「おかえり」⑥
任務説明が終わり、俺達は騎士団の寄宿舎にて今回の宿泊先の案内を受けている。部屋も騎士団詰所の一角を使用しているため、同じく騎士団の施設を間借するのは理に適っている、が。
ため息が漏れそうになるのを堪え周りを見る。廊下の床板は所々新しい木材で補修され、古びた板との色の違いが目立っていた。歩くたびに木材の硬さや軋む音が違う。それはこの建物がいかに長く生き延びてきたかを物語っている。
そして、廊下を歩いているだけで見知った顔と頻繁にすれ違う。振り返って見る者、態々声をかける者、通った瞬間声を潜め会話を始める者と様々。そこら中から感じる視線が肌に突き刺さりあるはずのない痛みを感じた。放っておいて欲しい、頼むから。
「ここは私が案内するよりアイクさんの方が詳しいでしょうね」
「まあ、な」
マリーの言葉に苦笑いを浮かべる。騎士団では俺を知っている人が多すぎる。宿泊先がここであるとなんとなく予想はしていたが、実際に告げられた時は落胆した。城下町の宿屋では何かあった時対応に遅れる可能性があるため仕方ないのだが、やはり嫌なものは嫌。恨むべきは術師協会の支部がない小国か。
「一年ごときで変わるわけないもんな」
この言葉はこの場所か、自分に対してのものか。いつまでも過去の出来事に囚われ、晴れる事のない感情を抱えたまま故郷の地を歩いている。芯の強さがあれば、堂々とこの廊下を歩けているのだろうか。そもそも噂なんて跳ねのけて、今も騎士団にいたかもしれない。
「久々の故郷はいかがですか?」
「……分からない」
俺の回答にマリーは疑問符を浮かべた。
「分からない、とは? 懐かしいとかそう言った感情もないんですか?」
新たな質問を投げかけられ、腕を組み考えた。
「懐かしい、とは思うけど色々な事がありすぎて整理ができてないって言った方が良いか」
「こんな情勢ですし仕方ないですね」
俺の答えに納得したようだった。間違ったことは言っていない。気持ちの整理が出来ていないのは事実。そしてそれが仕事に支障を来そうとしていた。仕事と感情を分けられないなんて、またしても自分が嫌になる。
「でも、国がこんな状態でもここが何も変わってないのは少し安心するかもな」
廊下だけではなくひび割れた壁もそのまま。元から目も当てられない傷になるまで放置されていたが、今は暴動への対処で仕事が激増し、直す余裕もないのだろう。
先程見取り図で確認したが、明かりなどの動力を担う魔具も王城と詰所含めて一つのまま。グラウスにて最先端の技術を目の当たりにした後では考えられない。もし壊れたら何もかも破綻しそうだ。
「じゃあ、逆に一年間グラウスに行ってどうでしたか?」
再び悩む。この一年どうだったか、その問いにはこれしか思い浮かばない。
「……忙しかったな」
「充実している様で何よりです」
回答を聞きマリーは目を細め柔らかく微笑んだ。任務説明の時はその場に合わせた形だけの笑顔しか見なかったため、こうして自然な顔を見るのは意外だ。
「実を言うと私、皆さんに会うのを楽しみにしていました」
「俺達に?」
マリーは頷き続ける。
「ええ、話題のグラウス執行部の方々はどんな人なのかと。一緒に仕事をするのが決まった時は他の職員から羨望されましたよ」
鋭い灰色の瞳が俺を一瞥し前に戻った。術師協会の職員から期待されるのは光栄だが、俺は彼女に応えられているのだろうか。フォリシアに来てから落ち込んでばかり。失望されていてもおかしくない。
「威厳も何もない見た目でがっかりしなかったか?」
疚しく思う感情は言葉となって零れる。上手く作れない笑顔が卑屈さを増長し畳みかけた。しかしマリーの表情は変わらない。
「私は容姿で判断しません。何より、貴方達は結果を残しているじゃないですか。東部支部でも活躍はよく耳にします。どんな仕事でも執行部に投げれば解決していると。小回りも利きますしね」
「俺達を良いように使ってるだけじゃねーか」
話を聞いていたエドガーが不満気に呟く。事実にマリーの笑顔が苦々しいものへと変わった。
「それでも、貴方達が駆け付けてくれたお陰で救われた命もあります。皆、感謝していますよ」
「そう思って貰えてるなら良かったよ」
言葉は胸に暖かく浸透する。社交辞令だろうが実際に投げ掛けられるとやはり嬉しく、命をかけて仕事をしてきた甲斐がある。
だが、救った命は確かにあるだろうが、それは別の命を奪う事で成り立つもの。血に汚れた正義である事を、俺は忘れてはならない。
歩いていると目の前から二人で歩く男性の姿が目に入った。片方の男性の顔を見て息が詰まる。俺に気が付かないのか、視線は傍らの男性に向けられていた。このままどうか見つからない事を祈りつつ歩いて行く。
二人との間は僅かなものだがやけに長く感じた。彼らはそのまま談笑しながら俺達の横を通り過ぎていく。良かった、話しかけられなくて。
安堵感に息を付いた瞬間、後ろで靴音が止まった。
「あれ? アイクじゃん」
