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戦国物語  作者: 羽賀優衣
第二章 復讐
38/41

三十八話

義秀が側室の秋を追放してしばらく。

平和の宣言から三年。

北条と敵対することなく、のんびりと。

水面下での工作を進めつつ、友好関係を維持し続けていた。

問題は全くなかった。

足利義輝の遺児を無事に駿河まで連れてくることにも成功し、順風満帆だった。

しかし。

今日この時。

ひびが入る。

義秀が尾張にいる妹である桜姫を訪ねようと考え、その城下で遊んでいた時だった。

織田家の犬山城主織田信清が今川の姫である桜姫の侍女を斬りつけた。

正確には、姫を庇って侍女が斬られた。

昼間から酒に酔い、気が大きくなった信清は家臣に暴行を加えた。

織田信清は小さい人間だった。

能力もなく、ただ一門の座にあぐらをかいているだけ。

それを織田上総介は快くは思わない。

そして、次第に家中での扱いが悪くなる。

比例するように信清の酒の量が増える。

酔って、家臣に暴力を。

それを諌めた桜姫に激昂し、刀を抜いたという次第だ。

城内の侍女から内密にこの一報が入るや否や、義秀は正装せずに着の身着のまま馬に飛び乗って行った。

共としてついてきた光隆たちをどんどん引き離し、一人先に城門に辿り着く。

「貴様、止まれ!

ここより先は入れんぞ」

犬山城の城門で義秀は引きとめられた。

事前に訪問を連絡したわけでもなく、今川の家紋のついた着物を着ているわけでもない。

今の彼はただ長髪の女のような顔の男だ。

門兵はそのような相手を素通りする訳がない。

「邪魔だ、どけ」

ボソッと言うと、刀を抜いて、二人の門兵の首をはねた。

そして、そのまま城内へと入っていく。




義秀が犬山城を占領したと互いの乱破が伝える。

三河の岡崎を訪問していた白河国親が犬山城に着いたのと、岐阜から織田上総介が到着したのは同時だった。

今川兵と織田の兵が向かい合って、城門の前で待機している。

中に入って行ったのは、織田上総介と数名の側近、白河国親と数名の護衛。

「上総介、最悪の事態になっているかもしれませぬ」

廊下に転がる幾多の斬死体に国親の冷や汗が止まらない。

義秀が占領したという報告。

ならば、これはもしかすると、主君の治部大輔がやったのかもしれない。

そうだとすると、おそらく織田信清は殺されているだろう。

仮にも織田一門。

小さくはない問題になる。

上総介はそれに答えず、無言のまま、迷いのない足取りで広間に入った。

「よくぞ来た。

そろそろだと思っていたよ」

織田信清が真ん中から引き裂かれた変わり果てた姿で真ん中に転がっている。

その奥で義秀が血のついた刀を脇に、頬杖をついて座っている。

その後ろには青ざめた顔の桜姫と包帯を巻いた侍女の鶴が居る。

「殿……これは?」

「見ての通り。

説明はいるか?」

義秀が小さく笑う。

「治部大輔、貴様何をしたかわかっているのか」

「無論」

織田上総介が落ち着いた調子でなぜか頷く。

「一つ聞こう。

なぜ信清を斬った?」

刀を抜こうとした側近を制しながら、上総介が訊ねた。

「我が野望の為に。

もしくは我が家族の為に」

「貴様がその妹を大事にするとは意外だ」

「大事なのは妹ではない。

その侍女だ」

「ほぅ?

そこの包帯の女だな。

貴様の惚れた女というところなのか?」

上総介が鶴を見る。

「惚れてはない。

姉だ」

「姉だと?

今川家の娘にそこの女のような奴は居ないはずだが」

「今川の娘ではない。

俺の母親の娘だ。

父は俺と違う」

「そういうことか。

得心を得たぞ。

だが、今回の事態を看過はできん。

織田家は今川家との同盟を破棄する」

「ふむ。

だろうな」

「もしくは、犬山城からの即刻退出と東美濃を譲ることで今回の事件を許してやろう」

「先に刃を向けたのは織田信清だ。

今川の正式な姫に刃を向けた。

それは当家を侮辱している。

制裁を加えるのは、道理だ」

「しかし、信清は我が一門。

他国の者は勝手に処断することが認められる訳がないだろう」

「関係ない。

一門だろうが、誰であろうが今川の名に唾を吐くのなら俺は容赦はしない」

義秀の言葉に上総介がニヤつく。

「譲らんか。

ならば、同盟を破棄し、戦にて証明しよう」






織田との同盟が解消され、両国の間には緊張感が漂っている。

今川治部大輔は密かに駿府の館に戻っていた。

当然、桜姫や鶴も連れている。

「光隆、岡崎の家康に国境を固めるように伝えておけ。

美濃の氏詮にもだ」

幾つかの指示を出したあと、桜姫の元を一人で訪問した。

「兄様、まことに申し訳ありませんでした」

深く頭を下げて詫びている桜姫と鶴に迎えられた義秀は困惑の表情を浮かべ、座った。

「別に構わない。

鶴が困っていたら、助けると決めていたからな」

「しかし、兄様が罪を被らずとも」

「良い。

俺がやったことにした方が楽だ。

まぁ、上総介は気付いているよ。

その上での行動だ。

織田も今川も敵対はしていても、戦わない。

あいつも俺も互いを敵にするつもりはないんだ。

あっても小競り合い程度だ。

それよりもさっさと京に行きたいんじゃないか?

