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『引きこもり推理作家・鬼頭宗一郎の事件録』

『図書室の妖精と暗号』

作者: 国見秋人

前回の『廃遊園地と赤ずきん』の内容がアレだったので、今回は暗号解読が主体の短めな内容となっています。口直しのアイス的な感覚でさっくりとお楽しみください。




学校から帰ると先生が書斎でうんうん唸りながらノートパソコンとにらめっこをしていた。資料に使われたであろう無数の書籍や英字が並んだ文献などが無残に散乱していて文字通り足の踏み場がない。私はその惨状に深く溜め息を吐いた。全くこの人は、いったい誰がこれを全部片付けると思っているのか。

「ただいま、先生。これまた派手に散らかしてくれましたね」

「…おう」

彼は今、暗号解読を題材としたミステリーアンソロジーの執筆に追われている。しかしどうにも筆が乗らないようでこちらを向かずぼさぼさの髪を掻きながらおざなりに返事をした。

こういうときの彼は非常に扱いが難しいので放っておくのが一番なのだが、今日はどうしても話さなければならないことがあったので私はなんとか足場を確保しつつソファーへと辿り着いた。

「先生、気分転換しませんか?ちょっとこれを見てくださいよ」

学生鞄から一通の手紙を取り出し先生に見えるよう掲げる。かろうじて視線だけは動かすものの興味なさげにふん、と鼻を鳴らした。

「ラブレターだったら間に合ってるぞ九重」

「奇遇ですね、僕もです先生。それよりも、早く、こっちに、来てくださいってば」

しつこく急かす私に漸く観念したのか、ノートパソコンを閉じしぶしぶといった様子で向かいのソファーへ座った。彼は四つ折りにされたそれを手に取りシャンデリアの灯りに翳しくるくると回す。

「ふーん、なんの飾り気もない普通の手紙に見えるんだが。なんなんだこれ」

「図書室の妖精からいただいた暗号文です」

言い終えたと同時に先生は私の両肩を掴み勢い良く揺さぶり出した。

「勉強のしすぎか?怪しげな宗教に入信したのか?それともやばい薬に手を出しちまったのか?頼むから正常に戻ってくれよ、こっちは晩飯のカレーを楽しみに必死でノルマ分を上げているんだからよ」

「頼まなくても僕はいたって正常です。というか僕の体よりもカレーの心配ですか」

「当たり前だ。俺は3分でできる料理も作れない料理音痴だぞ」

得意気に答えているが決して自慢できることではないだろう。しかもカップラーメンすら作れないってどういうことだ。もはやファンタジーの域じゃないか?と、いけないいけない話が脱線してしまった。

「図書室の妖精っていうのはあだ名ですよ。学校司書の生島稲子いくしまいねこ先生、優しくて笑顔が絶えない素敵なおばあちゃん先生なのでそんなあだ名が付いたんです。残念ながらご高齢のために今日で退職してしまったんですが別れ際に生島先生がこっそりこの手紙を渡してきたんです。「今までの私の気持ちよ」って」

「お前とその学校司書ってのは何か接点でもあったのか?」

先生は怪訝な顔で聞いてきた。

「言ってませんでしたって?僕、図書委員なんですよ。だから委員会活動やカウンター当番、本の新刊入庫でも生島先生には大変お世話になりました」

それともうひとつ。私の通う高校の図書室は授業で利用する教室がある本館から少し離れた別棟にあり、昼休みや放課後に図書室を開放しても生徒どころか当番すらも面倒臭がって仕事をサボってしまうことが多々あるのだ。

そのため、学校司書である生島先生が本の整理、ラベルの貼り直し、図書室の広報新聞の作成など諸々の作業をいつも1人でこなしていた。文句ひとつ言わずにこにこと仕事をする、そんな健気な彼女の姿を見ていられなくなった私はもともと図書室に入り浸っていたこともあり、『暇人』というもっともな理由をつけて当番関係なく手伝いをすることにした。

それもあってか他の生徒たちよりも生島先生と話す機会も多かったし好感度も高かった。(と勝手に思っている)

だから知りたかった。生島先生が一体どんな気持ちで私にこの手紙を渡したのか。

先生は私が遊び半分で自分に頼み事をしたのではないと悟ってくれたのか、何も言わないまま手紙を開いた。

「…なんだこの奇妙な記号の羅列は?(図1参照)」



挿絵(By みてみん) (図1)



