病の町カウディン Ⅳ
「ったく、あんなに強く締めなくてもいいのに」
ルークは左手の傷を包帯の上からさすり、口を尖らせた。
カイルが行ってしまうと、ルークは再びベッドに仰向けになった。背中の傷が痛むけれど、全身あちこちに怪我をしているので、どの姿勢でも痛みは変わらない。
「…ねえ、さっきの話、本当なの?」
ルイジアナが、こわごわと尋ねる。
「んーさっきの反応じゃ微妙だけどなー。でも絶対好きだと思うんだけどなー。アイツ、ホント何考えてるかわかんな」
「そんなこと聞いてないわよ」
ルークの言葉は、容赦なく遮られた。ルークが顔を向けると、ルイジアナは、口調の強さとは裏腹に怯えるような瞳で、まっすぐにこちらを見ている。
「貴方たち…倒したの?オロ神様を」
「…実際に倒れたところは見てないけど。でも、だいぶ暴れてたから、あの岩場の下敷きになるのも時間の問題だろうね」
ルイジアナが、はっとしたように呟く。
「さっき、すごい地響きがあったわ…ただの地震かと思ってたけど」
「じゃあ、もう山ごと崩れちゃってるかもね」
「そう…」
ルイジアナが呆けたように項垂れるのを、ルークは横になったまま見つめた。
「…ねえ」
ルークの問いに、ルイジアナは顔をあげる。心なしか、初めて会った時より憔悴して見える。
「君がどうしてこんなことをしたのか、当ててあげようか」
「あらあら、派手に転んだわねえ」
アルスがウェルズの顔を覗き込んで言った。傍に棒立ちになっているカイルをちらりと見上げ、レイアの方に振り返る。
「誰。知り合い?」
「あ、うん。一緒に旅してる、カイルだよ」
言ってから、レイアはカイルを見た。
「私のこと、心配して追ってきてくれたの?」
「……」
カイルはレイアの目を見ようとしない。ひょっとして、照れてる?
「…ありがと」
「さて」
ウェルズを立ち上がらせ、アルスが言った。
「せっかくだから、ウェルズに診てもらったら?アンタのお友達」
「え」
「ハンの爺さんを連れて行ったら、あの子とこのロクデナシの父親が二人っきりになるじゃない。後で3人でしっかり話し合ってもらうことにして、まずは自分の目的を優先させなさいよ。この町はもう、病の心配もなくなった訳だし。あたしはまずコレを手当てしてくるから」
コレ、と言いながらウェルズを指さす。ウェルズの顔はあちこち擦りむいて真っ赤になっていた。
「アンタは爺さんの所に戻って、事情を説明しておいて。町の皆に、病がなくなったことも伝えてもらって頂戴」
「あ、うん」
ぽかんとするレイアを置いて、アルスはウェルズを引きずってさっさと歩いて行った。
「…というわけで、ちょっとの間、お父さんに会えなくなるけど、いいかな?」
レイアは腰をかがめ、少女と目線の高さを合わせて言った。少女はこくん、と頷く。この短時間で、彼女の顔色はだいぶ良くなってきていた。
「平気。おねえちゃんのお友達、お父さんならきっと治してくれるよ」
「ありがとう」
少女に笑いかけて、レイアはハン氏に向き直る。
「あと、町の皆に、病がおさまったこと、伝えてほしいの。よそ者の私やアルスじゃ、きっと誰も信じてくれないから」
「そうじゃな、皆に知らせておこう。…しかし、山向こうの村から来たと言っておったろう?どうやって戻るつもりじゃ?歩いていくのか?」
「え」
レイアはきょとんとする。
「まあ…そうなるかなあ」
「大丈夫か?歩きでは一日はかかると思うが」
「あ、そっか…」
既に陽は暮れかかり、町は夕暮れに赤く染まっていた。店内にも、西日が射しこんでいる。村に戻るにはどうしても森を通らなければいけないが、さすがのレイアも、夜に知らない森を抜けるのは抵抗があった。かといって、翌朝まで待つというのも気が進まない。
思い悩んでいると、どこからともなく馬の蹄の音が聞こえてきた。それはだんだん大きくなり、店の前で止まる。
「話終わった?行くわよ!」
店の前に、小型の馬車が止まっていた。二頭の馬がそれを牽いていて、手綱を握ったアルスが、御者の席に座っている。馬車の窓から、仏頂面で座っているウェルズの姿も見える。レイアとハン氏、少女、そして店の入り口に突っ立っていたカイルが近寄り、まじまじと馬車を見た。見た目はところどころ白い塗料が剥がれて、茶色い板の色が見えているものの、造りは頑丈そうだ。
