リンチャ村 Ⅴ
レイアは真っ暗な闇の中にいた。
目の前に、ぼんやりと人影が見える。暗闇に目が慣れ、徐々にその姿が見えてくる。
人影は2人いる。1人は地面にぺたりと座り込み、1人はその前に立ちふさがり、もう1人を見下ろしている。立っている人は両手を振り上げている。その手にあるのは――
レイアは、はっと気が付いた。これは、森の場面だ。地面に座っているのが賊で、立っているのはカイルだ。自分は今、夢を見ているんだろうか。それともこれまでのことが長い夢で、これが現実なのか。
カイルは振り上げた剣で、今にも男を殺そうとしている。
ちょっと待って――と言いかけて、レイアは口を噤んだ。
ここで私がカイルを止めなければ、カイルが賊の男を殺す。私たちの後をつけて、村に攻め入るようなことはしない。
でも、ともう1人の自分が問いかける。村のために、賊とはいえ人ひとりの命を奪うことは、正しいの?
まるでレイアの判断を待っているかのように、カイルは動きを止めていた。急かすように、黒い瞳がレイアを見る。
どうしたらいい?どうするのが正しいの?
周りの闇が、渦を巻いてレイアを取り囲む。ぐるぐると巻きつき、レイアを闇に閉じ込める。堂々巡りの思考と一緒に、闇の底に落ちていく――
不意に、視界が明るくなった。眩しさに慣れず、瞬きを繰り返す。
「…起きた!」
「起きたよ、おばさん!」
エドとミックの声、どたどたと誰かを呼びに行くのか足音が聞こえ、少し遅れてようやく視力を取り戻す。心配そうな表情のベスがレイアの顔を覗き込んでいた。
「おねーちゃん、大丈夫?」
「えっと…たぶん」
正直、自分でもよくわからなかった。
どうやら自分の部屋にいるらしい、ということがぼんやり把握できた時、子供たちより慌ただしく、大きな足音が近づいてきた。
「…レイア!」
部屋の入口に現われたのは、母のメリカだった。1つに束ねた髪はところどころほつれ、目が充血している。すぐさま駆け寄り、レイアをぎゅっと抱きしめる。
「よかった…あんた、ずっと起きないから心配して…」
「…母さん…」
最後のほうは嗚咽交じりで聞こえなかった。けれど、レイアは母の想いを、肌を通して痛いほど感じていた。
落ち着いてくると、レイアは村の現状を知ることになった。
消火が早かったため、広場から村に火が移ることはなく、広場はほとんど復旧できていること。祭りについては後日、改めて行われること。シャナも村長も無事でいるらしい。
ただ、やはり数人の村人は殺されてしまったということ。それが、何よりもレイアの心に突き刺さった。
「私が余計な寄り道をしたばっかりに…」
「そうは言ってもね、レイア」
メリカは優しく微笑んで言った。
「あんたが森に行かなけりゃ、ルーク君とカイル君は迷ったまんまだったのかもしれないのよ?」
その言葉にレイアは、はっと顔をあげる。
「そうだ…2人は?」
そこで、メリカは少し表情を曇らせた。
「ルーク君達は、ついさっき村を出て行ったわ」
「え」
レイアは口をぽかん、と開けた。「…どうして」
「…まあ、そのうち嫌でも耳に入るだろうから言うけど…落ち着いて聞いてね?村の人は全員所在がわかってるんだけど…キャロルだけがまだ見つかってないの」
「…え?」
レイアは、胸がぎゅっと締め上げられるような感覚を覚えた。
「一緒にいた保育所の子たちの話によると、賊に攫われたみたいなんだけど。何せ年少の子たちだから、泣いてるばっかりで要領を得なくてね」
あの時キャロルは、まだ保育所にいたのだ。レイアはまた後悔し始めていた。やっぱり、一緒に祭りに行けばよかった…。
メリカは益々顔をしかめて続ける。
