リンチャ村 Ⅵ
「駄目だ」
レイアの決意を、レフィストが低い声で否定した。レイアは眉間に皺を寄せる。
「なんで?」
「1人でなんて危険すぎる。…レイアには無理だ」
断言されると、反論したくなる。レイアは口を尖らせた。
「やってみなきゃ、わからないじゃない。そもそもレフィ兄にそんなこと、言われる筋合いはないよ」
「心配なんだ。…レイアのこと、好きだから」
レイアは首を傾げる。何を、当たり前のことを。
「…そりゃあ、私もレフィ兄のことは好きだけど」
「そうじゃなくて…その、ひとりの女の子として」
レフィストは照れくさいのか、不貞腐れたような表情だったが、真っ直ぐにレイアの目を見つめて言った。周囲の空気が、時間が止まったように静まる。レイアは口をぽかんと開けたまま、固まった。
その言葉の意味が脳に浸透してくるにつれて――自分の顔が火照っていくのがわかった。
「…え、ちょ、や、…そ、そういうのってま、まだ早いって、言うか…」
から回る頭のどこかで、あれ、最近も似たようなこと、言ったような…と記憶を探る。そして、はっとなった。
「だっ、駄目だよ!キャロルがレフィ兄のこと好きなんだから!」
「…は?」
ああああ。レイアは頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。何やってるの、私。私が言ってどうする。
「い、今のは聞かなかったことに」
「できるか」
「…あの、俺たち、そろそろ行っていいかな?」
ルークがおずおずと声をかけると、レフィストもレイアも2人のことを忘れていたことに気づいた。レフィストは忽ち顔を真っ赤にし、レイアは弾かれたように立ち上がった。
「あ、ど、どうぞどうぞ」
「お、お時間とらせて申し訳ない」
異常に落ち着きを無くした2人の返答に苦笑いで応えると、ルークとカイルは歩き去った。
結果的に、レフィストの唐突な告白は、レイアを村に引き戻すことに成功した。
ひとまず村に戻ったレイアを、メリカはこっぴどく叱り、まだベッドで安静にした方が良い、と主張した。しかし、村の医者は、森を突っ切る元気があるなら大丈夫、と笑って言った。
「じゃあ、キャロルを探しに森の外に出てもいい?」
レイアは上目づかいで懇願してみた。しかし。
「ダメです」目を吊り上げたメリカに、一刀両断された。
「ですよね」
そう言いながらもレイアは、内心焦り始めていた。こうしている間にも、キャロルを連れた連中はどんどん遠ざかっているのに…。
悶々とした想いを抱えたまま、レイアは母親がパンを作るのを手伝うことになった。村の料理店のいくつかは賊に壊され、食事を用意してくれる肉親を亡くした者も多くいる。村の施設の復旧にもまだ時間がかかる。村人全員で協力し合って、食事の用意をする必要があった。
レイアはパン生地をこねながら、どうやって村を出るか模索していた。できればメリカを説得したい。今回ばかりは黙って脱走するわけにもいかないし…少なくとも1回脱走してるから同じ手は使えない。それに、きっと長旅になるだろう。そこは了承してもらわないと、やっぱり後味が悪い。
しかし、自分に母親を説得できる自信がレイアにはなかった。ルークみたいに、悪党相手にも堂々と言い返せる程、頭の回転は速くないし。
ああでもない、こうでもない、と考えを巡らせていると、目の前の出窓に頭が3つ、唐突に現れた。
「わっ!」
あまりに突然のことで、しかも思いに耽ってぼんやりしていたレイアは、こねていたパン生地から手を放した。が、こねすぎて柔らかくなったパン生地の一部が、レイアの手にくっついたままで、レイアが手を思い切り引いた弾みで後方に吹っ飛び――
メリカの後頭部に、べっとりと直撃した。
「こらレイア!何してんの!」
「あ、と、ごめん、だって…」
窓枠に並ぶ小さな頭は、揃って人差し指を口の前に持ってきて、「しっ」と言った。
それに気づいて、レイアは口を閉ざす。メリカは自分の赤髪に張り付いたパン生地を剥がしながら、訝しげに聞いた。
「『だって』、何?」
「…えっと、ちょっと虫がいたから、びっくりして」
気を付けてよ、と言いながらメリカは中庭に出て行った。髪の毛を洗いに行ったのだろう。
改めて、レイアは窓の外に立つ3人を見た。そこにはエド、ベス、ミックのちびっこ3人組がいて、つま先立ちになって窓からこちらを覗き込んでいた。
「君たち、何してんの?びっくりしたじゃない」
「ぼけっとしてる方が悪いんじゃないか」
エドがすかさず喧嘩を売ってくる。
「レイアおねえちゃん、キャロルおねえちゃんを探しに行くんでしょ?」
ベスが窓枠にわずかに乗り出して言う。
「でも、おばさんの監視があるから、抜け出せないんでしょ?」
ミックが後を続ける。レイアは目を丸くする。
「…なんで知ってるの?」
「この村のことでオレ達の知らないことなんてないのさ」
エドがふふん、と鼻を鳴らす。ミックが呆れたようにエドを一瞥し、ベスが「そんな思い詰めてる顔してたら、誰だってわかるよ」と言った。
「ね、私たちが手伝ってあげる」
「え」
「私たちがおばさんの注意を惹きつけるから、その隙に村を出て」
レイアが言葉に詰まっていると、ミックがさらに言う。
「おばさんが中庭に行ってる今のうちに、荷物をまとめておくといいよ。日が暮れてきたら始めるから」
「…始めるって、何を」
「すぐにわかるさ」
エドはにんまりと笑った。
程なく、その時は訪れた。
レイアはメリカと一緒に、焼き終えたパンを窯から出した。どれも綺麗な色に焼きあがっている。