私もこれを見たとき彼と全く同じ感想を抱いた。

「さあ、僕も考えながら帰ってきたんですけどちんぷんかんぷんでした。なので餅は餅屋、暗号は推理作家ということで天下の鬼頭宗一郎先生に是非見てもらおうと思い急いで持って帰ってきたんです」

彼、鬼頭宗一郎きとうそういちろうは推理作家でありながら警察の『相談役』として捜査協力を依頼されることがある。大半は彼の義姉である桐生櫻子きりゅうさくらこ警部からだが、その推理力が評され噂を耳にした他の部署からもしばしばお声がかかるのだ。

「ハッよく言うぜ。つまりはてめぇじゃ歯が立たないから俺に丸投げしようって魂胆だろう。だがいいのか?修羅場真っ只中の売れっ子推理作家に暗号読解の依頼なんて、それなりに高くつくぜ。成功報酬にお前は俺に何をくれるんだ、九重くん?」

頬杖をつきながらニヤニヤと意地が悪い顔で言う。ちょっと褒める程度じゃ丸め込まれてくれなかったか。さて、困ったぞ。彼がいま求めているものは一体なんだろう。小説のネタか調査費用か、それとも…。

「たとえば」私はとりあえず考えついたことを言ってみることにした。「晩ご飯のカレーに豚カツをプラスしてカツカレーにする、なーんてことは」

「よしのった!」

いつもの仏頂面が嘘のような満面な笑顔で了承してくれた。おいおい、ちょっと待ってくださいよ。自分で言っておいてなんですが貴方そんなのでいいんですか?やる気を出してくれたのはありがたいがまさか豚カツで釣られるとは思いもよらず助手としてファンとしてなんだか複雑な気持ちになった。

そんな私の気も知らないで推理作家は上機嫌に棒つき飴を咥えながら暗号を凝視している。彼は何か考え事をする際に飴を舐める癖があるのだ。(本人曰く糖分補給作業と呼ぶらしい)

「もう一度確認するぞ。「今までの私の気持ちよ」と言われてこの手紙を渡されたんだよな?」

「はい、そうです。確かに生島先生はそう言っていました」

「妖精との図書室デートではお互い黙々と作業に没頭していたのか?」

「いえ、全くの無言というわけでもありませんよ。ちょっとした世間話や趣味の話、あとは生島先生のお孫さん自慢も交えていましたね」

聞かれるがまま答えるがこんな情報、何の役に立つというのか。納得がいかず首を傾げた。

「趣味の話、ね。どうせお前のことだ。仕事中に延々とミステリーの話を聞かせていたんじゃないか?「江戸川乱歩の作品はどれも傑作ですよ!」とか「ミステリー初心者だとコナン・ドイルの作品から入るのがおすすめですよ!」とかな」

エスパーかこの人は!まるでその場で見てきたように話すので思わずビクリと肩が揺れる。

「おっ図星みたいだな?案外、これまで溜めに溜めていたお前への不平不満が答えだったりしてな。周りの連中にバレるとお前の立つ瀬がなくなるから優しいばあちゃん先生は敢えて人目を忍んでこっそり渡してくれたんじゃないか?」

「それは」ない、と強く否定できなかった。彼女が聞き上手だったこともありついつい話に熱がこもり長ったらしくなってしまったのは紛れもない事実だったからだ。先生の言った通り、きっと心の中では興味の欠片もない話に心底飽き飽きしていたに違いない。あ、なんだかすごく悲しい気持ちになってきたぞ。これもう解かなくてもいいんじゃないかな?