俺も関東を平定したいから、戦はしない。

名目上の敵対関係だよ。

表面上だけのな」

義秀はぞんざいに言い放つ。

適当に投げやりに。

しかし、桜姫と鶴は一つの言葉に引っかかった。

関東平定。

それは北条を敵に回すという意思表示なのではないだろうか?

そんな疑惑を抱いた二人をよそに義秀は大袈裟な身振りで話す。

「それに丁度良かった。

今回の件で一つ良い先例を作れた。

今川治部大輔は血縁者を尊ぶ。

瀬名氏詮を重用するも然り。

今回もまた然り。

革新を求めはするが、やはり一族は大事なのだと国外に示せなくもない。

今後の対外政策の中で政略婚により重きを置ける」

織田信清の悪評を広め、耐えに耐え兼ねたという見解を持たせることも必要だ。

あとで乱破たちにやらせなければ。

義秀は桜姫に目線を預け、

「少し出てくれないか?

鶴と二人で話がしたい」

と静かに言う。

桜姫はこくりと頷き、従った。

二人きりになって義秀は寝そべった。

無警戒に畳を背に、天井を眺めている。

「で、姉上。

何が目的ですか?

今川と織田を対立させようと企てて。

誰の差し金なのですか」

途端に鶴が警戒心を露わにして、隠し持っていた脇差を見せる。

「そう気を張らなくても、捕らえたりはしませんよ。

まぁ、俺は姉上に殺されるのなら構いませんしね」

ケラケラと笑って、気怠げに上体を起こした。

「予想は四つ。

北条氏政か上杉謙信、織田信長もしくは松平家康。

誰なのでしょう?

個人的な予想としては、北条ですかね。

そろそろ時期的に何やら勘付いてもおかしくはない」

内部工作も順調に進んでいるとは言え、何処からか情報が漏れ始める頃だ。

まぁ、あえて気付かせるんだが。

「裏なんて居ませんよ。

私はただ姫様が幸せであってくれれば良いのです」

「俺にはよくわからない生き方ですね。

目的もなく、ただ何と無く他者を理由に生きている俺とは雲泥の差というやつですか」

鶴の目が鋭くなり、義秀を射抜く。

「あなたは何をしようとしているのですか?」

彼はそう訊ねられ、悲しそうに笑った。

「俺が正しいと思うことが正しい国を作りたい、という表現を今はしましょう。

でも、おそらくは無理なのでしょうけれど」

そう言って、咳き込む。

「大丈夫ですか?」

「いや、問題はない」

最近、咳がよく出る。

今も微熱で体が重い。

食欲もなくなってきている。

だが、義秀はそれを外には出さない。

いや、見せてはいけないのだ。

仮面を被ることに関しては、彼は日の本でも指折り。

今もすぐに笑みを見せている。

「要するに自己満足という事ですか」

鶴の一言に笑みが深くなる。

「世に他者を救おうと生きている者が居たとしましょう。

彼は何故救済するのか。

それは自分に酔っているからでしょう。

他者を救うという行為を通して、自分が認められ存在する価値があるかのように思える。

外部ではなく、内に利があるからですよ。

人は元来悪人。

善人というのは、賢しらにも自らの悪を巧妙に隠している人間の事です。

人は皆、利己的に生きている。

その行動の多くは、自己利益の為であり、自己満足なのですよ」

「私は生まれつきの善人も居ると思いますよ。

あなたや私は悪人かもしれませんが、姫様はひとえにあなたの事を想っている心優しいお方です」

「そう考えるのならば、そう考えればいい。

自分の考えを押し付けはしませんよ。

結局、人はそれぞれ思考は違うし、理解し合えるとは思ってもいないからね」

「悲しい生き方ですこと。

姉として、こうなるまで放っておいた責任は重いのでしょう」

「さぁ?

