承
ちょっと遅くなりましたが
第三話投稿します。
京都の鞍馬寺までおよそ百キロ。車をぶっ飛ばしても二時間の道のりを、空路を用いたとはいえ、およそ四十分で駆け抜けた天狗という種族のでたらめ具合に和仁はため息をついた。この速度があれば遅刻とは無縁でいられるだろう。まさしく風になった気分をだった。
「すげぇな天狗」
「はは、この分野において何かに劣るとあれば、それこそ天狗の名折れだ」
「天の凶事を下々に伝えるからこその天狗。人間ごときに、そうやすやすと負けはしませんとも」
朝陽はそういいながら、背に負った瑞葵を地面におろしていた。彼女はゆらりと重さを感じさせない動きで降りると、その整った容貌少し歪ませて言う。
「成程、随分と騒々しい山みたいね」
「わかるかい、お嬢さん」
「ええ、見られて喜ぶ趣味もなし。正直鬱陶しいけど……私お客様だもの、この位の怯えと無礼は許してあげましょう」
「うっわ。勝手についてきて、私を乗り物代わりにしといてこの女めちゃ上から目線ですよ師匠。どうします? やっちゃいますか? やっちゃいましょうよ」
言いながら朝陽は虚空へと素振りを繰り返した。その動きは流れるようで隙が無い。だが、瑞葵相手には無謀な行為でしかない。彼女の赤い瞳がその妖しい光を増す。それと同時に朝陽の動きがぴたりと止まった。
「え……いやいやいや、なんですかこれぇ!?」
「馬鹿ねぇ。吸血鬼で魔法使いなんて愉快な分類をされる私が、魔眼の一つや二つ使えないわけないでしょう? 吸血鬼も魔法使いも持ってる方が一般的なのよ?」
「ぶ、仏法の守護者としての格も持ってる私を、こうも簡単に縛るような魔眼が一般的であるもんかっ!! 詐欺だ詐欺!!」
ギャーギャーと動く口だけで延々と文句を言い続ける朝陽。そしてそんな彼女をいじくりまわす瑞葵。そんな二人を横目で見ながら和仁は、夜の鞍馬山を見上げていた。
当然ではあるがとても暗い。夜目が効く方である和仁だがこの暗闇を完全に見通すことは不可能だった。自然気配を探る事でこちらを見ている天狗に対して警戒するがその感知距離もそれほど広くはない。そんな中で暗闇を登っていくのは骨だ。
「いや、待ていくらなんでも視線が多すぎる。どうなってる?」
不意に天丸がそう呟く。そして周囲を見渡すと視線を細めた。
「どういうことだ?」
「こんな時間帯に人間を伴って御山に入るのが珍しいのはわかる。とは言え、夜月が捕まって、長老会議が開かれてるであろう時に、この人数の視線を感じるのはおかしいんだ」
「……ふむ」
頷くと同時に和仁は天丸と共に視線の持ち主の下へと飛び込んだ。踏み込む速度は二人の警戒心の表れか最高速度。音も風も置き去りにするそれは歩法の技巧も相まって、戯れていた二人すら置き去りにした。
「……流石ね。和仁はともかく、あの天狗、三味線を弾いていたってとこかしら?」
「人ごときに本気を見せるわけないじゃないですかやだー。って言いたいところですけど、師匠の動きに先んじたあのバケモノは一体何なんですかねぇ」
見えなかった。とは天狗のプライドに賭けて朝陽は言えなかったが、和仁の動きは彼女の想定していた人間の限界を超えている。反応速度も、踏み込み速度も同様に天狗である彼女の動きを越えていた。その光景を見た今でさえ、種族的にあり得ないだろうと絶句するしかない。例えるなら猿が空中で鳥の速度を上回る光景を見たような気分か。ぶっちゃけありえない。
「瑞葵、そこの天狗を連れて上に来い。どうやら、異常事態だらしいぞ?」
「今でも十分異常事態だとは思うけど、何があったの?」
「天狗が木に縛り付けられてる」
「……へぇ、随分と思い切ったことをしたのね、貴方の師匠」
「いいから手伝ってくれ」
「はいはい」
そういうと瑞葵は指を鳴らす。
それだけで、朝陽を縛っていた魔眼の束縛は消え去り、彼女は自由の身となった。全身を動かして、異常がないかをチェックした後に、瑞葵を指さして宣言する。
「後で、泣かす!!」
「ふふ、楽しみにしてる。覚えていたらね?」
「ムッキー!!」
器用に空中で地団駄を踏んで、それでも呼ばれたことを忘れずに朝陽は仲間の天狗を救出に向かった。仲間を縛る縄を風の刃を用いて切り裂いて次々と救出していく姿は腐っても天狗。鮮やかと言うほかない。そんな彼女を横目で見ながら瑞葵は鞍馬山の頂上を見上げて、一人小さく呟いた。
