起
次回更新は3日後の予定
「それで、何処からどう見ても不審者なおっさんと、気絶した女の子を連れて、貴方はわざわざ私の家に来たのね? 馬鹿じゃないの?」
「言うなよ。俺だって歩いている最中そう思ったけどさ」
瑞葵の言葉に和仁はそういってうなだれた。二人の客人を伴って家に訪れた彼を彼女はジト目で見やりながらも、客人のためにとお茶を用意する。それをお構いなく、と断って未だ気絶したままの朝陽を客間のソファーに預けた。
だらりと投げ出されるような姿勢でも、庇護欲を擽られるあたり美人は得だ。そんなことを思っていると、瑞葵が肘で和仁のわき腹を軽くつついた。彼女を見るとさらにジト目の鋭さが増していた。慌てて朝陽から視線を逸らして、天丸の方へと向き直った。
「それで、師匠が処分されるって、どういう事なんですか?」
「誤魔化した」
「どういう事なんだ! 早く説明を!!」
「お、おう。分かったからちょっと落ち着いてくれ」
瑞葵の方を見ることなく、天丸へ食らいつくように問いかけると、彼は少しばかり引いたような態度をとった。しかし和仁は瑞葵の視線が持つ温度がさらに下がっていることに気が取られて、その事には全く気が付いていない。ただ、夜月の安否を心配する弟子という体で、ひたすら天丸の傍へとにじり寄る。
「はっ!! ここはどこ? 私は朝陽。あの野郎は!?」
そんな時にややこしい奴が目を覚ました。
今まで体を預けていたソファーから飛び起きてあたりをぐるりと見渡す。そして和仁を見ると、大きく目を見開いて戦闘態勢を取った。
「貴様、なかなかやってくれましたね。人間だからと言って侮った私の慢心を見事についたその実力。まずは見事と褒めておきましょう。しかし、ここからは私も全力です。全力を出した天狗の強さをその身で思い出すがいい!!」
「馬鹿なこと言って無いで止めんか馬鹿弟子」
唐突に啖呵を切って唐突に殴りかかろうとする朝陽。それを制止したのは苦虫を嚙みつぶしたような顔をした天丸だった。頭痛でもするのか頭を押さえながら、それでも動きにいい際のよどみなく彼女を強引にソファーへと着席させた。
「なぜ止める!! 言え!! 言うのです、師匠!!」
「いいから落ち着けクソ弟子。夜月に憧れてるなら、あいつの強さよりもあいつの立ち居振る舞いに感化されろ」
「え? いや、私あの人の強さには憧れてますけど、人間にほいほい技教える様なプライドの無さはあんまり……って、いった!! 師匠、今割と本気で殴りましたね。訴えますよ!! パワハラだパワハラって、二度も!!」
二度殴られたというのに反省も無く、再び食って掛かる朝陽に対して天丸は再び大きなため息をついた。慰めるように出された瑞葵の紅茶は色鮮やかで、何故か彼をさらに落ち込ませる。
「お前、もう幾つになったよ」
「え? 43歳ですけど」
「……はぁ」
平然とそういった朝陽に、天丸は大きなため息で返した。そんな彼に対して抗議するような視線を彼女は送ったが、周囲の視線を感じ取ると特に鳴りもしない口笛を吹いて誤魔化そうとする。
当然誤魔化せていなかったがこれ以上突っ込むと話が進まないと和仁は判断し天丸に続きを促した。あんまりにもあんまりな、彼女のおかげで瑞葵が放っていた危険な雰囲気は霧散していた。その事は彼女に感謝してもいいが、同時にシリアスな空気も同時にどこかへ消え去っおり、そんな状況下で自らの師の危機的状況について聞くのは少しばかり厳しいものがあった。とは言っても聞かないという選択肢が和仁にはない為、シリアスな雰囲気が死んだ中で無理やりシリアスな雰囲気を出しつつ、天丸に先を促した。
「それじゃあ……」
最低な雰囲気を大人の余裕をでスルーして、天丸が夜月の事について説明を始めようとしたとき、ノック音が部屋に響いた。再度中断される話題に天井を仰ぐしかなかったが、この場所を訪れる相手はこの館の主以外にあり得ない。それを悟っているのか、彼は和仁と瑞葵に向かって、ひらひらと手を振って招き入れる事への許可を出した。
「うっわ。空気読めてませんねぇ。私、こういう空気を読めない行動する馬鹿ってのが嫌いなんですよねー」
空気を読めていない朝陽が、自分の事を棚に上げた発言をした。それを聞くと同時に天丸の拳が彼女の脳天を撃ち抜き、彼女はその打撃による激痛で声も上げることができずに悶絶した。
「……和仁君。君に用事があるのだが、少しいいかね?」
「おじさん。そこのバカ天狗程じゃないけど、空気読めてないっす。後じゃダメなんですか?」
「確かにね。私としても空気の読めない愚か者になりたくはなかったんだけど、この話に関しては今話すのが正着だ。君たちの助けにもなると思ったからこそ、恥を偲んで扉を叩かせてもらったのさ。内容は君のそして私の師である夜月殿からの伝言だ」
雄介の言葉に和仁は目を見開いた。一瞬の驚きの後、即座に冷静さを取り戻して、息を整えた。瑞葵はその表情をさらに不機嫌なそれに変えている。天丸は飛び掛かりかけた朝陽の首根っこを掴んで押さえこんだ。
