承
仕事の都合で遅れました。
よろしくお願いします。
和仁は戦いを好き好んで行うタイプだとよく誤解されはするが、実際に自分自身の事を戦闘好きだとは思っていない。自らを高める行為。つまり、鍛錬だとか、訓練だとか、それを目的とした手合わせ等の模擬戦はともかくとして、相手に殺意を向けて全力で殺し合う事自体は苦手だった。戦いにおけるスリルを楽しむことは無く、ひりつくような空気の味に懐かしさを抱くこともあるが、だからと言ってそれを積極的に味わいたいと思う事もまた無い。
その事を友人、勝に伝えてみれば、黒騎士として鎧甲冑を纏っている時としては珍しく驚いたような表情を見せた。その態度に憤慨して見せると、訝しんだような空気を纏いながら彼は和仁に向けて問いかけた。
「それほどの力を持ちながらか?」
「力を持っていれば戦いが好きになるのか?」
「それはそうだが、それでも自ら鍛えた技を振るいたいという欲求はあるだろう? お前ほどの実力者ならその欲求が顕著に表れても可笑しくはない。そう考えていたんだが。お前は当てはまらないらしいな。なら、一体何の為に力を求める?その根幹をなしているのは何だ?」
「根幹、なんて言われても。その、なんだ。困る。そもそも、男として生まれて、力を求めない方が希少じゃないか? そういうロマンを今でも追い求めているってだけだろ」
「確かに力を求めるには理由がいるなんて事はない。だが、それを続けるには理由が必要だ。なぜなら力を得る為の鍛錬とは即ち苦痛の継続で、毎日の中にその苦痛を受け続ける時間を取り入れるには覚悟がいる。そして覚悟は何の理由も無く唐突に生まれる物じゃない。力を求める事に理由はなくとも、求め続ける事には理由に意味がある。なら、何らかの願い、欲求。それらが下敷きとなっていると考えるのが道理だろう」
「それは、お前もか? 勝」
「ああ。俺もだ。始まりの理由を俺はよく覚えている。というより、覚えてもいない薄ぼんやりとした理由で鍛錬なんて続かないだろうに。訳もなく淡々と苦痛を受け続けることを肯定できるなんてのは、流石に被虐的趣味が過ぎるってものだ。少なくともお前にその気は……無いとは言わないが」
「無いよ。どうしてその結論に至った?」
「お前が付き合っている相手を思えばその気があっても不思議じゃないと思っただけだ。……それよりも、話を逸らそうとするな。お前の胸の内を聞かせろ」
「……なんでそこまで……と聞くのは、野暮か」
真剣な眼差しを向ける勝に和仁は茶化して誤魔化すことをあきらめた。
両手を上にあげて降参の意を示すと、模擬戦で熱を帯びた体を冷やすために脱いでいた上着を、引っ掛けて置いたサッカーゴールより手繰ると、朝の冷気満ちる清々しい校庭の中心へ向かって歩き、そして足を止めて東の方へ目線を向けた。未だ朝陽は登らず、東の空が薄っすらと赤みを帯びていく光景を眺めながら、勝が和仁の傍へと歩み寄ってくるのをしばし待った。
「和仁?」
「なあ、勝。例えば、世界すべてから悪としてある事を望まれた存在が、悪としてあり続けて、それをやり通したとき、その存在は悪として、断罪されるべきなのか?」
「例えて物を語るまでも無く、お前の彼女の事か」
「詮索はいい? 答えは?」
「ふむ……」
真剣な和仁の眼差しに、勝は顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。彼の答えは決まっているが、言葉の裏を読むために少し時が欲しかったために言葉を濁した。しかし、真剣な眼差しの彼の前では、妙に策を弄するよりも、真摯に答えた方が良さそうだと思い直しそのまま告げた。