「村の皆は、賊が入ってきたのは、ルーク君達のせいだと思ってるのよ。ルーク君もそれをわかってて、責任をとるって言ってね。村の外に逃げた可能性もあるし、だったら自分たちにキャロルを探させてくださいって。…自分たちがさっさといなくなった方がいいって、わかってたんだろうね」
レイアの脳裏に、ババ様の姿がよぎった。不審者に訝しげな視線をぶつけ、よそ者、と詰った婆様。
リンチャ村は、ずっと平和だった。誰もが優しくて、仲が良くて。
だから、レイアは考えてもみなかった。いつも優しい皆が、よそ者に対してそんなに厳しい態度をとることを。そんな一面があることを。
皆が村を想っているからこそ、だとはわかっていても、何か納得できなかった。
「…村の皆が助かったのは2人のおかげなのに」
「勿論、何人かはそれをわかってるわ。母さんもね。皆見てたんだもの。…だけどね」
メリカは少し言いよどんだ。
「…見てたからこそ、怖くなったんじゃないかな」
レイアもそれはわかる。不思議な力を発揮したルーク。躊躇いもなく賊を一掃できるカイル。…あんなに簡単に人を殺せるなんて。
「そんなわけだから、2人は先に行っちゃったわ。キャロルのことも、たくさんの人が探してくれてる。もしかしたら、まだ森の中かもしれないし。きっと見つかるわ」
メリカは励ますように、にっこりと笑った。お腹すいたでしょ、何か持ってくるね、と言ってレイアの傍を離れる。部屋を出るとき、ふと思い出したように振り返った。
「そうそう、ルーク君が言ってたわ。…『怖い思いさせてごめん』って」
レイアは森の中を急いでいた。縦横無尽に張り巡らされた木の根を潜ったり、跨いだり。
今頃、メリカはパニックになっているかもしれない。それとも呆れているだろうか。小さい頃、風邪をひいて外に出してもらえないときは、よく部屋を抜け出していた。流石に最近は黙って外に出ることもなくなったから、昨日のことがあった後で抜け出すなんて、母さんも予想できなかったはずだ。
ちょっと悪いことしたかな…とレイアは思ったが、仕方ないよね、と心の中で言い訳をする。だって、いてもたってもいられなかったんだもん。
木の根が作る地下道を、出口の光を目指して走り抜ける。その地下道の出口は、互いに絡み合って生えている三本の木の根元にある穴で、森の出入り口に最も近い。レイアが穴から顔を出したちょうどその時。
「――うわっ!」
「あ」
こちらへ向かって歩いてくる人影が、驚いて立ち止まった。レイアは人影の正体がわかると、顔を綻ばせる。
「レフィ兄!」
「なんだ、レイアか…」
レフィストもレイアに気づき、ほっと溜息をつく。が、すぐに怪訝な表情に変わった。
「…ってちょっと待て。お前、なんでここに…ってか、いつ起き…いや、体の具合は…」
急にしどろもどろになる。昨日、駆けつけてくれた時とは大違いだ。
「レフィ兄こそ、こんなとこで何してるの?」
「俺?俺は、道案内を頼まれて…」
言葉の途中で、レフィストの後ろから、彼より一回り小さな人物が、ひょいと顔を覗かせた。緑色の瞳が、驚きに見開かれる。
「ルーク!」
よく見るとカイルもいる。相変わらず無表情のまま、レイアを見ている。
「よかった、間に合って…2人に言いたいことがあって」
「…とりあえずそこから出てきなよ」
ルークが呆れたように笑った。
「あの…今回のことは、本当にごめんなさい」
レイアは穴から這い出して、開口一番にそう言った。
「私が森に近道したばっかりに、2人を巻き込んじゃって…」
「謝る必要はないよ。おかげで俺たちは助かったし」
ルークは、メリカと同じことを言った。でも、とレイアは続ける。
「それにしたって、こんなに早く村を出なくても…村が襲われたのは、ルーク達のせいじゃないのに」
