終
第二章完結
物語の終わりはハッピーエンドしか認めていない。
しかし、実際に物語が完全無欠なハッピーエンドで終わる事なんてそうはない。大抵はどこかでケチが付くものだ。無論今回とて、誰かの思惑が動かなかったわけではなかった。
「ねえ? そうでしょう? 朝陽」
「……へえ、やっぱりあなたは気が付いたんだ?」
「まあね。それにしても未来の自分まで欺くなんて、少し驚いたわ」
「自分の事は案外見えないものなんですよ。特に二千年も時を経れば、自分の幼いころの記憶なんて残っていませんよ。今の自分の性格になったのが何時だったのか……なんて、そんなの貴方も覚えていないでしょう?」
「ええ。貴方の言う通りかもしれないわ」
そういいながら朝陽は優雅に紅茶をすすった。
粗雑な面を欠片も見せぬ優雅な立ち居振る舞い。その姿は、まさしく夜月のそれだ。
「それで? 一体何の御用ですか? 確かに私は私の監視でこの屋敷にいますけど……別に貴方に従う義理はありませんよ?」
「ええ、知っているわ。特段貴方に頼みごとをするつもりは無いの。少しばかり釘を刺しておこうと思っただけ」
「釘……ですか?」
「ええ、釘よ? 解っているんでしょう?」
「さて、何のことやら」
そういいつつ、朝陽は再び紅茶に口をつけた。
赤い唇と白磁のカップの対比が艶めかしい。
その態度を瑞葵は宣戦布告ととった。
当然、朝陽は宣戦布告のつもりだった。
その悪びれもしない態度に、瑞葵は口元の笑みを深める。
妖艶な、蠱惑的な笑み。
「あら? 未来の自分は私に譲ってくれたけど?」
「ああ、あれ、内心全然譲っていませんよ? 隙あらばかっさらう気なのが見え見えです。どうせ警戒されるんだから、こうやって本心丸わかりにしている方が、貴方からの信頼を得やすいのにねぇ?」
言いながら朝陽は紅茶を更に一口飲んだ。
後味に残ることない、爽やかさに口元がほころぶ。
「私からの信頼を得ても、何もないわよ?」
「まさか……赤霧のお姫様とのコネ。リターンとしてはそれだけで十分ですよ」
「そう。貴方がそういうのならそういう事にしておいてあげてもよかったんだけどね」
「それ以外に、何か理由でも?」
「だから、釘を刺したのよ」
「それには、何のことやらと、惚けて見せましたが?」
本心を見せようとしない朝陽に瑞葵は目を細めた。
魂胆は既に見抜いている。
彼女の言葉に嘘はなく、そして絶対的なことは決して口にしない。その慎重さが、今までの彼女とはかぶらない。ここまで演じ切っていたことをは成程、素直に称賛に価すると瑞葵は思う。しかし……
「でも、片手落ちよね」
「……何がです?」
「結局、一番知られたくない奴にはきっちり見抜かれているあたりよ」
「……え?」
一瞬彼女の理解が追い付かなかった。
しかし、気付かれて困る相手の事を考えてみれば一人しかいなかった。つまり、今回の騒動のもう一人の主人公。和仁である。
「貴方、和仁の事を舐めすぎよ。恋は盲目と言っても、見抜かれていることくらいは気付きなさいな」
「……冗談。どういう精度の観察眼してるんですか、あいつ」
「まあ、貴方の恋心までは見抜かれてないけどね。基本朴念仁だから」
「はぁ……。何というか……何というかですねぇ」
ぼやく朝陽に対して、瑞葵は苦笑して慰めるように言った。
「まあ、肝心の本心は隠せたのだから、よかったんじゃないかしら?」
「それ、結局あなたの都合じゃないですか……まあ、確かに、今知られてもどうしようもないんですけど……」
「それで? いつから気が付いてた?」
「なんだよ今さら。どうだっていいじゃないか、そんな事」
学校帰り道、瑞葵の家に向かう和仁の前に降り立った天丸が、開口一番にいったセリフに、妙なものを見るような視線で和仁は応対した。夜月が鞍馬山で暴れて既に三日。種明かしをするには少しばかり遅い。
