地底都市エルディダ Ⅱ
程なくして、2人は市場に出た。たくさんの売人が地べたにシートを広げ、自分の商品を並べている。声を張り上げている者もいれば、じっと座って、市場を行き来する客をじろじろと観察している者もいる。大規模なところでは、簡単なテントも設置されている。
市場には、ごく普通の商品も並んでいたので、レイアは少し元気が出た。
「石とか土でできてる物が多いみたいだね」
粘土細工の人形が売られているのを見ながら、前を歩くラウリーに聞く。他にも、石でできた道具や家具、土を焼いてできた器などが多く見られる。
「エルディダは地底にあるだろ?だから、石とか土が調達しやすいらしい」
「町の建物も、みんな石でできてるよね?」
「それだけじゃない、この都市全体が石造りの壁で囲まれてるんだ。木や土だと、どうしても虫に喰われやすいからな」
「そっかあ…私の村だと木が主な材料だったから、なんか新鮮」
しかし、中にはぎょっとするような商品もあった。
目玉のようなものが浮いている、いかにも胡散臭そうな薬や、見たこともない獣の剥製、檻の中で暴れる獰猛な獣。人間の子供が檻に入れられていることもあった。
「こんなとこじゃあ、救急道具なんて売ってねえよなあ」
ラウリーが言ったことが、一瞬理解できなかった。救急道具という言葉が、あまりにも場違いな気がした。
「え、なんで?」
「だって、お嬢ちゃんの顎の怪我、ちゃんと治療しねえと」
レイアは思わず、顎の傷に手をやる。ひとまず血は止まったが、傷はむき出しのままだった。
「気にしなくていいのに」
「いいや、傷がついてるせいで売れなかったら、話にならない」
ラウリーは大真面目に言った。そうか、自分は売られるんだった、とレイアは思う。
「そこの人、傷薬をお探しで?」
不意に、女性の声がした。見ると、黒髪の小柄な女性が立っている。長い黒髪は不穏な雰囲気を醸し出し、顔に媚びるような、ねっとりとした笑顔を貼り付けていた。
「でしたら、良いものがございますよ」
2人は顔を見合わせると、女性の方に歩み寄った。彼女の前に敷かれたシートには、薬瓶が詰め込まれた箱が、所狭しと並べられている。症状ごとに箱を分けているらしい。
「例えば、どんなものがあるんだい?」
ラウリーが軽く尋ねると、女性はよくぞ聞いてくれました、とばかりに笑みを広げる。
「そうでございますね、塗り薬でしたら何種類かご用意しております」
「ふうん…一番安いのはどれ?」
女性は、藍色の瓶を恭しく取り出す。
「こちらですね。5000クローでございます」
「は?」
ラウリーとレイアは目を剥いた。一般的な塗り薬の相場は、高くても1000クローである。
「ちょっ…高すぎない?なんでそんなにするんだよ」
「ええ、こちら、原料に大ウミヘビの肝をふんだんに使用しておりまして」
「…」
ラウリーは苦笑いのまま硬直した。レイアがひそひそ声で尋ねる。
「…それって、すごいの?」
「大ウミヘビ自体は確かに貴重だけど…その肝が傷に効くってのは聞いたことねえな…」
2人の表情を見てとり、女性は別の瓶を取り出した。
「塗り薬がお気に召されないようでしたら、こちらはいかがですか?」
「それは?」
「飲み薬でございます。傷を治すことはできませんが、痛みを忘れることができます。体の痛みも、過去のトラウマも、きれいさっぱり!」
「…つまり、麻薬だよな、それ」
「左様でございます!」
「…」
元気に言い切った女性に、2人は返す言葉もなかった。
「しっかし、誰も買ってくれないなあ」
あまり困ってなさそうな口調でそう言うと、ラウリーはつるりと自分の顔を撫でた。
こぢんまりとしたシートを敷き、2人はその上に並んで座っていた。正面には、『奴隷、売ってます』と書いた粗末な板切れ――もとい、看板が置いてある。
かれこれ2時間はこうしているが、客たちは2人を一瞥するものの、寄って来る者はいなかった。