「…今更ですが先生、依頼を破棄してもかまいませんか?」

「我が社はクーリングオフを認めておりません」

「この悪徳業者!」

どうやら私は悪魔に玩具を与えてしまったようだ。まぁ、今更後悔してももう遅いので潔く諦めて暗号解読に専念することにしよう。九重千紘ここのえちひろ、大人になれ。こういうのは諦めが肝心だ。

「まずは全体から見ていくか」

彼はテーブルに置かれた暗号を指さす。改めて見るとこんな記号は地球上には存在しないから生島先生が作り出したオリジナルとみて間違いないだろう。でも中には現存している記号に酷似しているものもいくつかあった。

「2番目の記号は漢字の日で、4番目の記号は枡記号に似ているな。だが最初のは漢字の工か、はたまた片仮名のエかアルファベットのIかは謎だ。考えたらキリがない」

「それを言うなら最後の記号は$に似てますよ。別物だとは思いますがこれらは何か関係があるんですかね?」

「分からん。だがこの手のタイプは何かしらの法則性があるもんだ。それを見つけちまえばこっちのもんよ。所詮はド素人が考えた代物、プロの推理作家である俺にかかればこんなもんおちゃのこさいさいだ」

この人は面倒臭がり屋の出不精なくせして妙なところでプライドが高いというか頑固なきらいがある。そのやる気を少しでもいいから本業にそそいでもらいたいものだ。

「お前は何か引っかかるところはないのか?」

自身のくたくたなシャツで黒縁眼鏡を拭きながら尋ねる。

「そうですね、強いて言えば右のハテナマークが気になります。最終的に縦で読むと分かる答えになっているんでしょうか」

「じゃあ6つあるから6文字の言葉か」

壁に掛けられた振り子時計が午後4時を告げる。試行錯誤してから既に30分は経とうとしていた。

「6から彷彿されるものといえば六曜、六方、六色、六法などが挙げられるがどうもしっくりこないな」

「それよりも「つまらないわ」「ごめんなさい」「もう無理です」とかなら当てはまりますよ」

「お前どんどんマイナス思考になっていってねえか?その死んだ魚のような目はやめろ」

「誰のせいでこうなったんですか。じゃあ先生はどうなんですか?」

じとり目で睨む私に彼は「そうだな」と言って飴を噛み砕いた。

「生島の好きなものとか縁のあるものがこの暗号を解く鍵になっているんじゃないかと思ったんだ。もしかしたら彼女とお前が今まで話した内容から何かしらのヒントが得られるんじゃないかってな。ほらお前、生島には孫がいるとか言っていただろう。他には何を話したか覚えているか?」

なるほど。私に宛てたものならその可能性は十分に考えられる。

「そうですね、お孫さんの話以外では鈍行列車の旅も好きって言ってました。骨が折れるけど色んな場所に行って綺麗な景色を見るのは楽しいって――――――――」

そこでピンときた。

「地図記号!」

書斎を飛び出し自室から日本地図帳を持ち出した。確かこの中に載っていたはず、と慌ただしくページを捲る。

「あ!見てください。最初の記号は墓地や気象台に似てますし3番目のは渡舟や針葉樹林に良く似てます。この暗号ってもしかしたら何処かの土地を指しているのかもしれませんよ」

「いや、それは無いな」突破口が開けたかもしれないと喜んだのも束の間、先生にバッサリと斬り捨てられた。「地図記号の一覧を全部見てみろ。その2つはいいとして他の記号は当てはまるか?」

確かに上から下までしっかりと確認するも、全く当てはまらなかった。良い線いっていたと思ったがただの勘違いに過ぎなかったらしい。

「ほれ、もっと頭を使えよ若人。これじゃあいつまでたっても解読できないぞ」

他人事だと思って暢気に構える推理作家にイライラが募る。もう少し真剣に取り組んでもらいたいものだ。

「あとは…うーん、生島先生は本好きでしたし本に関係することとか?似たような記号が出てくる小説を探せってことなのかな」

「おいおい、世界中の本からどうやって探すってんだよ。頼むからしっかりしてくれよ九重。俺は生島ってやつの趣味嗜好なんざ微塵も知らないんだ。今はお前だけが頼りなんだぜ?」

「そんなこと言われたって困ります。僕だって生島先生の全てを知っているわけでも、今まで彼女と交わした会話を丸暗記しているわけでもないんですから」

先生の追求にげんなりとした私は逃げるようにソファーに凭れかかった。まさかこんな形で彼に追い詰められる犯人の気持ちを思い知ることになるとは…。このじわじわと攻められる恐怖は「今度からほんの少しだけでも犯人に優しくしてあげようかな」などと同情してしまうぐらい精神的にくるものがあった。

「あと気になることと言えば、この真ん中にあるマイナス記号です。そもそもマイナスでいいのかも怪しいですが、この暗号が書かれてある通り数式的なものだと仮定すると、左の記号から書かれている数字を引いて答えを出すってことなんでしょうが…」