「それを言うなら、自国のクーデターがなければ、賊がここに来ることもなかったはずだ。…誰が悪いのかを追及してもキリがない」
それは、そうかもしれないけれど。レイアは思ったが、何か腑に落ちなかった。
「村を助けてくれたのは2人なのに…こんな、追い出すみたいな形になっちゃうなんて」
レイアは優しいね、とルークは微笑んだ。
「いいんだよ。助けたって言っても褒められたやり方じゃないし…こういうことには慣れてるから」
「…嘘」
レイアは、ルークの顔をまっすぐに見て言った。思った以上にきつい口調になったことに、自分で少し驚いた。
「慣れてるなら、どうしてそんなに、寂しそうに笑うの?」
ルークは何も言わない。微笑みを引っ込めて、レイアを見つめ返す。
さすがに、少し気まずくなって、レイアは頭をぐしゃぐしゃと掻く。
「ねえ、キャロルを探すなら、私も連れて行ってもらえないかな?」
「なっ…」
最初に反応したのは、レフィストだった。
「お前、本気で言ってんのか?」
「だって、2人はキャロルの顔、知らないじゃない。私がいた方が探しやすいと思わない?」
「…それはできない」
ルークが静かに言った。
「そこの彼には言ったけど、俺たちはキャロルさんを探すつもりはない」
「…え?」
一瞬、レイアは聞き間違いかと思った。しかしルークの表情が、レフィストの沈黙が、その言葉が正しいことを告げていた。
「…どうして」
「会ったこともない他人の為に、そこまでする義理はないからさ」
ルークはぴしゃりと言い放つ。感情のこもっていない瞳。レイアは胃の底にどん、と冷たいものを放り込まれた心地がした。それは徐々に熱くなって胸に湧き上がり、勢い余って言葉となって口から飛び出した。
「…どうして、そんな風に言えるの?そりゃあ確かに他人だけど、今頃辛い思いしてるかもしれないとか、思ったりしないの?」
ルークは表情を変えないまま、無言でレイアを見る。レイアはそれに怯まず続けた。
「じゃあ、なんで村の皆にはキャロルを探すなんて言ったの?できないなら、できないって言えばいいじゃない。責任取るって言ったんでしょ?そんな嘘ついて、恥ずかしくないの?」
「…そうでも言わなきゃ、村から出してもらえないと思ったからさ。大体責任と言ったって、村が襲われたのは俺たちのせいじゃないって、さっき君が言ったんじゃないか」
肩をすくめるルークを、レイアは、信じられない思いで見た。急に、とても遠い人のように感じた。昨日は、あんなに近くにいたのに。レイアの為に、村の為に、戦ってくれたのに。
「…最低」
「幻滅した?」
ルークは目を細め、自嘲気味に微笑む。
「俺は、レイアが思ってるような奴じゃないよ」
レイアは、レフィストを振り返った。
「レフィ兄も、それで納得したの?」
レフィストは、苦虫を噛み潰したような顔になった。その質問はしてほしくなかった、とでも言うように。
「納得はしてないけどな、…仕方ないだろ。お前の気持ちもわかるけどさ、2人にその役目を押し付けるわけにいかないし」
「そんな…」
不意に脳裏をよぎったのは、キャロルと最後に話した時の場面だった。レフィストに告白しようか悩んでいる時の、本気で恋をして、綺麗になった彼女の横顔。
今、彼女はどんなに怖い思いをしているだろう。昨日、人質にとられた時の自分より、もっとひどい目に遭っているかもしれない。綺麗になった顔を歪めて、泣いているかもしれない。
ルークにも、カイルにも、レフィストにも、あの時の気持ちはわからないんだろうか。…わからないんだろうな。
所詮は、他人事なんだ。
「…わかった」
レイアは、決心して言った。3人の視線が集まるのがわかる。
「私、1人でキャロルを探す。誰もやらないなら、私が行く」