地底都市エルディダ Ⅰ
ひんやりとした感触を頬に感じて、レイアは目を覚ました。どうやら鉄の床に横たわっているらしいことに気づき、眉をひそめる。
――村を出てから、地面がむき出しの道を歩いてた筈なんだけど…
自分がいつの間に眠ったのか、思い出せない。頭がぼんやりとしたまま起き上がろうとして、ようやく異変に気付いた。手足が思うように動かない――よく見ると、縛られている。
「お、やっと起きたか」
すぐそばで、男の声がした。レイアはぎくり、と体を強張らせ、おそるおそる声のする方を見る。
男が一人、壁に寄りかかって座っていた。ポケットのたくさんついたベストを着て、ごついブーツを履いている。鉄製のカップを片手に、朗らかな笑みを浮かべる。
「ずっと寝てるから、ここまで連れてくるの大変だったんだぜ?」
「ここまで…連れて…?」
レイアは必死に頭を回転させる。眉間に皺を寄せ、警戒心を露わに問いかけた。
「おじさん」
「おじさんって言うな。まだ30になったばっかだ」
「私に何をしたの?」
「おいおい、勘違いしないでくれよ」
男は快活に笑う。
「アンタが道端に寝てたから、連れてきたんだよ」
「え」
「いくら声かけても起きないしさ。人通りの少ない道だけど、あのままじゃいずれ馬車かなんかに轢かれてたぜ」
長時間、不眠不休で歩いていたレイアは、どうやら限界が来て眠ってしまったらしい。顔が赤くなるのがわかった。ああ、穴があったら入りたい。
しかも、村でのことがあったとはいえ、助けてくれた人に対して失礼な言い方をしてしまった。てっきり攫われたと思い込むなんて…。
…ちょっと待って。
「じゃあ、なんで私、縛られてるの?」
「ん、せっかく女の子拾ったから、奴隷商人でもやろうかな、って」
「ドレイショウニン?」
男の口調があまりにも軽かったのと、聞き慣れない単語だったので、レイアは一瞬、意味が理解できなかった。ドレイショウニン?何それ、おいしいの?
「…って、人を売る人?ってこと?」
「まあ、そんなところ?」
男はラウリーと名乗った。
彼の話によると、ここは地底都市エルディダ。二人がいるのは、その一角にある、今は使われていない倉庫だった。
「地底都市?」
「そうだよ。もともとは地上にあったらしいけどな、昔、戦争で全部焼けちまったそうだ。だから、お嬢ちゃんの歩いてた道は、ずっと何にもなかっただろう?」
レイアも一応名乗ったが、彼はレイアのことを『お嬢ちゃん』と呼んだ。仮にも売り物だから、情が移ると困る、とのこと。
「地下に造られたから、この大陸で最大の闇市場として発展したって、有名なんだぜ」
「…闇市場って?普通の市場とは違うの?」
「お嬢ちゃんはホントに何も知らないんだなあ」
ラウリーは無邪気な笑みを浮かべる。笑うと年齢より若く見えるな、とレイアは思った。
「そもそも、なんであんなとこで寝てたのさ?」
「寝たくて寝てたわけじゃなくて…友達を探してるの。何日か前に村を出たばっかり」
「ははあ。気持ちはわかるけど、ちゃんと休みは取らなきゃダメだ」
彼は、健康に問題があっては奴隷として商品にならない、と言って、自分のわずかな飲食料をレイアに分けてくれた。飲食ができるよう、レイアの手足を縛っていた縄も、少し長めの手錠のように結びなおされている。
「ラウリーさんは、エルディダに住んでるの?」
「いや、俺も最近来たばっかだ」
言いながら、レイアのカップにさりげなく飲み物を注ぐ。なかなか気配りのできる男である。
「ここんとこ不景気だから、仕事なくなっちまってさ。賭博でもやろうかと思ってきたんだが」
「…それがどうして、奴隷商人になるの」
「お嬢ちゃんが可愛いから、なんかイケるんじゃないかなあ、と思って。スタイルもいいし、結構いい買い手がつくと思うぜ?」
あくまで笑顔のまま、さらりと非常識な発言をするラウリー。褒められてるようだけど、素直に喜んで良いものか。
