第十四話
ここからは新章です
と言っても、あまり変わりはありませんが……
今の俺は三河の山賊だ。
元々は武士だったが、仕えていた主が失脚し、武士でなくなった。
しかし、槍や刀を振るう事に関しては自信がある。
その腕を活かして、商隊や旅人を襲って金を巻き上げ暮らしている。
そんな稼業のせいか、齢26の寂しながら独り身。
1560年。
6月12日。
桶狭間では今川軍が織田に負けるという歴史に残る衝撃的な出来事が起きていたが、それは俺には関係のない話。
俺には全く違う衝撃的な出来事が起きた。
いつものように、鬱蒼としていて、日があまり届かない薄暗い小道で旅人を待っていた。
脇の木に寄りかかり、笠を深く被る。
金蔓よ、早く来い。
願い叶ってか。
一人の少女とその護衛らしき男が二人。
小道をこちらに向かって歩いてくるではないか!
少女は敵ではない。
二人か。
奇襲で一人片付け、もう片方も瞬殺する。
密かに刀の柄に手をかける。
二人の護衛のうち金を持っていそうなちゃんとした着物を着た侍の方を最初に狙う。
もう一人の若い侍は後回しだ。
三人が俺の前を通り過ぎ、背を見せた瞬間。
俺は動いた。
一歩を踏み出して、侍の背を居合の要領で腰から肩まで一気に斬る。
そして返す刃で止めを刺す。
これがもう5、6年になる。
人を殺す為に磨いた技の一つだ。
いかに早く的確に殺し、金を奪うかが重要となる中で俺は剣の腕に磨きをかけていた。
独自の剣だが、そこらへんの腕自慢程度には必ず勝てるという自信は有る。
「むぅ!」
骨で引っかかった刀を気合で振るった。
骨ごと斬り、男の上体が体を離れ、地に落ちた。
俺が目標をもう一人の男に移そうと思った時、恐ろしい速度で眼前に銀光が迫って来た。
「くっ!」
上体を後ろに逸らし、なんとか反撃をよける。
刀が鼻をかすり、少しだけ血が出ている。
何が起きたのか
一瞬理解が及ばなかった。
もう一人の男が刀を抜きながら振り向き、横一文字に刀をはしらせた。
それだけだったのだが、その動作が洗練され尽くし、無駄がない早すぎる斬撃になっていた。
「俺は林崎甚介。賊よ、名乗りをあげたんだぜ?そっちも挙げるのが礼儀ってやつなんじゃないかねぇ」
林崎甚介と名乗った男は自らの背に少女を隠しながら、俺に訊ねた。
あまりの速さに度肝を抜かれていた俺は返事ができなかった。
「どうした?口がないのかぃ?
賊とはいえさ、斬った相手の名すら知らんというのは気分が悪いのだがねぇ、仕方あるまい」
甚介はニィッと笑みで一歩踏み出す。
俺はその笑みに気圧され、反射的に後退る。
「勘は鋭いかぁ。我が初太刀をよけただけの事はあるねぇ」
甚介は刀を鞘に戻す。
「?」
「俺の剣の真髄は抜刀術にあり。
来い」
わざわざ明かすのか。
それ程に自信があると。
なら、その自信打ち砕いてやる
甚介の挑発に乗り、逃げるという選択肢を取らずに戦う事を選んだ。
「はぁぁぁ!」
上段からの剛剣で一撃で終わらせる。
踏み込んだ足が少し地に潜る。
重心をうまく移動し、体重の乗った重い一撃を放つ。
並の刀ならへし折れるほどの威力。
防げるはずがない。
「フフっ」
甚介は笑い声をこぼし、素早く刀に手をかけ、抜いた。
風を切りさく音が聞こえる神速の居合は俺の刀が振り下ろされるよりも早く首筋に触れた。
首が飛ぶ寸前で刀が止まったのは何も殺すのを躊躇ったからではない。
むしろ、甚介は斬りたかったろう。
後ろの少女が止めなければ。
「殺すな」
と一言だけ言っていなければ、今頃俺の首は転がっていた。
俺はゆっくりと刀を地に置き、両手をあげる。
もう抵抗はしないという意思表示はしておいたほうが得策だろう。
「あなた、名前は」
少女は俺に訊ねる。
断る理由もない。
ここでだんまりを決め込んでも、殺されるだけだ。
できる限り相手には従った方がいい。
当然答える
「松葉義長」
「そう。甚介、どう思う?」
少女は俺の返答に一切興味を示さず甚介の方を見る。
なにをだ?
