第三話
瀬名-3
1556年5月。
長かった両軍の睨み合いも終わり、本格的に戦い始めた頃だ。
「部隊を三つに分ける。新田が500の兵を率いて道三様の所に加われ。兵にするのは農民だけでいい。お前らは戦わず、旗を大量に掲げろ。瀬名全軍が加わったかのように見せろ。次に葛西、堀は200の兵で義龍軍の背後で待機。
撤退する義龍配下の将を逃がすな。道三様形勢が不利とみたら引いていい。俺と国親、本郷は300の兵で本陣を襲う。少数だが、奇襲であれば、さほど問題ではない。闇夜に紛れて俺らが義龍を討ち取れば上出来。陣形を崩せれば、そこそこ。奇襲がばれたら死ぬ。気を抜くなよ。新田は道三様に俺が書いた書状を渡すのを忘れるな」
「「「「「はっ!」」」」」
「よし、出陣だっっっ!」
白海城で既に三部隊に別れる。
秀政の部隊と葛西・堀の兵は黒備え。
夜中に行軍するにはもってこいだ。
それに軍を進めていることを気づかれないように、昼間は商人を装い、ばらける。
戦となり一儲けのチャンスでもあって、他の行商たちも続々と兵たちに物を売りさばきにきているので、不自然さはない。
空の月が輝く頃には集まり、集団で移動する。
一日ごとの目的地しか兵には告げない為、万が一間者が居たとしても兵を潜ませて置かれる心配はない。
そうして、一月ほどかけて秀政は長良川南岸に位置する義龍軍の背後に位置している。
「日が沈み次第仕掛ける。総攻撃の時は鐘を鳴らす。聞き逃すな」
国親以下の諸将にも伝えて秀政は今の状況を確認する。
道三様と義龍は長良川を挟んで向かい合っている。
緒戦では義龍側の竹腰摂津守道塵率いる600騎が道三様に討ち取られるという道三優勢だったが、義龍軍は兵数に勝る。
美濃三人衆に日根野弘就らの本隊が長良川を越え、道三様本陣に迫っている。
道三軍は既に撤退に走っている。
もう少しもう少しだ。
義龍本陣が川を越えにかかった。
「今よ!鐘を三度鳴らせ!」
ゴーンゴーンゴーン
と戦場に鐘の音が響く。
義龍軍は不審に思いながらも、目の前の敵を追う。
道三軍は転換し、迫っていた義龍軍を迎え撃つ。
「行くぞ、お前ら!」
秀政は白の鎧に赤い陣羽織を纏い、愛馬に跨り、千鳥十文字槍を構える。
「俺に続け!」
義龍軍の背後に向け、日が暮れて視界が悪くなってきた中を単騎駆けする。
続いて国親ら黒備えが駆ける。
「狙うは義龍その首一つ!」
雑兵を槍で一突き、一振りして血を払い、道を作る。
兵一団となって一本の槍の如く義龍を目指す。
瀬名秀政率いる軍の喚声が他の義龍配下の将たちにも届くが、行動はできなかった。
もし、反転して大将を救援に向かおうとしたならば、狡猾かつ戦巧者で手練れの道三がそこを弱点と攻め、一点突破せん勢い。
軍の大半が川を渡り、更には道三様が反撃している今、義龍の近くにいるのはそう多くない。
この好機を逃してはならない。
瀬名の軍は鎧の色も合わさり、義龍兵には闇が襲ってきたように見えた。
蝮と悪名名高い道三の事だ。
闇すらも自分の味方かっ!と思うと皆震え上がり力が出ない。
かつ秀政の白い鎧は月の如く輝くが、近寄れば槍で突かれ、先はない。
悪夢だ。闇が攻めてきて、月は修羅の如く味方を倒していく。悪夢以外の何物でもあるまい。義龍兵の誰もがそう思った。
秀政の視界の奥に義龍本陣が見えた。
「あそこかっ!」
馬をそちらに向け、雑兵たちを押し退け押し通る。
陣幕を槍で切り裂いて、乗り込む。
「義龍!ここに居たかっ!」
馬上で、穂先を義龍に向ける。
「瀬名か。やはりお前は警戒すべきだったな」
義龍は苦悶の表情を浮かべ、苦々しげに秀政を睨んだ。
「だが、既に遅い。その首頂くぞ」
秀政は馬上の優位をして槍を突き出す。
「義龍様っ!」
筋骨隆々の男が義龍を突き飛ばし、庇った。
「むっ!?」
男に突き刺した槍が抜けない。
男は口から血を吐きながらも、笑った。
「命の代わりにこの槍は貰うぞ、瀬名……秀…まさ」
事切れても、手に掴んだ槍を離さない。
猛者だな。この男は自分の部下に欲しかった。と思いつつも今は憎い。
「ちっ!」
馬から飛び降り、刀を抜く。
「逃げるかっ、義龍!」
少々時間を食ってしまった。
この親衛隊は中々根性がある。
義龍は陣の外に逃げた。
「ぬぅ、貴様なにやつ!?」
そして、義龍の声が陣の外から聞こえる。
「名乗るほどでもない」
おっ、この声は国親。
俺も加わるか。
「若、とどめを!」
国親が義龍を組み敷いている。
「おう!」
俺は義龍の首を一刀で切り落とす。
「瀬名秀政が一色左京大夫義龍討ち取った!!!」
大声で名乗る。
