第三十一話
全軍、前進。
敵を打ち破れ
そう義秀が下知を出して、まず最初に動いたのは武田義信率いる赤備えだった。
これは義秀が仕向けたのではなく、彼自ら買って出た。
今川の信頼と協力を得る為にも、義信自身が今の武田と決別する意味でも重要な動きだった。
かつて味方だっただけにその強さをよく知っているのだろう。
秋山虎繁配下の兵たちは腰が引けている。
それを、最強とは名だけではないのだな、と言いたくなる程簡単に蹴散らして行く。
「あれが敵でなくて良かった。
赤い塊が突っ込んでくる姿はあまりに恐ろしい。
瞬く間に前衛を崩しつつある」
高台から戦場を見渡していた義秀は思わず唸った。
「ですが、殿の黒備えも劣りはしないでしょう」
横の光隆が付け加えるが、彼は鼻で笑った。
「馬鹿を言うな。
お前だから言うがな、俺の黒備えは別段強いわけではない。
事実彼らが黒の鎧を脱ぎ、他のものを着せて戦わせたら、そこらの兵とそこまで変わりはしない。
黒備えに対する先入観があればこそ、輝く。
俺が勝っているのは、先に潜ませた間諜に黒備えの強靭さを広めさせているからだ。
強いわけではない」
「それなら、赤備えも同じことが言えるのでは?」
「そうだと嬉しいがな。
違う。
あの動きを見ると、大将である義信の動きに連動して一筋の崩れもなく機能している。
たとえ、俺の軍が瓦解しようと、あそこだけは崩れはしないだろうよ」
「随分と高い評価をなさる」
「妥当な評価だ。
あれは完成された芸術に等しい。
俺の兵もあのようにあって欲しいものだ」
そう言うと、義秀は兜を手に取った。
緒を締めて、馬に跨る。
「光隆、そろそろ俺の隊も動く。
直虎に鉄砲隊の準備をさせておけ。
義信には敵を引きつけつつ後退するように伝えろ」
「はっ」
兵数に劣る義信が一見押されているように見えながら、後退する先に井伊の鉄砲隊を配備した。
彼らは、木や草の陰で姿を見えないようにし、潜んでいる。
最後尾の飯富虎昌が前もって指定しておいた地点を通り抜けると鉄砲隊が姿を現し、一斉射撃。
そこに、部隊を反転した武田義信が迅速かつ正確に追撃を加える。
結局。
この戦で、武田義信とその兵という少数の精鋭が敵の前衛を壊滅させることになった。
そして、士気も一気に下がった敵は撤退した。
痛手を負った秋山虎繁は飯田城に引き籠り、抵抗の意を見せている。
義秀は飯田城攻めを義信と井伊直虎に任せ、自分は早々と飯田城から少し離れた伊豆木城へと引っ込んだ。
疲れていたのもあるが、自分が出るよりも義信に任せた方が効率的だと判断した。
義信の勢力が大きくなるのは癪だが、援助を必要としないところまで回復しなければ良い。
秋山虎繁程度ならどうなろうが関係はない。
もし、彼が味方についても高遠城に諏訪勝頼がいる。
まだまだ信濃は広い。
そして、重要なのはここではない。
一つは武田晴信と白河国親の戦であり、もう一つは尾張織田の美濃攻めの進行具合が大事なのだ。
国親の軍には松平も加わっている事に足して、北条の援軍もある。
万全に近い状態で迎え撃ち、敵を信濃に向かわせないよう足止めをしながら、甲斐の躑躅ヶ崎の方面に深追いしすぎない程度に侵攻するよう言ってある。
問題は織田信長。
彼が美濃を手中に収めたとしたら、局面は一気に変化する。
尾張と美濃の二国合わせれば、今川の持つ三国より商業の面でも農業の面でも勝る。
更に、今川は京への道を塞がれてしまう。
軍を率いての上洛の下地を整えるには面倒な事に海を渡って伊勢を攻めなければならなくなってしまう。
それに美濃は義秀に取って重要な意味を持つ国だ。
