承
織宮肇。
織宮家の一人娘。
織宮家の一族に分派は無く。代々必ず一人の子供を産む。
それは、神を降ろす血が他に漏れ出ることを防ぐための手段であり、また同時に派閥を生ませず、ただ神のみに侍るための一族として余分なものをそぎ落とすためだ。あの一族は神に仕え、神の入れ物としてその生を全うする。故に織宮。織とは即ち神降ろし。降りる事であり、神の分御霊を受け入れる場所を宮とする。故に織宮。神にのみ侍る、神様に捧げられた一族である。
そして、それゆえのしきたりが、男装であった。
そもそも、織宮家のしきたりは男装だけではない。生まれてきたのが男児であれば女装を、女児であれば男装を行い、己の性別と逆の精神性を植え付ける。それが、織宮家のしきたりだった。肉体と精神乖離が目的ではなく、男性、女性、どちらの性別も同時に体現するための儀式的手法である。
「……この科学万能の時代に、妙なしきたりを残してるもんだ」
「科学は万能であるけど、全能ではないという事さ。科学にも解析できない事象はある。特にこういった類似例、再現性のない技術に対して科学というアプローチは余りにも向いていない。魂の観測、神霊の存在定義を科学が行えるようになれば、また話は変わってくるんだろうが、少なくとも今は無理だ。だからこそ、織宮家の技術に変えはない。一子相伝の技術でありながら、国防における霊的防御の要として、今でも機能している以上、お偉いさん的にもやめられる訳にはいかないのだろうさ」
そう締めくくった天丸の声は淡々としていて、その事が和仁を無性にイラつかせた。天丸の事に腹を立てているわけではない。ただ、言いようのない苛立ちが、誰に向けられるでもなく、胸の中でくすぶっている。
「それで?」
「それでとは?」
「俺が肇に出来る事は何だ?」
「何もない。悲しいかな、それが現実だ。そもそも家の問題に、赤の他人が口を突っ込むべきじゃない。恋人でもあるまいにな?」
舌打ちを一つ。
それは、あまりに天丸の言葉が正しかったから。
確かに、彼に出来ることなど何もない。
やりたいと願って、行動しても彼女の為になりはしない。しきたりを力づくで止めても、それを肇が望むかどうかは別問題だ。歴史の重みが彼女を縛っている限り、彼女は決して自らの本心を……
「呆れた。あなた、本気であの子のくだらない嘘を信じていたのね」
「ああ?」
悩む和仁に向けて不意に瑞葵がそういった。
とても不機嫌な顔で、とても不機嫌なままで彼女はそういってため息をついた。
その理由を和仁は推し量ることができず、ただ疑問符として声に出た。
「瑞葵?」
「和仁。あなた、一体いつから女の子の心の内を正確に読み切れるなんて己惚れたの?」
「……それは、どういう意味だ? あいつに対する侮辱なら……」
「確かに、彼女は男としての人格を植え付けられた。そして長年にわたりともにいた人格は、今さら違う人格に戻ることを許さず、その狭間で揺れ動いている……なんて、下らない嘘をいつまで信じているのかしら? と、聞いているの」
その言葉に和仁は怒気を露にした。
隣で見ているだけの朝陽でさえ、背筋が粟立つような怒りを受けて、平然としている瑞葵に、妙な尊敬を抱くほどのもの。そして、ふと思いなおす。
「そういえば、この人も規格外でしたね」
「何か言った?」
「いえ、別に」
「そう。それで、私の意味が分かった? まあ、わからないでしょうね。だって、貴方鈍いもの。戦いとか異常とかには鋭いけど、色恋沙汰にはとても鈍いから、あの女の嘘を見抜けない」
「嘘……だと?」
その言葉に和仁は肇の態度を思い出す。
涙ながらに語ったあの態度を。
その態度を思い出せばあの感情が嘘だとはとても思えない。
アレが嘘だというのなら、流石に人間不信になりかねない。だからこそ、瑞葵の言葉を和仁は否定する。そんなはずがないと。何せ彼女の言葉に嘘を感じなかった。事の真贋を見抜く目は確かだと、和仁は瑞葵にそういった。