「私みたいな田舎娘、誰も買わないんじゃないかなあ?」
レイアはどういう奴隷が好まれるかなんて知らなかったが、なんとなく言ってみた。 いや、とラウリーはそれを否定する。
「田舎っ子の方が好まれると思うんだよな」
「なんで?」
「仕事することに慣れてるし、こう言っちゃあ何だけど、余計な教養がない子ほど扱いやすい」
「なるほど」
「素材は悪くないしなあ…胸でかいし」
「関係あるの?それ」
「大いにあるね」
ラウリーが真剣な顔で言う。
「この格好にも問題があるんじゃないかな」
「だって、仕方ねえだろ?」
結局、救急道具は手に入らなかったので、レイアは大きな布で傷を覆っていた。しかし布を留めるテープがないので、布の端を頭のてっぺんで結んでいる。まるで虫歯になった子供みたいだ。
ラウリーは、ううん、と唸る。
「やっぱ売り方が悪いのかな。値段も出してないし」
そういえば、そうだ。
ラウリーはレイアの方を見る。
「…いくらが良い?」
「…私に聞かれても」
「困ったな…奴隷の相場なんて知らないし…」
2人であさっての方向を見て考え込んでいたので、人影が2つ迫ってきたことに気づかなかった。
「レイア?」
聞き覚えのある声が、レイアを呼ぶ。視線を前に戻すと――
「ルーク!」
薄汚れたフードを被り、同色の布に身をすっぽりと包んだルークがそこにいた。背後には、影のように従うカイルもいる。
ルークは申し訳程度の看板を一瞥し、ラウリーを見て、レイアに視線を戻した。
「…何やってんの?」
「…奴隷などを、少々」
「なるほど」
事情を聞いたルークは、腕組みして無表情のまま、言った。
「世間知らずだとは思ってたけれど」
使用済み倉庫に戻り、その中心で、レイアとラウリーは何故だか正座で俯いていた。見下ろすルークの視線に妙な威圧感があり、顔が上げられない。
「まさかここまでとはなあ…」
「まあまあ、そこまで言わなくても…」
ラウリーが顔をあげ、苦笑してフォローしようとする。ルークはそれを冷ややかな目で見た。ラウリーはその視線に気圧されて、うっと声を詰まらせる。
「だいたい、あんたも甘いんだよ。あそこはエルディダの中でも比較的まともな商品を売ってる区画なんだから、奴隷買う人なんていないって。本当に奴隷売るつもりなら専用の場所で相応の手続きが必要だし、値段付け忘れるとか論外だし、そもそも奴隷を人扱いしてる時点で間違ってるし」
「…論点がずれてませんか」
「参考意見として」
そして、改めてレイアの方に向き直る。
「レイアも、無防備にも程がある。なんで、奴隷になることに何の疑問もないわけ?たまたま、捕まったのがこんな腑抜けのおっさんで」
「おっさん言うな」
「たまたま、俺たちが通りかかったからよかったものの、あんなやり方でもいずれはひどい奴に買われてたかもしれないんだぞ?このおっさんだって」
「おっさん言うな」
「いい人の振りした悪人だったら、ひどい目に遭ってたかもしれないんだ」
「そんなことないよ」
レイアは顔をあげ、反論する。あまりの勢いに、顎の傷を覆っていた布が、ほどけて落ちた。
「ラウリーさんはいい人だよ。優しくしてくれたもの」
「だから、今回は偶然だ。いい人の振りしてる奴もいるんだよ」
「それだけじゃない、ラウリーさん、困ってるんだもん、何とかしてあげたいと思うじゃない」
そう、レイアは何とかしてあげたいと思った。こんなにいい人なのに、奴隷商人なんて似合わないことをしようとしている彼に。他人事の世界で、途方に暮れる彼に、手を差し伸べたかった。
「だからって自分が売られてもいいってことにはならないだろ。友達を探すんじゃなかったのか」
「それは…そうだけど…」
急所を突かれて、レイアは再び俯いてしまう。ルークは大きく息をついた。
「おっさんも、おっさんでさあ」
「おっさん言うな」
「自分の半分の年齢の、しかも女の子に、ここまで心配されて、恥ずかしくないわけ?」
