第二十七話
今川に千鶴姫が嫁いでから一ヶ月ほど。
秀政は飯尾連竜を呼び出した。
登城し、秀政の前に座っていた。
「連竜、お前が武田にも松平にも通じていることは知っている。
そして、井伊の家を潰そうとしたことも。
今までは、利用価値があるし見逃していたが、そうもいかなくなってしまったよ。
あぁ、復讐は辞めと言えども変わらないものだ」
秀政がいきなり刀を抜いて、連竜の右手に突き刺した。
「連竜。
お前には聞きたい事が幾つかある。
まず一つ。
母上殺害に関わっていたのはお前と他に誰だ?」
悲痛な呻き声をあげるだけで、返事をしない連竜に今度は脇差を左手に突き刺す。
「喋れ」
両手を刃によって畳に縫い付けられた連竜は汗に額を濡らしながら、怯えた目で秀政を捉えた。
「て、定恵院様です」
「他」
「朝比奈泰能」
「まだいるだろう」
「…………武田信濃守」
秀政は血走った目で連竜の髪を掴み、無理矢理上を向かせる。
「終わりとは言わんよな?」
「いません!
これ以上はいません!」
「真ならば尋ねようか」
秀政は笑みを浮かべる。
「昔、俺に毒を盛ったのはお前だな」
「……違いまする」
「そうか。
よくわかった」
右手に刺さった刀を引き抜く。
声にならず、時折わずかに聞こえ溢れる悲鳴があるが、それにはただ眉を少し寄せただけだった。
「もう良い」
刀を一閃。
連竜の首が床に転がり、血が吹き上がる。
首がなくなった身体を秀政は刀で何度も何度も突き刺し続ける。
体に傷がないところはもはやないのではないかと思えるほどに刺した後、小姓に後始末をするように指示した。
同じ頃、引馬城は秀政の命を受けた井伊直虎と飯尾義広によって占領されていた。
直虎は連竜の正室であるお田鶴の方を自らの手で殺した。
曾祖父の仇を見事に取った訳だ。
飯尾家は元々は孤児であった飯尾義広が継ぎ、遠江の豪族であった飯尾氏本来の血筋はここで途絶えた。
連竜の死は遠江の国人に少なからず影響を与えた。
彼が松平に通じているのは近頃噂として広まっていた。
それを受けての今回の騒動なのだろうが、連竜だけではない。
他にも松平に内応を誓った者はいた。
しかし、それには軽い処罰で済んでいる。
問題は飯尾連竜が内応を誓っていたことなのだ。
秀政は配下の領主に忠誠を誓った起請文を提出させ、結束を深めさせている。
一応の収束は終えたものの、混乱はまだ残っている。
当然だが、隙があればそこを突くのが常道だ。
松平元康は織田の後援を得たことで背後を気にせずに軍事行動を起こせるようになっていたから、ここで軍を起こした。
芦川光隆や葛西盛次といった面々は酷く慌てたが、秀政と国親は寧ろ喜んでいた。
「元康め、動きおったな。
国主としての初戦。
新生今川の力を天下に示すいい機会ではないか」
大陸から来た商人より買った猫とじゃれながら、秀政は笑った。
「武田、北条と同盟を結んでいる当家が進む道は東海道他ない。
その道には尾張の織田と三河の松平がいる。
邪魔な石は砕かねばなるまい」
遠江の引馬城を包囲している松平元康の元に秀政出陣の一報が入ってから、彼が眼前に現れるまでそう間が空かなかった
「忠次、どうするのだ!
もう秀政が来てしまったではないか!」
元康が秀政を恐れている。
氏真ならば取るに足らないは、相手が彼では自分に軍杯は上がらない可能性の方が高い。
酒井忠次は若い大将を見て、苦笑しつつも困ったものだと考えを巡らせ始めた。
「確かに瀬名殿は強敵ですなぁ」
「秀政には生まれてこの方勝った事がないのだ!
今川の人質であった頃も遊んでは負けていた。
どうにも苦手なのだ」
「ですがね、苦手というものを克服してこそ先が見えるのでは?
ここで瀬名殿に一泡吹かせて見せましょう」
「だがな、策はあるのか?
引馬に篭っている飯尾義広と井伊直虎や付近の城主である大沢基胤、浜名重政は未だに力強く抵抗しておる。
そこにあいつが来てしまったのだ。
状況は一変して我が方の不利だぞ」
この時の松平勢は総勢4000程度だった。
対して、秀政は5600程の兵を連れてきている。
「兵数だけで勝敗は決まりはしませんぞ」
「それはわかっておる!
具体的な案を聞いておるのだ!」
「殿、落ち着きなされ
急いては取りこぼしますぞ」
「……そうだな。
慌てずに対処しよう」
戦が始まると秀政は黒備えを引き連れて先陣を切った。
白地の陣羽織が風で翻り、背中の赤鳥が舞っている。
「俺に遅れんな!
