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悪い魔法使いを捕まえるお仕事  作者: 中谷誠
三章 去りし君との約束
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三節 「嘘」*

 古びた廊下を駆け抜ける度、木製の床が軋み耳障りな音が響いた。すれ違う人々の視線を感じるが振り返る余裕もない。いや、そんなことどうでも良い。胸の奥で暴れる心臓が、今にも張り裂けそうな程脈打っている。その振動が喉元まで伝わり、呼吸さえ浅くなる。焦燥感だけが彼を駆り立てていた。


 親友が魔物の討伐で重傷を負ったと聞かされた。

 最近の彼の様子はずっと不安に思っていた。思い当たる節は一つ。騎士団に流れる不穏な噂。親友の真面目な性格からそれが深刻な悩みとなるのは分かっていた。

 分かっていたのに、何もできなかった。後悔が重なり胸が軋みを上げる。


 医療棟、彼がいる病室の前まで辿り着く。深呼吸をして乱れた息を整えた。少しでも余裕のある姿を見せたい。自分のために急いできたと悟らせれば、彼は余計な罪悪感を抱くから。二回扉を叩き、そのまま入る。


 扉を引くと風が通り抜ける。開け放たれた窓から吹き込む風がカーテンを揺らしていた。その下、壁際に設置されたベッドに彼は、アイクはいた。


「……フリットか」


 アイクは外に向けていた顔を入口側に向け名を呼んだ。そして笑う。無理矢理作った、酷くぎこちない表情だった。


「わざわざ来なくても良いのに」

「君が重症を負ったって聞いて行かない訳がないだろ」


 フリットは後ろ手で静かに扉を閉め病室の中を歩く。アイクに用意された部屋は個室。二人だけの空間、静寂に冷たい靴音が響く。ベッドサイドまで来ると近くに置かれた木製の椅子に腰かけた。視線を合わせようとするとアイクは逃げるように俯いた。


「大丈夫?」


 問うと「見ての通り」と、目を合わせないままアイクは答えた。薄青色の病衣の下にその痕跡が覗く。左肩から斜め下にかけて抉られたような傷跡が残っていた。途轍もなく深い傷に対して、生命の維持に回復魔法を割いたためこうして痕が残ってしまっているのだろう。


「部下を庇って重症。部隊長失格だよな」


 口は醜く弧を描き、強張った表情が痛々しく張り付いていた。


「それでも、君は正しい事をした」


 確かに彼の行動は立場からしたら批判を受けるものかもしれない。だが、フリットは部下を守り切ったアイクの行動を誇っていた。自分の身を挺して庇う姿は、あの雨の日のままなのだから。

 フリットの言葉にもアイクの表情は変わらない。


「やっぱり、向いてないんだ」

「あんな噂真に受けるなよ」


 何とか親友に前を向いて欲しい。そのために声をかけるが、彼の顔からは表情が消え次第に俯いていく。

 部屋に響くのは時計の規則的な音のみ。二人の間に漂う無言の空気は、時計の針が進むごとに少しずつ重くなるようだった。


 アイクにまつわる噂は勿論フリットの耳にも届いていた。彼の部隊長昇格は親の威光であると、嬉々として伝えてきた奴の顔を殴り飛ばしたのも記憶に新しい。

 それは根も葉もない事であり、彼の性格を、努力を、少しでも知っているのなら考えられないものだった。だが、彼の長所である温和な人柄が、彼を傷付けようとする者達にとっては、抵抗のない標的として映ってしまっていた。


