四十一話
小田原から駿府に戻る途中の宿場で、一人の男がぐったりと疲れた様子の長髪の男に声を掛けた。
「今川治部大輔殿と見受けする」
「その男は死んだよ」
木に寄りかかって座りながら、咳をする。
男は刀の柄に手を掛ける。
「俺の名を知っているか」
「知っているよ。
松葉義長。
まさかちゃんと復讐にくるとは律儀だな」
長髪の男が俯いたまま、小さく笑う。
「貴様に見逃され、絶対に殺すと心に決めた」
「そうか」
短く返事をして重たげに顔をあげる。
「悪いが見逃してはくれないか?
お前に殺されるのは癪だ」
「ふざけるな!
ここで死ね!」
「それは嫌だな」
義長の背後から銃声がして松葉義長の体が衝撃で揺らぐ。
義長が後ろを振り向いた。
そこには、銃を捨て、刀を抜き走ってくる女の姿。
そして、そのまま白刃がきらめく。
女を斬る事を躊躇ってしまった義長から鮮血が吹き出る。
「貴様、待ち伏せか…………」
そう恨みを込めて言ったのが義秀の耳にはいる。
「時代は変わる。
人も変わる。
俺は正々堂々だとか、暗殺を迎え撃つだとかふざけたことはしないんだよ」
おそらくは血反吐を吐く思いで修行して鍛えてきたのだろう男を冷たく見つめながら、笑う。
「悪いな。
俺はもう人斬りをするほどの余裕がないんだよ」
義秀は刀を握った秋の手を借り、立ち上がりその宿をあとにする。
駿府の秋の屋敷。
「悔いはないか?」
義秀は確認する。
「あるわ」
「なんだ?」
「内緒よ」
「最期なんだから教えてくれてもいいではないか」
「最期だから駄目なのよ」
「まぁ、いい」
脇差しを渡す。
自分の用意したもう一本の脇差しを持つ。
「あなたは家を見捨てるような事をして本当にいいの?
恨まれるわよ」
「構わない。
死後のことなんてどうでもいい」
「じゃあ、聞くけどあなたの側室や正室がどう思うかは気にしないのかしら?」
「そうだな。
気にはしないな。
多分、悲しんでも一時。
結局は政略だ。
それに何か問題になっても、国親ならどうにかするだろうよ」
「それは信頼なのかしら?」
「実力に沿った評価だよ」
卑屈に笑って、秋と向かい合う。
「あなたに聞きたかったんだけど、大名になって何か変わった?」
「世界がってことか?」
無言で頷く。
「そうだな。
変わらなかった。
まぁ、俺のような男一人がたかだか10、20年頑張った程度世界を変えられるんだったら苦労はしないよな。
それこそとめどなく大規模な変革が訪れ続ける世界じゃないと叶わない。
凝り固まった思想に囚われ続ける世の中では俺の寿命の短さは命取りだった。
せめて、あと15年あれば天下を取れたものを」
「無情っていうやつかしらね」
「全くだ。
年月を操れたら、どんなにいい事か」
愚痴るように言った後、互いが口を噤んだ。
少しの間、静寂が漂う。
「準備はいい?」
いきなりそう訊ねた。
「もちろんよ」
秋と義秀は脇差しを互い心臓に突き立てる。
どちらからともなく、突き立った柄から手を離し、ゆっくりと抱きしめる。
「ありがとう……
好きな女と死ねて幸せだよ…………」
「ふふっ……悔いが最期になくなったわ……」
弱々しく交わした会話を最後に音がなくなる。
そこにあるのは、二人の死体。
互いに抱き合うように。
互いの心臓を脇差しで刺して死んでいる。
遺書として書かれた文が国親たちの元に届く頃に。
彼らは空に登っているのだろうか
遺書を読んだ国親は今更ながら自らの主人の性格を確認した。
『後の事は国親らに任せる。
滅ぶも栄えるも好きにせよ。
俺から言うことは一つ。
各々が生きる事を苦痛ではなく、愉快だと感じるような国を作ること。
例え、幾ら豊かであろうとそこで暮らす人間の顔が曇っていては駄目だ。
逆に言えば、どんなに貧相であっても、民の顔に笑顔と活気が有れば良い。
それだけだ。
あと、屍は秋と共に臨済寺の横の原っぱに埋めること。
母と共に眠るのは俺の願いだ。
詳しくは臨済寺の坊主か親父に訊ねよ。
では、お前ら。
死後の世界でまた会おう』
さて、これでこの話は完結となります。
何とも締まりのない広げた風呂敷を畳まないような印象を受けるかもしれません。
ですが、実際に思った通りに行くことなんてないわけです。
だから、まぁこれはこれで満足かなぁと思います。
できれば、義秀の少年時代を書きたいなぁと思っていますがなにぶん時間がないので。
これまで読んでいただきありがとうございました




