地底都市エルディダ Ⅲ
「ルーク達は、どうしてエルディダに来たの?」
市場を回りながら、レイアはルークに尋ねる。ルークは時折、陳列された商品の前で立ち止まるが、目的の物がないのか、すぐに次へと移動する。レイアは、ルークにはぐれないようにするので精いっぱいで、周りを見る余裕まではなかった。後ろから、カイルが背後霊のようについてくる。
「リンチャ村から近いから寄ってみたんだ。聞き込みも兼ねて」
「聞き込み?」
「君の友達、もしかしたら、奴隷として売られてるんじゃないかと思って」
レイアは思わず立ち止まった。
「…そんな顔しないでよ、大丈夫、ここにはいないみたいだから」
ルークが苦笑して言うと、ほっと胸を撫で下ろす。
「よかった…」
いや、よかったと言って良いのかどうか。結局、手掛かりがないことに変わりはない。
そもそもルークが教えてくれなければ、そんな可能性は思いつきもしなかった。レイアの心に、不安の黒い染みがじわじわと広がる。こんなことで、これから先、本当にキャロルを見つけ出すことができるんだろうか…。
ルークは再び立ち止まり、シートに並べられた商品をじっと見て、またすぐに歩き出す。
「どうやら連中は、ここに寄ってないみたいだね。ここに町があることを、知らなかったのかもしれないけど」
「…あんなこと言ってたのに、やっぱりちゃんとキャロルを探してくれてるんだ?」
レイアの問いに、ルークは笑った。照れているようにも見える。
「ちゃんと、っていうほどのことでもない。買い物のついでだよ。…砥石、切らしてるから欲しくて」
そう言って、石材の製品が並べられているのを見つけると、屈みこんで砥石を手に取る。いくつか吟味して、うーん、と唸って顔をしかめる。
「やっぱり、闇市は高いなあ」
「砥石って、もしかして剣に使うの?」
そうだよ、と言って、ルークはちらりと背後のカイルを見遣る。
「カイルの剣がね、リンチャ村の一件でだいぶ刃こぼれしてるんだよね」
当の本人は、相変わらず無表情なので聞いているのか定かではない。
「…あ」
一方レイアは、あの惨事を思い出してしまい、少し気分が悪くなった。
「あ、ごめん、思い出させちゃった?」
「…ううん、大丈夫」
そうは言ったが、ルークはすぐにベンチを見つけて、レイアを休ませてくれた。ルークも隣に腰かける。
「村はあのあと、復旧は順調なのかな?」
「うん、順調に進んでると思うよ。村の皆は団結力が強いから」
「それはよかった」
それからしばらく、2人は無言で市場を眺めていた。数日前、同じように2人で見た村の祭りの景色とは、まったく雰囲気が違う。顔をしかめて値引きを要求する人や、怪しげな品を挟んで厭らしい笑みを浮かべ合う、客と売人。しかもその人数は、村よりずっと多い。
「…どうして、闇市場にはこんなにたくさん人が集まるんだろ?」
ふと、レイアの口から言葉が漏れる。その素朴な疑問に、ルークは興味なさそうに、さあね、と言った。
「悪いことした方が、簡単に儲かるからじゃないかな。同じような理由で、ここ数年、闇市場の人口は急増してるようだし」
「…お金を儲けたい人が、増えてるってこと?」
「そうだね…最近はさっきのおっさんみたいに、仕事を無くしちゃう人も多いみたいだ。天候不順とかで仕事がうまくいかなかったり、戦争が頻繁に起こったりしてるから」
戦争。ラウリーも言っていた…もともと地上にあったエルディダは、戦争で無くなってしまったと。
「私…全然知らなかった」
レイアは、胃の底に、重い物を放り込まれたような気がした。
「戦争なんて、どこか遠い昔の話だと思ってた。自分には関係がないって」
他人事だと、思っていた。
だけれど、ひとたび村の外に出れば、それはすぐ近くにあった。
「私、ルークに謝らなきゃいけないね」
「?なんでさ」
ルークは首を傾げる。レイアはルークの方を向いて、座りなおした。
「私ね、ルークがキャロルを本気で探さないって言った時、頭に来たの。なんで、そんな他人事なんだろうって」
どこかで物が壊れる音が聞こえる。客と売人の間で齟齬があったのだろうか。レイアはそれには構わず続ける。
「本当は、わざとあんな言い方したんだね?キャロルが…その、無事で見つかるとは限らないから…」
言いながら、胸が締め付けられるようだった。でも、闇市場を見た今、それはあり得ない話ではなかった。
キャロルはもしかしたら、どこかで薬漬けにされているのかもしれない。奴隷にされているのかもしれない。
だから、わざとあんな突き放すような言い方をしたのだ。レイアを諦めさせるために。
レイアを、傷つけないために。
「…ごめんなさい」
「何も、謝ることじゃないよ。他人事だと思ってたのは、事実だし」
ルークは優しく微笑んで言った。
「さっき、レイアは俺のことすごいって言ってくれたけど、すごいのはレイアの方だよ」
「え?」
レイアはきょとん、とする。
「自分が間違ったと思っても、そんな風に素直に謝れる人はそうそういないよ。…友達の為に、ここまで一生懸命になれる人もね」
ルークの、透き通るような緑色の瞳が、レイアの顔を覗き込む。
「ここで村に戻れって言ったって、どうせ無駄なんだろう?」
「…うん」
レイアは、力強く頷いた。
所詮、人間は他人事。どこかの戦争の悲しみも、旅先で出会った人の不幸も、背負うことには限界がある。
だけど、だからこそ、せめて大切な人のことだけは、他人事にしたくない。
他の人が諦めても、私だけはキャロルのことを諦めちゃいけない。
「…仕方ない、一緒に彼女を探してあげるよ」
「ホント?!」
レイアが飛び上がらんばかりに喜ぶと、ルークは呆れたように微笑んだ。
「あんなへっぽこな奴隷商人に捕まっちゃうような奴、1人で行かせるなんて心配だからね。また無理してその辺で倒れてもらっても、後味が悪いし」
「どうして、そんなに…」
心配してくれるの、と聞こうとして、レイアははっとなった。
「ま、まさかルークも私のこと、好きとか」
「…思ってたけど、レイアって結構、馬鹿だね」
ルークは少し、笑みを引き攣らせた。
程なくして、3人はエルディダを出発した。レイアは来るとき眠っていたので知らなかったが、長い石造りの階段が、地上と、この地底都市とを繋いでいるのだという。階段を上りきった先は洞窟になっていて、そこを出ると眩しい太陽の光と、爽やかな空気が3人を包み込んだ。
久しぶりに浴びる陽の光に目を細めながら、レイアは大きく伸びをした。
「やっぱ、外が一番だなあ。あそこは、何ていうか…ちょっと息が詰まる」
「そうだね」
でもさ、と同じように伸びをした後で、ルークが言う。
「俺はさ、エルディダはある意味、最も人間が人間らしく居られる場所なんだと思うんだよね」
「どういうこと?」
「あそこじゃ、非人道的なことが当たり前に行われてる。でも、それを動かしてるのは他でもない、人間の欲望…純粋な本能なんだ」
レイアはちらりと、出てきたばかりの洞窟を見る。暗闇の中に、レイアは闇市場で出会った人たちの眼を見た気がした。奴隷売りの男の、厭らしい眼。麻薬漬けになった女の、狂気に満ちた眼。薬売りの女性の、媚びるような眼。
薄暗く、空気の淀んだ地底都市、エルディダ。暗い欲望が渦巻き、悪意を呼ぶ闇市場。
結局、彼は、あそこから出ることができたのだろうか。