「噂じゃなかったら」


 アイクは小さく呟く。


「俺に実力があればこんな事にならなかった」


 悲嘆と悔恨を吐露するその声は僅かに震えていた。影を落とし淀む瞳は子供の頃に憧れたあの面影すらない。こんなの本来の彼ではない。分かっている。


「今の君は怪我をして弱気になってるだけだ」


 彼は何も返さない。ただ、掛物を握る手に力が入ったのを見た。


「アイクは強いよ。君の実力も努力も俺はよく知ってる」

「…………い」


 アイクが僅かな声で呟く。よく聞こえず、首を傾げると彼はさらに手を握りこむ。


「うるさいんだよ! フリットは何も分からないだろ! 努力しても届かない奴の気持ちなんて!」


 叫びが部屋に反響する。


「天才のお前に、俺の事なんて……!」


 ようやく上げた顔、瞳に浮かぶのは激しい怒り。それは噂にではなく、目の前のフリットに向けられていた。

 不意に放たれた言葉に思考が乱される。声の響きだけが耳に残り、その唐突さに何を言われたのか考える余裕さえ奪われた。


「なんだよ、それ」


 ようやく意味を理解した時には、冷たい感情が胸を満たしていた。


「俺が、何もせず、こうしていると?」


 理性的に話そうとするが一度溢れ出した感情を留める事は出来ない。心が冷え切っていく感覚とは逆に、体中に熱が込み上げてきた。


「君との日々は、何もなかったって言いたいのか?」


 思い出すのは彼とのこれまでの記憶。幼い頃の約束。それを果たすため二人で切磋琢磨した日々。部署は分かれてもお互いに高め合おうと誓ったあの日。全て、全て彼は無意味と感じていたのだろうか。彼との友情は一方的な自分の勘違いだったのだろうか。

 フリットの口調にアイクはようやく失言に気が付いた。自分の言葉がもたらした結果に、表情が絶望へと沈んで行く。


「ちがっ……俺……」


 訂正しようと口を動かすが、声にならず掠れた音を漏らすだけ。


「……ごめん、フリット」

「謝らなくて良いよ」


 ようやく出た謝罪の言葉を跳ね除け、フリットは深い溜息をついた。


「それが、君の本音だろ」


 今まで対等だと思ってきた親友の自分に対する認識。理解できないと思われていた事が何より辛く、怒りとなって全身を駆け巡る。アイクは、ただ黙っていた。


「何も言わないなら、肯定と受け取って良いのか?」


 冷たい声がアイクを刺す。苦渋に表情を歪めた後、彼は視線を手元へ落とした。


「今は、一人にしてくれないか」


 絞り出した声が冷え切った部屋に溶けていく。言葉を受けフリットは無言で立ち上がった。振り返ることなく部屋を出る。


 医療棟を過ぎた辺りで徐々に思考が明瞭となっていく。煮え滾るような怒りも熱を失い少しずつ体が本来の体温を取り戻す。

 言い過ぎた。アイクにそう思われていた事はやはり許せない。だが、妙な噂を流され神経をすり減らし、さらに任務で大怪我を負った直後。彼が弱気になり、近くに居た自分へ怒りを向けるのは仕方がないだろう。

 それなのに、分かっている。理解したつもりでいても実際に言われると頭に血が上り突き放すような事をしてしまった。


 足が重い。歩みが遅くなっていく。親友を支えられない自己嫌悪が沸き上がる。それは病室から離れる程強くなり、胸を締め付けていく。

 浅くなる呼吸についに足を止めた。溢れる感情に耐えきれず壁を殴り付ける。小指が裂け、血が垂れる。今立ち止まろうが、過ぎた事。アイクの本音も、フリットの言葉ももう覆らない。

 右手の痛みだけがそこに残っていた。




 あれから三日。アイクが退院するという。結局あの後から、突き放してしまった気まずさで会いに行けずにいた。フリットは仕事が終わったその足で病室に向かう。

 あの時、お互い非はあるが弱っている相手に一方的に言い過ぎてしまった。アイクは自分の失言に気が付き謝罪していたのに、自分はそれを受け付けようとしなかった。思い出し胸に痛みが広がる。


 何て言おうか、フリットは言葉を考えつつ病室の扉を開けた。部屋は薄暗くカーテンも閉められている。ベッドも皺ひとつなく綺麗に整えられていた。ここにアイクは居ない。

 部屋から出て近くを歩く医術師へ声をかけると、午前中に無理矢理退院したという。


 嫌な予感がする。

 心臓が警鐘のように強く脈打つ。部屋へ向かう足は、気が付けば駆け足となっていた。

 その勢いのまま部屋の扉を開け放つ。取っ手が軋みを上げるが構わない。望みを込めて呼んだ彼の名が、隙間の出来た部屋に空しく響く。


 騎士になってからずっと同室であり続けた場所からは、彼がいた痕跡が一切なくなっていた。


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