「嘘」②
「アイク、大丈夫か?」
エドガーに呼びかけられ思考がこの場に戻る。大きな緑色の瞳は不安の色を浮かべ俺を見ていた。
「悪い。違う事考えてた」
謝るとエドガーが一瞬顔を顰めるがすぐ俺から顔を逸らす。
フォリシア滞在四日目。昨日の魔物騒ぎから一夜明け俺達はまたこの部屋に集合する。町にはまだ中型の竜が暴れた痕が残り、国民達の間には恐怖と混乱が広がっていた。
俺はと言うと、あの後久々にフォリシア騎士団の医術師の世話になっていた。肋骨骨折に肺の損傷、打撲に裂傷と様々だが言う程重症ではない。医療機関の手を借りる必要はないと言ったが強制的に連れていかれた。
騎士団の医療棟と言うと、この国を出ていく直前の出来事を思い出し気が沈む。俺がフリットの信頼を裏切り、傷付け、そして何もかも捨てるに至った記憶──。
駄目だ、こんな事考えている場合ではない。今は目の前の事件に集中しなければ。
「昨日の魔物について、ねぇ……」
マルティナが呟く。組まれた腕、細められた目、眉間の皺。全身で不服を示していた。
「暴動が起こってるってのは知ってたけど、魔物まで出てたなんて聞いてないよ。そりゃ騒がしいとは思ったけどさ」
彼女の不満は国民達の暴動や突如現れた魔物に対して向けられているのではなく、戦いの機会を失った事に対するものだった。
「私達もあなた方へ助けを求めようと試みたのですが、通信が妨害されていて叶いませんでした」
昨日を思い出しマリーの顔が申し訳なさそうに沈む。
「連絡が届いたとしても、王城前の暴動に阻まれて辿り着けなかったでしょうね」
ヴィオラの補足に対してマルティナはため息をつく。だが何も言わない。彼女も分かっているからこそ、それ以上不満を口にすることはなかった。
確かに二人が居れば町への被害はもっと最小に留められ、妨害をしてきた違法術師の正体もその場で突き止められただろう。しかし、今更悔やんでも仕方がない。
「まあ、話を進めましょうか」
マリーの声に皆の視線が集まる。
「昨日の魔物、というより竜ですね。西門付近に出現し騎士団、民間人共に複数の負傷者を出しています。しかし民間人に重傷者はおらず、どちらとも死者は出ていません。中型と言えども、突発的な竜の発生でこれは偉業と言っても良いでしょう」
「これは竜が現れた場所から俺達が近くに居た事と、偶然マリーがあの場に居合わせた事が大きいよ」
俺が言うとマリーは僅かに視線を逸らした。その行動からは照れ隠しの様なぎこちなさが滲んでいる。
実際、戦闘経験は少ないと言っていたが彼女の援護は的確で、俺とエドガー二人ではもっと被害が増えていただろう。それに、ノエ達が初動で竜を食い止め、民間人の避難を行っていたのもある。皆の功績を喜ばしく思うも、少し引っ掛かりを覚える。
「竜の発生か」
「ええ、発生です」
気になるのはその単語。マリーも繰り返し強調する。発生、言われてみればその表現は的確だった。城壁に異常はなく、魔物除けも正常に機能していた。上空から現れたとしても探知魔具により町に入る前に気が付くはずだ。
「それと、付近で使用者不明の術痕がいくつか見つかってます」
「俺達を妨害し続けたやつか」
エドガーの声にマリーは頷く。
「その中でも一際大きく強力な術痕、これで竜を呼んだ可能性が高いです」
「竜を、呼ぶ?」
不可解な言葉に疑問を抱く。昨日の魔物は中型と言えども竜は竜。凄まじい力を持っていた。魔物の王を呼び出し操るなど普通では考えられない。マリーの顔の影がさらに濃くなっていく。
「考えられる人物がいます」
マリーが手元に置かれた資料の間から一枚の写真を抜き取った。皆が覗き込み、そこに映る少女を見る。写真は荒く全容は掴めない。分かるのは黒い髪と凶悪な笑みの鱗片のみ。だがそれは確かにどこかで見た顔。思い出した時、表情が固まった。