どうでしょう」

「随分と変わりました。

私もあなたも昔とはかけ離れてしまいましたね」

「昔ですか。

今川の家にいた俺は虫一匹殺せぬような性分でしたね。

今思えば、蜂蜜のように甘い考えの持ち主でしたよ」

「私は優しかったあなたの方が好きでしたよ。

あなたが家を継げば、何かが変わってくれると思っていた時期もあった程です」

「今は思わないのですか?」

「母上が亡くなってからのあなたは別人のよう。

期待はしません」

「それは残念です」

「きっとあなたは最後に一人寂しく死んで行くのでしょうね」

「そうはなりませんよ。

蝋燭は既に溶け終わりつつありますから」

不吉な言葉を残して、義秀は立ち去る。

残された鶴は自分の弟に底知れぬ不気味さを感じ、自然と自分の両腕を抱いていた。







織田との同盟破棄が決まり、義秀は動いた。

武田家を傘下に入れる。

その為の行動だった。

今川家臣となっている馬場美濃ら武田の旧臣たちは既に甲斐国内の支持を失っている竜芳の側近たちを拘束し、処刑した。

変わって、武田の領地は武田四郎勝頼と小田原に居る先代今川当主今川氏真の領土となった。

氏真は武田晴信の姉妹の子供である。

継承権は持っていた。

だが、その領土で氏真が何かをすることはなく、義秀が管理する土地になっている。

武田竜芳は出家し、仏門に入る事で罪を許され、武田家は今川の軍門に下る事となった。

武田を滅ぼした後に狙っているのは北条だが、氏康が居る限りは動かない。

そう決めていた義秀は駿府でひたすらに朝廷への工作を行っていた。

まずは、自らが養っている足利義輝の遺児である足利義高に官位を与えることだった。

父であった義輝同様の従三位を授け、正当性を持たせ、京ではなく駿府で新たな幕府を設立させた。

京では三好家に担がれた第14代将軍が居たものの、義秀はそれを無視し、こちらが正当な足利将軍家であると主張した。

要するに第14代将軍が二人いる形になってしまった。

義秀はまだ年端もいかない少年である義高の代理として政務を取り仕切る体制を整え、実際は今川幕府が成立することとなった。

しかし、副将軍や管領といった地位につくことはなかった。

あくまでも将軍麾下の一家臣として行っている。

この行動に対して、織田信長は敏感だった。

京に攻め入り、三好を追い出し、自らが掲げる足利義昭を第15代将軍とした。

朝廷からの将軍任命は義高、義昭共に降りていない。

というより出せなかった。

織田と今川という天下を二分している大勢力の片方に身を寄せれば、その後の命運が変わってしまう。

もう少し様子を見て、どちらかが優勢になったら任命するのだろう。

両勢力がこのまま決戦するのでは、と世間が慌てる中義秀は北条を切り崩しにかかっていたし、信長は朝倉家を攻めようとしていた。




1570年。

織田信長は同盟相手の浅井に裏切られ、その報復として姉川の戦いに挑んだ。

何とか勝利を手にした信長は浅井を滅ぼさんと小谷城へ向かっていた。

一方、義秀は京都にいる足利義昭からの密書を開いていた。

「光隆、国親、家康、氏詮。

ちょっとこっちに来い」

重臣たちを呼び、書を見せる。

「京の義昭から織田討伐を頼まれている。

どうすべきだろうか?」

と訊ねれば、まずは光隆が発言する。

「織田信長を討つ好機は今おいて他なりません。

この提案に乗るべきかと。

本願寺に朝倉浅井も加わるならば、負けはないと見ます」

これに氏詮が反論する。

「ですが、我らは義高様を将軍としています。

その最中で義昭殿からの提案に乗るというのも如何なものかと」

家康がこれに付け加える。

「ならば、義高様より織田討伐を命じてもらうのはどうでしょう。

これに乗じ、京に上ることとなればそのまま室町御所に義高様が入城することもできましょう」

目を瞑っていた国親が目を開き、パンと手を叩く。

「まぁまぁ、待ちなさい。

まずは殿のご意見を伺いましょう」

国親に促された義秀は書に目線をやりながら言う。

「俺としては、家康の意見に賛同だ。

まずは義高様より織田討伐の命を発し、美濃を手中に収めた後に京を目指す。

ただ、懸念事項は幾つかある。

まずは、朝倉浅井が仮に織田本隊に負けた場合だ。

すると、敵は今川と本願寺だけとなる。

本願寺は攻勢には出れない。

所詮は信徒の群れだ。

織田はそれを捨て置いて、今川との決戦に挑むだろう。

これは避けたい。

二つ目は朝廷の動きが掴めないことだ。

しかし、これは問題ではない。

一番面倒なのは、三つ目はこれが義昭による包囲網という事。

我らが京に入ったとして、織田、本願寺、浅井、朝倉を敵に回す可能性もある。

織田を追い出したとしても、義昭勢力が敵になる。

仮にだ。

義昭と信長が和睦してしまったら包囲される事になる。

だから、我らは美濃を取り、そこで様子を見る事にしたい。

どうだろうか?」

「異議なし」

国親が真っ先に答える。

流石だ。

空気の作り方をわかっている。

悩ませる時間を与えずに答えを出させる。

他の三人も続いて同意した。

「よろしい。

では、準備にかかるとしようか」






それから二年後。

1572年。

三河、遠江、駿河の三国から尾張へ計二万三千の兵が今川義秀、白河国親、松平家康に率いられ出陣。

信濃、東美濃からも一万八千の兵が武田四郎勝頼、瀬名氏詮を大将に西美濃へとなだれ込んだ。


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