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悪い魔法使いを捕まえるお仕事  作者: 中谷誠
三章 去りし君との約束
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命に、報いるために⑤

「いた」


 頭上でエドガーの声がした。顔を上げると、鉄格子を挟んで息を切らした彼の姿が見える。ずっと走って探していたのだろうか。俺なんか見つけても、意味なんてないのに。

 目が合うとエドガーの口元が僅かに綻んだ。しかし、俺の顔を見て眉が動く。視線が動き鉄格子へと向かった。俺から目を逸らした、と言ってもいい。


「いるなら返事しろよな。皆で手分けして探してんだからよ」


 言いながら彼は魔具を開く。前方に緑色の術式が浮かび上がり、そして射出。突風が通り抜けた直後、甲高い金属音が耳を刺す。『風爪(ウェルテクス)』により鍵が破壊され地面に落ちていた。格子が鈍い音を立てながらゆっくりと開く。魔具を腰のベルトへと戻し、エドガーは俺を見ないまま話し始める。


「お前がいなくなった後、ユーフェミア王女から連絡が来たんだよ。王城の見取り図と一緒に、お前がいる所の目星とこれからの……」


 言葉は不自然な場所で止まった。再びエドガーの瞳が俺に向けられる。違うのは視線の意味。疑問の色が強く浮かんでいた。


「何してんだ、早く立てよ」


 急かすように言葉が投げかけられる。エドガーの言っていることは正しい。鍵が壊された今、牢に留まる理由なんてない。しかし立ち上がれなかった。

 絶望の重みは目に見えない鎖となって体を縛り付けていた。ただ、気力が削られ心が冷えていく。その感覚だけが確かだった。

 動かない俺を不審に思ったのか、エドガーは牢の中へ足を踏み入れる。俺の体が目に入り一瞬動きを止めた。


「もしかして怪我してんのか?」


 右腹部から広がる出血の痕にエドガーの声色に不安が帯びる。


「大丈夫なのかよ、それ」


 答えない俺に対して、近付き手を伸ばした。俺はその手を振り払う。その動作に痛みが走る。右腹部ではなく、胸に。

 俺の突然の拒絶にエドガーは目を見開き立ち尽くしていた。


「……この状況で俺達が出来る事なんてない」


 構わず俺は吐き捨てる。エドガーの瞳は不安気に揺れ、俺を凝視している。耳を疑っているような、そんな表情。


「そうだけど、王女が……」

「どうせ帰還命令だって出てるだろ」


 エドガーの不安を煽る様に会話を重ねていく。紛れもなく俺が言ったんだ。先程のも、今のも。


「お前、何言ってんだよ」


 一歩、エドガーはにじり寄る。表情には動揺が色濃く映し出されていた。


「確かにお前がいない間に帰還命令は出てた。でも、」


 強い意志を灯した瞳に軽蔑の色が浮かぶ。


「この状況に何も思わないのか? このまま故郷が消えても良いのか?」


 正義感を宿した口調が胸に刺さる。視線を受け止められず顔を背けた。


「良いよ」


 俺の口は醜く弧を描く。


「こんな国、どうでもいい」


 震える声の中で、これだけは迷いなくはっきりと口から出た。フリットにこの国を憎んでいる事を暴かれ、そして認めてしまった。かつて抱いていた思いはもう燃え尽き、残されたのは拭い去ることのできない虚しさだけだった。


「それに、俺はもう班長でいる資格なんてないよ」


 言葉を失うエドガーを前に俺は続ける。


「勝手に行動して、皆に迷惑かけて」


 俺はただその場の感情で行動した。フリットを違法者にしたくない、そして死地へ向かわせたくないがために。皆に相談していれば結果は違っただろう。

 結局、一年前となにも変わっていなかった。彼らの言う通り部隊長も班長も不相当だったんだ。肝心な時に俺の意識は現場から離れ、皆の混乱を誘う。


 手を握り占めると右腹部に痛みが走った。激痛にうめき声にも似た笑い声が漏れる。しまいにはこんな傷まで負って、足手まといでしかない。

 フリットは何で俺を治療したんだ。俺が憎いと言うのなら、何故あのまま殺してくれなかったのか。生きていても絶望に陥るのは分かっているくせに。俺にはもう約束も、理想も、力もない。立ち上がるための意志も、理由もなかった。なのに、