「お膳立ては十分。成程、ようやく本腰を入れたってことかしら」
「つーか、貴方も手伝いなさいよ。人をタクシー代わりにしたんだから代金支払えっての!!」
噛みついてきた朝陽。その言葉に応じるように瑞葵は再度指を鳴らした。すると縛られていた天狗の縄が全て同時に消え去った。
まるで最初から何もなかったかのように。
「代金はこれで十分かな?」
「あ……え? どうやって」
「縛鎖の術を破っただけ。魔の法に関する知識はたとえ相手が第六天魔王相手でも、後れを取る気はないの。そもそも大した術式ではなかったし」
「ぐ……いちいち腹の立つ」
「朝陽。今はいい。そんな事よりもだ、今は優先すべき事がある」
「師匠……何考えてんだ?」
倒れ伏した天狗の見るが外部からの目に見える怪我はない。しかし、老若男女の区別なく、随分と生気が薄い。生命力があまりにも感じられない。
「同族食い。禁忌の類に手を染めるとは……何があいつをここまで追い詰めた? 仲間を食って得る物なんぞ何も……」
「はぁ……馬鹿ね。そんなのわかり切った事じゃない。いい加減に現実を見なさい。それとも、認めたくないだけかしら?」
そう言った瑞葵の視線は冷たく、されどその笑みには隠し切れない喜悦と、幾何かの諦観、憐憫の色が見えた。複雑な表情に彼女の言葉を三人はとっさに理解できなかった。
「……何を?」
「だから……あの人にとって天狗は仲間ではなかった。ただ、それだけの事でしょう? 力を得るのに有象無象を貪ればいいのなら、その手段を取らない理由がない」
「馬鹿な……」
「否定の言葉を吐くなら、せめて自分で信じてから吐きなさい。そんな震える声で、一体何を否定する気なのかしら?」
「し、師匠?」
押し黙った天丸。彼に縋るような視線を向ける朝陽。しかしそんな彼女に対して天丸は何か答える事さえできず、その間に時間はゼロを示した。和仁が最初にそちらに視線を送り、それに一拍遅れて天丸、朝陽、瑞葵の順で気が付いた。
音も無く、目の前に夜月が現れていた。警戒を解いていたという訳でもないのに、気が付けばそこに。応じて戦闘態勢を取っていたのは和仁だけ。天丸は驚愕に目を見開き、朝陽は普段とまるで雰囲気の違う彼女相手に声すら出せず、瑞葵は和仁の背に縋る。
夜月の視線が鋭さを増した。
氷よりもなお冷たく、刃よりも鋭く、一振りの刃として自身を定義するが如くに、彼女は自身の感情をそぎ落として和仁の前に立っている。
そんな彼女を見て和仁はその内に宿した熱を悟る。
らしからぬ歓喜と、らしからぬ情熱を拳合わせることなく理解する。その理由が解るはずも無い。だが、目の前の天狗は師にあらず、女性にあらず、天狗にあらず、ただ敵として立ちはだかっている。
故に和仁が取れるのは構えだけだ。
目の前に敵がいれば打倒する。
後ろに瑞葵がいる以上それは必然だ。
口上はなく、音を立てる事さえあまりに無様。
そして、彼女は生まれて初めて、激情のままに拳を握ることを選択する。
そして、彼はいつものように無謀な戦いに挑む。
場所はいつも通り山の奥。
時はいつも通り草木も眠るそんな時。
されど理由だけがいつもと違う。なのにいつも通りの戦いが始まった。
周囲全てを置き去りにして。
そのことに文句を言うものは誰もいない。
師と弟子のかけがえのない時間だからではなく。男女の口を出すことが野暮な戦いだからでもなく、二人の関係がつかめず、何を言っていいかわからないからでもなく。もっと明確な理由だった。
「これが和仁」
「これが夜月……か」
「これが武術の最果て……?」
隔絶した技量が世界を分かつ。
三者三様にどう足掻いても届いていない最果ての領域に息を飲んだ。
攻め立てる姿は風花のように、儚さすら感じさせるのに。
守り防ぐ姿は雪花のように、淡さすら感じさせるのに。
その武威は互いに自身の種族の枠組みを超えている。
人ならざる、天狗ならざる絶技に大地が揺れて、天が割れた。
「「双天絶衝」」
重なる同音。
重なる打撃。
重なる奥義。
「「夜砕」」
