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D壊の英雄  作者: 闇薙
第三章 正偽相食のダブルバインド
16/35




 神様の領域に到達することが簡単なことであるはずがなく。


 そうであるが故に彼女の血筋は、彼女の家というやつは間違いなく特別だ。特別であることに理由があり、その特別であることを維持するための理由があった以上、それを否定することは彼女にはできなかった。する必要もなかった。


 幸か不幸か、彼女には才能があった。


 その才能を今でならいらないと拒めるだろうけれど、当時の彼女にとっては親がほめてくれる事柄で有り、拒むようなものではなかった。


 だからこそ彼女はのめりこんだのだ。自らの性別と異なる自分を演じるという行為に。


 それが、重荷になったのはいつのことだったか。


 それが、自分自身に成り代わっていく恐怖を抱いたのはいつだったか。


 確実に女らしくなっていく体を持て余したときか。


 それとも、周囲の目が気になりだした時か。


 どれほど、男らしく振舞ったところで、体は、見た目は嘘をつけなかった。小学校の頃はまだしも、聖さのあらわれる中学生ともなれば一目にてわかってしまう。単純に彼女は発育がよかったのだ。

中性的な美貌、そして誰もが羨むスタイルの良さ。本来なら喜んでしかるべきなはずの要素をして、彼女は苦悩した。


 完璧だったはずの擬態は、どんどん精度を落としていく。


 友人は離れていくばかり。


 彼女の悩みを理解できる相手なんておらず、ただただ女性らしくなっていく事がたまらなく怖い。 辛くなかったはずのことがどんどん辛くなっていく。


 そして、限界なんて容易く迎えてしまった。通じない自らの所作に彼女は遂に降伏する。精神は男の子の物に近くなっていたけけど、肉体が示すその性の在り方は間違いなく女の子で。

だけどそれ故に。


 その時はまだ戻れると思っていた。


 だけど、その時はまだ知らなかった。


 この家の業も、この家が戴く血筋も、そしてその意味も。





 あまり、困らせないで頂戴。





 一言で彼女の願いは打ち砕かれた。


 その一言以外に彼女に与えられた言葉なんてなかった。


 ただそれだけを彼女に伝えて、彼女の母は今まで通りの彼女を望んだ。そこに、彼女の願望など混じる余地などなく。ただ、淡々と、すでに決まった事を執行するかのように。


 事実、決まっていた事なのだろう。


 既定路線として、彼女が女として生まれた時より。


 彼女は男として育てられることも。そして身体と精神のずれが生み出す違和感により、彼女が拒むことも。何もかもすべてが。


 肉体と精神に絶対的な隔絶を引き起こしながらも、正常に生きている矛盾存在。それが、彼女の家が目指した究極だ。


 完璧な女の体に、完璧な男の精神が入り込むことによって生み出される歪み。その歪みにこそ神は宿る。男であり女。女であり男。生命としての究極の矛盾を許容できる器であるのなら、いかなるモノを下すことも可能であろうという理論の下で、彼女はそう望まれて、そう完成したのだから。


 時代の結実。


 血筋の終着。


 究極の器。


 執念の最果てに彼女は到達する。


 故に完成。


 故に、違えることなく。そして、彼女は人ならざる領域へと足を踏み入れて……



「君と出会った」



 その出会いを後悔なんてしていない。


 その出会いを間違いだったなんて言いはしない。


 だけど、少しばかり遅かったことに、彼女は涙した。


 もし、完結する前であれば。


 もし、完成する前であれば。


 男としての性格が定着しきる前に、彼に会うことができていれば。


 そんなもしもを抱いて、同時にかき消していく。


 抱くは羨望、とはいえその願いの果てを彼女は見据えることができず、駄々っ子のように求めるだけ。千金、万金さえ値すること叶わぬ、至福の時の中でさえ、彼女はそのことを言葉にできず、頬をぬらすだけだった。