この記号からどうやって引くのかが分からない。画数が関係しているかと思ったが余計意味不明となり完全な手詰まりとなってしまった。

仕方ない。明日、生島先生の住所か自宅の電話番号を他の先生から教えてもらって直接答えを聞こう、と諦めたその時―――――――――

「なるほど」

突然先生がパン!と手を叩いた。

「え、もしかして暗号の答えが分かったんですか?」

「あぁ、分かった。だがこれはお前が解かなきゃ意味がない。だから敢えて答えは言わないでおこう」

答えの出し惜しみかと思ったがそうではないらしい。にしても私が解かなくては意味がないとはどういうことだろう。やはり文句か愚痴なのかと本気で心配になる。

「情けねぇつらしてんじゃねえよ。答えは言わないがヒントはくれてやる。これは簡単なひらめき問題だ。記号の横にある数字を他のものに変換してみろ」

変換、平仮名とか英語にするって意味だろうか?もしくはⅠとかⅡにするのか、と思考を巡らせていると痛烈なデコピンがとんできた。

「お前は難しい方へ捻りすぎなんだよ。もっとシンプル且つ柔軟な発想をもって考えろ。これはな、漢数字に直すんだ。飛躍的とは言わないがより分かりやすくなると思うぜ。直感力が良いやつならビビッとくるだろう」

半信半疑なまま私は言われたとおりに漢数字に直してもう一度注意深く見てみることにした。(図2参照)


挿絵(By みてみん) (図2)


全体をぼんやり眺めていると不意に私の頭上へと雷が一直線に落ちてきた。これって、もしかして。

「…指定された数、つまり-1なら横線1本を-2なら横線2本を隣の記号から引くって意味ですね?」

先生は頷き、興奮した様子で説明する。

「1番目の記号から横線を1本引くと『T』、2番目の記号から横線を2本引くと『H』になる。この要領で解いていくとどうなる?」

「えっと3番目が『A』、4番目が『N』、5番目が『K』、6番目が『S』になります。なので全部の答えを繋げて読むと…」


『 T H A N K S 』


「『THANKS』、ありがとう…」

「そうだ、お前への不満でも愚痴でもない。当番の日でもないのに自分と一緒に仕事をしてくれたクソ真面目なお前への、感謝の気持ちがこの暗号の答えだったんだ」

彼の言葉を聞いた瞬間、情けないと分かっていながらもじんわりと目頭が熱くなった。

感謝なんてとんでもない。お礼を言うべきは生島先生ではなく私の方だ。彼女がいたおかげで単調な作業も飽きずに続けられたし、楽しんで出来た。

私にとって彼女がいる図書室はかけがえのない大切な場所となったのだ。

「わざわざ暗号にしたためてミステリー好きのお前に送るなんて『図書室の妖精』っつーのは随分とお茶目なんだな。ほれ」

無くすなよ、推理作家はそう言って手紙を差し出した。

涙を拭いしっかりと両手で受け取った私は、それを胸の中で強く抱き締め微笑んだ。










《図書室の妖精と暗号        完》



知り合いから「誰も死なないで最後には心がほっこりする推理小説を書いて欲しい」とハチャメチャな依頼があり、試行錯誤の末こんな感じの話が出来上がりました。これで満足してもらえるか分かりませんがとりあえず脱稿できて一安心です。ちなみに九重が図書委員なのは学生時代、私が図書委員だったからです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] シリーズものということですが、特に違和感も無く、それでいて他の作品も読みたくなるような、魅力に溢れた話でした。 これだけ短くシンプルな内容でも癖がありつつも愛嬌もある宗一郎のキャラが伝わっ…
[一言] 図書室の妖精、何とも魅惑的な響きのタイトル…! お礼の言葉が暗号だなんて、粋なことをする先生です。九重くん、ちゃんとメッセージを解読できてよかったですね。 難易度の高い暗号ももちろん魅力的な…
[良い点] 今回の作品も面白かったです! 自分も図書委員だったので懐かしさを感じました。 暗号は全く解けなかったので悔しいです。しかも、答えを知ったらよく見たらわかった筈なのになぜ気づかなかったんだろ…
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