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悪い魔法使いを捕まえるお仕事  作者: 中谷誠
三章 去りし君との約束
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「おかえり」⑧

 フォリシアの夜は寒い。昼間の陽気な温もりが嘘のように、夜になると肌を刺す様な冷気が漂い始める。目の前の木製の扉を開けると柔らかな光が目に入った。次に見えるのはいくつもの丸テーブルと人。酒場の中は笑い声と話し声が重なり合い騒々しい音の海となっていた。


 入口に立っていると料理を運んでいる途中のウェイトレスと目が合った。配膳に忙しいのかすぐに視線を外す。一歩踏み出した所で再び振り返った。

 目を細めまじまじと俺を見る。苦笑いを浮かべつつ小さく手を振ると彼女も笑顔を返した。そして何かを察したのか、料理で塞がった両腕の代わりに顎で奥を示す。頷き店内を歩きはじめる。


 賑わう店内では何度か知人とすれ違う。声をかけられるがその対応もいい加減慣れてきた。適当にあしらいつつ進んで行く。

 奥の席、紺色の髪が目に入る。その人物は頬杖を付き窓から外を見ていた。窓に映った俺と目が合い顔を上げる。


「悪いフリット、遅くなった」


 声をかけるとフリットは振り返った。この国に来てから何度も見かけた青い瞳がゆっくりと細くなる。


「俺も今来たところだよ」


 整った顔に浮かぶ柔和な微笑み。絹の様に滑らかな長い紺色の髪も故郷を離れる前と変わらない。私服姿のフリットは、俺に対する信頼なのかこんな時世にも関わらず帯刀していなかった。

 席に着いた所で先程のウェイトレスが水を運んできた。受け取ったついでに三つ程注文する。メニューを見ず空で言うが何も言われない。内容に変わりはないようだ。


 ウェイトレスが去り正面を見るとフリットは笑っていた。


「好きだね、そのパイ」


 注文の内容を聞いていたらしい。


「別に良いだろ。フリットも何か頼んだのか?」


「うん。君のと一緒に運んで貰うよう頼んである」


 フリットは軽く首を傾げた。


「お酒は良いの?」

「仕事で来てるから飲まないよ」

「アイクなら大丈夫でしょ。何杯飲んだって平気なんだから」

「それでも、だ」


 断言するとフリットの表情が柔らかく歪む。


「相変わらず頭が固いね」


 指摘され口を引き結ぶ。フリットだってこうと決めたら絶対に曲げないくせに。


「それはフリットも同じだろ」


 反論するとフリットも顔を顰める。そしてその後、表情が緩み自然と笑みが零れた。俺もつられて笑う。


「変わらないね、アイクは」

「フリットだって」


 穏やかな笑みと仕草。立ち振る舞いも口調もあの頃と同じ。胸に染み渡るような安堵感が満ちる。フォリシアに来てからずっと張りつめていたものが解けていくような感覚だった。

 フリットも懐かしむように俺の顔をまじまじと見つめた。切れ目の瞳に僅かに憂いが帯びる。


「元気そうで良かったよ。なんせ、突然居なくなったんだし」


 言葉の端には俺が彼に与えた孤独感が含まれていた。そうだ、これは言わなければならない。そのためにここに来たんだ。

 ここに来る途中、何度も頭の中で唱えた言葉を思い出すと心臓が激しく脈を打った。もし拒絶されたら、冷たい汗が背中を伝う。

 いや、関係ない。忍び寄る不安を追い出すため大きく息を吸い、そして吐く。動きそうになる視線を固定しフリットを視界の中心に捉えた。


「何も言わずいなくなって、本当に悪かった」


 俺は謝罪と共に頭を下げる。


「許して欲しいとは言わない。でも、これだけは言いたかったんだ」


 フリットは何も言わない。ただ沈黙が降り積もる。黙り込む俺達の間を通り抜けるように、店内のざわめきが漂っていた。

 当時、いくら追い詰められていたとは言え俺はフリットに不義理を働いた。彼を裏切るような言葉を浴びせたまま、約束も何もかも捨て黙って前から姿を消したのだ。

 突き放されるのも覚悟している。俺はそれだけの事をしたんだ。


「良いよ」


 フリットから言葉が小さく発せられ顔を上げる。先程の表情のまま、変わりはない。柔らかく弧を描く口から穏やかな声が続く。


「いなくなった時は驚いたけど、こうやってまた話せたから、もう良いよ」


 瞳に若干の寂寞の色を湛えながら彼は言う。これが許しなのか、過ぎた事に対する諦めなのか、俺には分からない。だが、ここを離れてから毎日のように苛まれていた罪の意識が、その言葉によって嘘のように軽減されていく。思わず安堵の息が漏れた。