放たれるはその悉くが必殺で、その悉くが武門における秘奥のそれ。一流派の奥義に比する技を牽制に放ち、互いに隙を伺いあいながら放たれるそれら全てが必殺でただの一撃さえ耐える自信が見ている三人には無い。
「いい腕だ和仁。かつて師の言った言葉がようやく理解できた。弟子の成長に嫉妬などしないものだね。越えられることが誉とはよく言ったものだ」
「それはどうも。だけどなんで、こんなことを?」
「ああ、君には言っていなかったね。おそらくは瑞葵嬢は気付いているのだろうが、彼女が君に伝えるはずも無し。伝言はこの上なく役目をはたしてくれたらしい」
「師匠……言っている意味が」
「全ては伝言に託した言葉の通り。時代が巡った。かつて君より受けた屈辱を果たしたい。そして、運命がその意義を失って、私はようやく自由に成れた」
「だから……意味が」
互いに技を振り切って。その技同士が相殺することで生まれた一瞬の空白。コンマ数秒以下の意識の空白に、互いが互いに必殺の意思をもってさらなる技を重ね合う。和仁が誘い、夜月がそれに答えた形ではあったが、勝敗に答えは出ず再び闘争へと疾駆する。
「私の名前は夜月。夜の月。即ち、朝陽が沈み、消えた後に顔を見せる存在だ。なら、今この過渡期を黄昏と呼ぶのかもしれないね」
「だから!!」
「相変わらず察しは悪い。まあ、その分瑞葵ちゃんが嫌味な程に鋭いから、バランスはとれているんだろうけど、その点は直さないと君のこれからが心配だ。悪い人に騙されてしまうよ」
「もう、遅いっつーの、師匠!!」
今までの言葉全てが理解できない。だが、最後の一つだけは違うと和仁は言い切った。これから先悪い人に騙されることの心配は余計なお世話だ。何せ、すでに悪い奴に騙された後。恋心でもって縛られて、どうしようも無くなっている。
何より、そして何よりそのことを嫌だと欠片も思わなくなった自分の心に、後悔なんて抱くことはなく、だからこそ、彼女の言葉は和仁に対する侮辱となった。
負けられない理由が一つ。
師との闘いにおいて、一度たりとも手を抜いたつもりはなかったが、同時に勝利を本気で求めたことも無かった。勝てるはずがないという師に対する諦観が根底にあった事を和仁は今ここで初めて気づいた。
しかし、今回ばかりは勝たなければならない。
正直こんなことをしでかした理由も、天狗の集落を滅ぼそうとしている事も、仲間を裏切って今敵対していることさえも、和仁にとってはどうでもいい事でしかない。今戦っている理由だって、夜月が和仁に仕掛けてきているから応戦しただけであって、天狗の集落の為に拳を振る理由は彼にはない。
故に、夜月が戦いを収める気なら、邪魔をするなと和仁に一言告げるのなら、彼はこの場で拳を収めただろう。その理由を一応聞きはするだろうが、納得せずとも夜月の言葉というだけでその善悪を無視して彼女の言に従う事を良しとしただろう。
「だけど、師匠。今宵ばかりは話が別だ。あんたは俺の恋人の事を知っているはずだ。その上でその言葉を吐いたことだけは許せない。忠告の振りをして俺たちの間柄を引き裂くつもりなら力尽くで行かせてもらうしかない」
「ああ、それでいいよ。それこそが私が望んだ展開で。それでこそ、私が見込んだ男だ。
ああ、ようやく、私の願いが叶う」
望月の下。
師弟は初めて本気で殺し合う。
エゴをぶつけ合う醜い争いなのに、その光景はとてもきれいで。しかし、その光景を瑞葵は素直に称賛することができなかった。
「ばーか」
頬を赤く染めて、いつも通りの悪態をついて、二人の戦いを眺める体制に移る。ちらりと横目で見やれば、天丸と朝陽が周りの天狗が戦闘に巻き込まれないようにしながら、倒れ伏していた彼らを集め切ったのが見えた。
指を鳴らす。
僅かそれだけの動きで結界と治癒の術式を重ねて展開する。一流を通り越した神話の技術に二人の天狗は瑞葵の方を驚愕の目で見た。
「あんた?」
「凄まじい。……しかし、助かった。礼を言おう」
「いいわよ。私の和仁が迷惑をかけたわけだし、これくらいはね」
「彼の責ではないだろうさ。これは我ら天狗の……」
「いいから、最後まで見て、聞いてなさい。正直ぶん殴りたくなるほど、和仁が悪いんだから」
どこか拗ねたような口調で瑞葵はそういった。その様子に天狗二人は互いに首を傾げ合うしかなかった。