終
遅くなりました。
次回以降はまた、前のペースに戻れると思いますので、よろしくお願いします。
満足したか、なんて和仁に問われても肇は頷きなんて返せなかった。
必死の思いで挑んでみたものの、一撃で終わったとあれば、何かしらの充足感など抱けるはずも無かった。
「あいつ、結局本気も出さずに沈めてくれちゃって」
その不甲斐なさに笑いさえ出てしまう。
気が付けば自分の部屋に寝かされて、怪我さえ負わされることなく、宝物のように丁寧に意識を刈り取られた。彼が未だに人の領域にある事が信じられない程の技量だった。神様の力を借りて、人外の領域に至った彼女をして、一撃持たないなんて無茶苦茶だ。
「それなのに優しくて、甘くて……ホントバカ」
それでも、傷一つ付けられていないという事実に頬が緩む。許すなと釘を刺したのに、結局和仁は彼女を許している。
不意に携帯が着信を示した。動きにくい体を無理やりに動かして相手を見れば、嫌っていた、そして嫌われていたはずの相手だった。彼女相手にだけは弱っていると悟られたくない。そんな、つまらない意地が肇に電話に出ることを選ばせた。
「もしもし。やあ、瑞葵嬢。まさか君から電話がかかってくるとは思わなかったよ」
「ええ、私もあなたに電話をすることに成るなんて思ってもみなかったわ」
電話越しからもわかる不機嫌な声。電話の向こう側で苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべているのが手に取る様にわかる。……もっとも、瑞葵が肇と顔を合わせているときに、彼女がそれ以外の表情を浮かべていたことはほとんどないので、それ以外の表情を想像するほうが難しいのだが、それはさておき。
「それで? 一体何の用かな? 振られた女に追い打ちをかけるのは、あまり良い趣味じゃないね。とだけ言わせてもらうかな?」
「ふん。諦める気も無いくせによくもまあぬけぬけと」
「そりゃあ、まあ、私が知りうる限り最高の男だ。手を出さないなんて女が廃る。……まあ、私の心は男の部分もあるから、男が廃ると言い換えてもいいけどね」
「貴方の精神の性なんてどうでもいいし、興味も無いから一言だけ言わせてもらうわ」
「何かな?」
「とっとと、諦めろ負け犬」
鬼気が殺意が悪意が伝わるような彼女の言葉。
事実、彼女なら肇を殺せるだろう。
短命が運命づけられていた吸血鬼にして、純粋無垢なる魔導の姫。死することを定められていたからこそ、生きることを許されていた、最悪の才覚者。そういう類の超越者がいることを、家の都合で聞き及んではいたが、世の中は狭いものである。まさか,そんなバケモノ相手にさや当てをしないといけないようになるとは。しかも、自分が略奪する側である。そんな状況下に陥った今の状況には、苦笑以外浮かばなかった。
「そうかい。そんなことをわざわざ言うために連絡してきたのか。ふふ、随分とかわいいところもあるもんだね、お姫様」
「うるさいわね。それで、返事は?」
「おや? わかっているくせに聞くのかい?」
「脅せば、意見を翻すかもって言う淡い期待よ。一応あなたなら私の事を知っているでしょうし」
「いやだね」
「ええ、そうでしょうね。ホント、面倒な女」
「でも、ほらそれは仕方ないんじゃないかな?」
「……なぜかしら?」
「だって、ほら、あいつに惚れる様な女だしね」
その言葉に対して瑞葵は何も言わなかった。
そんな素直な態度の彼女に瑞葵は小さく笑った。
「ああ、ホント、君もかわいらしいところがあるんだね」
「うるさいわよ、泥棒猫」
「いいじゃないか。泥棒猫と仲良くする本妻がいたって」
「……ふざけないで」