「仕方がないだろう。ああ見えて、天狗社会ではそこそこの重鎮だったんだよ、夜月って女はな。それなのに、仕事に穴をあけられたせいで、俺みたいな下っ端はてんてこ舞いだ。昔は、日がな一日坊さんと話してたって、誰も咎めなかったのに、今ではちょっと散歩に出るために、大忙しだ」
「その忙しい時に、ご苦労なことだな」
「そう。俺はそこそこ忙しくてな、その忙しい俺がこうやってわざわざ会いに来て、教えてくれって頼んでるんだ。誠意を汲んで教えてくれよ」
「……ナチュラルに上から目線。流石は天狗。だけどまあ、わざわざ遠くまでご足労いただいたんだ、別に話すくらいはいいか」
「オーケィ。それじゃあ、もう一度聞こう。お前、どこから夜月と朝陽が同じ天狗だと気が付いた?」
「初見」
「……は。成程、流石に流石は、だな。それは、朝陽が猫被ってたことも含めてかい?」
「そもそも、師匠の性格からして猫被る前の元の性格はああいうタイプなんじゃないかと、予想はしていたからな。半分素で、半分作ってる。根明なのは間違いないけど、わざと雑に動いて、先入観を仕込んでおくのは、師匠にしても朝陽にしてもも、趣味なんじゃないか?」
「は……なんだ。夜月の性格まで見切っていたのか。それなら、朝陽の性格にたどり着くのは難しい話じゃないわな。……ちなみに、それに気付いたのは?」
「だから、初見。エキセントリックな性格してるって言ったじゃないか」
和仁が軽く言う言葉に天丸は頭に乗せた頭襟をとって見せた。
脱帽を示したつもりだったが、それを和仁はみることなく、山道を走り抜けていく。
それに並走するように空を駆る。本当、人にあるまじき速度で山道を駆け抜ける和仁に、天狗とは、人間とは、なんて哲学めいた事まで思ってしまった。似合わない。
「なんだよ? まだあるのか?」
「いや、特にはない。ただ……ほら、あれだ。俺は昔から人間と会話するのが好きでな。どこぞの住職ともよく駄弁ったもんだ。そしてお前とはそういう間柄でありたい。と思っている」
「よく言うよ、俺の力が必要な時に引っ張り出せるようにだろ?」
「そういう打算もあるさ。俺は大人だからな。その代り、俺の助けが欲しいときはいつでも呼びな。高い借りとして貸してやるからさ」
そんな事を言った後に、彼はふわりと空へと浮かんで遠ざかった。
気が付けば、空の点になるまで高く飛び上がっていた彼を見送りながら、和仁は額に流れた汗をぬぐう。さて、問題はこれからである。犬猿の仲と呼べる二人が同じ屋敷に住み始めた。片や自分の恋人、片や自分の師匠。行きたくもあり、行きたくないような気もする。しかもその二人、両方共が割と気が短いと来た。さて……
「これからが楽しみだよ。全く」
和仁の言葉は空に消えた。
去っていった、あの男と同じく。
そして、気が付けば目の前に瑞葵の屋敷があった。
いつものように、バカでかい屋敷を見上げると、不意に扉が開く。
「ようこそおいでくださいました。和仁さま」
中からメイド服に身を包んだ、非の打ち所のない美女が現れて粛々と首を垂れた。
かつて瑞葵が見せた黒髪メイドより、なお美しい正真正銘の大和撫子。甘犬夜月。彼女が優雅に屋敷の前で和仁を出迎えていた。
「……メイド服って、本気だったんだな……あいつ」
「おや、こういった属性は無かったのか。これは、失敗したかな?」
そういって、童女のように無垢に笑う夜月に、和仁は毒気を抜かれた。清楚ながらも色気を失わないその姿に下心を抱くでもなく、口元をひきつらせながら、彼女に問いかけた。
「何やってんですか、師匠」
「メイドだけど?」
「メイドって……むしろ師匠の場合は女中さんっすかねぇ」
「おや、旦那様と呼ばれる方が、よかったかな?」
「そんな趣味は無いですけど……」
「ふむ、そうか。なら、君相手にはいつも通りの態度で行くとしよう。ちなみに、瑞葵嬢は中で君の事を首を長くして待ってる。私と駄弁り始めた君に対するいら立ちが、そろそろ爆発し、私にその苛立ちをぶつける為、お仕置きでも考え始めるころだね。いったい何をされるのか、今からワクワクする」