掛かれ掛かれ!」
味方を鼓舞しながら、突っ込んで行く。
それを兵たちが急いで追いかける。
大将を危険な目に合わせてはならないと我先にと敵へ向かって行く。
芦川光隆と並んで、敵陣に一番槍を果たした秀政は暴れ回った。
「三河者に剛の者多しと聞いたが、噂だけか!
俺を止めてみろ!」
槍で立ち塞がる敵を一撃で排除し、邪魔な者は馬で蹴り飛ばす。
それに従って黒備え兵も敵陣を荒らし回っている。
さながら台風のようだ。
縦横無尽に敵の陣形を乱しに乱している。
ただ、味方も慌ててはいるが。
「元康ーーー!!!!
どこだ!?その首落としてやるから出て来いっ!」
大きな声には自信がある秀政は叫んだ。
その声は戦場に響き渡った。
味方は負けていられん、と士気高揚し、敵は少し怯んだ。
怯まない敵もいる。
「今川治部大輔殿と見た!
拙者は本山佐助と申す!」
秀政に向かってきた若者が名乗りながら槍を突き出す。
ニィっと秀政は笑って若者を見た。
「知らんっ!」
その槍を打ち払い、馬の足で若者の胸を踏み潰す。
秀政の下の方で若者の胸が鎧ごと凹み潰れた、ぐちゃという嫌な音がした。
「皆のもの!
元康の首を取りに行く!
俺に続け!」
馬首を翻し、本陣がある方向へと突破せんと動く。
が、それは芦川光隆が引き留めたことによって成し遂げられなかった。
「殿、我らだけが突出しております。
左翼が押され気味ですゆえ、そちらの援助に行かれるべきかと」
「うむ。
では、そうしようか」
再び部隊を転換させ、左翼の救援に向かった。
左翼を攻めにかかっていた松平兵は秀政との衝突を避け、引いたことによって、初日は痛み分けとなった。
「はははっ、首級を上げたぞ!」
そう言ってニコニコと本陣に戻ってきた秀政を国親は厳しい態度で迎えた。
「殿っ!」
「なんだ?」
「大将が前線で暴れないで頂きたい!」
「大将が皆の手本を示して何が悪い?
それにな。
近頃、堅苦しい儀ばかりで鬱憤が溜まってるんだ」
「それで怪我でもされたらどうするのですか!?」
あまりの剣幕に秀政がたじろぐ。
今の国親ならば鬼でも阿修羅でも容易に討ち取りそうだ。
「いや、だってな…………」
「言い訳は無用!
明日は本陣から出ないで頂きたい!」
翌日。
その言葉通り、本陣から出してもらえなかった。
秀政が愚痴りながらも、要所要所で指示を出し、松平勢を確実に追い込んで行く。
元康はこの時二十歳。
十五で初陣を飾ったとはいえ、経験不足だ。
特に中規模以上の野戦に関してはだ。
それは秀政も同じだが、一部隊を率いるということを見れば秀政の方が現状では数段上だ。
その差が出ている。
それに、秀政の目的は松平兵を引かせることだ。
討ち取る事ではない。
その大勝を狙わずに手堅く勝利をもぎ取っていく作戦を軸に据えた采配は相手からすればやりにくかった。
罠に嵌めるにも深追いはして来ない。
退き際を間違えなかった。
三河武士の底力で一時的に押し返しても、組織力の高さに押し戻される。
挙句には、秀政が三河一向一揆の残党を煽り、背後をつかせようとしたことで、元康は兵を引き上げる決断をした。
そこで最後尾の殿を任された早見何某と他一人二人の将。
ただ、早見何某は血気盛ん過ぎた。
殿に置いてはいけない人材だった。
戦術理解度も低過ぎたが、問題なのは相手の大将を討ち取る事にやたらと執着していた事だ。
何でも個人的な恨みがあるのだとか。
ちなみに秀政は一切の心当たりがなかった。
多分だが、忘れているのだろう。
自分の兵の半分を他の将に預けて、あろうことか敵へ突撃をしかけた。
それも先日秀政がやったような自らが先陣を切るやり方でだ。
殿は味方が逃げるまでの時間を稼ぐことで目的であって、突撃は望まれない。
が、彼は断行した。
そして、火縄銃の一斉射撃によって虚しく倒れた。
他の突撃を仕掛けた兵も敵兵と刃を交える前に壊滅させられた。
「はははっ、将が前線に出てくるから撃たれるのだ!」
その様子を見ていた秀政が扇で膝を打って、笑っていた。
が、国親は
「それを殿が言いますか…………」
とぼそりと文句を言っていた。
追撃もほどほどに駿府へ引き上げた秀政は目安箱に投函された意見書を読みつつ、制度の改革をする必要があると考えていた。
まず、手っ取り早く家の財源の確保と兵力の増加に大名権力強化を行う必要がある。
そんな中で兵農分離を開始した。
秀政には敵が多い。
武田もいずれは敵になるだろうし、松平という邪魔な瘤もある。
兵をいつでも動かせるようにしておきたい。
その他に寺社の戦力を削ぐという目的や城下の発展を狙ってはいたが。
