病の町カウディン Ⅲ
「はあ…どうしよ…」
レイアは、今日何度目になるかわからないため息をついた。時間ばかりが刻々と過ぎていく。
「ねえ」
歩いていると、ひょい、と先ほどの女性が目の前に顔を出した。レイアは、ぎょっとして立ち止まる。
「なんで、薬を探してるわけ」
「薬じゃなくて…本当はお医者さんを連れに来たんだけど」
はあ、とレイアは再び、ため息をつく。
「ここのお医者さんは忙しいみたいだから、せめて薬だけでもって思ったんだけどなあ」
「でも、他の所じゃ、骨折の薬は売ってなかったでしょう?あたしの知る限りじゃ、あそこしか売ってないもの」
確かに、他の薬屋も回ってみたが、骨折の薬を扱っているところはなかった。とは言え、これから別の場所に移動する時間はない。
「よく知ってるね…アルスだっけ?この町の人?」
「違うわ。ここ1か月くらい滞在してるけど」
「他の人みたくマスクとかしてないけど…大丈夫なの?」
「あたしは平気。かからないから」
妙に自信があるんだな、とレイアは不思議に思った。
ねえ、とアルスがまた尋ねる。
「盗んできちゃえば?薬」
「…いやダメでしょ、それは」
「あっそう。マジメな子ねえ」
「マジメとかじゃなくて…盗んだりしたら、お店の人が困るから」
「あのおっさんなら、ちょっと困らせてやりたい気もするけどね」
言いながら、アルスはレイアの隣を歩いていた。
「ねえ、本当にその友達を助ける気があるの?」
唐突な質問に、レイアはびっくりして、再び立ち止まった。
「へ?」
「だってさ、あんまり必死に見えないんだもの」
アルスは下唇に人差し指を当て、口をへの字に曲げる。
「本当に助けたいんならさ、薬を盗むなり、医者をかっさらうなりすればいいじゃん」
レイアは目を丸くしてアルスを見た。一体、何を言っているの、この人。
「助けたいと思ってるよ。当たり前でしょ?でも、だからって、そんなことしたら、他の人が困るじゃない」
「でも、アンタの友達も困ってるんでしょ?見知らぬ他人と、大切な友達と、どっちを優先したいの?」
「それは…」
レイアは言葉に詰まった。リンチャ村の一件で、ぐるぐると渦巻いていた疑念が、再び頭をもたげる。
賊の命か。村の平和か。
怪我をしたルークか。流行り病の町の人か。
答えは出ない。今回も、レイアはそれを選べない。ルークとカイルは、リンチャ村ではその答えを簡単に選べたけれど。
道の先を、フードを被った町の人が早足で通り過ぎていく。
いや、とレイアは思った。
「私はどっちかなんて、選べないよ。だから、両方が助かる道を探す」
ふうん、と言って、アルスは鼻で笑った。
「…綺麗事ね」
「なっ…」
レイアがカッとなって言い返そうとした時、すぐ脇の店から声がした。
「おや、お嬢ちゃん、まだおったのか」
「あ。おじいさん…」
声のする方を見ると、老人の経営する本屋があった。いつの間にか、町を1周していたらしい。
あ、とアルスも声をあげ、つかつかと店内に入る。レイアも後からついて行った。
「そうだよ、爺さんが診てあげればいいじゃない」
「え」
「爺さん、ウェルズ=ハンの親父さんでしょ?」
「…え?!」
レイアはぐりん、と首を回して老人を見る。老人は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「もともとは、息子さんと一緒に医者をやってたんでしょう?」
「…ここに滞在して1か月足らずのお前さんが、どうしてそんなこと知っとるんじゃ」
「あたしの情報網を甘く見ないでよね」
腕を組んで壁に寄りかかり、何故だか、アルスは勝ち誇ったように言った。
「で、でも、本屋さん、やってるじゃない」