「だとすれば、焦点をずらしたか。大方、今までの積み重ねを嘘にしたくないとでも言ったんでしょう? 確かにそうであるなら嘘ではないわ。だけど、その理由はきっと違うわよ。私から見れば一目瞭然だけど、貴方から見えないでしょ? 今までも、これからもきっと、あなた理解できない事でしょうから」
瑞葵はそう言い切ると、和仁に背を向けた。
言うべきことはすべて言い切ったと、語ることは何もないと、背を翻して彼女はその場を立ち去ろうとする。
「待てよ、瑞葵。結局どういうことだ?」
「ここで説明したところで、きっとあなたは信じない。だから、今回だけは許してあげる。貴方の輝きに惹かれ、貴方の輝きに救われることを願ったあの忌々しい女の気持ちもわかるから。ここで動かないあなたを見たくはないから、塩を送るわ」
そういって彼女は大きなため息をこれ見よがしについて見せた。
山奥特有の肌寒さが、彼女の吐息を白に染め上げる。
その白が見えなくなったころ合いを見計らって、再び彼女は口を開いた。
「織宮家の一族は、その子供が成人を迎えた瞬間に神降ろしの儀式を行う。ここでは言う成人は昔ながらのではなく、今の時代に合わせた成人でもなく、かつての間をとった成人のこと。女の一人前、男の一人前、共にわかりやすい目安は結婚よね」
「あいつの誕生日は……明日。つまりはそういう事か?」
「聞き出すなら、今日がラストチャンスという事よ。神降りた彼女なら、きっと本音を語ってくれるから……急げば間に合うでしょ?」
「……悪いな、瑞葵」
「悪いなんて言うのなら、行かないで、と頼めば行かないでくれるの?」
「それは出来ない」
「でしょうね。なら、その謝罪は不要よ。自己弁護に使われるための謝罪なんて、最初からいらない。さっさと行って、彼女を救ってあげなさい」
「ああ。ありがとう瑞葵」
その言葉を最後に和仁は踵を返して駆けだした。
寒い夜空の下、木々を踏んで街へ向かって疾駆する。
見る見るうちに遠くなる彼を見ながら、瑞葵は地団駄を一歩だけ踏んだ。
轟音。
舗装されたアスファルトが踏み砕かれる。
彼女の長い金髪が踊る様に揺れ、蒼い瞳は縦に割れる。
咆哮をギリギリで我慢して、あふれ出る殺意と敵意をギリギリで内側に抑え込む。
体が燃えそうなくらいに熱い。
殺意が、体中を駆け巡る感覚。全身を抑え込むようにして、彼女は我慢した。
我慢している。
全身より漏れ出る魔力は漆黒に染まり。
口より漏れる呼気は、灼熱に染まる。どす黒い嫉妬の炎が全身を焼き焦がしていることを、彼女は自覚しながらもそれを抑えこんだ。
「なんで私が……あの女が救われるお膳立てをっ!!」
「あ、やっぱり我慢してたんだ。随分冷静に見えたから妙だと思ったんだけどね」
「当たり前でしょう!! これで和仁はきちんと彼女を救うでしょう。あれが真に男の性格をしているっていうなら、友情結んでめでたしめでたし。はっ!!」
「でも、そうはならないと?」
「当たり前でしょう。あの女のあいつに対する接し方は、どう見ても恋慕の情じゃない。男が男に抱くようなものではなく、女が男に抱くようなそんな慕情。それを……自分が男の精神抱いているからとなんとか言って、自分をだましてた女が……元に戻れて喜ばないわけがない!! ああ? 今までの積み重ね嘘にしたくない? 焦点をずらすのが上手い事で。物事は正確に言わないとねぇっ!! 今までの貴方との積み重ねを嘘にしたくない。ただ、それだけでしょうがっ!!」
呼気荒く、そう言い切った瑞葵はそのまま、背後の木に体を預けた。
その姿を朝陽は興味深そうに見ている。
にやにやと、嫌な笑みを浮かべたその姿に、瑞葵は自身の失策を悟る。
「それは、恋人として気に入らないですよねー。なのに、あの子の手助けを?」