俺を殺すか、見逃すか。どうすべきだと思う?って聞いているのか?
できるならば見逃して欲しい。
「別にいいんじゃないですかぃ?姫が好きなようにすればさぁ」
少女は何かを考えているらしく、顎に手を当てて俯いている。
ん?姫?
もしかして、この娘はどこか名の有る武家の娘?
しかし、そんな家の女の子が供二人とこんなところを通ろうか
通るまい。
なら、没落した家の残りが他国に逃げるとかだろう。
「兄様に会うのに甚介一人では恰好がつかないわ。あなた、私に仕えなさい」
「は?」
仕えなさい?
俺に言ったのか
「なに?聞こえなかったの?仕えなさいと言ったのよ」
いや、聞こえましたけど。
「……とりあえずあんたは誰なんだ?」
相手の正体がわからないのではどうしようもない。
「私?私は今川義元の娘。今川桜よ」
いまがわ?
今川。
そう言えば、今川義元の娘の一人に自由奔放で剛毅なやつが居ると聞いた事がある。
たしか名前は桜姫。
…………もしかしなくても俺はとんでもない事してたな。
今川の姫を襲うって東海地方に居場所なくなるどころじゃないぞ。
いや、待てよ。
こいつはもしかしたら桜姫の名前を騙っている偽者かもしれん。
「早く決めなさい。私に仕えて生きるか断って死ぬか」
「……仕える」
死にたくはない。
これしか選択肢はないのだ。
何も考える事はなかった。
最初から一つ。
俺の立場は圧倒的に劣っている選ぶ権利なんてあってないに等しい。
「なら、良し。甚介、刀を収めなさい。義長、家に案内しなさい。休憩するわ」
甚介は俺を自分の間合いに入れ、警戒する意志を見せながらも、桜姫に従って刀を鞘に戻した。
そして、俺の先導について行った。
俺の住処となっている廃屋で血のついた着物を着替え、金になりそうな家具などを急ぎ売り払う。
この姫が本物ならここに戻る事はなくなる。
仮に偽者だとしても、もうここへは戻れまい。
今川領内には居れなくなる。
どうせ出なくてはならないのだから、全部金に変えた方がいい。
元々持っていた金に加えてこの収入でちょっとした金持ちになった。
「おいおい、賊ってこんな儲かるのかよぉー。俺も賊になっかなぁ」
と甚介が言うほどには金持ち。
ただ、これはつい先日襲ったやつがやたらと金を持っていたからで通常時はさほど収入が有るわけではない。
それでも殺したやつの身包み剥いで全部売ればそれ相応の額にはなるときもあるが。
「で、どこに行くんで?」
義長は俺に訊ねる。
仮にも姫に話しかけるのは気後れしたので甚介に聞いた。
「姫様の兄のところだ。あっ、俺の敬語なんか使うなよ。あんたの方が年上だしな」
「了解。んで、行き先は氏真様のとこ?それなら逆方向じゃ」
「違うねぇ。氏真様じゃなくて、瀬名秀政様の方さぁ」
「は?」
待て。
瀬名秀政っていうと美濃のやつだろ?
それが今川と血縁?