ラウリーは目を逸らす。レイアは横目で彼を見た。こうして見ると、くたびれた茶髪や目尻の皺に、苦労の跡が窺える。
「そうやって大人がだらしないから、世の中が乱れてるんじゃないか」
「ちょっと、ルーク」
我慢できなくなって、レイアは立ち上がった。
「そこまで言うことないでしょ。ラウリーさんがどんな苦労をしてきたか知らないくせに!」
「じゃあ、レイアは知ってるわけ?」
ルークが冷たく言い返す。
「知らないけど、わかるもん!…勘だけど」
「勘なのか」
「いいよ、お嬢ちゃん」
ラウリーが手を挙げ、やんわりとレイアを制する。
「その兄ちゃんの言うとおりだ。…俺はだらしない男だよ。お嬢ちゃんが思うような、苦労を重ねた人間じゃない」
「ラウリーさん…」
そこには、先ほどまであった無邪気な若々しい笑顔はなかった。くたびれて、どこか諦めてしまったような、寂しげな笑み。
「俺の家は農家だったんだけどな、ここのところ不作が続いて、畑の土がダメになっちまった。農業しか取り柄のない俺じゃどんな仕事も長続きしないし…焦ってたんだ。一気に大金を稼げる方法はないか、って」
弱々しい声。短時間で、一気に老け込んだように見える。言葉そのものより、その声や姿が、彼の苦労を物語っているようにレイアには思えた。
「…他の農家を手伝うとか、考えなかったの?」
ラウリーは、ゆるゆるとかぶりを振る。
「言ったろ?友達の信頼も無くしたって。畑をダメにした男なんて、農家の人間なら誰も信用しないさ。ここんとこ異常気象が続いて、農業はどこもダメだから、尚更な」
「そんな…」
「それは仕方ないとしてもさ」
ルークは、あくまで淡々とした口調で言った。
「考え方が短絡的すぎるんだよ。お金を貯めるだけなら、いくらでも方法はあるじゃないか。…仕事が続かない、とか言ってたけど、一体どこまで頑張ったんだ?レイアみたいに、道端でぶっ倒れるくらいまで頑張ったのか?」
ラウリーはレイアを見た。まるで初めてそこにいることに気づいたかのように、まじまじと見つめる。
そこで少し、ルークは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「おっさん呼ばわりされたくないんだろ?またやり直す時間はたっぷりあるじゃないか」
「ルークはすごいねえ」
ラウリーと別れて、レイアはルークと一緒に歩いていた。後ろからカイルもついてくる。レイアも2人と同様に、あまり綺麗とは言えない布を頭からすっぽりと被っていた。闇市場では、まともな格好をしていると狙われやすいからだ。
「何が?」
「だって、ちゃんとラウリーさんを説得できたんだもの」
ラウリーは、ルークの言葉に何度も頷いていた。もう一度頑張ってみる、ありがとう、と繰り返し言っていた。
「説得、というほどのものでもないけど」
だけどね、と周囲に目を配りつつ、続ける。
「あの人、また同じこと繰り返す気がする」
「どうして?」
「農業で失敗したって言ってたけど、多分それだけじゃないと思うんだ」
「…どういうこと?」
ルークは一度、商品が並べられたシートの前で立ち止まり、暫く商品を眺めてから、また歩き出した。
「農業だけでコツコツやってきた人なら、いきなり大金を得よう、なんて考えないと思う。賭博か何かで大きい借金があるんじゃないかな」
レイアはラウリーの様子を思い出していた。無邪気な笑顔、ある程度整った身なり。
「そんな人には見えなかったけど…」
「そもそも、後ろ暗いところがなければ、こんなところに1人でいないだろうし。あれは一度、ギャンブルの経験があるね」
ルークは、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「今までこつこつ真面目にやってきた人が、一度で大金を稼げる方法を知ったんだ。もう元のやり方には戻れないと思うよ。そうでなくても、ここには誘惑がたくさんあるんだからね」