 濡れた頬にさえ、気が付かないまま、その女々しさを抱かない精神であるがために。


 彼女は自分の本心を全て否定して、ただ迷い子のように涙を流し続けている。


 希うは神の領域。それが自らの願いと無理に錯覚することで納得し、かつて願った間違いを心の奥底で封じたままに。


 目に映るものは何もない。全ては過去の残滓として消え去った。


 これより先、彼女が見る物は未来の果て以外に何もない。


 自らを捧げて神様の器として成り替わるのであれば、それは何と幸せな事か。



「本当にそれで満足なのか、お前」


「え……」



 明鏡止水の境地にて、如何なる言葉さえも遮断していた彼女の前に、聞こえてはいけないはずの声がした。ここにあってはならないはずの声がした。その声の主を知っている。知っているが故に、ここにあるはずがないと、彼女は目に映る光景さえ認めることができない。



「ま、お前が満足だって言っても、俺は満足じゃない。だから、誠に勝手ながら、ぶん殴ってでも止めるぞ」


「どうして……」



 目の前の少年。和仁に向けて肇はそう聞いた。その言葉に対して、和仁は大きくため息をつく。そして、彼女をまっすぐに見据えてその答えを返した。



「ダチを取り戻しに来た」


「そうか。君はまだ、私の事を友達と呼んでくれるんだね」


「私……か」


「うん。私。そして僕。君の知らなかった本当の私」



 そういって彼女はその場でくるりと回って見せた。


 裾舞う白装束。神事に用いられる神と対話するための正装に、一点の曇りなく。


 されど、その内側は余りにも混沌としている。


 男であり、女であり、男であらず、さりとて女でもあらず。


 そんな風に定義づけられた、神様の器がそこにはあった。それを瑞葵なら美しいといっただろう。覚悟に基づき、運命を違えず執行するその姿に彼女なら喝采を送っただろう。しかし、生憎だがここにいたのは和仁であり、彼はまた……そういう運命が嫌いだった。


 運命に縛られている奴を見ているとイライラする。


 運命なんかに踊らされている奴がいると胸倉を掴みあげたくなる。


 運命にとらわれて泣いている奴を見ると、救いたくなる。


 それが、親友であるならなおさらで。だから彼は手を伸ばした。手を差し出した。



「ごめんね」


「そうか」



 しかし肇はその手を取らなかった。


 中で錯綜する思いは数多在ったけど、その全てを呑み込んで、彼女は微笑んで見せた。その笑顔に和仁は毎回騙される。だが……



「悪い。こうさせてもらう」


「和仁?」



 無理やり和仁は肇の手を握る。


 彼が彼女の意を汲まなかったのはこれが初めてだ。


 遠慮なく奪い取られた右手の感触に、心が小さく跳ねる。



「何……を」


「気が付かなかったってのは言い訳だ」



 そういって、彼女を道場より連れ出した。


 彼女を閉じ込めていた鳥かごより連れ出すように。


 穢れなき、汚れなき彼女を、外へと呼び込むように。



「友達だったからってのも、言い訳だ」



 その道の途中。


 廊下に倒れ伏す人の姿があった。


 父、母、祖父、祖母。


 見た目に一切の外傷無く、ただ眠る様に廊下に倒れ伏している。そんな光景を歯牙にもかけずに和仁は進んでいく。その様子で、この光景を生み出したのが彼だと彼女も理解した。しかし……その理由が彼女には理解できていなかった。



「結局俺は、お前と友情なんて築けていなかった。友情を感じてはいたけど、それが確かなものだとは思っていなかった。多分、お互いに」


 彼が連れてきたのは織宮家の中庭だった。


 丁寧な内装で、華美にならない程度に豪奢に静謐に組み上げられた日本庭園。池はなく、枯山水にて完結した、彼女の嫌いな場所。ここから空を眺めるのが常だった。ここから叶わぬ思いを空に馳せるのが楽しみだった。全て叶わぬと突きつけられる痛みが、何よりの絶望だった。