蝮と呼ばれた斎藤道三の下で働いた時期は義秀にとって忘れ難いものである。
言ってしまえば、生まれ故郷の駿河よりも美濃の方が恋しい。
だが、何より一番は道三の弟子として信長に負けたくはない。
その思いが強い。
後継者に選んだのは信長であったが、俺の方が優秀であり、道三が叶わなかった上洛を成し遂げれば、あの世に行った蝮もさぞかし驚くだろう。
もしかしたら、道三に褒めて欲しいだけなのかもしれない。
彼の精神的な理由はひとまず置いておこう。
彼は既に幾つかの駒を敵陣に入れている。
美濃を攻め取る為に、前々からの計画通り安藤伊賀守守就と竹中半兵衛を道三亡き後の斎藤利治新当主の政権における中枢に入り込ませた。
その後、利治を暗殺し龍興を当主に置いた長井道利の独裁政治でも彼に忠誠を誓う姿勢を取り、織田軍を撃退している。
竹中半兵衛の鬼謀を高く買った長井道利は白海城を与え、飛騨の姉小路や甲斐の武田を警戒させている。
安藤伊賀守は前と変わらず所領を保ち、欲を見せずにただ尽くしていた。
おかげで当初は警戒があったものの今では道利の相談相手に近しい位置にいる。
瀬名秀政という名であった頃。
美濃を離れて既に4年近く経っている。
桶狭間での敗戦からの回復は目を見張るものがあったが、目標に達してはいない。
義秀の描いていた理想とは少し離れた。
というよりは、これほど早く武田と争うことになるとは思っていなかった。
武田晴信は急いだのだろう。
武田の領内に海はない。
塩や海産物は皆、今川は上杉から買っている。
当然、値は上がる。
義元が今川当主になる頃から武田は駿河を狙っていた。
桶狭間で内部分裂を起こし、弱体化しつつあった今川を最後に丸ごと美味しくいただく予定が、上杉と戦っている間に復興を遂げつつあり、今を逃せば海を手に入れられないとでも考えたのではないだろうか?
もう少し様子を見ておいて欲しかった、というのは今川側の都合だ。
相手はそんなもの考慮してはくれない。
おかげさまで、三河勢を屈服させることには成功したものの、今後織田と戦うことになれば気を張りすぎてしまうだろう。
適当に一戦こなしておきたかったのだが仕方あるまい。
代わりに武田の赤備えを駒として盤上に布陣させられた。
差し引きプラスだ。
もとより武田の内乱に介入するつもりではあったから、それ相応に誼を通じている相手は幾つかいるものの充分ではない。
見積もって三年。
最短でもそれくらいは信濃、甲斐攻略に要する。
同時に美濃も攻めるとしたらよりだ。
甲斐には国親を差し向けるから問題はない。
信濃を武田義信に任せたくはないが、井伊直虎では荷が重すぎる。
かと言って、自身が攻めの大将を取る訳にはいかない。
駿府を離れ続けるというのは色々と厳しくなってくる。
飯田城を落とすのはあまり時間を要さないとしてもだ。
そろそろ戻らなければならない。
心苦しいが直虎に委任して一旦は帰国すべきか
いや、直虎では駄目だ。
他に誰か。
若くて才気溢れる者が国親以外にも居れば良いのだけれど、人が足りていない。
美濃の孤児から引っ張ってきた連中は大将ではなく、その中の一人の将として見込んだ奴らだ。
全体を見て動かすのは他にやらせたい。
松平か……いや、しかし。
ここであいつが裏切る可能性は否定できない。
仕方ない。
美濃は後回しだ。
信濃は義信にやらせるとするか。
まぁ、南半分は今川領として頂くつもりだが。
わざわざ武田本軍を足止めまでして信濃出兵を行ってやったんだ。
それくらいの代償は当然。
そこまで考えてから、
「光隆」
