信仰の村ラターナス Ⅳ
2頭の翼竜に乗せてもらい、レイア達一行は村に辿りついた。陽は既に沈み、一番星が瞬き始めている。
騒ぎにならないよう、村から少し離れたところに降ろしてもらう。レイアは、一緒に乗ってきた白いローブの男に礼を言った。
「ありがとう、2回も助けてもらっちゃったね」
「礼は、この子に言うんじゃな」
彼の手の中では、翼竜の子供がつぶらな瞳でレイアを見上げている。レイアはにっこりと笑った。
「助かったよ、ありがとう」
それから、再び白いローブの男を見遣る。
「翼竜と話ができるんだね。お兄さん、何者?」
「只者ではない、とでも答えておこうかの」
「…また、そうやってはぐらかすんだから」
レイアが口を尖らせて言うと、男は穏やかに微笑む。
「レイア、行くわよー」
アルスの呼ぶ声に、レイアは「今行く」と短く答えた。
「…おぬしは、まだ旅を続けるのか」
唐突な発言に、レイアは驚いて男の顔を見る。
「え…うん、まあ」
「そうか」
どことなく寂しそうな色を、その瞳に湛えて、男は真面目な顔つきで言った。
「…儂は人間が嫌いじゃ。しかし、おぬしは嫌いではない。じゃから忠告しておくが…これから、世界は益々荒れる。故郷に戻った方が賢明じゃ」
「…世界が、荒れる?」
冷たい夜風が、2人の間を吹き抜ける。民家にぽつぽつと灯る明かりが、夜の訪れを告げた。
「どういうこと…?」
「これ以上は言えぬ」
男は硬い表情のまま、レイアをじっと見つめた。その瞳はレイアの身を案じていると同時に、レイアの心を試しているかのようでもあった。
考えるまでもない。レイアは、ゆっくりとかぶりを振る。
「大切な友達を探してるの。だから…見つけるまでやめるわけにはいかない」
「…おぬしらしいの」
男は、ふっと笑った。
「そういうことなら、止めはせん。気を付けてな」
そこで、再びアルスに呼ばれて、レイアは声のする方を見る。次に視線を戻した時――そこに男の姿はなかった。
「…何これ。どういう状況?」
ルイジアナの家に入ると、アルスが一番にそう言った。
「…ええと…」
柱に縛られたルイジアナと、ベッドに寝ているルークを見て、レイアも言葉に詰まった。
「…あ、おかえり…」
ルークが怠そうな声でレイア達を迎えた。虚ろな目が、涙で潤んでいる。レイアは真っ直ぐにルークの元に駆け寄った。
「ルーク、目が覚めたんだね!具合はどう?」
レイアの言葉に、ルークは弱々しく微笑んだ。
「…さっそくだけど、診てもらっていいかな…なんか、熱、出てきたみたいで」
それを聞いて、カイルがウェルズを睨み付ける。ウェルズはその視線にたじろぎ、舌打ちすると、つかつかとルークの元に歩み寄る。監視のつもりなのか、その背後にカイルがぴったりとくっついていった。気が進まない、というようにルークの傍に屈んだウェルズだったが、ルークの状態を見てさっと顔色を変えた。触診しながら、ぶつぶつと呟くように言う。
「…肋骨が折れてるな。この掌の傷はなんだ?これは縫わないとマズイだろう…熱が出たのも、これのせいだな。今、薬を用意してやるから。…台所、借りるぞ」
急いで台所に向かおうとするウェルズを、カイルがぐい、と肩を掴んで引き留めた。彼に並々ならぬ恐怖を感じているらしいウェルズは、ぎゃっと叫んで飛び上がる。
「な、なんだよ」
「……」
「え」
カイルは、その姿勢のまま振り返ってレイアを見た。他の人の視線もレイアに向く。レイアは戸惑ったが、すぐにカイルの視線が自分のポケットに向けられていることに気が付いた。
「あ、これ?」
ポケットに入っていたものを取り出すと、ウェルズが目を丸くした。
「フラトリアじゃないか」
「そうだけど…」
「フラトリアは煎じれば万能薬になる。これならそう時間はかからない」
え、と唖然とするレイアの手から花をひったくると、ウェルズは台所に引っ込んだ。レイアはカイルを、まじまじと見る。カイルは、フラトリアが万能薬であることを知っていたのだ。彼はベッドの傍で、ルークを守る騎士のように立っていた。
ウェルズが薬の準備をする間、気を取り直してレイアはルークに問いかけた。
「なんで、ルイジアナさんが縛られてるの?」
「だって、俺を殺そうとしたんだよ?この人」
ルークが口を尖らせて言う。え、とレイアはルイジアナを見る。彼女はそっぽを向いて、視線を合わせようとしなかった。
「どうして、そんなことを…」
「生贄の俺たちに、生きていてほしくなかったんだって」
答えないルイジアナの代わりに、ルークが答えた。
「誰かが生贄にならないと、村が神様に祟られる…生贄に出したはずの俺たちが生きていたら、他の村人が不安になるからね」
「村の人みんな、グルだったってこと?」
「厳密に言えば、ちょっと違う、かな。俺たちに睡眠薬を飲ませて、生贄に出したのは彼女の独断でやったことだけど…生贄を捧げたことは村中に知らせたらしい。今回は生贄を捧げたから、もう大丈夫、って」
「でも、オロ神様はもういないんだから、そんなの関係ないじゃない」
レイアはルークの方を向いて言う。熱のせいだろうか、ルークの視線は焦点が合っていないようだった。
「…この村の人には、オロ神様が必要だったんだ」
「必要?」
「…そうよ」
不意にルイジアナが言葉を発し、レイアは驚いてそちらに振り返る。ルイジアナは床を睨み付けたまま、続けた。
「この村は、たくさんの人の犠牲と引き換えに、護られてきたの。オロ神様がいなくなったなんて、きっと誰も信じないわ。だって、神様が倒せるって知ってたら、誰も犠牲にならなかったもの。神様は絶対なの、でなきゃ皆が、何のために死んだのか、意味がなくなっちゃうじゃない。…あの子の、妹の、命が無駄になっちゃうじゃない!」
後半はほとんど金切り声になっていた。狂気にも似た叫びが、家の中に反響する。それは家の壁や床に跳ね返り、レイアの心を刺した。
沈黙が彼女の叫びを飲み込んでしまうと、台所でウェルズが作業している音だけが残る。
「…それは、違うよ」
やがて、レイアは静かに言った。ルイジアナが顔を上げる。
「だからって、新しい犠牲を出す必要なんてない。そのためにルイジアナさんが人殺しになるなんて、間違ってるよ」
レイアはルイジアナの前まで行き、目線を合わせる。
「ホントは、そんなことしたくないんでしょ?顔に書いてあるもの。ルイジアナさんにそんな辛い思いさせるなんて、そんなの、神様じゃないよ」
それに、とレイアは少し微笑んだ。
「妹さんの命は、無駄なんかじゃない。少なくとも、それで皆の不安がなくなったのなら。…それは、あなたが一番よくわかってるでしょう?」
ルイジアナの、灰色の瞳が揺れる。何かから解放されたように、涙がぼろぼろとこぼれ出した。