「武器を捨てて投降せよっ!従わぬものは切る!」
大将を失った軍は脆い。
兵たちが我先に逃げていく。中には投降してくる者もいる。
「国親、鐘を二度鳴らせ」
ゴーンゴーン
それで道三様には意味が通じる。
先に書状で鐘の音の意味を教えてある。これでいい。
後は撤退してくる敵将を捕らえるだけだ。
特に長井道利。
あいつだけは今ここで捕らえたい。
長井道利は知恵者であり、斎藤道三の血縁と言われている。
義龍が亡くなった今、対道三様盟主となるのは恐らくあいつだ。
幼い義龍の子 龍興を傀儡にして実権を握ろうと考える。
安藤、稲葉、氏家の三家も強大だが、当面の敵にはなりえない。
「国親、兵を集めろ。義龍兵も吸収しろ。今すぐに稲葉山を落とす。あそこに籠られると落とすのが厄介だ。すぐにだ」
「はっ!」
近くに居た兵に道三様への言伝を託して、俺は総勢2000弱に膨れ上がった兵を束ね、即時稲葉山城を攻めた。
やはり城になんとか逃げ込んだ兵にとっては瀬名秀政は悪夢の根源だった。
生死の狭間からなんとか逃げおおせたと思いきや、月の率いる闇が追ってくるのだ。
しかも、つい先程まで自分たちと共に戦っていた仲間を引き連れて。
「瀬名秀政、敵に回すべきではない…………」
義龍に味方し、稲葉山城を預かっていた将は稲葉山城を明け渡した。
兵たちが怯え、使えないのもあるが、このままでは城内で瀬名に寝返る兵が続出しそうだったのだ。
ならば、城を明け渡し少しでも道三に恩を売ろうと思ったのだろう。
また、稲葉山でない方向に逃げようとした兵も戦慄した。
戦場から逃げたかと思えば、そこには黒の鎧を纏った一団が待ち構えているではないか!
逃げた将たちは突破せよ!
と命じるが兵は動かない。
主従関係よりも恐怖が勝る。
結局、将もおとなしく投降した。
だが、やはりそこは格の違いと言うべきか。
安藤、稲葉、氏家、長井道利、日根野弘就はそれぞれの領地へと逃げ戻った。
捕えられず、秀政が悔やんだ事は言うまでもない。
その秀政は稲葉山城で斎藤道三を迎えた。
「道三様、此度の勝利おめでとうございます」
相変わらずの湯帷子姿で祝いの言葉を述べる。
道三様の横には明智光安、息子である利治が並んでいる。
「うむ。秀政、お前の働きまこと見事。お前が居なければわしはここにはおらん。この勝利、お前の勝利と誇ってよい」
道三の言葉に頭を下げる。
「ありがたき幸せにございます!」
「おうよ。恩賞を与えたい所だが、国内は荒れてるおる。落ち着く次第やろう。東美濃はお前と光安で治める事になろう。期待しておれ」
「はっ!」
これで秀政の斎藤家中の立場は一気に跳ね上がる。
斎藤家の二大家老の一角となるわけだ。
更に今回の『長良川の戦い』で瀬名秀政の名は近隣諸国に轟いた。
「わしに抵抗する意思を見せているのは、西美濃を治める三人衆に長井道利。こやつは龍興を担ぎ、軍を立てようとしておる」
更には武田家と通じて、援軍を出してもらう手筈らしい。
武田が参戦してくるとなると状況は一転して道三の不利になる。
「それなのですが、俺に一案が」
「なんだ?申せ」
「今川と手を結んではどうかと。俺は今川家を追放された身なれど未だ友好はあります。俺ならば同盟を成立させられまする。それに今川と武田は婚姻関係。うまく行けば、美濃から武田は手を引くやもしれませぬ」
秀政の意見に道三の頬が緩む。
「ふむ。だが、今川は尾張の織田信行を支援しておる。わしの娘婿の信長とは敵対関係。同盟はなるのか?」
「双方尾張の家騒動が決着つくまでは、尾張には介入しないという条件を取り付けます。信長公か信行かどちらが家を継ごうとも恨みなしという話に持っていきましょう。それでどうでしょうか?」
「ふむ…………わかった。秀政に一任しよう。では、光安と利治は氏家を攻めよ。わしは稲葉山の守りを硬め、武田と外交でも始めるかの」
では早速。と言い、秀政は稲葉山城を出て、一旦白海城に戻り、国親に義龍兵の対処や今後の行動方針等の指示を出し、単騎で今川義元の居る駿府城を目指す。
本来は部下を連れて行くべきなのだが、秀政は一人旅の方が気楽だと言い張って供を付けなかった。
それに湯帷子で出歩いてる男を見ても、ただのかぶき者としか思わないだろう。
腰に刀を差して、馬に跨り、水色の羽織。
いつも通り、髷を結うのが手間がかかって嫌いなため、武士に珍しく髪を下ろしている。
これを見て誰が城主だと思おうか、いや誰も思わない。
それに今川と秀政の関係を家臣どもに知られるのは気分よいものではない。
自分の素姓は出来る限り伏せておきたいものだ。