなってな。遠慮はいらん、食いたいものを食い、飲みたいものを飲め」
「よ、よろしいのですか? ここかなり高そうですけど……」
「いいじゃないフレイムの奢りなんだからさ。さ、早く入りましょ」
3人が店内に足を踏み入れると、一気に熱気と強烈な香りが漂った。
ジュージューとしきりに鍋を動かし、包丁で肉や野菜を切る料理人達。
この雰囲気だけでお腹が膨れそうだ。
「おぉ、あそこの席が空いているな」
「ここが……人間の方々が集い、食事をする場所」
(オレンジジュースあるかしら)
3人は座り、こちらへ来たチャイナドレスをまとったウエイトレスに、注文をしていく。
大抵は肉料理で、しかもかなりの量。
無論食べるのはイリスとフレイムである。
「そ、そんなに食べきれるのですか……?」
「問題はない。これくらいは普通だ」
「1回この……青椒肉絲? っていうの食べてみたかったのよねぇ」
食事が届くまでの数分間、何気ない会話で時間を過ごした。
時折、チャイナドレスのスリットから覗く女性の足を、器用に椅子ごと体を倒しながら覗き見ようとするフレイムの足を、思いっきり踏んづけたりした。
「イリス貴様……ッ!」
「フン……ッ」
「あ、あはは」
料理が運ばれてくる。
3人、特にミラはこの肉と野菜の山に目を輝かせた。
フレイムはゆっくりと手を合わせ、一礼した後に箸をを取り肉をつまみ始める。
イリスはフレイムの動きを見様見真似で合わせ、レンゲをとって望みの青椒肉絲を堪能していた。
だが、ミラはいつまでたっても箸やレンゲをとろうとしない。
両手の指を互いに絡めさせるように合わせ、目を伏せながらブツブツとなにかを唱えている。
この喧騒の中、彼女の澄んだ声が2人にもしっかりと聞き取れた。
(食事の前のお祈り、というやつか。信仰心薄れる気配はまるでなし。恐らくずっとだろうな)
(真面目ねぇ……、アタシには無理ね)
お祈りが終わるとようやく箸を持ち、モクモクと口に運ぶ。
サキュバスでありながらも、どこか清廉且つ敬虔な雰囲気を出す彼女には、この料理はどうも似つかわしくない。
それに、食事にがっつく2人とはあまりに対象的だ。
「うぅむ、ホントにサキュバスかと疑いたくなるくらいの礼儀正しさだな……」
「むむむ……」
気を取り直し、食事にありつこうと各々が箸やレンゲを伸ばした。
次の瞬間。
「この……無一文がぁあああ!!!!」
怒号と共に、フレイム達のテーブルに1人の男が吹っ飛んできた。
派手な音を立て、テーブルと皿の上の料理達が地面にぶちまけられる。
「よし、エビチリと餃子は守り通したぞ!」
「麻婆茄子……そう簡単に落としてたまるかってのッ!」
咄嗟に、お気に入りの料理を守り通し誇らしい顔をするイリスとフレイム。
「なにふざけていんですか! ……そこな方、お怪我は?」
吹っ飛ばされた男の傍まで近寄り、そっと体を起こしてやる。
学者のような服装で、茶色の髪に整った髭。
腰巻布にはかなり年季の入った古式ピストルが腹部との間に挟んであった。
ミラに起こされた男は、なぜか上機嫌でゲラゲラと笑いながら感謝を述べた。
「いやぁ助かりましたご婦人。いや、小生、久しぶりに酒でも飲みながら食事を楽しもうではないかと思い、料理に舌鼓を打っていたのですが……財布を持っていないことに食べ終わってから気づきましてな? ですので、こうして店長とその用心棒に殴られそうになっていたのでござる! ハハハハハハハハハ!」
男の様子にポカンとするミラ。
フレイムもイリスも怪訝な表情で彼を見る。
「おい! この無一文野郎! テメェ俺の店で食い逃げしようってのか!?」
「いやいやそんなつもりはないでござる! ……ツケでお願いします」
「出来るかこんにゃろめ! おう用心棒、コイツをちょっと懲らしめてやってくれ!」