「…仕事、なくなっちゃったの?」
「まあな」
ラウリーは遠くに視線をやったまま、軽く笑った。
「家も金も無くなっちまったよ」
「…家族とか、友達に助けてもらうとかは?」
「家族はもともといないし、仕事と一緒に友達の信頼も無くしちまったな」
レイアは村のことを思い出していた。賊によって家を壊された村人は、他の人の家に住まわせてもらったりしていた。お金だって、村の誰かに借りればいい。けれど、ここは外だ。リンチャ村のような、閉鎖されたコミュニティとは違う。
友達が困っていても、自分の手に負えなければ簡単に見捨てる。見て見ぬふりをする。だって、自分のことじゃないから。
みんな、他人事の世界。
「…私を売れば、ラウリーさんはお金が手に入るんだもんね」
「うん?そうだな」
「わかった、協力する」
「え」
ラウリーはびっくりしたように、レイアを見た。レイアはぐっ、と拳を作る。
「やるからには、頑張って私を奴隷として売ってよね!」
「…そんなに張り切ってもらわなくても」
二人は倉庫を出て、市場に向かった。地底都市であるエルディダは、太陽がない代わりに照明があちこちに設置されている。しかし、やはり太陽の光には及ばない。どうしても地上より薄暗く、淀んだ空気が蔓延していた。人々の雰囲気も、あまり良いものではなかった。
レイアは途中で何度か人にぶつかってしまったが、誰もが舌打ちするか、不躾な視線を寄越すばかりだった。レイアの手足を縛っている縄を見た者は、それでレイアが奴隷として扱われていることに気づいたのだろう、大半は慌てて目を逸らした。自分は関わりたくない、とでも言うように。
「…なんで皆、あんなに機嫌悪そうなんだろ?」
レイアが素朴な疑問をぶつけると、ラウリーはぷっと吹き出した。
「ここでそんなこと考えるのは、お嬢ちゃんくらいだろうぜ」
「え、おかしいかな?」
「闇市場はそれ自体違法だろ?皆、疑心暗鬼になってるんだよ」
二人の歩く道の両脇には、コンクリート造りの、のっぺりとした建物が並ぶ。光が届かない、建物と建物の隙間にできた路地をちらりと見て、レイアは身を固くした。暗くてわかりにくいけれど、確かに人を殴りつける姿が見え、声が聞こえた。
「…見ちゃダメだ」
レイアが立ち止まりかけたことに気づき、ラウリーがぐい、と引っ張った。
「でも、助けないと」
「あんなの、ここじゃあ日常茶飯事だ。関わってたらキリがない」
彼の言った通り、その先の同じような路地でも、人影が不穏な動きをしていた。
その次の路地を通りかかったときは、薄汚い格好をした女が飛び出してきて、レイアの肩を恐ろしい力で掴んだ。
「?!痛っ…」
「ねえ、お金、頂戴!」
彼女の顔を見て、レイアはぎょっとした。頬がこけ、肌はがさついて土気色、目玉が飛び出さんばかりに見開かれた眼は血走っている。
尚もヒステリックに喚く女を、ラウリーがレイアから引きはがし、地面に突き飛ばす。女が起き上がる前に、足早にその場を去った。
「…あの人、病気か何かじゃ…」
「あれは薬でどうにかなっただけだ。言ったろ、構うなって」
レイアはここにきて初めて、背筋がぞくりとするのを感じた。エルディダの淀んだ空気は、太陽の光が届かないことだけが原因じゃないような気がする…。
建物の角を一つ曲がったとき、二人はそれに出くわした。
男が二人、建物の中に入っていくところだった。長い物体の入った麻袋を持っている。麻袋はじたばたともがいていて、男たちはそれで少し手こずっているようだ。
男の一人が、レイア達に気づいて足を止める。黒いフードを深く被っていて表情はよく見えないが、明らかにこちらを睨んでいた。
レイアの目は、男よりも彼らの持っている麻袋の方に釘付けだった。あの大きさ、あの動き。あれは、明らかに人間じゃないの?