「あー、なんていうか随分とぶっ飛びましたね、アンタ」
今までの印象とはまるで違う。素直になったというよりは、ネジが二、三本外れたと言った方が正しいぶっ飛び具合に和仁は突っ込みを抑えきれなかった。とは言いつつも、和仁が受けていた印象からすると、こちらの方がまだ自然なあたり、随分と大きな猫を被っていたものである。
「それについては当然だと言っておこう。師としての重荷を君は降ろさせてくれたからね。師匠越え、未だ道半ばの身としては嬉しくもあり、悔しくもあるが、年長者として祝福の言葉を贈ろう。しかし、私もこれで君にかまける必要がなくなったから修行も再開できる。しかも、君という目標まである。これで強くなれないなどありえない。覚悟しておくと良い。次に私が勝った時は、君の操が汚される時だ」
「何言ってんだアンタ」
ドン引きである。
マジトーンでそう返すと、それに対してゆるぎなく夜月は笑う。
「無論、天狗らしく欲望に素直になったわけだ。私の浅知恵では君には届かないと分かった事だし? 本性をガンガン出していく系美女の方が、勝ち目があるかなーって」
「はぁ……」
和仁は死ぬほど大きなため息をついた。
「幸せがダース単位で逃げていきそうなため息だね」
「そうっすねでもまあ、いいです」
「ん? 幸せは必要ないのかい? それは良くない。現状に満足していては進歩無し。満足は私たち、武術家の敵だ。貪欲に、幸せを、もっともっと幸せをと、求めるくらいの気概がないとね」
「師匠と、こんな風に馬鹿な話ができて、俺結構幸せなんで」
「……はは、成程。瑞葵嬢が釘を刺すわけだ」
そう言い残すと和仁はさらっと屋敷へと上がり込んだ。頬を僅かに染めた夜月の様子に気付く風も無く。彼としては、天敵の夜月と暮らした瑞葵をなだめる事が最優先なのだろう。悠長にここで油を売っているわけにはいかないのだ。
もっとも会話に聞き耳をたてていた瑞葵は既に嫉妬しているだろう。そしてその嫉妬に夜月がさらされることは確定した。あのお嬢様、自分以外が和仁に好意を持たれることを許せるほど、器は大きくない。というよりも、和仁の事に関してだけは器が異様なまでに小さくなる。そういう女だ。
「でもまあ、今回は甘んじて受けよう。確かに今の言葉は反則だ。ほんと、欲しい言葉を欲しいにくれる男だよ。彼は」
くすくす笑みを浮かべて、夜月は自身に与えられた仕事に戻った。
内容自体はそれほど多くは無いが、真面目にやっておかないと、時間が無くなる。
なにせ、和仁が帰った後、お嬢様の嫉妬を受けて無理難題をさせられるのが目に見えているのだから。
膨れたお嬢様と、その理由がわからず首をかしげている愛弟子の姿を幻視しながら、夜月はメイドの仕事へと戻った。最初の仕事は当然、二人に紅茶とお菓子を持っていく事だ。甘さ控えめ、砂糖控えめ。結局最後には元鞘でいちゃつくのが目に見えていたから、お茶とお菓子位糖分控えめでちょうどいい。
かつて。
もっとじゅんすいだったころ。
そんけいしていたあのひとがおしえてくれたひみつのこ。
はじめてみたときからめをうばわれた。
はじめてみたときらこころうばわれて。
そして、それがかなわないものだとしった。
だけど、そのいましめはとかれてきえて。
無垢ではなくなった私は、もう一度君に恋をした。
将来。
遠い将来。
私はもう一度君に恋をするらしい。
三度の恋は確定している。
なのに、一度も愛に至れないなんて、認めることは出来なくて。
一度も戦う事が出来ないなんて認められないから……
運命が壊れたこの時を奇貨として。
私は君の運命に触れよう。
始まりはこれから。
運命に流される魂は消え去り。
私は輪廻の果てまで疾駆する。
それが、無間巡るとも。
それこそ天狗なりて。
次は学園パートかな。
よろしくお願いします。