そう言うと強面の男が自慢の筋肉を滾らせながら近づいてくる。
「ま、待ってください! 確かに無銭飲食は悪いことですが……暴力で解決するのはいけないことだと思います!」
「そうでござりますぞ! 暴力を振るえばどうとでもなるなど、言語道断でござる! 暴力しか能がないのですかアナタ方は、えぇ!?」
「貴様、黙っていることはできないのか……? 流石の私も、引くぞ」
ミラが味方になってくれているのをいいことに、店側を煽りだすこの男。
折角の歓迎会が台無しだと、フレイムはエビチリを平らげながら思う。
イリスは静かに食事がしたい、と言いたげに麻婆茄子をかき込んだ。
「えぇい! もういい! コイツ等諸共ぶっ潰しちまってくれ!」
顔を真っ赤にしながら店主は用心棒に命令する。
用心棒の敵意に、男はミラの後ろに隠れ縮こまってしまった。
そして、相変わらずミラはここでもお節介焼きを発動する。
「私は誰も傷つけたくありません、この人も、アナタ方も」
ミラは真剣な眼差しで一瞥する。
その傍らで、イリスとフレイムはそそくさと店を出ようとしていた。
「いいの? ミラに任せておいてさ」
「もうほっとけ。私達は、そこらのカフェでコーヒーでも楽しもう。……あぁ、約束のチョコレートケーキもあるな」
「そうね、気が済んだら帰ってきそうだし……」
傍にいたウェイターに料金を支払い、店を出ようとした矢先。
「イリス! ダッチマン卿! 力を合わせて、この方を守るんですのよ!」
ミラに呼び止められる。
2人して面倒くさそうに振り返るが、ここは最上の策を取ることとした。
つまり逃げた。
「なんだ、なんなんだあのミラとかいう女はッ! とことんまで面倒くさいぞ!」
「1日1回は厄介事に首突っ込まなきゃ死ぬ病気ねあれは」
全力疾走で人混みをかき分け、路地裏の陰で身を休める。
ミラもそうだが、あの無銭飲食の男にも困ったものだ。
折角の食事の時間が台無しになってしまった。
そのことを含め、両者からため息が漏れる。
「しかし、今日はなんたる日か。こうもトラブルに見舞われるとは……いや、流石の私でもここまでのハードスケジュールはキツいぞ」
「一体なんなのよミラ……あんなに感情的になってさ……いや、それはどうでもいい。それよりもあの男よ。アタシまだ食べ足りないってのに……ッ!」
「食事はまた今度だな……それよりも、早速我々に難関がやってきたらしい」
フレイムが指さす方向に目を向けると、どこから現れたのかミラが立っていた。
怒りで瞳を真っ赤に充血させ、鬼のような形相でこちらを睨みながら腕を組んでいる。
彼女のことを魔物と再認識するにはあまりに十分な凄味であった。
「……正座、なさい」
それから1時間にわたり、真夏の嵐が来たかのような怒涛の説教が、2人を襲った。
イリスは苦い顔をしながらそれを聞き、フレイムは器用に目を開けながら寝ていた。
「……ふぅ、いいですか。今度同じように私を置いて逃げ出すようなことがあれば、そのときは許しませんからね!」
「イエス、マム」
「はいはい……」
「はい、は1回!」
ふと、ミラの後ろをみると、先ほどの男がこちらを面白そうに眺めていた。
それだけではない、大きな帳面にペンを走らせ、ブツブツとなにか呟いている。
「……なんでアンタがいるのよ」
「いや、これは失敬。あの用心棒を一捻りにした彼女と共に逃げていたら……あれま、不思議。アナタ方の元へとたどり着いたのでござる」
帳面を閉じ、懐にしまうや、仰々しく挨拶をして見せる。
そして、男は自信満々の笑みで、イリス達にその名を告げた。
「我が名は、『ルイン・フィーガ』! いずれ、後世に名を残すであろう伝説の吟遊詩人……の予定の男にござりまする。以後、お見知りおきを」
一見、ただのイカれた自称。
ミラは拍手で迎え、フレイムはため息を漏らし、イリスは頭を痛めた。