「医者を辞めて本屋になったんじゃ。年寄りにはこの仕事が一番楽なんでな」
「でも、まだ腕は衰えてないんでしょ?」
レイアは、カウンターに乗り出す。
「感染病の病状を、あんなに詳しく説明してくれたもん。ね、お願い、私の友達を助けて」
「それは、無理じゃ」
ハン氏は、ぴしゃりと言い放った。
「どうしてよ?」
「儂は、ここから離れるわけにはいかんのじゃ」
「何言ってんのよ、この頑固ジジイ!」
イライラしてきたのか、アルスが尖った声で言う。
「アンタがここにいたって、役に立たないじゃないの」
「そうだよ!」
「どさくさに紛れて失礼なことを言うな!」
その時、「ごめんなさい」と消えるような声が店の奥から聞こえ、レイアはぎくりとした。ハン氏が、がたん、と椅子から立ち上がり、後ろを振り向く。
寝間着姿の、10歳くらいの少女が立っていた。顔色は真っ青で、栗色の髪もくすんで見える。
「ごめんなさい…わたしのせいで、おじいちゃんは外に出られないの」
「ガーナ!起きてくるんじゃない!」
ハン氏が顔色を変えて少女の元に駆け寄り、その華奢な肩を抱えて、店の奥に連れて行こうとする。同時に、レイアの後ろから、声が聞こえた。
「…見つけた」
「え?」
レイアはびっくりして後ろを振り向く。その声が、アルスの物とは違って聞こえたのだ。
しかし、そこにはアルスが、さっきと変わらぬ姿勢でそこにいた。ただ、目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべて。
「爺さん、その子よ」
「何?」
「その子が、流行り病の元凶だわ」
「は?」
ハン氏が足を止め、アルスと少女を交互に見つめる。
「なっ…バカ言うな!この子は流行り病ではない!病が流行るずっと前から、別の病にかかっておるんじゃ!あの…あのバカ息子のせいでな!」
「ど、どういうこと?」
レイアは意味が分からず、尋ねる。ハン氏は、ぎりぎりと歯ぎしりしている。
「この子は、ガーナは、ウェルズの娘じゃ。あやつは、薬の調合に使う薬草を採りに、この子を連れて森に行ったんじゃ。そこで…この子は原因不明の病にかかって、以来寝たきりの生活が続いておる」
そこで、愛おしげに目の前の孫娘を見つめる。皺だらけの手で、少女の髪を撫でた。
「可哀想に…まだこんなに若いのに…なのに、一緒に行ったあやつはぴんぴんしておる。挙句、その数か月後には感染病が流行り出し、たった1人の娘の面倒も見れなくなった。母親はとうにおらんし…だから、儂は医者を辞め、この子の傍におることにしたんじゃ」
「そうだったの…」
レイアは、少女を見る。袖から見える腕は、痛々しいほどに痩せ細っている。
一方アルスは、少女を同情とは別の視線で見ていた。
「確かに、その子の病は感染病じゃないわ。でも、呪術をかけられてるのよ」
そう言って、少女を睨み据える。
「森に行ったって言ったわね…そこで何か見なかった?あるいは、誰かに会ったとか」
少女は、熱で潤んだ瞳に怯えの色を浮かべながらも、ふるふると弱く首を振った。
「覚えてないの…気がついたら、ベッドの上で…」
「…そう」
アルスは唇に手を遣り、考え込む。改めてハン氏の方を向き、説明を始めた。
「一般に呪術…というか魔力を使うには、媒体が必要なの。おそらくその子が呪術の媒体で、町に呪いをかけているのね」
「ということは、この町で流行ってる病は…」
「病、というより呪いそのものってこと。そりゃあ、原因もわからないわよね」
そう言って、つかつかと店のカウンターに寄り、ひょいと飛び越える。僅かに後ずさるハン氏と少女に歩み寄り、少女の額に指先を当てた。少女がびく、と肩を震わせ、ぎゅっと目をつぶる。ハン氏が警戒の目でアルスを見た。
