信仰の村ラターナス Ⅰ
「あ、起きた」
レイアが目を覚ますと、ルークが顔を覗き込んできた。
「…おはよ…」
なんだろう、とレイアは思った。いつもより頭が重い。目ヤニで塞がった目をこすりたくて、右手をあげようとしたら左手もついてきた。あれ、おかしいな。
この手首の感覚、覚えがあるな…と考えて、はっと思いついたとき、ようやく目が覚めた。エルディダの時のように、後ろで両手が縛られている。足も同様だった。
ただし、今回は寝かされていない。座った姿勢のままだった。そして、横にはルークがいる。同じように手足を縛られていた。
「えっと…これは、どういう状況?」
「どこまで覚えてる?」
「んー…」
レイアは、眉間に皺を寄せて記憶を引っ張り出す。
「あ、雨が降ってたから、村に泊めてもらったんだよね?」
エルディダを出て、一行はとりあえず東に向かった。ルークがリンチャ村を出てすぐに、道に東へ向かう複数の足跡が残っているのを見たらしい。
戦争の後、焼け野原となったこの周辺では、村も民家もない。1日目は野宿になった。
「食料と羽織るもの、レイアの分も買っておいたから」
「ありがとう」
そこで、はた、とレイアは思い立った。
「こういうお金ってどうやって稼いでるの?」
「いろいろだよ。賞金稼ぎだったり、ちょっと仕事手伝ったりしてさ」
焚火を囲み、簡単なスープを作りながら、レイアとルークは色々な話をした。ルークが語る旅の話は、レイアにとって、どれも新鮮だった。
「仕事…ってカイルも?」
「いや、」ルークは困ったように笑う。
「さすがに喋れないと不都合だからね。カイルはあの通り強いからさ、賞金稼ぎの時はとっても助かるんだけど」
「賞金稼ぎ…って犯罪者を捕まえたりってこと?」
「そうそう」
「村の時もそうだけど、やっぱり2人とも…何ていうか…戦いとか慣れてるの?」
「そうだね…この頃、戦とか増えて来てるから、巻き込まれることもよくあるよ」
戦、と聞いて、レイアは少し表情を硬くした。話をするルークの顔をそっと盗み見る。
「ルークは、怖くないの?…人を傷つけたりすること」
「…さあ、どうだろ」
ルークは、焚火の火を見つめて言った。睫毛の影が、頬の上でちらちらと踊る。
しばらく黙ったままだったので、てっきり答えを探しているのかと思いきや、不意に立ち上がり、焚火の上で温めていた鍋を覗き込んだ。
「ん、もういいかな」
ルークが、器にスープを盛り付け始める。エルディダで購入した乾燥食物と、水を煮詰めただけの簡単な物だが、とても良い香りがした。少し冷ましてから、口に入れる。レイアはふと気が付き、辺りを見渡す。
「そういえば、カイルは?」
途中で休憩した時も、影のように周囲にいたのに。
「ああ、気にしないで。時々どっか行ってるけど、後で戻ってくるから」
「…そ、そうなんだ」
レイアは、首を傾げる。知り合った時間の中で、ルークがどういう人間なのかはなんとなく掴めてきたけれど、カイルについては謎が多かった。喋れないことは仕方がないとしても、終始無表情なので、さっぱり感情が読めない。
正直、少し怖い。
「ルークとカイルは、もうずっと一緒に旅してるの?」
うーん、とルークは一瞬考え込む。
「まだ2年くらいだと思うよ」
「えっ?ルーク何歳?」
「19歳。カイルも同じ」
「私より4つも上なんだ!でも、身長は私とあんまり変わらないよね?」
「それは言わないように」
にっこりと釘を刺された。うわあ、ちょっと怖い。焚火の明かりが作る影が、それを助長する。
「あ、ていうか、カイルと同い年なんだ?カイルの方が、ずっと背が高いのに」
「だから、それは言わないように」
「2人はどういう関係?」
ん、とルークはまた考え込む。どこか楽しそうにも見える。
「幼馴染みたいなものかな…と俺は思ってるんだけど。…ちょっとした理由で俺の生まれた村はなくなっちゃってね、カイルの生まれた村に引き取ってもらって…そこで知り合ったんだ」
「そうだったんだ…でも、そっか、だからあんなに、息ぴったりなんだ」
納得したように頷くと、レイアはスープの湯気を見つめ、一瞬黙った。
「…ね、カイルってなんで喋れないの?」
こわごわと聞くと、ルークは、また少し困ったように微笑んだ。
「俺もよく知らないんだ。初めて会った時にはもう喋れなかったし」
「そうなんだ…」
「カイルのことは、怖い?」
ルークがレイアの顔を覗き込み、首を傾げる。心を見透かされたような質問に、レイアはどきりとする。
「えっと…まあ、少し。何考えてるか、わかんないし…」
「そんなことないよ。あいつは意外と、わかりやすい」
「え、そう?」
レイアは目を丸くした。あんなに無表情なのに、どこがわかりやすいのか。
「少なくとも、レイアは嫌われてないと思うよ」
「そ、そうなの?」
