第十二話
秀政が尾張を訊ねてから三ヶ月。
織田信長はいつも通り鷹狩りを終えて戻ってきた時にその報告を聞いた。
軽く湯を浴び、小袖に着替えた信長はどこか楽しそうに濃姫が待っている母屋に向かった。
「お濃!」
バンっと大きな音を立てて襖を開け、濃姫が居る部屋に入る。
侍女が信長の格好に顔を顰めたが、気にかける事なく濃姫の対面にあぐらで座る。
「どうしたのです?珍しくはしゃがれて」
濃姫は子供のようにワクワクが止まらない様子の信長に笑みをこぼしながら、訊ねた。
「美濃の長井道利と斎藤利治が和睦しおった。長井の領地保全と利治の後継者を龍興にすることで合意したらしい」
「あらあら。秀政が言った通りならば、美濃を譲ってもらえるのですか」
「確かに!だが、あやつは今川に使者として行っておってこの和議に一切関わっておらんらしい。
邪魔者がいない内に話が進められたと聞いた」
「まぁ。秀政は大変でしょう」
「うむ。あやつも重臣の一人だろうからな。
ただ織田に近しい立場のな。
それに相談なしとなると斎藤利治は織田と戦うと見る」
「それでは、秀政はどう振舞うのでしょう?」
「わからん。だが、それゆえに面白いのよ!」
濃姫には何となくどう受け答えればこの人が喜ぶのかがわかってきた。
今は秀政の事。
上総介様は秀政に興味を持たれている。
彼がこの局面でどう動くのか。
それを見たくてウズウズしているのだ。
秀政とは長い付き合いだけれど、未だに彼がわからない。
人懐っこくて大抵の事は人並み以上にこなす天才である事は確かなのだけれど、行動原理や目指す先が見えない。
そして、あの笑みの後ろに何を隠しているのかがわからない。
濃姫が考えていると信長は態勢を変えて片膝を立て、そこに腕を乗っけた。
「お濃よ。少し前に瀬名秀政に俺の臣下に入れと言った事があったろう」
「はい。ありましたね」
「あの時のあやつは今の自分は斎藤の家臣だと断ったが、おそらく俺の下には一生つかんだろうな」
「なぜです?」
「あいつは気付いてないが、この俺と同じ目をしておる。あれは喰らうぞ。ひょっとしたら化けるやもしれん」
「上総介様と同じ……」
「そうよ。この俺と同じ物を見、並ぶにふさわしい。
あやつはどうしても俺の下に欲しい。
しかし、どう化けるか見てみたい気もする。
お濃よ、道三は随分と面白い者を育てたな」
さて。どうしようか
まさか俺が今川に上洛を促している間に話が進むとは。
「国親~、どうすればいいと思う?」
馬にぺったりとくっついて今にも落ちそうな態勢で街道をゆっくりと進んでいた秀政はやる気のなさそうな口調で訊ねる。
「知りませんよ。というか、落馬しますよ」
「素っ気ないね。俺がいなかった間は随分と情熱的だったと聞いたけど」
「気のせいでは?」
「ま、いいけどね。で、この後俺はどういう身の振り方をすべきだろうか」
「織田様につくか、利治様に従うの二択ですか」
「いや、独立する手もある。
利治様の下にいた所で、俺の立身出世は望めない。むしろ、難癖をつけられて飛ばされる」
「では、独立を?」
「ん~、それには兵数とか色々と問題はあるんだよ。
織田の支援を得られたとしても、厳しいものはあるし」
「殿はどうなされたいので?」
「俺?……そうだなぁ。利治とその重臣共を皆殺しにしたいのが本音だけど、そんな事したらまずいしね。とりあえず、味方作りから始めないとな」
安藤伊賀守だけでは心許ない。
稲葉一鉄がこれに加われば、一応は対抗し得る。
だが、それでは駄目だ。
もう少し兵力が欲しい。
織田に援助を受ける際にこちらと向こうの立ち位置を同じに持ってこなければならない。
それにはもう少し必要だ。
しかし、俺には敵が多い。
今まで自由気ままにやり過ぎたせいで知らない所で大量の恨みを買っている。
難しいな。
まぁ、時間をかけてゆっくりとやろう。
今はこれ以上に疑われないように慎重にだ。
その二年後。
1560年。
今川義元は京への上洛を決め、軍を発した。
斎藤利治はこれに対し、援軍を送るから遠慮なく先鋒として使ってくれ。という旨の文を送り、瀬名秀政を援軍として向かわせた。
これで瀬名の私兵が減り、勢力が弱体からすればいいとでも思っているのだろう。
実際、これと似たような事を今川義元が行っている。
三河の松平をやたらと先鋒におき、今川の本軍の消耗を減らし、三河の弱体化を狙う策だ。
しかし、秀政にとっては幸運だ。これはまたとない好機。
「国親、新田を呼べ」
「はい」
出陣前慌ただしくなる屋敷に鉄砲隊の頭である新田を呼んだ。
「お前、爆薬に詳しいか」
「一応は」
地図を取り出し、バッと広げる。
その中の二ヶ所を指で叩く。
「ここに部下をおけ。そして、今から言う通りに行動しろ」
そう言って、新田の耳に囁いた事は顔色を変えるのには充分だった。
「ですが、殿。こ、ここは」
「構わん。異議は許さん。ただ実行しろ」
「……はぁ」
新田は納得し切れていない様子で去って行ったが、それを見て秀政は笑った。
「戦に卑怯も何もない。後ろ指を指されようと目指す形に辿り着けるのならば今はそれで良い。
なぁ、国親?」
「殿がそう言うならばそうなのでしょう」
「返事がつまらん。まぁ、いい。
出るぞ」
厩に行き、鎧をつけているにもかかわらずサッと身軽な動作で馬に乗り、自分を待っている兵たちの前に姿を現す。
「俺らは織田の丸根砦を攻めている松平元康と合流する!」