06
「やっぱり、お送りしますよ」
彼はそう言って立ち上がった。
「どうせ帰り途ですから」
「悪いですわ」
そう言いつつも、トシエはうれしそうについて来た。
電話の話をしたら、少し不安になったのだろうか。それとも、その前にスーパーで野菜をいろいろ買いすぎて荷物が重かったせいか。
バスで帰ろうかと思ってたんですよぉ。でも時間も合わないし歩いたほうが健康にいいかな、なんて思ったんですが荷物がけっこうね……
とりとめなくいろいろしゃべっていたが、ふと大人しくなったので、サンライズ、ちらっと彼女の方をみた。
トシエは、前の赤信号を見つめたまま、言った。
「ほんとうに、誰にもご迷惑かかりませんよね?」
「はい、だいじょうぶですよ」
「よかったわ」
感情のこもらない平板な声だった。
「その方、『コーダ』って方、早く見つかるといいですね」
その時、サンライズは急に気づいた。
パーラーの中からずっと気になっていた、かすかな違和感の正体が。
彼女は、コーダがどんな人物なのか、何をしたのか、何をしそうなのかについてはほとんど訊ねてこなかったのだ。
ただ
「危険ですか? 徘徊するんですか」
と聞いたくらいだ。
自分に関係ある人物だと聞いているのに、『コーダ』に対する興味が意外なほど薄い。
ハンドルを持つ手がこわばる。
信号待ちの間も『スキャン』を試してみたが、相変わらず雑多な情報ばかりだ。
そんな時、彼女がぽつりと言った。
「なんだか、ホント、世の中怖いことが多いですよね……でも」
何かがみえた、ほんの刹那。
「ワタシの周りをみても、事件とか犯罪とか、いい事でも悪い事でも有名な人なんて誰もいないし」
「ある意味、幸せですよ」
声がひきつらないように、努めて落ち着いて応える。
彼女は、まじめな顔をしたままだった。
「そうかも。平凡な人間というのは、いつ、どんなところでも、どこまでも平凡な人間でしかない、って。そんな気がします」
サンライズは直感した。
―― この女は『コーダ』本人だ。
彼女が「平凡」ということばを口にしたとたん、車内の温度が急に下がったような感覚に襲われた。
ぞっとして、心臓が早鐘のように鳴っている。
彼はハンドルから目立たないように片手ずつ離し、ズボンの腰のあたりで汗を拭いた。
運転しながらのスキャニングはきわめて難しいが、彼はずっと、家に送り届けるまで彼女の心を探っていた。
話を聞きながら、あまり上の空にならないように相槌をうち、同時に何か少しでも手がかりはないものか頭の中を探る……しかし、彼女の意識下には危険を知らせるようなものはそれから結局何も、現れなかった。
相性は悪くないと感じていたのに、それでもスキャニングを続けていたら頭痛が徐々に酷くなってきた。
彼女と別れるまではどうにか取り繕っていたものの、降ろして姿が見えなくなったとたん、サンライズは冷や汗をかきながら安全な場所まで車を慎重に動かし、ようやく大きな河川沿いの空き地に車を入れた。
そして、汗を拭く気力も萎えたままハンドルに突っ伏す。
動けるようになった時には日はすっかり暮れていた。