「まさか、本気だよ?」
肇の言葉に瑞葵はため息をついた。そして、鋭い声音で一言。
「お断りよ」
「あははは。うん。分かってるよ。だけど、君とは友達になれそうだ。ようやくそう思えた」
「私は成りたくない」
「そう言わないで欲しいね。だって、私、君の事気に入ったんだもん」
「私は気に入っていない」
「でも、これから長い付き合いになる。だから……」
「うるさい」
「仲良くしてほしいな、瑞葵」
肇がそう言った瞬間に電話がぶちりと切れた。
握りつぶさないだけ、まだ理性は残っていたらしいが、それでもこれからしばらく大荒れだろう。それをなだめなければいけない和仁の事を思うと、少しだけ胸がすいた。四苦八苦しながら、彼女をなだめているであろう、彼に小さなエールを送る。
「頑張れ、男の子」
その言葉は、彼女の敗北宣言に他ならない。
お似合いだと少しでも思ってしまった肇が、瑞葵へと一手だけ譲る言葉だった。
もちろん、それを直接伝える気なんて毛頭ないが、それでも。
「うん。今回だけは譲ろう。告白して振られたばっかりの私に、その資格はないとしてもね」
その言葉は、間違いなく真実だった。
「うちの姫さんがまーた切れてる件」
「君が悪い」
「ひたすらに平謝りが正着っすよ」
特に用事のない放課後、久々に瑞葵に付き合おうとルンルン気分で彼女の屋敷を訪れた和仁に対して、瑞葵は自室に閉じこもる事で答えとした。引きこもられて、無理やり外に引っ張り出せるほど、和仁は無神経ではない。ため息をついて客間に戻り、そこに用意されていたお茶をすする。相変わらず渋いだけで全く美味しくない。どう考えても茶葉をどぶに捨てている師匠にため息をつきつつ、愚痴をこぼすとあっさりとそう返された。
「マジかよ。親友のピンチを颯爽と救ってきたイケメンの鏡的行動だと思うんですけど? 恋人の好感度爆上げじゃね?」
「男装美女を口説き落としてきた色男的行動が、どうして恋人の好感度上昇につながるなんて勘違いをしたのか、これが解りません」
「和仁は女の子の心が解らないから」
「全否定っすか」
全力で吐かれた否定の言葉にもう一度ため息を一つ。そしてカップに注がれたクソまずい液体をグイっと
飲み干して天井を見上げた。豪奢なシャンデリアが視界に写る。美術品としても価値がありそうなそれを、きれいだなーなんて思いつつ、これからの予定について考える。修行もうやってきた。宿題はない。趣味もない。つまりやることは何もない。暇人である。
「ちなみに、ここでこうやって私たちと駄弁っていればいる程、瑞葵嬢の機嫌はさがっていきますので、気をつけた方がいいですよ?」
「ホワァイ!? 何故!?」
「そりゃ、君の事を大好きだと公言しているメイド服の女を隣に侍らせて、ゆったりとした時間を過ごしている恋人とか、想像するだけで殺意がわきますもん。当然ですよね」
「和仁大好きだよー」
そう言いながら冗談めかして夜月は和仁に抱き着いた。そんな彼女を引きはがそうとするが、夜月とて達人である、巧みな体重移動によって和仁の動きを封じている。その技量をこんなところで使うか普通。などと和仁は思ったが、こういう所で使うのが夜月という女であることを思い返すと、とたんに力が抜けた。
「和仁」
「だからどけっつてんでしょうが師匠!!」
しかし、絶対零度よりなお冷たい声が、和仁に力を取り戻させた。
過去類を見ない程のバカ力をもって夜月を跳ね飛ばすと、和仁は飛び上がる様にソファから立ち上がり、瑞葵の方へと視線を向けた。そして向けない方がよかったと、引き攣った笑みを浮かべた。
「随分と楽しそうね」
「あ、あははは。そんなことはないって」