「何を…」
「…大丈夫、痛くないから」
優しい声でそう言うと、アルスはその姿勢のまま、何か言葉を呟いた。何を言っているのかレイアには聞こえなかった。しかし。
「…あ」
アルスの呟きが終わると、彼女が指を当てている少女の額から、眩い光が迸った。その光を受け、アルスの黒髪が一瞬、銀色に光って見えた。
光が収まると、少女の体から黒い煙のようなものが立ち上る。
一同が見守る中でそれは、微かに悲鳴をあげて少女の体から離れ、宙に消えて行った。
「…もう、大丈夫」
一瞬の沈黙の後、アルスは手を放し、少女を見てにっこりと笑った。少女もハン氏も、ぽかんとしている。
「…え」
「呪いを消したわ。どう?体が軽くなったんじゃない?」
ハン氏は、少女の額に手を当て、驚愕の表情を浮かべた。
「…熱が下がっておる…」
アルスは踵を返し、再びカウンターを飛び越えてレイアの元に戻ってきた。
「で、でも、どうしてハンさんは病気にならなかったの?」
レイアは、視線をアルスからハン氏に戻す。ハン氏も少女もその場で、じっと話を聞いている。
「ずっと、女の子のそばにいたのに」
「媒体である彼女を世話する人が必要だから、でしょうね。媒体に死なれたら、呪術が成立しないもの」
でも、とアルスは首を傾げる。
「だとしたら、随分と高度な呪術だわ。こんな巧妙な術をかけられるのは、よっぽど呪術に長けた人物か、あるいは…」
そこで、ばん、と音がして、アルスの言葉を遮った。店内にいた全員が、音のした店の入り口を見る。そこには、入り口の壁に手をつき、息を切らせて立っている男がいた。30代半ばぐらいだろうか。短く刈り上げた頭に、不潔には見えない程度に伸びた髭。ハン氏と少女と同じ、栗色の瞳。
アルスが、にやりとする。
「黒幕のご登場、ってとこかしら?」
「え、誰?」
「この人が、ウェルズ=ハンよ」
びし、と遠慮なく指を向ける。ウェルズは、精悍な顔をゆがめ、息を整えながら言った。
「ガーナに…うちの娘に、何をした」
「随分な言い草ね。呪いから解放してあげたのに」
「ちょ、ちょっと待って」
レイアは、少女とウェルズを交互に見る。
「黒幕って、どういうこと?ウェルズさんが、呪いをかけたってこと?」
「そうよ。一緒に森に行った時も、そして今に至るも彼は病にかかっていない。彼だけが病を治せるのも、これが薬じゃ治せない、呪術だってことを知っているから」
それに、とアルスはウェルズを見据える。
「呪いが解けた途端に、こうして駆けつけたのが何よりの証拠」
「…何故じゃ」
震える声で、ハン氏が問いかけた。
「何故、こんなことを」
「…ちっ」
ウェルズは舌打ちすると、身を翻して逃げ出した。
「待ちなさい!」
アルスが、弾かれたように店を出る。レイアも後に続いて走り出す。道の先にウェルズの背中を見つけ、追いかけた。
もともと道が広く、人通りが少ないこともあり、ウェルズを見失うことはなかった。しかし、なかなか距離が縮まらない。
何とかして、彼を足止めする手はないだろうか。考えながら走るレイアの視界に、見覚えのある黒い影が映った。ウェルズの前方、右側の店を、今ちょうど出てきたところだった。
――あれは。
考えるより先に、レイアは叫んだ。
「カイル!その人、捕まえて!」
呼ばれたカイルは、ついとレイア達の方を向いた。自分の方に走ってくるウェルズの姿を認めると、ひょいと片足を突きだす。
「――ぎゃあっ?!」
ウェルズはその足に、ものの見事に躓いて、顔から地面に突っ込んだ。
レイアは頭を抱えた。
「うわー!ウェルズさん!」
「……」
カイルはといえば、うつ伏せになって動かないウェルズを、無表情に見下ろしていた。