「おかえり」③
約半日馬車で進み、ようやく王都を囲う城壁が見えてくる。荘厳な石の壁は遠くからでも嫌と言う程目に入った。
今朝、日の出と共にグラウスを出発。それからこの国に隣接するジルディア公国まで転移通路で進み、馬車を乗り継いでここまで来たが流石に時間がかかってしまった。日は半分以上傾き夕方が近い。
城門の手前で馬車は止まり、そこから歩いて向かう。そびえ立つ城壁が日を隠し、冷たい空気が肌を刺す。
「ここら辺で担当と合流だっけ?」
歩きながらマルティナが確認した。
「ああ。確か西門入口から案内してくれるはずだけど」
昨日説明された内容を思い出す。ここで先に現地に滞在している術師協会の職員と合流する予定だ。
マルティナは顔を少し上げ、森との境目に広がる城門を見渡した。
「小さい国って言ってたけど王都は立派じゃん」
どこまでも続く高い石の壁に感心を示しているようだった。見慣れたものだが、改めて見上げると圧倒的な存在感を放っている。
「まあ、歴史だけは長い国だからな。この門も大災害直後に再建したものらしいし」
遥か昔からこの地に立ち続け、修繕を繰り返し今もなお強くこの地を守り続けている。国土の殆どが木に埋め尽くされたこの国では魔物による被害が多いため、それから国民を守るために大いに機能していた。表面は無数の小さな傷が刻まれ所々苔むしている。厚い石の隙間には小さな草が根を張り、静かに自然の手が加わっていた。
城下町へと続く西門が目の前に迫る。同時に、備え付けられた関所にて見慣れた橙色の頭髪が目に入った。よく童顔と称される俺以上に若く見られがちな顔の作り。それは、元部下の姿だった。
向こうも俺達に気が付いたらしい。遠目で分かるほど、目を見開いて俺を凝視する。
「アイク隊長!?」
「ノエ、久しぶりだな」
唖然とするノエにどんな表情を向ければいいのか。作った笑みは苦々しいものへと変わる。
旅券を提出するための窓口を挟み俺達は向かい合った。驚愕に硬直していたノエの唇が半月状に歪み、笑顔が広がっていく。
「術師協会から派遣されてくるって聞いていましたが、まさか……」
震えるその声から心からの喜びが滲み出していた。見知った人物には会いたくないと思っていたが、やはり再会は嬉しく思う。矛盾する心境に、ノエとは逆に口角が落ちていく。
「また知り合いか?」
ノエと俺、交互に見てエドガーが問う。
「同じ部隊にいた部下だよ」
答えるとエドガーはもう一度ノエへ顔を向けた。二人の目が合い、ノエから頭を下げる。
「他の皆様もようこそいらっしゃいました。挨拶が遅れて申し訳ありません。自分はノエと申します」
顔を上げたノエは喜びの奥に別の感情を隠した、複雑な表情をしていた。
「まさかあの術師協会の職員として帰ってくるなんて思いませんでした。やっぱり凄いですよ、アイク隊長は。フォリシアには志願して来てくださったんですか?」
「俺達は仕事を選べる立場じゃない。偶然だよ」
ノエの問いは、俺がまだ故郷を思っていると希望を信じたものだった。それがありえないと言うことは彼自身が一番良く分かるはず。分かっているが、聞きたかったのだろうか。
ノエは一瞬目を伏せるもすぐに取り繕うに笑う。
「そうですか……でも、夢みたいです! もう二度と会えないんじゃないかって思ってましたから!」
口元だけの笑顔。沈んだ瞳は俺を見ない。
「だって、僕のせいでアイク隊長が、」
「ノエ」
彼の名を呼び会話を遮る。続く言葉を言わせたくなくて。
「えっと」
不自然な形で止めてしまったため、視線が俺に集まった。会話のない嫌な沈黙。気まずさに何とか言葉を捻出しようとする。一つ、あった。
「俺はもう騎士団は辞めてる隊長って呼ぶのはやめてくれないか」