「彼女はヴィルプカ。ラステカの構成員です」
マリーが彼女の正体を告げる。知っているはずだった。グラウス内に貼られた手配書で、巨大犯罪組織ラステカで主要戦闘員を務める人物を何度も確認しているのだから。
「使用された魔石は違いますが、この特殊な術式は今まで彼女が残してきた物と著しく酷似しているため、彼女と断定しても良いでしょう。大型魔獣を使役するヴィルプカの特徴とも一致します」
嫌悪の混ざる冷たい眼差しで写真に向けながら彼女は話を続ける。
「騎士団の捜査によると、竜の発生場所付近で彼女らしき人物の目撃情報があります」
ヴィルプカの写真の横にもう一枚写真を並べた。
「二人で歩いていたらしく、もう一人の特徴から同じくラステカの構成員ニギギと想定します」
拘束衣を身に纏い、太いベルトで腕を締め上げた異様な人物の姿が映る。深く被ったフードで顔は見えない。証言と一致する写真があるという事は、昨日この格好で堂々と歩いていたのだろう。
「なんでラステカの構成員がいるんだ?」
エドガーが二つの写真を交互に見ながら率直な疑問を述べた。瞳には疑念の色が浮かぶ。
「アウルムが手引きする内乱勃発寸前のフォリシアにいるって事は、」
「エドガー」
彼の名を呼ぶと、言葉を止め俺を見た。
「それ以上は言わない方が良い」
話を遮られエドガーは首を傾げる。前方でマリーがため息をついた。
「ここは術師協会の正式な場所ではありません。この会話が傍受されている危険もあります。もし、術師協会の職員として彼らの繋がりを仄めかす様な発言をしたら問題になりかねません」
「……悪い」
危うく失言になりかけた事に気が付きエドガーは俯く。だが表情には祖国に対する不信感が消えず残っていた。彼の気持ちも分からなくはない。アウルム帝国が関わる内乱がさらに犯罪組織と繋がっているなんて思いたくないはず。言葉にして、その考えを否定したいのだ。
外から国民達の怒声が届く。また抗議活動が暴動へと派生しているのだろうか。外部から国民を守るのではなく、暴動の鎮圧に尽力を尽くす騎士団が憐れだった。
その騎士団にも問題は存在する。昨日のイェルドのように、暴動の間近にいながら鎮圧に参加しない者もいる。革新派に手を貸す騎士達。騎士団内でも目に見えた対立が起これば即座にこの体制は崩壊するだろう。
「内乱も時間の問題か……」
思わず呟いた言葉に皆の顔が沈んでいく。士気を下げる発言だと気が付いてももう遅い。今更何を言ってもこの重い空気は覆らないだろう。
内乱に対して何も介入できないのが現実。俺達は、この国の行く末を見守る事しかできないのだから。
「苦労している様ね」
突然の少女の声に振り返る。部屋の入り口にはユーフェミア王女が立っていた。廊下を歩く気配も、扉の音さえ感じない。文字通り、いつの間にか彼女は立っていた。
今日の服装は前日と違い、紺と緑の線が入ったチェックのワンピース。長い金髪は左右耳の下で結われ、頭には茶色のハンチング帽を被っている。
「どこから入って来たんですか」
俺の問いかけに答えない。彼女はただ、驚く俺達を見て微笑むだけだった。
「フリットは?」
「あら、そう言えば見かけないわね。どこに行ったのかしら」
ユーフェミア王女はわざとらしく辺りを見渡して見せた。自由奔放な彼女に呆れかえり、短く息をつく俺に対して猫のように目を細めた。
満足したのか、咳払いをするとワンピースの裾を摘み優雅な仕草で膝を折る。
「皆様、昨日は魔物の襲撃から国民を救ってくださり、この国の王女として礼を申し上げます」
先程とは違い、丁重な口調でユーフェミア王女は述べた。目まぐるしく変動する彼女の様子に気を取られ、王女が俺達に頭を下げているという事に遅れて気が付いた。
「頭を上げてください。自分達は仕事をしただけです」
「それでも、愛する国民を救ってくれた感謝は伝えないと」