「まあ、俺がそう思ってるだけかもしれないけどね。他人の本音が見えないのは、言葉があってもなくても同じだし」
ルークは2杯目のスープを自分の椀に盛り付ける。レイアにも聞いてきたので、椀を差し出す。
「2人は、どうして旅してるの?」
「…約束したから、かな」
ルークは含みのある笑顔でそう言った。レイアにはその言葉の意味はわからなかったが、それ以上聞いてはいけないような気がした。
次の日、昼を過ぎた頃、突然雨が降ってきた。
それも最初から大降りで、3人は慌ててマントを被ったが、すぐに全身がぐっしょりと濡れてしまった。
雨で煙って、視界はゼロに等しかったが、コンパスを頼りにとにかく前に走った。どこか雨宿りできるところはないか――
幸い、程なくして3人は村にたどり着いた。しばらく走っているうちに川が見え、そこに架けられた橋を渡った先に、民家が連なっているのが見えたのだ。
当然だが、大雨の中、村は閑散としていた。どの家にも明かりは灯っているから、廃村ということはなさそうだった。
「どこか、入れてもらえるか頼んでみよう」
ルークがそう言ったとき、2つ先の民家から、女性が1人出てくるのが見えた。大きな籠を片手に、もう片方の手で頭上に庇を作って、慌てた様子で飛び出してきた。彼女は3人に気づき、口をぽかんと開ける。村の者でないとわかったのか、すぐに、手招きをして大声で呼んだ。
「そこの人たち!ウチにいらっしゃい!そんなところにいたら風邪ひくわよ!」
女性はてきぱきと3人に着替えを用意し、温かい飲み物を振る舞ってくれた。それから慌ただしく外に出て、籠を抱えて戻ってきた。
「ごめんなさいね、バタバタしちゃって。洗濯物出しっぱなしだったものだから」
彼女はそう言って、自身も濡れた体を拭いて、テーブルに着いた。
「私はルイジアナ。旅の方でしょう?この家は私1人しか住んでいないから、どうぞゆっくりしていって」
「ありがとうございます」
レイアとルークはお礼を述べた。
「この家、なんか落ち着く。雰囲気が良い、っていうか」
レイアは部屋の中を見渡して言った。木目調の壁で囲まれた部屋は、綺麗に整頓され、それでいて神経質さを感じさせない。ところどころに花飾りがあり、風景に色を添えている。
「ふふ、ありがとう」
ルイジアナは頬に手を添え、柔らかく微笑んだ。20代後半くらいだろうか。きめ細かい肌に、うっすらとそばかすが見える。先ほどは束ねていた灰色の髪を、今は雨で濡れたので、ほどいていた。
「こんな辺鄙な村じゃ、部屋の整頓くらいしか、やることないのよ」
ルークが尋ねる。
「この近くに、他に村は?」
「近くには、ないわ。すぐそこの山を1つ越えれば町があるけれど…お茶、熱いうちに飲んだ方が良いわ」
促されて、ルークはいただきます、と呟いてカップに口をつける。レイアは既に半分くらい飲んでしまっていた。
「でも、旅の方にはあまりお勧めできないわ…あの山にはね、オロ神様がいらっしゃるの」
「…オロ神様?」
レイアはオウム返しに聞く。ルイジアナはこっくりと頷いた。
「この村の手前に川があったでしょう?あの川の上流に住んでいる村の守り神でね、村を天災から守ってくださると言われているの。ただ…4、5年位前かしら、オロ神様の言葉を代弁する人が現れて、言ったの。『オロ神様は、この村が生贄を捧げる習慣を無くしてしまったから、怒っておられる。このまま生贄を捧げなければ、村に災いをもたらす』って」
「…そんなの、おかしくない?」
レイアが反発する。
「私の村にも、ロト神様って樹の神様がいるけど、生贄なんてやったことないし…第一、守り神なのにどうして村を襲ったりするの?」
ルイジアナは苦笑した。
「ええ、村の誰もがそう思ったわ。確かに昔は生贄の習慣があったらしいけど、今じゃオロ神様の存在自体、有耶無耶になってたし…でもその年、大雨が続いて川が氾濫して、村の半分が流されてしまったの。作物もちゃんと育たなくて、深刻な食糧不足にもなって、たくさん人が死んだわ」
そう言って、窓の外を見る。憂いを帯びた彼女の横顔を見て、レイアは恐る恐る尋ねてみた。
「…ひょっとして、その時ルイジアナさんの家族も…?」
「いいえ」ルイジアナは微かに笑って、かぶりを振った。
「厳密に言うと、少し違うわ。その年、生贄を捧げたら、ちゃんと天災は収まったの。だけど、それは村で選んだ生贄ではなくて、山向こうの町に医者を呼びに行った、私の妹だった。…どうもオロ神様は、たまたま通りかかった人を生贄にすることもあるみたい。それ以来、村でちゃんと生贄を選ぶ習慣ができたけれど」
「それは…ごめんなさい、辛いこと聞いちゃって」
うなだれるレイアに、ルイジアナは「いいのよ」と微笑んだ。
「もう過ぎたことだもの。そんなわけだから、山を越えるのはやめた方がいいわ。今回はまだ、生贄を捧げていないから。とにかく、ゆっくり休んでね」