嘘だぁ
「信じてねぇなぁ。嘘言ってるわけじゃねぇぞ」
いや、ありえないだろ。
今川の分家である瀬名の名字なのは偶然なんだろ。
だって、瀬名の家は瀬名氏俊を家長として今川に仕えているじゃないか。
その家の人間が美濃にいる意味がわからない。
もし、瀬名秀政が今川と通じているのなら、今川はすぐに美濃を手に入れられる。
そうすれば、尾張も敵ではない。
敵の腹に毒を直接ぶち込むとは中々豪胆な策を取る。
「兄様は今川を捨てられた方。しかし、私にとっては兄である事に変わりはありません。
妹が兄に会いに行く事に何の不思議がありましょう。
なのに、氏真が止めるから勝手に抜け出してきたというわけです」
桜姫が縁側からこちらに言う。
今川の当主の名を呼び捨てにできる人物はそうそういない。
数少ない一人がこの姫。
本物かは疑わしいがとりあえずは疑わずにいこう。
「さて、支度が出来たなら、行きますよ」
桜姫一行はあえて街道から外れた道を多く使った。
もしかしたら、氏真が連れ戻しに来るかもしれない、と心配した姫の意見によってだ。
そのせいで少しばかり長くかかったが、無事に白海城下に辿り着いた。
「ほぉ、こりゃぁすげぇ」
甚介が至る所に広がる露店や商店を見て溢す。
活気がある。
ここだけ違う世界かのように色が違う。
通りを行き交う様々な人々は乱世とは思えないほどの清らかな表情を浮かべ、視界のどこにも乞食などは見当たらない。
「ん~、こいつはいい刀だねぇ」
刀鍛冶の盛んな美濃らしく露店の中には武器の行商人も居る。
日本の様々な地域で買ってきた刀剣などを売り捌いている。
その中の一つに甚介は目を引かれた。
「おっ、兄さん。いい目してんな!そいつは堺で仕入れた逸品だ」
「欲しいが金がなくてなぁ。俺のこいつと変えてくれんか」
腰の刀を抜いて、店の親父に渡す。
親父は刃を見て唸る。
「こりゃあ、備前長船兼光じゃねぇか!おい、あんた!こりゃすげえ刀だぞ!?手放すなんて勿体無い!」
「親父。俺にはなぁ、刀の声が聞こえる。その刀は俺にはあわんのよ。だが、こいつは俺を呼んでる。だから、交換よ」
「ほ、本当にいいんだな!?やっぱりやめるとかはなしだぞ!?」
「構わん。ありがとよ」
刀を交換した甚介が姫と俺に合流し、城門の前に立つ。
さて、どうやって会うのだろう。
事前に伝えてあるわけでもなければ、伝手があるわけでもない。
「瀬名秀政にお会いしたいのですが」
桜姫は門に立っていた兵に話しかけていた。
行動が速すぎる。
「殿は忙しい。会えん」
「そこをなんとか。桜が来たと伝えてくれれば通じるので」
「殿の知り合いか?」
「はい」
「暫し待て」
そう言って城の中に引っ込んで行った。
言葉通り暫し。
「殿がお会いになるそうだ」
門番の案内に従って、城の中を歩く。
案内されたのは瀬名秀政の屋敷だ。
時折、火薬を爆発させたような轟音が聞こえる。
「殿は屋敷の中だ」
そう言うと、門番は仕事に戻る。
桜姫は遠慮なしに屋敷に入っていく。
いや、ここって城主の館なんだぞ?