顔を上げた彼女は真っ直ぐに俺を見た。毅然とした口調に嘘や偽りなど感じられない。俺達に対する心からの感謝を述べていた。何の曇りもないその瞳は、透明な水面のように俺を映し出す。見ていられず、目を逸らした。
「わざわざそのために来たんですか?」
「いいえ、それだけじゃないわ」
ユーフェミア王女はゆっくりと歩き出し、俺の前で止まった。
「アイク、貴方に用事があるの」
「俺に?」
思いも寄らない目的に首を傾げた。王女が術師協会ではなく、個人へなんの用があると言うのだろうか。疑問に眉を顰める俺に彼女は笑いかけた。
「ええ、私と遊びに行きましょう」
不意に放たれた言葉。時間が止まったかのように部屋の空気が凍り付く。彼女の提案は確かに聞こえた。だが、それが何を意味するのか、頭が内容を理解し答えを出すまでに一瞬の遅れが生じる。
「行くわけないじゃないですか」
「駄目かしら?」
ユーフェミア王女は上目遣いで俺を見た。小首を傾げる動作、可愛らしいがそれとこれとは別。
「駄目です」
「どうしても?」
「貴女も外が危険であることは理解していますよね?」
「勿論」
会話を止め聞こえてくるのは暴動の喧騒。ユーフェミア王女はこの現状を受け止めながらも余裕に満ちた表情を変えない。
「何かあったらどうするんですか」
「んー、そうね……」
断固として意見を通さない俺に対して、彼女は指を顎に当てたまま間を取る。深く考え込む様子を装うその仕草は微妙に誇張されており、演技がかかったものだった。「じゃあ」と呟き年相応の表情が一変、唇が蠱惑的に歪む。
「内乱を止める手立てを教えてあげる、と言ったら?」
その発言が耳へ届くと同時に、一斉にユーフェミア王女を見た。それは、思わぬ提案だった。そんな打開策が存在すのか、誰もがそう思う。この場にいる者全員の疑念と不信を含んだ視線を受けながら、彼女は静かに微笑んでいる。
「それは、今ここで話せないんですか」
「ええ。これは私に付き合う報酬として与える物だもの」
張り詰めた空気の中、少女の声色は不自然な程変わらない。明るく朗らかで、あくまでも遊びの延長と言わんばかりの口調だった。
「それは、アイクさんの他に誰かが付きそう、又は付近で見守るというのは?」
「駄目よ」
ユーフェミア王女は即答。その力強さにマリーが小さく呻く。少しでも安全を取ろうとした提案も跳ね除けられてしまう。彼女は俺以外の同行を認めないようだ。何故、と考える前に王女は口を開く。
「それに、大丈夫。私はもう狙われないわ」
「どうして断言できるんですか?」
確信をもって話す理由を問うが笑って誤魔化されてしまう。どうやらここで話す気はないらしい。
皆の視線がユーフェミア王女から俺へと移る。判断を待っているようだ。
彼女は大丈夫だと言うが本当にそうなのだろうか。年齢以上に聡い少女だが、その判断が間違っている可能性もある。そして、内乱を止める手立てと言うも、ここまで大規模な抗議活動を止められるものなのか。そもそも実行可能な方法なのかも怪しい。国の重要人物を危険に曝してまでしなければならない事とは思えない。だが、それでも、
「分かりました、行きましょう」
「そう来なくっちゃ」
結論を伝えるとユーフェミア王女の顔が弾ける様な笑顔で彩られる。この選択が正しいかは分からない。年相応に喜ぶ少女を見て後悔しつつもある。けれども、少しでも止められる可能性があるのなら賭ける価値はある。俺の意志ではなく、皆がそれを望んでいるのだから。
「ただし、行くのは暴動を避けた安全な場所ですからね」
「分かっているわ。あと、出来るなら人気を避けた場所かしら」
条件を伝えると、さらに注文を追加される。連れて行ってもらう立場なのを理解していないのだろうか。ため息をつく俺の前で彼女は笑顔を浮かべている。
安全かつ人の少ない場所、悩み、そして思いつく。