「そう。貴方がそういうのならそうなんでしょうけど、そろそろはた目から見てアながらどう思われるかに、意識を向けてもいいころだと私は思うけど?」
「全く持ってその通りでございます」
蒼い瞳に殺意を込めて、なのに態度にまるで出すことのない彼女の在り方に和仁は言葉を発することができない。噴き出る汗の量が和仁の慌て具合を示している。そんな和仁の様子を見て、瑞葵はこれ見よがしに溜息ををついて見せた。本当に、最近溜息が増えた。そんなことを思いながら、神妙に正座する和仁にジト目をくれてやるが、彼は引き攣った笑みを浮かべるだけだ。ここで言い訳の一つもしないから腹立たしい。彼の無垢なる信頼を受けていることを感じ取って、怒気が僅かに鈍る。
「それで?」
「いや、さっきのは師弟同士のスキンシップで他意はないんだ」
「誰がそんなことを聞いたのかしら。それともなに? 貴方、そんな風に師との仲の良さを私自慢したいわけ? いい加減にしないと、本気で篭絡するわよ?」
「やめろ」
「そう思うなら、あまり私を不安にさせないで欲しいわ」
「努力はしてるさ。少なくとも、俺は自分の心をお前以外に奪われたことはないつもりだけどな」
和仁はそういって瑞葵を見つめた。その視線に嘘はない。そのことを察して瑞葵は僅かに頬を染めたが、目の前の男の在り方を考えると全く信用できない事を思い出して、やはり眉根を潜めるしかできなかった。
瑞葵は視線を逸らしてこれ見よがしに大きなため息をもう一度ついて見せた。
「まて、なんでだよ」
「自らの行いを鑑みなさい。例えば、今回の事」
「鑑みてるつもりなんだが」
「そう? なら、今回の事懇切丁寧に説明してもらえる?」
「出来るかよ。人様の恥部、特に親友のを語れるか」
「ほら、やっぱり。君はそういう男だ。義理に難く、人情に厚く、誰よりも友を大事にする。その在り方を尊敬しよう。その在り方に惹かれもしよう。だけど、恋人としてその在り方には不満があるよ」
「……それは、悪いと思っている」
「思ってはくれているけど説明できず、言い訳もせずただ信じてくれと願う。成程、男らしいね和仁。本当に腹立たしいくらいに」
「できないものは出来ない。だけどお前に嘘も出来ない。なら黙るしかないじゃないか」
「はぁ」
悪びれない和仁。それにため息をつくしかできない瑞葵。
結局、瑞葵は和仁を問い詰めることができない。そこにある理由はとても単純で、そして悲しいかなその理由を瑞葵は嫌ではなかった。
「恋愛ごとは先に惚れた方が負けとは言うけれど、本当ね」
「は……なら、俺は負け続けだな」
「ええ、勿論」
ばーか。
なんて、心の中で思いながら瑞葵は和仁に歩み寄った。
苦笑している和仁の目の前に立って不意打ち気味に唇を彼のものに重ねる。
見開いた和仁の顔に胸がすいた。
いつもの余裕綽々の表情が目を見開いて驚愕のそれに代わっている。
それだけで、何故だか知らないが胸の内のわだかまりが解けていく。
「ご馳走様」
「……お粗末様?」
虚を突かれて視界がそこかしこに飛び回る和仁の態度に、瑞葵は大きく笑みを浮かべた。最近多い苦笑のそれではなく、心からなる微笑を。その表情を見て和仁も頬染めて視線を逸らす。
「ばーか。大好き」
「あ、ああ。俺もな」
「じゃあ、今回ばかりは許してあげる。……次はもっとひどいからね?」
悪そうな笑みを瑞葵は和仁に向けて、彼女はそう言った。
「うっわーあの二人自分の世界作ってますよ最悪」
「なに、眼中にないという事はかっさらう時には有利という事だよ。耐え忍ぶことを覚えなさい。私は千年待った」
「自分の言葉だと重いっすねー、それ」
テーブルにて紅茶をすする二人を完全に無視して。
 