側近の名前を呼ぶ。
「何でしょう?」
精悍な顔立ちの大男が顔をあげる。
「お前は先に駿府に戻れ。
着いたらすぐに北条左京大夫にこの書状を送るのだ。
ただし、内密にだ。
左京大夫の息子たちにも勘付かれるな」
懐から一通の書状を取り出して、光隆に託す。
「しかし、現当主は相模守様なのでしょう。
あの方を蔑ろにし、左京大夫様とばかり誼を通じるのは後々に不和を生むのでは?」
受け取った光隆は心配そうな表情で訊ねた。
義秀は苦笑し、しかしこれがこの男の良いところだな、と思った。
こいつに大将を任せてみたら、意外に合うのかもしれない。
「うむ。
それでも良い。
俺が気にかけるべき相手は左京大夫だ。
相模守は今のところ別に構わん。
ともかく左京大夫が実権を握っている内は彼に媚を売り続けるのが良いのだ」
「はぁ……納得はできませんが、殿がそう言うのならそうなのでしょう」
「光隆。
お前は天下を握ると言った俺の言葉を聞いているよな。
あの時は天下を武家の頂点に立つという意味で使った。
それには京に上り、覇を示すのが手っ取り早い。
しかし、今こうして武田と争っている。
無駄な争いだ。
必要以上に敵を作る気があるのは承知しているが、そのせいで寄り道をしていては進めん。
言ってしまえば、北条は露払いだ。
北関東の諸侯が噛み付いてこないように牙を抜くのが北条。
そして、北陸の上杉も同じ。
互いが互いを都合良く使う関係に留まっているのが今は最善だ。
その為には左京大夫を懐柔するのが早い。
彼が互いの利益を追求する事を息子に説けば、それで事は済むのだからな。
それだけだ。
別に何を企んでいるわけではない。
北条と争うなんてことにはならないよう対処して行く。
必要以上に気を回す必要はない」
「それは失礼しました」
「うむ。
ついでだが、これを千鶴によろしく頼む」
再び懐から色が少し違う紙と取り出した。
「奥方に?」
「そうだ。
まぁ、なんだ。
恋文みたいなものだ」
部下に妻への恋文ということをあっさりと明かす。
そのくらいの関係がこの二人にはある。
「仲睦まじく、羨ましい限りで。
私にもあのように美しい奥方が居れば、より一層精進できるのですが」
と笑って冗談を言う。
義秀も笑って返す。
「おいおい、それをお前の嫁に言いつけてしまおうか」
「それは勘弁を。
いや、まったくどうしても嫁には頭が上がらんのですよ」
「わかるぞ。
猛将であっても妻には弱いものだ」
「もしかして殿も?」
「ははは、怒られては謝る他あるまいよ」
「まったく女というものは恐ろしいですな」
「そうだな」
義秀は女が好きである。
逆に男色を嫌う。
だから、戦で捕虜とした者の中に美少年がいれば配下に与えたり、領内の寺院に少しの権益を義秀に差し出す代わりに、その少年を出家させ仏門にいれさせたりと活用している。
時として、国外に売り払うこともあるが、多くは国内で処理されている。
他の捕らえた内で使い道のない者たちは処刑か解放かは気分次第で変わる。
「時に光隆。
織田の姫を見た事はあるか?」
それでも、普段は温厚な人柄だ。
味方である内は安全が保証されている。
「いえ、見ておりませんが」
「そうか。
瀬名の家に嫁いできただろう?
俺も一目見たいんだが、暇がなくてな。
美男美女の家として名高い織田の姫だ。
是非、一目見てみたいものだ」
「殿がそういうほどなのですか?」
「あぁ。
お前も織田上総介に会っただろう。
あれも随分と整った顔だったが、女であるのならば、と考えれば実に美人ではないか」
「言われてみればそうやもしれません」
「だろう?