「……ありがとう」


 再び頭を下げ、許しを噛みしめる。フリットの静かな笑い声が聞こえた。


「俺が近衛兵団に移動になった時は殴り合いの喧嘩になったのにね」


 それは俺が部隊長に抜擢されるよりさらに前の話だった。思い出し眉に皺が寄る。


「あれはフリットに非があっただろ」


 俺とは反対にフリットは誤魔化すように笑顔を作った。あの時は大変だった。

 精鋭部隊に昇進する事、俺の近くで夢を叶える事。その二つで悩んだフリットは期限前日に急に俺に打ち明け判断を委ねようとし、口論の末暴力沙汰となった。

 懐かしい。あの時抱いた怒りも今では良い思い出となっている。俺達二人の、この国への想いを形にした大切な思い出に。


「墓参りには行ったの?」

「行ってない。でも時間が空いたら必ず行くよ」


 自分の意志ではない帰郷だが顔だけは見せに行かないと。逃げ出した俺を父さんは叱咤し、母さんは困ったように笑うだろうか。三年前、いつも近くに居たはずの二人の顔が浮かび、すぐに消える。


「じゃあ、あの場所は?」

「……行けたらな」


 あの場所、と言われて思い出すのは一つだった。子供の頃偶然見つけた場所。魔物に追われ追い詰められた先に会った小さな丘。騎士になると、強くなるとフリットと共に誓いを立てた俺達の原点。


「あれから随分経ったよな」


 気が付けばあの頃から途轍もない時間が経過していた。昔は俺の後ろを付いてくるだけだったフリットもいつの間にか俺の身長を追い越し気弱だった面影もない。

 そして、立場は変わりフリットは王女の護衛に。俺は術師協会に。

 俺達は変わってしまった。何もかも、昔と違う。今も亀裂の入った友情をなんとか繋ぎ止めているだけだった。


「もうフォリシアに戻ってくる気はないの?」

「ない、かな」


 嘘は付けなかった。どうせ表情ですぐにばれてしまう。適当なその場しのぎの言葉こそ、彼に対する冒涜行為だ。フリットは「そっか」と小さく零し薄らと笑みを浮かべる。顔は伏せられはっきりとした表情は分からない。


「でも、向こうでも元気そうで安心したよ」

「そう見えるか?」

「あの頃よりは、ね」


 そう言って俺の顔を見た。一年前よりはマシな表情をしているのだろうか。噂に翻弄される俺へ、部署は違えど同室だったフリットには相当な気を使わせていたと思う。


「フリットは変わりないか?」


 問うとフリットの笑みが消え苦々しいものとなる。


「昨日のを見たら分かるだろ」

「確かにな」


 相変わらず自由奔放なユーフェミア王女に振り回されていた。それと同時に思い出す。


「大丈夫なのか? その、傷とか」

「ああ、あれの事。聞いてたんだね」


 フリットは何がとは言わない。第四王女暗殺未遂事件。彼が話さないことを職権で知り、話題に出すことに対して少し後ろめたさを感じた。


「俺は大丈夫だよ。でも」


 言葉の後半から声色が変わる。


「ユーフェミア様を狙った奴を許すつもりはない」


 氷の様な声。穏やかな口調だが、そこには激しい怒りが込められていた。静かに響く抑制された冷静さに息を飲む。


「この話はやめよう」


 フリットから会話を打ち止める。そこには先程までの柔らかな笑みがあった。


「そうだな」


 久しぶりの再会でこれ以上不穏な話は避けたい。

 空気が沈み切る前に料理が運ばれて来た。まず二つ、鶏肉のパイの包み焼の上にクリームソースがかけられた物がそれぞれの前に置かれる。

 俺の注文に対して指摘していたが、これはフリットにとっても好物であった。俺が何か言おうとしたのを察したのか、眉を下げ困ったように俺を見る。そしてお互いに顔を見合わせ笑った。

 そこからは他愛もない話をし、夜は更けてく。


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