「だから、互いにぶつかり合う事を嫌がった。だから、互いに喧嘩もしなかった」


 それの何が悪い。


 肇はそう思う。


 本音でぶつかり合って傷つくのは嫌だ。


 本音でぶつかり合って傷つけてしまうのはもっと。


 だというのに、和仁は無責任だ。


 彼は事の重大さを理解していない。


 ああ、なんてずるい奴だ。


 なんて、残酷なことを言うのだろう。


 喧嘩なんてできるはずがない。


 ぶつかり合うことなんて出来はしない。だって、だって。



「いやよ。だって、そんなことをして嫌われたら」


「……そうか」



 肇の言葉に和仁は悲しげな表情を浮かべた。


 その表情の意味を肇は理解できなかった。


 和仁も、理解してもらえるとは思っていなかった。


 かつてなら理解してくれたのだろうか。


 そんな、とりとめのない思いが心の内をながれた。



「私は……君に嫌われたくはなかった」


「ああ、俺もお前に嫌われたいと思ったことは無いよ」


 互いに真実を告げ合っているのに、どうしても二人の溝は埋まらない。


 その理由を和仁は正確に理解していた。ここにいたって、肇も理解した。


 結局は男と女の間に友情は生まれないという事なのか。


 それとも、二人の間に友情なんてなかったという事なのか。


 悲しいと、和仁は思った。


 悲しいと、肇も思っている。


 なのに、抱くベクトルは真逆で、二人の感情は決して交わらない。



「結局、俺とお前は」


「ああ、そうだね。結局、私と君は」



 そもそも、友人になりえなかったという事か。


 和仁は友人になりたいと願い。友人とあるべく行動していた。


 それに対して彼女は、確かに友人として行動し、友人として彼と共に行動し、友人といううカテゴリに収まって……そして、悲しいかな肇はそれを肯定できなかった。その立場では満足できなかった。



「君の言ったことは正解だったんだね、和仁」


「そんなつもりは無かったんだけどな」


「だろうね。だけど、君の言葉を聞いたときから私はそういう道もあるなんて、言い訳を知ってしまった。言い訳を知ればそちらに流れるのは人の常だ。だからきっとそんな道を知るべきじゃなかった。生命としては不純ではあっても、性愛としては異常ではないなんてことに気が付かなければ、もしかしたらいつか本当の友人に成れたのかもしれないけれど……」



 言って肇は微笑みを浮かべた。



 その笑みはとてもきれいな笑みだ。


 その笑みは諦めの笑みだ。


 その笑みをさせてしまった事で、和仁は空を仰いだ。


 それでも彼は、その場から決して動かなかった。


 決意は固めている。その決意に揺らぎはなく、肇の如何なる決断も肯定すると決めたから。夜空の星の瞬きを見つめることを止めて、再度彼女と向き直る。白装束。神を迎える穢れなき装束、それを纏った彼女は頬を染めて、和仁に向けてその言葉を紡いだ。



「貴方の事が大好きです。和仁。私と来世の果てまで共に過ごしてください」


「……悪いな肇」


「うん」


「俺、お前の事友人として好きだけど、女としてはみてないんだ」


「うん。知ってた」



 精神は男だからと言って、必ずしも女を好きになるわけではない。男の精神のままで、男を好きになることだってあり得る。ホモセクシャル。同性愛。そのことを和仁は否定してはいない。が、生憎だが彼には恋人がいた。ただ、それだけの話。告白して振られる。それだけのどこにでもある、ありふれた話。


 成程、瑞葵の事を彼女が嫌うはずだ。


 恋敵の事を好きになれる奴はそうはいないだろう。


 成程、肇が瑞葵の事を好きになれないはずだ。


 自覚はなくとも横恋慕。愛した相手の恋人を好きになれというのはなかなか難しいだろう。


 そんな当たり前の事に気が付かなかった自分に和仁は苛立ちを抱く。その苛立ちを瑞葵は嫌がるのだろう。あの、器大きくとも、心狭い彼女はジト目で睨み付けるのだろうけど、その感情を和仁は失いたくなかった。


 笑み浮かべて、涙を流す目の前の彼女の為にも。


 和仁はその告白を断った。


 肇は告白して振られた。


 つまり、これは只の青春の群像劇。


 その一幕でしかなかった。


 二人とも、どこにでもいるただの子供でしかなかった。


 ただ、それだけの話。









「いやいや、それだけで幕を下ろすわけにはゆくまい?」


 不吉な声が響いた。嬲る様に、舐るような、されどどこまでも清らかな声。


 それはまるで神託のように。


 それはまるで、神の声のように。


 彼らの青春劇に彩を添える。






 

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