だからな。
駿府に戻ったら瀬名の家に訪ねる旨を伝えておけ」
「お言葉ですが、奥方がお怒りになるのでは?」
「別に一晩寝るわけじゃない。
ただ、会いに行くだけだ」
「そうならば、良いのですが。
くれぐれも手はお出しにならないように」
「わかっている」
「ならば、良いのです。
では、そろそろ」
光隆はそう言って立ち上がる。
「では、頼んだぞ」
「お任せを」
光隆が発ってから数日後に、義秀は駿府に向けて兵を連れて発った。
飯田城はそろそろ落ちる頃だろう。
戦後処理は義信に一任すると一筆おいてきた。
飯田城を落とした後に、井伊直虎が遠江に戻ったとしても、義信の元には三千近くの兵が残る。
元々、直虎も義秀もそこまでの兵を連れてきてはいない。
最低限だけだ。
足りない分は義信の名前を使って集めた信濃の国人で賄う予定だったからだ。
信濃は約40万石。
動員兵数で言えばおおよそ一万程度。
半数とはいかないが、三千いれば十二分に足りる。
更に加えて、現在も続々と義信の元には人が集まりつつある。
兵数だけで見れば、事足りるように見える。
問題はそこではないのだが。
だが、それを解決するのは俺ではない。
義信の力によるものでなければ武田を継ぐには相応しくない。
義秀は口笛を吹きながら、とりあえずは上杉と同盟を結びたいなぁ、とか西は織田に預けて東に出てみるのも面白いかもしれない、とか色々と妄想を繰り広げていた。
仮に義信が武田を継いでも、上杉の武田領に対する侵攻が収まるわけじゃない。
北信濃を差し出せば、大人しく引き下がるかもしれないが今現在の義信の地盤は甲斐ではなく信濃にある。
味方のいなかった自分を不利な情勢の時に慕ってきた連中の領地を召し上げるような真似をできる男ではない。
放っておけば、必ず武田と上杉は争う。
その隙に今川は南信濃の支配体制を完成させ、美濃入りを果たしたい。
これが理想だ。
欲を言えば、義信が勝頼に一旦は負ければ尚更良い。
後継者同士の戦に負け、結局は他国の力に頼るしかないとなったらなったで今川としては願ったり叶ったり。
しかし、そんなにうまくはことが運ぶわけがない。
何処かで破綻する。
そうなった時に対応を間違え、簡単に崩れては困るのだ
先に何かしらの手を打っておかなければならない。
面倒ごとは重なるばかりだ。
個人的な話でも、姫は生まれるけれど、男はまだ生まれない。
まだ30にもなっていないのだから、焦ることはないが早いうちに欲しい。
人を見極める目が鈍らない内に決めたいのだ。
後継者は定めておきたい。
無論、正式に発表するのではなく心の中にとどめておくだけだが。
「しかし、何よりもまずは軍師が欲しい…………」
ポツリとこぼす。
義秀に従順な将は既にいる。
あとはその下で支える人間が足りていない。
権謀術数を得意とする男が一人居たら面白いだろうに。
義秀は駿府に戻ると、足利学校を模範とした学校設立を計画した。
関東管領上杉憲実が設立したと言われる足利学校は儒教を中心とした漢学の民間学校で日本一の教育機関だった。
儒教の聖典の中では特に易経に力をいれていたと言われる。
また、ここでは学校側に認可されれば入学が許され、入試といったものはなく、カリキュラムもない。
学びたいものを学び、自らが満足すれば卒業という自由な学園であった。
義秀はそれを真似た。
かねてから誼がある商人を通じて書物を大量に集め、提供した。
更には儒教に長けた僧を招き、講師を頼んだ。
しかし、この学校で最も重要なのは兵法と築城術の二つ。
城攻めで大事なのは築城術。
城の作り方を知っているものは攻め取り方も知っている。
数年前に川中島で死んだ山本勘助は特に築城に長けた男だった。
武田の重要拠点の多くに彼の技術が含まれている。
彼は兵法にも長じた。
義秀が望むのはそういう人材だ。
また、足利学校とは違い、卒業に一応の試験を課す以外はほとんど同じである学校を駿府ではなく、引馬に置いた。
飯尾義広が城主であるその城の側に一年以上かけて巨大な寺院風の建物を設置し、街道を整備しなおした。
東海道沿いにあるため、人は多く来ると見込んでだ。
人が来なくても、臣下の子供を教育する施設として活用できる。
駿府に置いても良かったが、織田から本の寄付を受けた事を考慮し、まだ尾張に近い引馬が良いだろうと考えたのだ。