緊張とかしないのか
甚介と俺は一旦顔を見合わせたあと、おずおずと続いた。
全くこの姫様は剛毅すぎる。
「兄様!」
桜姫は屋敷の庭で種子島の練習をしていた青年に向かって駆け出したが、すぐに立ち止まった。
青年によって種子島の銃身を自分に向けられたからだ。
華奢な体に整った顔立ちの一見女にも見える青年が和やかな笑みで訊ねる。
「何の用だ?」
火薬が詰まっているかはわからない。
しかし、撃たれるかもしれないと思わせるには充分。
「に、兄様に会いたくて……」
「帰れ」
クルッと背を向け、種子島を肩に担ぐ。
どう反応したらいいか、わからず当惑している中、青年こと瀬名秀政は種子島を姫様くらいの女の子に預けた。
そのまま庭に刺してあった木刀を抜いて型の練習を始める。
それは俺なんかは比べものにならないくらい精錬され、舞っているかのように美しい。
木刀が一つの生き物の様に動く。
甚介は目を輝かせて、それを食い入る様に見ている。
「あ、あの兄様?」
桜姫がめげずに再び話しかける。
すると、刀の速度が上がり、袖が少し遅れて踊る。
やはりこれは剣舞に近い。
動きに合わせて笛でも吹いたら立派な演し物になる。
「せっかく妹が国を越えて会いに来ているのにその態度は酷くないですか?」
瀬名秀政が動きを止めて視線を姫に移す。
「誰が来いと言った。俺は忙しい」
呆れた面持ちでそう言った秀政の所に先程の少女が戻ってくる。
「……お風呂湧いた」
少女が秀政から木刀を受け取りながら、伝える。
すると、秀政は桜姫に向けていた表情とは一変。
優しい笑みで少女の頭を撫でる。
もし、俺が女であの笑みを向けられたら一撃で陥落すると思うほど優しく包み込むような清らかな笑みだ。
「茜、ご苦労。後で料理を教えてやろう。女たるもの炊事掃除洗濯はできるようにしておかないとな。貰い手がいないぞ」
「掃除と洗濯ならできる……」
少女がブスッと文句を言ったが、秀政はそれを聞いて更に上機嫌。
「はははっ、俺は全部できる!ちなみには葵の料理は壊滅的だ。食うと三途の川に辿り着ける」
「…………」
どんな味を想像したのか少女は顔を真っ青にして体を震わした。
「冗談だよ。流石に三途の川には行けん」
少女の頭をポンポンと頭を優しく叩いてから、体をこっちに向ける。
「俺が風呂入って来るから待ってろ。そしたら少しだけお前に時間を割いてやる」
姫の顔がぱぁっと明るくなる。
「本当!?」
「嘘はつかん」
そう言うと、瀬名秀政は少女と共に屋敷の奥に引っ込む。
残された三人は何をするでもなく待つ。
暇なので、思ったことを口に出す。
「あの人、めちゃくちゃ強いな」
甚介に同意を求めるとと小さく頷いた。
「絶対に敵にしたくないねぇ。確実に殺される。俺と同じくらい若いくせにあそこまで達するとは、末恐ろしい」
確かに種子島も撃てて、剣の腕もずば抜けている。
一体どこまで辿り着けるんだろうか?