「悪か正義かなんて二元論で断罪されるのは困る。罪には罰がいるだろうけど、悪だから、正義だからで断罪されるってのには納得いかない。悪であることが罪ならば、悪魔と契約している俺や会長たちも罪を犯していることに成る。俺はともかく、会長たちを断罪されるような問いには、否としか答えられないぞ」
「揺るがないな。お前は」
「お前だってそうじゃないか。俺はあの三人に恩がある。だからこそ、揺らぐつもりは無い。例え彼女たちが望まなくとも、無理やりにでも幸せになってもらう。それを揺らがせるつもりは無い」
「恩返しか」
「ああ、よくある話だろ?」
そう言って勝は苦笑した。
その態度につられるように和仁も笑うと、上着を着こみながら僅かに乱れた髪を手櫛で整えていく。和仁が身格好を気にするような相手は一人しかいない。その相手に会いに行くのであろうことを、それだけの仕草で勝は理解すると苦笑しながら、それでも最も聞きたかったことを聞くためにさりげなくを装って、彼へと問いを投げかけた。
「それで、お前はなんの為に彼女に尽くすんだ?」
「……」
勝の言葉に和仁は答えなかった。ただ僅かに視線を勝に向けて、それ以上聞くなと視線で制止する。
その制止を勝は無視した。気が付かないふりではなく、気が付いた上でそれでも聞いておきたいという態度に和仁は幾度か瞬きをした。らしからぬ態度に少しばかり考えるが答えはすぐに出る。
「それほどに会長さん達が気になるか。筋金入りだなおまえも」
「お前が言うかね、瑞葵嬢にあれ程入れ込むお前が」
「まあ、それはそうだな。……いや、むしろ、だからなのか」
「自らの命よりも大事なものがある。譲れないものとして胸の内に。されど秘めること無く、それを表に出すことを互いに否としていない間柄、それが俺たちの縁」
「それを知っていたうえで、あえて理由を聞かなかった。互いに聞くことも無いだろうと思っていた。だが……だ」
「真剣だな。その理由を聞かせろ」
「お前が俺を巻き込む覚悟を決めたからだ」
そう言った和仁に対して、勝は僅かに目を見開いた。そして気まずげに視線を逸らす。魔法使いであるという事はともかく、常人とは隔絶した力を持つことを、目の前のこの男に隠し通せているつもりは無かったが、こうまではっきり言わえれると、気が付かないふりを続けている理由をいくつも邪推していた自分自身の事が恥ずかしい。
「悪い」
「いいさ」
それだけ言うと和仁は上着を羽織る。同時に勝も自身に纏っていた鎧を解いた。空気に溶けるように消えていく鎧。それをぼんやりと眺めていると、日常の空気が戻ってくる。時刻は五時になる前、そろそろ学校を出ないと、瑞葵を迎えに行く時間がなくりそうだ。
「和仁」
最後の抵抗を声掛ける事で不意にした親友に自身の顔見せる事なく。
「出会った時の話だ。一目見て宿敵だと感じて、一目見てすげぇ腹が立った。にこやかに笑みを浮かべて、仲睦まじい父と母に愛される、聞き分けの良い優しい女の子」
和仁は消え入りそうな声で小さく呟いた。
「……何?」
「そんな女の子を、今みたいな性格にしたのが俺だ。だから、責任を取る。それだけの事なのさ」
「……難儀なことだ」
「お前もな」
「違いない」
親友同士の会話はそれで終わった。
勝が気にかける少女たちが事を起こす僅か前。
耳まで赤く染めた和仁なんて言う、珍しいものが見れた朝だった。
意識を引き戻す。
戦場へ、闘争へ、目の前の女へ。
目が合った瞬間に心臓が停止した。
肌が触れ合った瞬間に全身が生きる事を諦めた。
柔らかいところへ触れるたびに心はぐずぐずに腐っていく。
全身これ兵器で、全身くまなく甘い毒。万象一切を喰らい尽くす貪欲の龍にして、万象一切を溶かしつくす傾星の女。そんなものを相手にしているのに、生きて帰ろうとは虫が良すぎる話だったか。それでも
「ああ、だから責任は取るさ」
