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♯14 手には聖書を 胸には愛を その名は『ミラ』

 部屋の中にいた"なにか"

 厳密に言えば、"誰か"である。


「ひぃっ!」


 部屋の隅にいたその正体、サキュバスだ。


 銀色のウェーブがかった髪に、真っ赤な瞳。

 怯えた表情からでも見える気品ある大人の雰囲気は、サキュバスでなくとも女性として十分魅力的である。

 同性でも思わず見とれてしまうほどの艶美な肉体。

 仕草のひとつひとつが、魅了という言葉で埋められるほどのフェロモンを醸し出している。


「あ、アナタ達は?」


 彼女は胸に本を抱えながら、部屋の隅で縮こまっていたのだ。

 突然現れた2人に、恐怖の色を浮かべている。


「怯えずともいい、我々は君を助けにきた。約束する。君の身の安全は、我々が保障しよう」


 フレイムはつとめて紳士的、かつ猫なで声で語りかけた。

 その言葉に少し落ち着きを取り戻したサキュバス。

 深呼吸をしながらもゆっくり立ち上がった。


「救援……なのですか? 人間の、方が?」


「いかにも。我々は世に跋扈しているサキュバス狩りに断固している組織の者だ。この山に、異変が起きたと言う報告を受け、馳せ参じた」


 フレイムの隣で表情には出さないでおいたが、イリスは心底呆れ果てた。

 よくもまぁここまで流れるように嘘が吐けたものだ、と。

 当然そんな組織の存在など聞いたことがない。

 ここはフレイムに任せ周囲の警戒に専念した。

 今の所、敵はいない――――。


「私の名はフレイム・ダッチマン。失礼だがお嬢さん。名前はなんと?」


 フレイムのキザな台詞に、サキュバスはほんの少しだが、安心の色を浮かべた笑みを向ける。


「救援感謝いたします。……私の名は"ミラ"と申します。この宮殿にて、女王様のお世話をさせていただいている者ですわ」


 ミラと名乗ったその瞬間、イリスが勢いよくミラに振り向く。

 その表情は、能面のようでありながら、瞳はじっとミラを睨みつけていた。

 イリスの豹変に一瞬肩を震わせたミラ。

 どうしたのです? と尋ねてみる。


「ミ……ラ……?」


 イリスの口からもれたのはこの一言だけだった。


 忘れもしない名前、忘れようもない名前、片時も忘れたことのない名前。

 

 それは、亡き母と同じ名前だった。


 無論、外見などは似ても似つかない。

 だが、肉体年齢は亡くなる前の母と同等か。

 もしくは、それより若い。


 それを感じた瞬間、イリスの胸は締め付けられるような感覚に襲われた。

 忘れていた感情が再び息吹を上げ、心の内を焦がしていく。


「あの……なにか?」


「いや、なんでもないわ。……ねぇ、ここでなにがあったの?」


 気持ちを切り替え、冷静な態度で状況の説明を求めた。

 とてもやるせない気分になったが、感傷に浸る場合ではない。


 なぜサキュバス達はいなくなったのか。

 なぜ彼女1人だけ、ここにいたのか。


 わからないことが多すぎる。


「私はここで、いつものように、聖書を読み祈りを捧げていました」


「なるほど、この部屋で聖書を、……聖書ぉッ!?」


 怪訝な表情でフレイムはミラの持っていた本を覗き見る。

 間違いない、表紙も内容もすべて人間が取り扱っている物と同じだ。


「サキュバスの身でありながら、主に仕える身である……というのは信じがたいことでしょう。ですが、事実。私はアナタ方人間と同じように、魂に信仰を宿しています。もちろん女王様の許可も頂いております。女王様は……人間は敵ではなく、共に歩んで生ける生命であると、いつも仰せでしたわ。ですので、人間の文化や宗教には、かなり関心を抱いておられましたので」


 真剣な表情や言葉の強みから、嘘ではないことが読み取れる。

 だが、この突拍子の無い話に2人は戸惑いを隠せなかった。


「サキュバスが、かみに仕える身、か。……そういうことも、あるのだろうな」


「ふふふ、無理もありません。人間の方々からすれば、奇異な話でしょうから」


「……ま、宗教の自由に関しては、どうこう言える立場じゃないし。それで、この街でなにがあったの? なぜ他のサキュバスはいないのかしら?」


 その問いに、ミラは真剣な眼差しを向けながら、その場に跪いた。


「もう、3ヶ月か前に私がいつものように、聖書を読み、祈りを捧げていたら……部屋の外から、ハープの音色が聞こえてきました。とても美しい旋律でした。音楽を嗜むサキュバスはいますが、あそこまで美しい音色は初めてでした。でも、途中から違和感を覚えたのです」