この当時、農村や寺社はそれぞれ自衛の為に武装していた。
秀政はそれを自分の兵にしようと考えた。
農村に対しては、各村の長を集め自らが説き、幾つか規則を作った。
1、村同士の争いは駿府に持ち込み、裁定を待つこと
1、年貢を領主の独断で加増する事を認めない
1、兵による乱暴狼藉は認めず、発覚した場合は即座に処刑す
1、治安維持は今川家が担い、村々が武装する事を認めない
ざっとこんな所だ。
他には多く存在していた税をまとめて、簡潔にわかりやすいものに変えた。
それを直接今川の蔵に入れることで、搾取を減らし懐を温めると同時に、民からの税を軽減することが可能になった。
この民向けの政策が結果として、村の代表者たちの心を動かした。
武装していたいわゆる地侍と呼ばれる人々に二つの選択肢を与えることになった。
一つは刀を捨て、帰農すること。
もしくは、今川の家臣となって行くこと。
もちろんだが、農村を完全に武装解除させたわけではない。
今まで通りに戦時には徴兵していく。
一部を直属の配下として雇い入れただけだ。
また、寺社に対しては経済的な支援を約束した上で兵を寄越すよう求めた。
これには義元が出家して、臨済寺に居ることが効果的に作用した。
神仏とは虚像であり、崇める対象ではないと考える秀政だが、宗教施設の保護はしている。
寺社とは幾度か話し合いをこなし、半年以上かけて兵を回収することができた。
こちらは徹底した武装解除を求め、半ば無理矢理にだが達成した。
まぁ、あまりに強く抵抗する所は兵を派遣し、坊主諸共焼き討ちにしたが。
これによって秀政と国親が常に兵を抱えるという体制ができあがった。
秀政の政権となってから当主に次ぐ位置にいるのが国親であり、他とは大きく差がついて優遇されている。
というのも、もしも仮に自分が死んだのならば、夢を継ぐのは彼だと秀政が考えているからだ。
美濃で安藤伊賀守のところに囚われていた際に確認した。
国親は自分の後釜として充分に機能し、その才に問題はないと。
国親には朝比奈泰朝の領地をそのまま授け、掛川城を所有している。
彼は城代に城を任せ、普段は駿府に居るが。
さて、ここで一つ話しておこう。
今川義元は楽市楽座を既に実施していた。
他にも寄親寄子制の強化をし、家臣を城下に住まわせたりと今川家の制度は時代の最先端であったと言える。
義元は美濃や尾張、相模などに間諜を大量に放ち、その統治者の政治を学び、自国の運営に活かしていた。
税収も石高以上のものがあったというし、今川という大国は彼の政策が築いたと言っても過言ではない。
その今川義元には太原雪斎という参謀がいた。
その立場に現在いるのが白川国親であり、秀政の片腕なのだ。
秀政は白河国親に信頼を、国親は秀政に忠誠を。
その関係が類を見ないほど強固であるからこそ、今川は不安定ながらも徐々に立ち直ってきている。
「さて、松平を潰したい」
秀政は諸将を集めて開いた評定で開口一番にそう言った。
「松平を潰せば、濃尾平野が視界に入る。
三河、遠江、駿河。
この三国は尾張に比べて石高が低い。
今川を再び天下に轟かせるには尾張を取らなければ始まらない。
ゆえに今川を裏切り、独立した松平元康……いや、今は松平家康と名乗っているのか。
松平家康を倒し、三河を勢力下にし、尾張の織田を討つのだ。
これを目前の目標とし、その後美濃を経て、近畿に入り上洛を果たす」
秀政は視線を後ろで控えている小姓の一人に向ける。
その小姓がすぐに地図を持ってくる。
その広げられた地図の一点を秀政は扇で示す。
「京の都。
ここに我らは軍勢を率いてかつてない規模での入京を果たすのだ。
俺は今川が東海の一勢力で終わることは認めない。
この日の本で、全てを統べ得る力を持つ唯一無二の存在となる」
秀政は扇を広げて、地図を覆うように置いた。
日本を覆い隠すようにだ。
今川の紋が描かれた面が世界を隠す。
「それが我々の進むべき道である。
運命だ。
さて、お前らよ。
運命とは何であろうか?
神が定めた道なのか
違う。
親が決めるのでもない。
自分で切り開き、作り出して行くものだ。
俺たちが天下を目指せば、自然と開ける。
お前らは自分の名を天下に広めたくはないか?
息子に自分の親父は偉大であると言わせたくはないか?
家族に危険が及ばない安寧の世を作りたいとは思わないか?
先祖代々の名を抱きし、遠江、駿河、美濃の者共よ。
俺と共に新たな世を作ろうではないか!」
そう言った後、評定に参加していた者の名前を全て呼んだ。
「さぁ、俺に従え!」