自らを奮い立たせるようにそう言葉を紡いだ。そんな自身の言葉に可憐な笑みを浮かべた瑞葵を見て、停止した鼓動は動き出す。触れ合う為に生に執着し、腐り堕ちた心は幾度でも恋に落ちる。夢は醒めず、熱は消えず、自らの限界なんていくらでも破界してその更に上へ。
停止した心臓の代替として全身の筋肉に活を入れて、その作用で不随意筋を無理くり再稼働させる。
止まっている暇などない。
彼女を受け入れると決めた時から、彼女の事を愛していると気が付いたときから。彼女の悪業さえ肯定すると決めた時から、彼にその場でとどまる権利は失われた。
かつての邪悪は、教育の果てにただの少女になることを受け入れて、何処にでもいる普通の少女に成り果てるはずだった。邪龍としての残滓を身に宿し、その事実に怯えながらも、ごく普通の怪物として生きていけるはずだったのに、その様を肯定したのは彼自身で、その無様さを否定したのもまた彼自身だった。
その結果がこの様だ。
その結論がこの在り方だ。
かくして怪物は龍として再臨し、かくして少女は邪悪を是として呵々大笑する。
邪悪龍。
輪廻の最果てまで悪を是として降臨する、悪業の極致。
それでもその様全てを受け入れると決めたから。
それでもその在り方全てを肯定すると決めたから。
思えば悲しい話だ。思えば救えぬ話なのだ。
誰もが望み、誰もが願い、誰もに請われた在り方を、貫き通した最果てに滅びる事のみを望まれるなど、哀れと呼ばずに何という。
ブレスが世界すべてを灰燼へ帰す。
その焔を真正面から切り開いて、再現された地獄を疾駆する。
まき散らされる灰は陽光を覆って影を落とし、グズグズに解けた大地は絡まる様に足を引く。この世の終わりを再現したような世界の中心にて、ひときわ輝くように少女が笑い、嗤って和仁に視線をくれる。その視線を受けて死線を越える。惚れた弱みをその身に背負い、尽き果てる世界の果てで、幾度でも愛を捧ぐ。彼女に望まれた在り方を肯定するために、彼女の全てを背負うと決めた。
確かその在り方は悪だろう。
誰にも望まれ、誰にも願われたとは言え、彼女がなすこと全てをは悪業そのもので、それは誰にも肯定できない。彼女が望むが儘に生きるという事は、この世に地獄を顕現させるという事に他ならず、そんなものを認めることなど、人である限りできるはずがない。
朗々と彼女は謡う。
明朗快活に、彼女は願う。
希われた儘に、自らの罪悪を万象一切に示すように。
何かをつぶやいたような気がした。
それは和仁自身気が付かない言葉だった。
言った事さえ無意識で、何と言ったかさえ曖昧模糊に消えていく。
そんな霧の中で雲を掴むかのような、自身の言葉さえあやふやになるほど彼女に意識を収束させてなお、彼女が喜悦に満ちたことは理解できた。つまり自身はきっと彼女を喜ばせることを言ったのだろうとあたりを着けて、ならば良しと理解を放棄した。
「いくよ、和仁」
不意に彼女がそう言った。
それに帰すべき言葉はいつだって一つだった。
「ああ、存分に来い」
受けて立とう。
受け入れて見せよう。
望まれた儘の君を。
全力で我儘を言う君を。
「好きな女の我儘の一つや二つ」
たとえそれが世界を滅ぼすに足る願いでも。
たとえそれが世界の全てを敵に回す思いでも。
「笑って受け入れられないで何が男か」
君が世界を滅ぼす事をしでかしても、笑ってそれを受け入れて、その果てで君を止めよう。
君の陰謀も、君の策謀も、君の悪逆も、君の非道も。
すべてを打ち砕くことで回答とする。
彼女が望まれたままに生きることを望むなら……その全てを受け入れて。
次回以降はいつも通りの投稿ペースに戻ると思います。
戻るといいなぁ。
あと、総合評価1000ポイント越えました。
応援ありがとうございます。