近さで言えば、三河の岡崎が一番だが、あそこは松平の地元。
信頼できない者が多くいる土地では駄目なのだ。
ついでにこの期に乗じて前々から気に入らなかった引馬という地名を変えさせた。
馬を引くという敗北を意味する名前は好ましくない。
かつて浜松荘という荘園があったことから浜松とし、学校の名前も「浜松学校」と定めた。
義秀はこの建設期間中に何度も瀬名の家を訪問した。
家主に会うのではなく、その奥方に会うためだ。
織田の姫君を通じて、尾張の信長と幾度か連絡を取っている。
二人は公に話すことができないものはこちらの手段で話し合っていた。
少し言うのであれば。
足利将軍家を断絶させ、将軍位に就く事を狙っている義秀と新たな制度化での支配を行おうと考えている信長の間での互いの利益のためにやるべきことを確認しあっていた。
義秀は信長を非常に高く評価しているし、信長も彼を気に入っている。
できれば、争いたくはないと双方ともに考えてはいる。
そのためのすり合わせでもあった。
今川と織田の考え方の妥協点を表には出さないが、腹の中で探り合っているような色々と含むところのある文通だ。
といっても、義秀からすれば信長との連絡半分、姫に会うのが半分。
織田の姫であり、今川家中で尾張御前と呼ばれている犬姫はまさに傾国の美女と謳われてもおかしくない美しさだった。
彼女の周囲だけが鮮やかに色めき立ち、鳥がさえずり、花が咲く。
今は冬。
その寒さに袖から微かに覗く手が薄っすら赤くなっているのも、実に可愛らしい。
外のキラキラと光っている白い雪を眺めている姿はまるで物語の一幕のよう。
「氏詮は出かけているのか」
瀬名の屋敷で柱に背を預け、犬姫を眺めていた義秀は訊ねた。
「旦那様は浜松学校の方にお出かけに」
雪から目線を外し、義秀に向け、返答した。
「そうか」
それだけ短く言うと、彼は庭の木に積もった雪の重みで枝がしなっている姿を見る。
「氏詮はいつもこの家に居ない。
自分の妻一人を俺に会わせて心配にはならんのか」
「旦那様は私には興味がございませんので、考えたことなどないのでは?」
「どういうことだ?」
「私は織田信秀の娘。
かつての敵の頭の姫。
どう扱えばいいのか、わからないのでしょう」
「なるほど。
理解はできんが、わかった。
にしても、よくそれを言うな。
さすがは上総介の姉か」
「あのような弟を見ておりますと、このようになってしまうのも仕方がないこと」
「ふむ。
まぁ、遠慮せずに言う事は良いことだ。
諫言する臣がいなくなったらその家は滅ぶとも言われているくらいだしな。
性別身分関係なく語らうのは大事だ」
「でも、旦那様には難しいようで。
どうにも私に対し、壁を作っているようなのです」
「ほぅ。
もったいない奴だな。
こんなに美しい姫が居るというのに仲良くしないとは。
人生を損している。
ここが不満なら、俺のところに来るか?」
ニッと悪ガキのような笑みを見せて言う。
「もしや私は口説かれているのでしょうか?」
「うーん、どうだろうか」
「どうなのでしょう?」
「どうなのだろう」
「私にはわかりかねます」
「俺にはわからんな」
そう言って、この空気がおかしくて、二人して笑う。
「では、俺の方から少し言っておこうか。
氏詮と尾張御前が仲良くなくては困る」
「夫婦の事です。
殿の手をわずらせるわけにもいきません」
「そうか。
では、上総介に言伝を頼んだぞ」
「お任せください」
あぁ、そう言えば。
書くのが遅れたが、引馬城改めて浜松城に捕らえてあった松葉義長という男を飯尾義広が釈放していた。
義秀の妹の桜姫の部下だった男だが、完全に忘れられていた。
2年近く捕らえてられていたのではないだろうか?
不幸な男は釈放の際に髪も髭も整え、特別に城主用の風呂を貸し、放たれたという。
捕まっていたとはいえ、地下牢に閉じ込められていたわけではない。
刑務所の囚人のように労働をさせられていた。
そのせいか、無駄な脂肪が落ち、細くなった身体に筋肉だけが残った。
体重は減っていないのに、脂肪がなくなった。
結果として、必要以上に鍛えられた男は久々の外に戸惑いながら、尾張の方へとおもむろに足を向けた。
織田の姫である尾張御前が信長の妹となっていましたが、姉に訂正しました。