「おかえり」⑦
フォリシア滞在二日目。
昨日の疲れが取れた気がしない。理由は異常に硬いベッドのせいか、それとも気の持ち様か。多分両方だ。隣を歩くエドガーは俺の顔を見て眉を上げた。
「昼間っからそんな顔してんなよ」
「悪い……」
力なく謝罪する俺に目元が鋭くなる。
「だから謝るなって」
「わる、あっ……」
急いで口を閉じる。横目でエドガーを見ると、怒りではなく呆れた目で見ていた。
「もういい」
エドガーはため息をつき、俺に対する諦めを示す。その対応が一番辛い。
気まずくなり俺は町の景色に目を向けた。煉瓦造りの家々が佇み、その周囲を低木が取り囲んでいる。俺達が歩く石畳の道の両脇には花壇が設けられていた。
俺達二人はフォリシアの町を歩く。
変わらない故郷の景色に変わらない自分。嫌になる。嫌でも仕事はしないと。いつも率直に聞いてくるエドガーが昨日の事には触れない。ありがたいが気を使われていることを実感し情けなくなる。
「で、俺達は何をするんだ?」
肝心の仕事の内容を問われ悩む。これしか思い浮かばない。
「散歩、かな?」
「……だよな」
エドガーも想定していた答えだが、改めて聞き落胆していた。今回俺達は執行部としての仕事はない。
それでもある程度は地形を理解してもらわなければならない。そのためいつもの二人に分かれ、向こうにはマリーが付いて町を案内している。
「あとは一応事件現場を見たり、魔具とか術師達の資料を確認して気になる点があれば報告するくらいだよ」
とりあえずそれらしい話はするが不満顔は変わらなかった。エドガーの気持ちも分からなくはない。緊急の案件だと招集された後、即座にフォリシアに派遣され、そこでやる事が散歩だと言われたら不服に思うだろう。
しかしこの行為がアウルムに対して威圧となる。僅かでも取引を遅延させる事が出来ればその間にミルガートや術師協会が裏で交渉を行う。俺達がこの場にいるという事が重大な事象の一つなのだ。
歩みを進めていく。特に見るべき所もないため適当に花壇へ目を向けた。色とりどりの花を咲かせる一方で枯れている株も目立つ。手入れが行き届いていないのだろうか。町を歩く人の数も前に比べて少ない。
「それにしても、ここがフォリシアか」
同じく町を見ながらエドガーが呟いた。
「フォリシア産の魔石は質が高くて帝国でも人気だったぞ」
「なんか意外だな」
「原産地じゃ分かりにくいもんだよ」
そう言いながら、エドガーは表情を曇らせる。
「確かマリーは魔石の貿易もフォリシアに不利な条件ばっかって言ってたよな」
彼の言いたい事は分かる。向こうでは高級の魔石は、小国と下に見られ安価で買い叩かれる。この国は明らかな搾取を受けていた。
「でも、革新派に手を貸してまでのんびり侵攻しようとする必要性が感じられねーな」
「貿易が今のままならアウルムの利益は大きいからか?」
俺の問いに頷く。
「それに二度も侵攻すればミルガートやイスベルク以外にも顰蹙を買う。大国つっても世界中を敵に回そうとは思わねーだろ」
エドガーはそう言いながら、新たに芽生えた疑問に沈む。組まれた腕の間から出た指が自らの上腕を叩いていた。
「アウルムが魔石だけじゃなくてこの土地に価値を見出してる、とか」
「でもなんで」と、自分で出した結論がさらに疑問を呼んだ。緑の瞳は地面の一点を見つめ思考に耽る。考えるのに集中し、前から人が歩いてくることに気が付いていないようだ。ぶつかる前に腕を掴んで引き寄せる。急に引っ張られたエドガーは俺に抗議の目を向けるが、すぐ横を人が通り過ぎるのを見て顔を伏せた。
「理由はなんにせよ俺達が出来る事はない」
「交渉が良いように進むのを願うだけか」
前を向き、乱れたコートを正しながらエドガーは短く息をついた。
フォリシアが置かれた状況はかつて存在したエスト自治州に近い。魔石鉱山の権利を主張し宣戦布告をしたアウルム帝国とエストを守るために対立したイスベルク王国。結局イスベルクは戦争から撤退しエストは取り込まれた。何もしなければ、故郷もその運命を辿るのだろう。
「それでも、これはエストみたいに戦争にならないだけマシだよ」
俺がその名を出すとエドガーの眉間の皺が深くなる。視線は遠く彼の地を見るように空へ向けられた。
「緩やかに侵攻してるだけで、内乱が起きれば結局血を見る事になる。どっちも同じだ」
エドガーは喉の奥から押し出すように言葉を吐き捨てる。自国の侵略行為を蔑み、恥ずべき行いだと嫌悪していた。
故郷に対して感情を露わにするエドガーに対して俺は、故郷が消える危機に対して不快感を抱いていない事に気が付く。不作に財政難、魔物被害等いくつもの問題を抱え続けるのなら、アウルムに取り込まれた方が良いのではないか。こんな国、
「そう言えば一年ぶりに帰って来たんだろ?」
重い空気を払拭したいのか、エドガーが話題を変える。
「家族には会いに行くのか?」
エドガーに目を向けると純粋な疑問を浮かべていた。顔を前に戻し答える。
「……家族はもういないから」
「わ、悪い……こんな事、聞いて」
いつもは強気なエドガーもこの時ばかりは弱々しく言葉を発した。聞いてはいけないことだったと自責の念に駆られるエドガーへ薄く笑って見せる。
「良いよ別に。もう三年も前の事だし」
気が付けばもうそんな月日が流れていた。何も思わないわけではない。今でも思い出せば寂寥感が胸に吹き荒れる。早すぎる両親との別れを何度嘆いたかことか。
その悲しみを乗り越えられたのは、親友の存在と当時の夢のお陰なのだろう。
「三年前って言ったら……あの竜害か?」
おずおずとした口調にエドガーが慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。少し面白かった。頷き肯定する。
「やっぱりアウルムにも話は届いてたんだな」
「当たり前だろ。あれは……」
エドガーは被害者家族である俺を前に言葉を濁した。
フォリシアを襲った竜害。当時の俺は二十歳、部隊長に任命された直後の出来事だった。超大型の竜は周囲の村と町を三つ滅ぼした後王都へと降り立ち破壊の限りを尽くした。途方もない数の死亡者と行方不明者を出したこの事件は歴史に残る魔物被害となっている。母さんは焼かれ、騎士団長だった父さんも竜と相打ちになり死亡。俺は家族を失った。
「フォリシアにとって竜は今でも恐怖の対象だよ」
思えばこの時の復興から財政も傾いている。父さんが居なくなった事で俺の噂も広まり始め、碌なもんじゃない。
それでも、この竜害の後からこの国を守りたいと、強くなりたいとさらに願った事を思い出し憂鬱になる。
再び町に目を向ける。あの時焦土と化した面影はもうない。当時抱いた思いは立て直された街並みに消え、どこかに行ってしまったのだろうか。