「兄様は万能なのよ。何をやっても人並み以上にこなす天賦の才を持っているわ」
「はぁ、羨ましいねぇ。俺もそんなもんがあれば苦労しないよ」
「お前は剣の才能があるだろ、甚介」
「それだけさ。他にはない。まぁ、ほかの才なんぞいらんがな」
そう言い切れるのが流石。
俺は執着する。
自分に眠っている才能があるんじゃないかと諦めきれずに藻掻く。
人より優っているものが欲しい。
甚介に会う前は剣に自信があった。
しかし、それは井の中の蛙だった。
じゃあ、俺には何がある。
何もない。
瀬名秀政という男は有り余る程の才に富に名声に女も持っている。
あれは理想の形だ。
憎いほどに羨ましい。
「それにしても、私と会う前にお風呂に行かれるなんてまさか!」
頬に手をおてて顔を赤くする。
「それはないでしょ、姫様」
「妹に発情するかもしれないでしょう」
「ないでしょうに」
甚介は苦笑いで姫様を見ている。
そういやこの少女は本当に姫なんだな。
今川でなくても、瀬名秀政の妹だって事は当分の間は俺が食いっぱぐれる事はなさそうだ。
ありがたいこった。
一度は山賊に身を落としたものの男たるものやっぱり武士として名を上げたい。
「あの姫様。俺らはここに居ていいんですか?兄妹水入らずで話したいんでは?」
俺は気を利かせて、問う。
「いい。多分、兄様は二人きりでは話たがらないから。全く照れちゃって」
にやけ顏で言った姫の後頭部に何かが飛んでくる。
そして見事に直撃。
床に転がったそれは桶だ。
「何を勝手なことを言うか」
黒い髪が美しい女性とさっきの少女を連れて、瀬名秀政が戻ってくる。
「次ふざけた事をほざいたら叩き出すぞ」
上座に座りながら、そんな事を言う。
その横に女性二人が座る。
二人の視線が姫に集中している。
瀬名秀政は柔和な表情で俺たち三人を見る。
改めてじっくり見ると、女みたいだ。
とても武人には見えない。
噂に聞き想像していた人物像とは随分とかけ離れている。
戦場では白の鎧を纏い、鬼神の如く敵を蹴散らし、闇が迫ってくるようだ、と言われ畏怖される黒備えを引き連れ勝利を手繰り寄せる。
それに部下に厳しく領民に優しいとも聞いた。
自らの発した軍規に反した者は例え将であれ処刑する冷酷さと徹底ぶりを見せ、民からは愛される領主。
それに若いとも聞いていたが、目の前の人物が話に聞いた瀬名秀政だとは信じ難い。
華やかな柄の小袖の上にこれまた羽織を羽織った青年がそうだとは思えない。
俺がそんな事を思っている中、瀬名秀政が姫に微笑んだ。
吸い込まれるような暖かい表情だった。
先程から色々な表情を見せる人間味豊かな人物だ。
「今川の様子はどうだ?桶狭間の後変化はあったか」
「桶狭間?」
「……俺とした事が急いたな。お前が今ここに居るって事は知っているはずがないのにな」
秀政は額を押さえて俯く。
その顔は悔しげだ。
「兄様、桶狭間で何かあったのですか?」
「今川の本隊が織田に負けた」
は?
え?
今なんて
「上洛の為に進軍していた今川義元は織田信長率いる精鋭に敗れ去った。父上の夢が潰えたのさ」
桜姫は目を見開いて信じられないと絶句している。
「…………心配はない。父上は健在だ。そろそろ三河に入った頃だろう」
秀政は外の空に視線を向け、ポツリと呟く。
それを聞いた姫が徐々に落ち着きを取り戻す。
今川義元が尾張のうつけに敗けた。
ありえない。
今川は東海の大半を治める大国中の大国。
尾張なんて弱小中の弱小じゃないか。
それに敗けるなんて織田信長とは一体……
これは勢力図が塗り変わるかもしれん。
「まぁ、難しい話はやめよう。そんな事を話に来たんじゃないだろう?」
頬杖をついた瀬名秀政が姫に訊ねる。
「……うん。兄様に会いたくて」
「すぐに帰れ」
「嘘!今の嘘!」
必死だなぁ。
「もう一回だけ機会をやろう。何を話に来た?」
「浮気調査?」
何でまた冗談を言うんだ。
この姫様バカなんじゃないか?