不意に、メリカが言った。
「…なんだか、外が騒がしいわね?」
確かに、人の声が聞こえる。さっきまでは窯の傍で薪の爆ぜる音を聞いていたから、気づかなかったけれど…。外を見ると、家の周りに村人たちが集まっている。
人ごみの中にシャナを見つけ、レイアは声をかけた。
「シャナ、どうしたの?」
「それはこっちのセリフよ。見せたいものって何なの?」
「?…そんなこと、言ってないけど…」
「見せたいものがあるから、この時間に集まって、って、手紙を寄越したでしょう?」
手紙?今日は配達もしてないのに…。
レイアがそう言おうとすると、上の方から爆音が聞こえた。レイアとメリカは、驚いて肩を縮めた。ひゅるるる、という音がして、パン、と何かが弾ける音が続く。音に合わせて、外にいる村人たちの視線が上に集まった。何人かが「おお」と歓声をあげる。
レイアとメリカも慌てて家の外に飛び出した。再び爆音。
見上げると、ひゅるるる、パン、という音に続いて、暮れかかった空に光の花が咲いた。少なくともレイアにはそう見えた。花は、パラパラと音を立てて消えてしまうが、すぐに爆音が鳴って、次の花が咲く。
レイアは2発ほど村人たちと一緒に見とれてから、はっと我に返る。ちびっこ達の言っていたのは、このことだ。手紙で村人を呼び集めたのも彼らだろう。
隣を見ると、メリカも上を見上げたまま、呆気にとられている。レイアは、こっそりとその場を離れた。人が多いせいか、メリカは気づいていないようだ。急いで部屋の荷物を取って、村人たちが集まっているのとは反対側の窓から抜け出す。
窓の外には、ちびっ子達がいた。レイアが出てくるのを見て、にっこりとする。
「ね、うまくいったでしょ?」
「あれは、何なの?」
「『花火』っていって、どこか遠い国でお祭りとかに使われるんだってさ。ミックのお父さんの知り合いが、その勉強をしてるっていうから、やってもらったんだ」
エドはそう言って、少し顔を曇らせる。
「…ホントは、キャロルねーちゃんの為に用意したんだよ」
「そうか、キャロルを驚かせるって言ってたのは、このことだったんだね…」
家の上では、まだ花火が立て続けに上がっていた。それを見上げて、レイアは胸がぎゅうっと締め付けられる。キャロルにも、見せてあげたかった。きっと喜ぶだろう。
「レイアおねえちゃん、必ず、キャロルおねえちゃんを連れて帰ってきてね」
ベスが強い口調で言い、残りの2人も頷く。
「ねーちゃんはうっかり者だけど、約束は守ってくれるって信じてるからな」
「うっかり者だけどな」
「君たち、言いすぎだよ…」
レイアは少し苦笑し、3人の頭を順番に撫でた。
「大丈夫、キャロルは私が助ける。必ず」
レイアが森に入るまで、花火の音は続いていた。森に入るのと同時に、一際大きな爆音がして、レイアは振り返った。すっかり暗くなった夜空に浮かんでいたのは、「ありがとう」の文字。
それを最後に、爆音は止んだ。花火の文字はあっという間に消え、夜空の星々が、自分の役目を思い出したように瞬く。
しかし、レイアの脳裏には、「ありがとう」の文字が、鮮やかに残っていた。それに込められた、3人の想いと一緒に。
よし、と気合いを入れ、レイアは木の根元に隠れている穴の中に潜り込んだ。木の根が作る、森の下の地下通路を進み、出口を出る。すぐに次の通路を見つけて潜り込む。それを繰り返した。自分が知りうる限り、最短のルートを脳裏に描きながら、森の出口を目指した。
最後の出口を見つけ、木の根元の穴から這い出した――その時。
「こら」
黒い影と、聞き覚えのある凛とした声が、レイアの目の前に立ちふさがった。レイアはぎくりとして、おそるおそる顔を上げた。
「…か、母さん…」
そこには、先回りした母のメリカが、鬼の形相で仁王立ちしていた。
「な、なんで?一番近い道を通ってきたのに…」
「甘いわね。森の抜け道なんか、あんたの倍以上は知ってるわ」
ふん、と得意気に鼻を鳴らす。しかし、すぐに視線を伏せた。
「…どうしても、行くのね?」
その声が、いつも聞く気丈な声ではなく、本当に子供を案じる時の母親の声であることが、レイアの胸を突いた。母さんが、こんなに寂しそうな、不安そうなところを見せるなんて。だけど――
「…うん」
決然と、レイアは言った。迷いはなかった。はあ、とメリカが、長い溜息をつき、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きまわす。
「全く…誰に似たんだか」
ま、仕方ないか。そう呟いて、レイアに、何か長いものを突き出した。全体の長さは、レイアの身長の3分の1ぐらい。メリカが握っている柄の部分は、拳2個ほどの長さがあり、その先は柄より少し太く、下の方が窄まっている。細かな装飾が施されているが、色は灰色一色だ。
「…これは?」
「見ての通り、剣よ」
ええ、とレイアはのけぞり、両手を突き出してぶんぶんと振った。
「い、要らないよ、こんなの。扱えないもん」
「大丈夫、どういうわけか、鞘から抜けないのよ、これ」
「へ?」
実際にメリカは、鞘を抑え、柄を引っ張ってみせる。なるほど、確かに、びくともしない。
「ま、ないよりマシでしょ。護身用に持っていきなさい。人を殴るくらいはできるし、持ってるだけで、相手を牽制できるでしょ。外は危険がいっぱいなんだから」
「…そっか。ありがとう」
「気を付けて」
そう言って、メリカは寂しそうに笑った。
ごめんなさい、と心の中で謝りながら、レイアは母の見送る森を後にした。