「……なんで、死なせてくれなかったんだよ」


 押し殺していた願望がついに言葉となり零れ落ちた。この憎しみを、やり場のない怒りを、虚無感を抱えて生きろと言うのか。俺にはもう、無理だよ。

 荒々しく胸ぐらを掴まれ、無抵抗のまま引っ張られた。


「なんだよそれ」


 エドガーは冷たく睨みつける。


「まさか死にたいって言ってんのか?」


 瞳に宿る怒りは鋭く、それでも揺れていた。無言でエドガーの視線から逃げた。否定も肯定もしない俺に、エドガーはさらに激昂する。


「なんか言えよ! お前はここで無責任に全部投げ出すのか!?」

「……そうだよ。俺にはもう、剣を取る理由もない」


 答えると、重い衝撃が左頬を打ち抜く。次の瞬間には熱を帯びた痛みが広がっていた。エドガーの拳が俺を殴っていた。


「理由がないと何もできねぇのかよ」


 熱い怒りを滲ませた呼吸を吐き出し、引き寄せる手にさらに力を込める。


「関係ねぇだろ! それでもやるんだよ!」


 エドガーはさらに言葉を叩き付けるように吐き出した。


「お前に昨日何があったかなんて知らない! 今まで何に苦しんでたのかも分からない! それでも逃げるなよ!」


 微細な振動に視線を向けると、エドガーの手は小さく震えていた。


「自分は今まで人殺しておいて、死にたいなんて言うなよ……!」


 掠れた声の奥に潜む悲痛が、言葉と共に耳に届く。それは俺に向けられた刃であり、エドガー自身に刻み込む戒めのようでもあった。


 同時に、胸の奥が軋む音を聞いた気がした。胸に留めていた別の傷が再び出血を始め、鈍い痛みが広がっていく。一番色濃く浮かび上がるのはあの、ルークス教国の事件だった。後悔の中、正義の為に彼を討った。彼が大切にしていたものを傷付けると分かった上で、それを選択した。奪った命が重みとなって圧し掛かる。

 エドガーの手が静かに俺から離れた。


「俺達は、術師であり続けるしかない」


 絞り出した声は小さく、遠くから聞こえる爆撃音と混ざり合う。


「今まで殺してきた事を後悔しないために。間違いだったと思わないために。正しかったと証明し続けるために」


 悔恨を噛み殺した表情で、拳を強く握りしめ彼は告げる。


「俺達は術師であり続けるしかねぇんだよ……!」


 エドガーの言葉が胸を貫く。それは、言い逃れの出来ない現実を示す言葉でもあった。

 ルークス教国での事件よりも前。グラウスに来た時、いや、さらにその前。術師となり、初めて誰かの命を奪った時、誰もが授かる呪い。


 エドガーの言う通りだった。全てを投げ出せない程、引き返せない程、この手は血で汚れすぎていた。

 俺が生きるのを否定するのは、彼が俺に託した物を否定するのを同じだ。彼の嘘を、それを引き継いだ俺が、逃げるなんて許されない。


 戦い続けねばならない理由が、生き延びなければならない約束が、いつの間にか、自覚をしないまま発生していた。

 術師であり続け、戦いに身を投じるのは償いであり、そして今まで奪ってきたものに敬意を示すためのもの。俺達の行為には決して目を背けられない責任が伴い、戦いに縛り付ける楔となっていた。

 どんな形であれ、それからは逃げることはできない。その重みは、どこへも持って行けない。背負い続けるしかないんだ。


 膝を付く自分に、牙を剥くような激痛が襲う。

 震える足に力を込め立ち上がる。縺れそうになる足を前に出す。


 歩みを進める度に心が叫び声を上げる。

 降りかかる現実に目を逸らしたくなる。

 死にたいという願いは変わらない。



 それでも、行かなければ。


 命に、報いるために。


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― 新着の感想 ―
このやり取りを禁術を成功させたエドガーにさせるの業深すぎて、趣深ぇなってなりました……。しかも十五歳。 度々人の心……ってなるけど、めちゃくちゃ最高です。 これからも楽しみにしてます。
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