「茜、叩き出せ」
「わかった」
少女が腰をあげようとしたのを見て姫がぶんぶん手を振って否定する。
「ごめんなさい!嘘です!」
「めんどくさ。お菓子あげるから帰れよ」
「まだ全然喋ってないよ?」
「別に俺はお前と喋りたいわけじゃねぇんだよ」
そう言ってあくび。
とても眠そうだ。
「兄様は私に聞きたい事ないの?」
「今川内部の情報」
即答だった。
冗談としてよろしくはない。
「それはちょっと……」
「他にはない」
冗談じゃない。
あの目は本気で言っている。
「教えてもらう対価としてお前に宣言しておこうか。俺はそう遠くない内に今川と敵対する。
身の振り方を考えておくんだな」
最後の台詞は姫にではなく、俺と甚介に言ったようだった。
今は姫の護衛を務めているが、駿府に戻ると、氏真様の部隊になるらしい。
だから、言ったのだろう。
瀬名が敵対する事はすなわち美濃が同盟を破棄し、攻め込んで来るという事。
敗戦の混乱から抜け切らない内に織田と美濃に攻められたら、今川はひとたまりもない。
そうなる前にどこに味方をするか考えろと言いたいのだろう。
「氏真に近い家臣達を教えろ。それと、氏真に反発している奴もな」
内部情報と言えど、これくらいなら街の噂でも仕入れられる。
何でそれをわざわざ訊ねるんだろうか
「氏真の右腕は朝比奈一族。目立って反発しているのは兄様が居た頃からの重臣達。父様が隠棲したら、不満が爆発するかも」
「だいたい俺の掴んでるものと同じだな。よし、これで本当に難しい話はやめだ。
悪いが、桜以外は席を外してくれないか。兄妹だけで話したい事がある」
そう言われては動くしかない。
俺と甚介は退室して違う部屋に案内される。
「おもてなしも出来ずにすいません。準備をしていなかったもので」
先程の美しい打掛姿の女性が部屋に来て、挨拶をする。
「奥方、気になさらず。突然の訪問を受け入れて頂き感謝する」
俺が女性に頭を下げると、女性は困ったような笑みを見せた。
「私は奥方ではありませんよ。今は離縁中の身です」
「は?」
しかし、一緒にこの城に居るではないか。
血縁というわけでもないだろうし
「私は一度秀政様と離縁し、今もそのままです。父と秀政様が結託するのを嫌う利治様が家中の勝手な縁組を禁じられているもので」
「父とは?」
「安藤伊賀守守就」
なるほど。
一度は敵になった男か
そう簡単に信頼はしないだろう。
そんな男と瀬名秀政が結びつくのは避けたいのだろうが、これでは意味がないと思うぞ
「利治様は私がここに居る事を知らないのです。父が隠しているので」
隠してここに居させるということは何かあるな。
俺には想像がつかないが、二人は何かをするのだろう。
「では、先程の少女は?」
「茜ですか。あの子は秀政様が拾って来た孤児です。この屋敷で働いています」
孤児を拾い、職を与えるか。
武士の多くは戦うことこそが全てだと考えているが、どうやら彼は違うらしい。
「意外ですか?」
そんな俺の思いを読んだのか女性が言った。
「まぁ、少しは」
「秀政様は変わった方ですからね。自ら進んで百姓に混ざって他を耕したり、誰かが子を産めば祝いを持って駆けつけ、誰かが困っていれば助力をする。
秀政様にとっては領民は家族も同然なのです。
孤児を救うのは自分たち武士が争うことで家族を失った者が多いから。その事に責任を感じているんです。
優しい方なのですよ、秀政様は」
女性は瀬名秀政について喋る時まるで自分の事を言う様に誇らしげで嬉しそうだ。
「あの人の事が本当にお好きなんですね」
実に微笑ましい事だ。
「ええ。愛していますもの」
羨ましい。
こんな綺麗な女性に愛されるなんて。
どうやったらこうなるんだろうか
是非教えて頂きたい!
ん?なんか廊下を走る音が聞こえる。
どうしたんだろうか?
女性が襖を開けて廊下に出る。
俺たちもなんとなく続く。
すると、瀬名秀政が血相を変え、刀を握りしめ屋敷から出て行くのが見えた。
「あっ、甚介に義長!兄様を追いかけるわ!急ぎなさい!」
できれば感想とかもらえたらなと思います
参考にしたいのでお願いします