「おじさん、内容は?」
「始まりの時巡れり、かつての辱を今注雪ぐ。いざ鎖は解かれ運命は砕け戒めは消え去った。導きなき頂にて、誰もが知らぬ物語を紡ごう。だってさ」
「……それだけ?」
「ああ、それだけだよ」
「ごめん。意味わかんない。ってか、あの人今捕まってるんじゃないの? 余裕ありすぎでしょ」
「あの人、基本変人だから……」
和仁と雄介はため息をついた。天丸も同じくため息をついているあたり、夜月が変人であるという事は三人の共通見解らしい。振り回された経験が彼らの距離を少し近づける。
「それで、その詩どういう意味かは理解できているのかしら?」
「さあ?」
「私に聞かれても困る」
弟子二人には全く理解できていあなかった。あっそ。使えない二人ね、なんて呟きながら、瑞葵はもう一方のアプローチである天丸の方を見た。
「そっちは?」
「さあ?」
「夜月さんかっこいい」
肩をすくめる天丸。目を輝かせる朝陽。こちらも使えないことに瑞葵はため息を隠そうともしない。
「伝言を聞いて理解できた相手がいないって……随分と愉快な師匠なのね、和仁?」
「まあ、エキセントリックであることは否定しないよ」
「基本的には狂人の類だからな、夜月は」
苦笑した瑞葵に和仁は苦笑を返すと、天丸もそれに同調した。
「そもそも、人間に武術を教える天狗ってのがまず変わり種だ。掟で禁止されてるのに、あいつはそれを隠そうともしなかった。天狗の縦社会においてはまずありえない」
「へぇ、そうなんだ」
「最も、あいつはいつの間にか天狗の集落にいて、いつの間にか独自の立場を築いた根っからの変わり種だ。力もある。処罰されることはないだろうと踏んでいたんだがな」
「今更だけど、師匠、なんで捕まったんだ? 天狗の掟を破って処分されかけてるってのはわかるけど、一体どんな掟を破ったのさ? 少なくとも俺たちに武術を教えていたっていう理由だけではないんだろ?」
「いくつか思い当たる節はあるがね。風の噂に曰く。運命を破壊したとか何とか」
その言葉に和仁は首を傾げた。随分と抽象的な言葉にそれが処分を受ける理由につながらない。
「風の噂? 信憑性は」
「天狗が風を読み間違えるか」
根拠はなかったが自信満々に言い切った天丸に和仁は更に首をかしげる。これだけでは何もわからない。取れる手段の模索すらできない以上直談判以外に方法がないが、そうなると交渉が決裂したときとれる手段が正面からの突破しかなくなる。自分の師を捕まえる程の手練れを相手に勝ちの目が大きいとは思えない。
「つってもどうしようもない。悩んでいても仕方がない。……というか悩むのもめんどいし、さっさと師匠の場所へ案内してくれるか?」
「あん? どうする気だ?」
「取りあえず、強行突破してみる」
「お、おう。随分脳筋だなお前。冷静そうに見えるのは見た目だけかよ」
「なに、師匠に倣っただけさ」
「……ああ、確かに」
和仁の言葉に天丸はため息をつきながらも頷いた。冷静沈着そうに見えて激情家。繊細この上なく見えて大雑把。それが夜月の性格だが、その弟子である和仁もその性質を受け継いでいる。師に弟子は似てくるものなのか。
ソファーから立ち上がった和仁の後を追うように天丸も続いて部屋から出る。続いて朝陽、最後に瑞葵。
それを見て和仁は天丸と朝陽を先に行かせ瑞葵に声をかけた。
「え、お前付いてくるの?」
「あら、随分な言い草ね和仁。もともとこの時間は私が先約じゃない。その約束を破ってまで自分の用事を優先することを認めてあげるのだから、私が付いていくことくらい許容しなさい。足手まといにはならないわよ」
「いや、そうじゃなくて……お前、師匠の事嫌いじゃなかったか?」
「別に、嫌悪してはいたけど、その理由がわかってしまえば大人気も無し。未だ気付かな愚かな女に教えて差し上げるのも一興かと思っただけよ」
「意味が解らん」
「ええ、わからないでしょうね。今回ばかりは貴方の察しの悪さが原因じゃないから、怒らないであげるわ」
瑞葵はそういうと屋敷の玄関口にかけてあった上着を一枚羽織り、長めのブーツを履いて外へ出た。それに合わせて和仁も同じく屋敷を出る。
山奥の夏は短い。日が暮れたこの時間帯に吹く風は夏の余韻をさほど感じさせない程に冷たい。極限まで人工の光が少ないこの場所では天に見える月が怖い程に大きく見えて、それに照らされた瑞葵の横顔は美しく和仁は小さく息を呑んだ。
「何?」
「いや、何でもない」
「ふぅん?」
訝し気な瑞葵の視線を無視して、和仁は天丸の下へと向った。そんな彼を彼女の紅い眼が追う。悪戯っぽい視線に気づかれていたことを察しながらも、その素ぶりも見せずに天丸に向かう場所を問いかけた。
「場所は?」
「天狗の住む場所なんて決まってる。特にこのあたりならな」
「……いや、天狗の住処とか知らんし」
「……鞍馬山。……京都のな」
「あ、そう。……遠くね?」
その様子に瑞葵は小さく笑い、所在なさげな朝陽は口を尖らせていた。