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トラ猫の水槽食堂シリーズ

透明な迷子と、月明かりのシェルター

作者: さこ丸
掲載日:2025/12/21

深夜、ひっそり現れる小さな食堂――水槽食堂。

壁一面の水槽には、あなたの心の色を映す魚たちが泳いでいます。

トラ猫のマスターがそっと差し出す一杯と、静かな光が、今日のあなたに寄り添います。

どうぞ、肩の力を抜いて、一皿だけ、心を休めてください。

 塾の帰り道、わざと遠回りをして歩いていました。

 深夜零時過ぎ。制服のブレザーが夜風に冷やされて、少しだけ重たく感じます。


 今日は、学校のみんなとカラオケに行きました。

 楽しかったんです。本当に。お腹がよじれるくらい笑ったし、話題にもついていけたし、写真もいっぱい撮った。

 でも、ふとした瞬間――みんなが盛り上がっている曲の合間や、トイレの鏡で自分の顔を見た瞬間に、急に足元が冷たくなるような感覚に襲われたのです。


(私、ここにいていいのかな)

(みんなといるのに、どうしてこんなに遠くに感じるんだろう)


 その感覚を引きずったまま、私は路地裏の『水槽』というお店に迷い込みました。


 カランコロン。

 お店の中は、深い海の底のような静けさに満ちていました。


「にゃあ(いらっしゃい)」


 トラ猫のマスターが、琥珀色の瞳で私を見つめ、無言でカウンターの席を勧めてくれました。


 私は重たいスクールバッグを置き、ため息をつきながら壁一面に広がる水槽を見上げました。


「……変な魚」


 私の目の前を、一匹の奇妙な魚が泳いでいました。

 その魚は、体全体が透き通っていて、輪郭がぼやけています。

 そして、周りにはカラフルで騒がしいネオンカラーの魚たちが群れをなして泳いでいます。


 透明な魚は、ネオンの魚たちに近づこうと必死にヒレを動かします。

 近づくと、その魚の体は相手の色――赤や黄色に染まります。でも、無理をしているのか、動きがぎこちなく、苦しそうにパクパクと口を開けています。

 かといって、群れから離れてポツンと一人になると、今度は自分の色が消えてしまいそうで、不安そうに震えているのです。


『あれは、カメレオン・フィッシュだね』


 マスターの声が、頭の中に響きました。


『周りに合わせすぎて、自分の色がわからなくなってしまった魚だ』


「……私だ」


 私は唇を噛みました。

 一人でいる時は、静かで楽だけど、「このままでいいのかな」という虚しさが襲ってくる。

 誰かといる時は、楽しいけれど、相手の色に染まるのに必死で、息が詰まりそうになる。

 

「私、わがままなんです。寂しいのも嫌だけど、疲れるのも嫌で。みんなの中にいる時、ふっと感じる『置いてけぼり感』が、一人で部屋にいる時よりずっと辛くて……」


 水槽の中の透明な魚は、群れの中で溺れているように見えました。


『わがままなんかじゃないよ。それは、感性が繊細なだけだ』


 マスターは、湯気の立つ背の高いグラスを差し出してくれました。


 『夜明けのグラデーション・ラテ』


 下の方は深い群青色のバタフライピー・ティー、上の方は真っ白なフォームミルク。二つの層が、混ざりそうで混ざらない、綺麗な層を作っています。


『混ざらなくていいんだよ』


 マスターは、水槽の隅にある、大きな岩の隙間を指差しました。


『見てごらん。あそこに、隠れシェルターがある』


 透明な魚は、ネオン色の群れから離れ、その岩陰のシェルターに滑り込みました。

 そこは狭くて暗い場所ですが、魚はそこでジッとしています。

 すると、不思議なことが起こりました。

 一人で岩陰に入ったその魚の体から、ポウッ……と、淡い月明かりのような光が灯り始めたのです。

 誰の色でもない、その魚自身の、静かで優しい乳白色の光です。


『一人は充電の時間。誰かといるのは放電の時間』


 マスターは優しく語りかけます。


『君は今、放電しきってしまったんだね。誰かと一緒にいて寂しくなるのは、君の心の電池が「もう充電が必要だよ」と合図を出しているからだ。そんな時は、無理に笑わなくていい。心のシェルターに潜り込んで、自分の光を取り戻す時間なんだよ』


 私はラテを一口飲みました。

 ハーブの香りとミルクの甘みが、冷え切った体に染み渡ります。

 混ざり合わない二つの層が、口の中で初めて溶け合って、優しい味になりました。

 水槽の中で、月色に光る魚は、とても穏やかに見えました。

 群れを遠くから眺めながら、自分の光で周りを照らしています。

 

(そっか。離れても、消えてしまうわけじゃないんだ)


 一人になって、自分の色を取り戻す。

 そうしてまた元気が溜まったら、あのカラフルな群れの中へ遊びに行けばいい。

 行ったり来たりで、いいんだ。


「……今日は、もう帰って寝ます」


 飲み干したグラスを置くと、体から余計な力が抜けていました。

 矛盾していてもいい。それが今の私なんだと、すとんと胸に落ちた気がします。


「ニャア(またおいで)」


 マスターに見送られ、店を出ました。

 深夜の空気はまだ冷たいけれど、見上げた月は、あの魚と同じように優しく輝いていました。

 

 今日はもう、スマホの通知は見ないで眠ろう。

 私だけのシェルターである布団に潜り込んで、私だけの色を取り戻すために。


 ゆらゆら、コポポ。ゆらゆら、コポポ。


 それでは、おやすみなさい。

 よい夢を。


 おやすみなさい。

 明日も、あなたがあなたでいられますように。


イブ前日23日の夜21時、また開店予定です(予約投稿)。気に入って下さった方がいましたら、また来週ぜひご来店下さい

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