「ちょっと、おじさん達」
考えるより先に、言葉が口を突いて出た。ラウリーがぎょっとしてレイアを振り返るが、気にしない。
「その人をどうするつも…きゃっ!」
言いながら大股で踏み出そうとして、レイアは思い切りつまずいた。足が最低限の歩幅で歩けるように、縛られたままだったのを忘れていた。そのうえ、両手が後ろに縛り直されていたので、受け身をとれず地面に強かに顎を打った。脳が揺さぶられたように、頭の内側でがんがん鳴っている。
うつ伏せになったレイアの頭を、誰かが髪の毛をひっつかんで持ち上げた。
「ずいぶんと威勢の良いお嬢さんだな」
髭面の男が、レイアの顔を覗き込む。麻袋を抱えていたのとは別の男だ。土気色の顔に、にやにやと笑みを浮かべている。レイアを品定めするように眺めまわした後、顔だけ上げてラウリーに問いかける。
「兄ちゃんの奴隷か?躾がなってねえな。…それとも中身を売りにきたのか」
ラウリーは黙ったまま、何も言わない。髭面の男は構わず、再びレイアの顔をじろじろと眺める。口臭が酷く、レイアは思わず顔をしかめた。
「べっぴんなのに勿体ねえなあ。おとなしくしてれば、もうちっと長く生きられたかもしれねえのに、お前さんも馬鹿だな」
突然、男は「イテッ」と声を上げてレイアの髪を放した。顎が再び地面に打ち付けられ、レイアは頭の中が、ぐわんぐわんとかき回されるように感じた。少し離れたところに、小石が音を立てて落ちる。ラウリーが男の隙を突いて、投げつけたらしい。
次いで、体がふわりと持ち上げられる。視界が広くなり、髭面の男が手を押さえて顔をしかめているのが見えた。その光景が、ひどく縦に揺れながら、だんだんと遠ざかる。
首をなんとか後ろに回すと、ラウリーの後頭部がそこにあった。それでようやく、ラウリーの肩に担ぎあげられていることに気づいた。
再び視線を元に戻すと、髭面の男はこちらをにやにやと見たまま、追いかけてくる様子はない。その背後で、二人の男が麻袋を抱えて建物の中に消えていく。
「ラウリーさん、待って!」
レイアの叫びを無視して、ラウリーは来た方とは逆の建物の角を曲がった。髭面の男たちの姿は、すぐに見えなくなった。
しばらく走った後、ラウリーは誰もいないのを確認してから、別の路地にレイアを降ろし、自分も横に座り込んだ。汗びっしょりになって、肩で息をしている。
「…いやー…こんなに走ったの…久しぶり…」
「あれ、あの袋に入ってたのって…人だよね?」
レイアは顔をしかめたまま、言った。なんだか、あの髭男の口臭が、まだ鼻の周りにこびりついているような気がしていた。
「あの人たちは、奴隷商人?」
「多分。…でも、あの扱い方を見ると、臓器売買とか、やってんのかもな」
ラウリーが息を整えながら言う。
「臓器売買って…なんでそんなこと…」
「お嬢ちゃんは知らないか。そういう病気の治療法があるんだ。臓器をそっくりそのまま入れ替えるっていう…本来は脳死した患者の臓器を使うんだ、勿論、正式な手続きをとってね。ただ、最近じゃ奴隷をそういう治療に、違法に使う奴が増えているらしい。…奴隷じゃなくても、借金を返せない奴が、金の代わりに臓器をとられるって話も聞いたことがある」
そうだ。あの髭面の男が言っていた。
――中身を売りに来たのか。
ショックを受けたようなレイアの顔を見て、ラウリーは慌てたように付け加えた。
「あ、勿論俺はそんな客相手に、お嬢ちゃんを売ったりしないぜ?安心してくれ」