咄嗟に出たのは自分でも驚くほど冷たい声だった。言葉を受けたノエは小さく俯いた。
「すいません……」
謝罪し肩を落として落胆する。突き放しているにも捉えられるが当たり前の事。俺は既に辞めていて騎士団の人間ではない。呼ぶ必要も、道義もないのだ。ましてや、俺は彼らに何も言わずフォリシアを去った。帰郷を喜ばれる理由も、未だに慕われる所以もない。出来る事なら、術師協会に逃げた俺を憎んでいてくれた方が気楽だった。
それに、俺はノエの複雑な表情の意味を知っている。だからこそ、罪悪感が増幅し胸を締め付ける様な感覚が強くなる。それはノエも同じだった。こうして二人で向き合うからこそ思い出し、傷付け合う。
「アイクって有名だったのか?」
後ろからエドガーが問いかけた。余計な事を聞くなと諫めるように視線を向けると「国境でも話しかけられてただろ?」と純粋な疑問をぶつけてくる。
「勿論!」
ノエの顔が上がり、瞳は光を取り戻す。
「アイクた……アイクさんは騎士団の中でも最年少で部隊長に抜擢されてますからね」
「へぇ……」
相槌を打ちながら俺を見た。他の皆の視線も痛いくらいに感じた。ノエは嬉々として続ける。
「ご友人のフリットさんも騎士団始まって以来の天才って言われていますし、二人揃って皆の憧れでした」
過去形となった自らの言葉にノエの顔に影が落ちた。いくらあの頃の日々に思いを馳せようが、もう戻らないのだから。
「もういいだろ、俺のことは。中で担当を待たしてる」
強引に話題を打ち切るとエドガーが不満気な顔をした。なんで人から俺の事を聞こうとするんだ。俺に聞けば良いだろ。
「そうですね……。引き留めてしまってすいません」
瞳にはどこか遠くを見つめる様な寂しさが漂っていた。口元には微かな微笑みが浮かんでいるが、その奥には哀愁が滲む。
「しばらく滞在するんですよね? 良かったらまた来てください」
「ああ、時間ができたらな」
答えるとノエ本来の弾ける様な笑顔が戻る。その場限りの曖昧な言葉と分かっていても、俺の回答を心から喜んでいた。
「ありがとうございます! 調査、頑張ってください!」
ノエに見送られ関所を後にする。
木製の門が開かれ、俺達は歩みを進めた。
「あまり嬉しそうじゃないのね」
斜め後ろからヴィオラの指摘が向けられる。
「久しぶりでどう話せばいいのか分からないんだよ」
歩きながら答えた。これは誤魔化しではなく本心だった。ノエが俺を慕い続けてくれているのは素直に嬉しい。しかし、俺は逃げた身。ノエを、親友を、騎士団を裏切ったに等しい。憧れの対象として不相応な人間なのだから。
消化しきれない感情を抱えたまま城門を通り抜ける。城壁に並ぶように建てられた、門を担当する騎士たちの詰所前に一人の女性がいた。俺達に気が付き小さく頭を下げ、金色の髪を短く揺らしながら近付いてくる。
「術師協会東部支部所属のマリー・アリオストです」
マルティナと同じくらいの長身の体躯。そこから放たれる圧倒的な雰囲気は、さすが術師協会の職員と言うべきか。
「グラウス執行部の皆さん、お忙しい中来ていただきありがとうございます」
丁重に挨拶をした後俺に鋭い灰色の目を向けた。つま先から頭まで見られている。
「貴方が噂のアイクさんですか」
「噂?」
エドガーが聞う。
「悪い物じゃないですよ。術師協会として介入する人物を騎士団の責任者に伝えた時、『きっと皆喜ぶだろう』と話していたので。どんな人物か気になっていただけです」
話とは本当にそれだけだろうか。顔を顰める俺とは逆に、マリーの硬い表情が僅かに緩み口元に笑みが浮かんだ。
「改めまして、ようこそフォリシア王国へ」
俺の感情など置き去りにして話は進んでいく。そして、この時よりフォリシアでの仕事が幕を開けた。
もう、嫌だとは言っていられない。