 あれほど美しい音楽にも関わらず、サキュバス達が騒いだり、動いたりする音は全く聞こえなかった。

 ただ、ハープによって奏でられる旋律のみが、この街に澄み渡るように響いていたのだ。

 それを不審に思ったミラはそっと街の様子を見てみると、そこには目を見張るような現象が起きていたという。


「旋律に合わせるかのように、空間から生えた無数の黒い腕が、仲間達を雁字搦めにしていました。そして、あろうことかそのまま空間に引きずり込んでいったんです」


 ミラの表情が、恐怖で歪む。

 あの恐ろしい光景が目に焼き付き、最早ぬぐえぬトラウマとなっていた。


「それがサキュバスが消えた理由、か。……だとしてもだ、君はなぜ無事だったんだ? 宮殿にいたサキュバスも消えたのだろう?」


 事実、彼女以外のサキュバスはいない。

 恐らく、サキュバスの女王とやらも毒牙にかかっただろう。


「戦闘技能や魔力の扱いに関しては、いささかの心得があります。本来なら、すぐにでも女王様の下へ駆けつけお守りするべきだったのでしょうが……あの黒い手は私にも襲い掛かり……それを振り払うのに時間をかけてしまいました。そのせいで……」


 女王を守ることが出来なかった。

 そして、次々に襲われていく仲間を見て、怖くなりずっと隠れていたというわけだ。

 これがこの街で起きたことの顛末。

 だが、フレイムはあることに個人的な疑問を抱く。

 

「君、……君はさっき女王と言ったな? 女神はいなかったのか? 私はこの街を統治しているのは女神だと聞いたぞ?」


「女神様……ですか?」


 そう、ミラの口から出ていたのは女王であって、女神ではない。

 フレイムの第1の目的は、女神が持っているであろう"叡智の果実"

 だが、話を聞いているとそういった存在は一切出てきていない。

 

「……女神様は、もう600年も前に、人間によって封印されたのです」


「なに?」


「サキュバスの女神、名を『ヴィリアリトニス』、彼女は"叡智の果実"という幻の宝を管理していたとも言われています。封印された理由は、定かではありませんが、恐らく種族的な理由で……」


 それを聞いて、フレイムは苦い顔をする。

 有力候補の1つが途絶えた。

 だが、今はそれを気にしている場合ではない。


「そうか、わかった。ご苦労だった。では、私達は……」


 そういってフレイムが踵を返した瞬間。


「どこ行くんですかぁ!!」


 ミラが勢いよく飛びつき、フレイムの腰に腕を絡みつかせる。


「ここには目当ての物はなかった、だから帰る」


「アナタ方は、サキュバスを助けるために来たのでしょう?」


「すまん、あれは嘘だ」


 だが、ミラはフレイムから離れようとしない。

 真っ赤な瞳をカタカタと震わせながら、じっとフレイムに縋りつく。


「もう、なんでもいい……お願いです、1人は嫌なんです。もう1人はイヤ……ッ!」


「わかった、とりあえず、離せ。じゃないと君も一緒に歩けないだろう?」


 ミラの表情がパァッと明るくなる。

 スルスルと腕を離し、立ち上がろうとした。


「さらばだッ!!!!」

 

 その一瞬の隙をつき、フレイムはイリスを脇に抱え出口に向かって猛ダッシュ。

 鍛え抜かれた脚力が地面を蹴り上げ、周りが滲んで見えるほどの疾走をとげる。


(よし! このままいけばすぐに出口だ!!)


 すると、脇に抱えられているイリスが、クイクイとフレイムの服を引っ張る。


「なんだぁ!?」


 疾走の最中、フレイムは髪を振り乱して走る。

 しかし、イリスはいつもの冷めた様子で答えた。


「必死のとこ悪いんだけどさ、……すぐそこまで追いかけてきてるわよ、ミラ」


「え?」


 フレイムに途轍もない緊張感が走った。

 走りながらも、ゆっくりと視線を後方へ移してみると。


「待ぁぁぁてぇえええ!」


 ミラが、鬼のような形相で、ほぼ真後ろと言わんばかりの距離を全力追走していた。

 血の涙を流し、口角からも血を滲ませながらフレイムに手を伸ばしている。


「……イリス、揺動作戦だ。次のT字路を私は右に、君は左へ行ってくれ」


「色々言いたいことあるけど、とりあえずOKってことにしとくわ」


「よかった、あとでチョコレートケーキを奢ってやる!」


 T字路が見えてきた。

 イリスは左に、フレイムは右へと分かれ、全力疾走をくりだす。

 だが、ミラは寸部の迷いなく、フレイムが曲がった右の道へと追走した。


「私を追いかけるなこのクソアマがぁあああああ!!!」


「行かないでって、言ってるでしょおおおお!!?」

 

 

 その様子を止まって見ていたイリスは、深い溜息をもらす。


「なぁにやってんのかしら……あの2人」


 自分だけ、帰ろうとしたその矢先。

 

 聞こえてきたのは、ハープの音色。


 そのとき、イリスはミラの話を想起する。


 


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