「…まさか、また盗んできたの…?」
「失礼ね、ちゃんと借りてきたのよ」
アルスがそう言った途端、曲がり角から男が2人、焦った様子で飛び出してきた。
「…いたぞ!」
「白昼堂々、馬車を盗むなんて、なんて大胆な奴だ!」
「……」
その場にいた全員の視線がアルスに集中する。
「やっぱ盗んだんじゃない!」
「失礼ね、『黙って』借りてきたのよ」
「それを、『盗んだ』って言うんじゃ」
「ごちゃごちゃうるさいわね、急いでるんでしょ?」
討論している間に、カイルがさっさと馬車に乗り込んだ。馬車の持ち主と思しき男たちも迫ってくる。仕方なく、レイアも馬車に飛び乗った。
「爺さん、またね!」
ぽかんと口を開けたままのハン氏と少女に元気よく言うと、アルスは手綱をぱん、と鳴らして馬車を発進させた。
小気味よい足音と共に、馬車は森の中を走っていた。レイアは来るとき気づかなかったが、森の中には馬車が通るために木を切り開いてできた道があったのだ。
「カウディンは、都市に出稼ぎに出てる人が多いのよ。だから同じ都市に仕事に行く人をまとめて運べるように、馬車がたくさん用意されているの。馬車が通れるように、道も広く造られていたでしょう?」
「…その大切な移動手段をとられたら、持ち主は困るんじゃ…?」
レイアは、何度も後ろを振り返りながら言った。まだ持ち主が追ってくるような気がする。隣には顔をあちこちガーゼで覆われたウェルズが、正面に座るカイルの視線に怯えて固まっていた。
「平気よ。これは町の中を移動するのに使うヤツだもの。…それよりウェルズ」
アルスは、前を向いたまま話を続ける。
「アンタ、魔族に会ったんじゃない?」
「…なんで、そんなこと教えなきゃならない?」
ウェルズが、険のある口調で言い返す。しかし、レイアにもわかった。『魔族』という言葉を聞いた時、彼は一瞬、ぎくりと体を強張らせた。
「魔族って、あの魔族?」
「そう。知ってる?」
「話は聞いたことあるけど…銀色の髪と赤い瞳が特徴の一族で、皆生まれつき魔力を持っていたって。でも、確か今は全滅したんでしょ?」
強力な魔力で世界を支配しようとした魔族は、その残虐な思想から人民の反感を買った。世界中を敵に回した彼らは、人々によって一人残らず排除され、今は昔話として後世に語り継がれるだけの存在となっている。
「そうよ。生き残りはいないと言われてる。でも、あの女の子にかけられた魔術は一般の、ましてやただの医者に使えるような簡単な術じゃないわ。どうなの、ウェルズ?」
「俺が魔族に会っていたとして、それがアンタに何の関係があるんだ」
「いいの?言ってくれないなら、アンタが病をバラまいた張本人だって、町の皆にバラすけど」
ウェルズは苦々しげに舌打ちした。
「…会ったよ。もう、顔もよく覚えていないがな」
「この森の中で?」
「ああ。森の奥で…祭壇みたいな物があって、その傍にいた」
「それで、自分の娘を魔術の媒体にする術を教わったのね」
「でも、どうして…きゃっ!」
レイアが会話に割り込んだとき、突然、馬車ががくん、と止まった。後部座席に座っていた2人は、前方に投げ出される。レイアは反対側の座席に顔をぶつけ、ウェルズは真正面に座っていたカイルが反射的に突き出した両手に激突し、跳ね返された。
「ど、どうしたの、アルス」
「…道が塞がってるわ」
「え」
レイアは前方の道に目をこらす。辺りはだいぶ薄暗くなっていたが、山崩れで流れてきた土砂が、道を塞いでいるのがわかった。アルスがため息をつく。
「迂回するしかないか…」
「そんな、夜になっちゃうよ」
「仕方ないでしょ?他にどうしろって言うのよ」
その時、上空で風の音が鳴り、周囲を真っ黒な影が覆った。
「え、何?」
レイアは馬車の窓から顔を出し、上を見上げた。
「おお、また会ったな」
「あ…」
太い木の枝に、大きな翼竜が2頭止まっていた。その足元には――
「変な喋り方のお兄さん!」
「…失礼な」
白いローブの男が、翼竜の子供を肩に乗せて腰かけていた。後ろ脚に傷がある。翼竜の子供は、きいきいと甲高い声で鳴きながら、小さな翼をぱたつかせる。
「何やら、困っているようじゃな。この子が、助けてもらったお礼がしたいと言っておるが、どうじゃ?」