「趣味の悪い。分かっているのに聞かないでよ。和仁があこまで知った以上、ここで、私が気付いていたのに、何も言わなかったら……幻滅されてしまうじゃない…… そしたら、あいつ私から離れるかもしれないじゃない。……いやよ、そんなは駄目。絶対に許せない。……だから、気に食わない女でも許しましょう。あいつに救われて、勝手に惚れるまでは目をつぶってやる」
「あらら、惚れるのは確定なんですね」
「しきたりと神様より救い出してくれた大英雄。時と場合と運命までそろった状況下で、惚れない方が、不自然じゃない」
そう吐き捨てるように言うと彼女は再度大きく息をついた。無論、それだけで惚れる惚れないの話をしているわけではない。今までの積み重ね。瑞葵が知らない和仁との時間をあの女は知っている。その時間が男女の仲を深める時間でなければ、あるいはだが……今までの彼女の態度を見ていれば、十二分に仲を深めていたことがうかがえて、それが、さらに瑞葵を苛立たせる。
冷静に成れと、自身に自制を求めても、一向に上手くいかなかった。
見上げる星空は余りに明るく。
彼女の鬱々とした感情を馬鹿にしているかのようで、それさえも彼女は気に食わない。
一方、そんな彼女を眺めて楽しいのか、笑みをますます深くした朝陽は、自身の千里眼を和仁の方へと向けて、彼の疾駆する姿を視界に入れた。
「それじゃあ、私は存分に見させてもらうとしますよ」
「……ふん。好きにしなさい」
「ええ、もちろん。お仲間が増えるの、とても心強い事ですので」
「……朝陽。和仁に惚れる事は……まあ、止めない。だけど、その事であいつの思いが移ろうことがあったら、私、自分を止められる自信はないから」
「ええ、勿論。存じておりますよ」
不穏な笑みを口元に浮かべて朝陽はそう笑った。
その余裕綽綽な笑みは、確かに夜月が浮かべるそれと同じ種類のもので、今さらながら、二人が同一人物であることを強く理解した。その表情も、その笑みの質も何もかもが瓜二つ。それこそ、こちらが手出しできない事まで理解しつくしているそんなところまで。
「本当に、面倒な女」
「ふふ、誉め言葉をありがとうございます。瑞葵」
空を飛ぶように、大地を滑るようによどみなく、和仁は目的地に向けて駆けていた。そんな彼に、並走するように空から降り立つ影は、いつも通り軽い空気を身に纏った天狗、天丸だった。軽く挨拶を交わし合って、その後彼の真横にぴたりとつける。
「何の用だ?」
「用というほどの物はない。ただの好奇心さ。猿田彦の系譜としては、神降ろしの儀式には興味がある。案内した神の力にもな」
「それで、わざわざ京都から? 酔狂なことで」
「思う事があってな」
「そうか。邪魔はするなよ?」
「無論だ。遠くより見させてもらうだけで、邪魔はもちろん、援護もしないさ」
「なら、構わない」
「お前ならそう言うと思っていた」
満足気にそう言うと、天丸は再度大きく飛翔した。
一瞬で遥か彼方の領域まで駆け上がり、そしてこちらを見下ろすあたり、天狗らしい。そんな感想を抱きつつ、和仁は見えてきた織宮の家へと更に速度を上げて近づいていく。
「さて……鬼が出るか、蛇が出るか」
まあ、出るのは神様と決まっているのだが。
たどり着いた織宮の家の前。
いつも通り、彼は扉を叩いて来訪を示す。
そう、いつも通り。如何なる気負いも、如何なる覚悟も見せることなく、ただ内に秘めて。
「はい。どちら様ですか?」
「ああ、夜分遅くに申し訳ありません。……僕、肇の友人で和仁って言います。肇はいますよね?」
親しい友人の家を訪ねた時のように気安げに。
だけど、初めて彼は彼女の家へと訪問した。
その事で、内心驚いて、同時に納得を示す。
男同士、親友同士で互いの家に出向いたことも無いその事実。
結局、踏み込ませてはくれていなかったという事が、和仁を僅かに打ちのめした。
よければ、感想とかも待ってます。
よろしくお願いします。