低く軽薄な声に心臓が跳ね上がる。声をかけられ反応しない訳にはいかない。俺が足を止めると、皆も足を止める。嫌だが、仕方なく振り返った。
「お久しぶりです。イェルドさん」
そこにいたのはかつて先輩だった人物。無愛想な顔を向ける訳にはいかないため、無理矢理笑顔を作るが口の端が上手く上がらない。俺はこの人が苦手だった。
イェルドはマリーの付ける術師協会の腕章を見た後、再び俺に顔を向けた。
「他の奴らが騒いでたけど本当に術師協会に行ってたんだな」
「はい。当時は突然辞めご迷惑をおかけしました」
「いいよいいよ」
一年前と変わらない髭面に侮蔑を含んだ笑みを湛えながら言う。
「で、術師協会もツテで入ったのか?」
それは胸を抉るような凶悪な一言だった。フォリシアを離れた事で癒えかけた傷が再び出血を始める。「そんなわけがない」と言いたかったのだが声が出ない。痛みと共に呼び起こされる当時の記憶が、感情が、思考を妨げる。
最初こそイェルドは騎士学校の先輩として優しい素振りを見せていた。しかし俺が部隊長に昇進し噂が流れ始めた頃、彼は周りと一緒になり不平を口にしていた。俺の技能を疑い、立場への不満を訴えていた事を覚えている。
「そんなんで役に立ってるんですかね?」
イェルドの隣の男性も俺を見て笑っていた。名前は知らないが、彼も噂を知っているのだろう。だからこそこうして嘲弄の目を向けている。
「そうだよな。四級術師のアイクが……」
「アイクは今二級だぞ」
エドガーが彼らの会話に口を挟む。眉間に刻まれた皺はいつもより深い。
「はぁ? 二級?」
信じられないと言わんばかりの表情で俺を見た。確かにフォリシアを離れた当時、俺はまだ四級術師だった。しかし術師協会に正式に加入した後能力の査定で三級に。そして仕事の実績として半年程前に二級に昇格している。イェルドの顔が不快に歪んだ。
「まさかお前、査定官と寝たのか?」
「なっ」
一瞬何を言っているのか分からなかった。冷たい感情が駆け抜けた瞬間、それが急激に熱を帯び怒りへと変わる。口から発せられたのは最大の侮辱だった。
「んですか、それは」
荒げそうになる声を必死に抑え込む。心臓が高鳴り、血液が沸騰するような感覚。握りしめた拳が肌を突き破りそうになる。
これは違法術師やアーティファクト相手に生き延びてきた証だ。それを、そのように言うのはあってはならない。俺だけでなく全ての術師に対する侮辱だった。しかし、俺が強く出れないのを見てさらに笑う。
「だってお前可愛がられそうな顔してるだろ? 向こうでも気に入られてるんじゃないか?」
「そんな訳ないじゃないですか。術師達の正義と秩序を司る組織が……」
声が震え、怒りが理性を突き破って溢れ出しそうだった。彼は、俺の何もかもを認めないと言うのか。
「ごちゃごちゃうるせぇな。そう言うおっさんは何級なんだよ」
声色に不快感を露わにしながらエドガーが言う。「おっさん」と呼ばれたイェルドは顔を歪めた。彼はもう三十近く。威厳を示すために生やした髭が見た目から思い浮かぶ年齢をさらに高く見せていた。
「なんだよこのガキは」
「まさかお前がガキって馬鹿にする三級の俺より下って事はないよな?」
わざと声を張り上げ、近くを通りかかった人にまで聞こえるようにエドガーは言う。注目が集まり、イェルドの顔が赤くなっていく。
変わっていないのなら彼は四級術師。それでも高位術師の一端ではあるため、それを誇りに思い自慢していたのをよく覚えている。それが今、エドガーの一言によって汚されてしまった。
「お前……!」
イェルドが足を踏み出した所で俺はエドガーの前に立つ。ようやく頭が冷えてきた。エドガーが口を挟まなければきっと暴力沙汰になっていただろう。彼の発言を許した訳ではないが冷静を装いイェルドを見据える。俺には班員を守る義務がある。間近まで迫ったイェルドとの無言の睨み合いが続いた。
「先程の言葉は術師協会への侮辱に当たりますよ」
マリーの声が張りつめた空気を割いた。
「不満に思うのは勝手ですが、過度な言葉は査定に関わりますからね」
氷点下の声色で言い放つ。管轄内の協会職員に逆らおうとは思ないのか、イェルドは面白くなさそうに鼻を鳴らし顔を逸らした。
「良い滞在になると良いな」
最後に俺を忌々しい物を見る様な、憎しみの籠った目で一瞥し向きを変える。もう一人の男性に「行くぞ」と声をかけ、わざと足音を立てながら去っていった。
「悪い、不快な思いさせて……」
「お前が謝る事なのか? 何もしてねーだろ」
確かに俺は一方的に嘲笑を受けただけ。エドガーのため息が胸に刺さる。呆れられても、それでも謝る事しかできない。これは強く彼を糾弾する事が出来なかった、自分の情けなさに対する謝罪なのだから。
結局自分は何も変わらない。フォリシアから逃げ一時的には救われたが、いざ対峙すれば竦み何も言えなくなってしまう。
どこに行こうが俺は、あの頃の自分でしかないのだ。




