「おかえり」②
「もしかしてアイクさんですか?」
ジルディア公国との境目、フォリシアへと足を踏み入れた直後、俺は若い騎士に問いかけられる。森を割くように建てられた灰色の壁。国境を守る要塞の入国管理局へ向かった矢先の出来事だった。
まさか早速知り合いに会うとは思わず息が詰まる。小さく頷き肯定する事しかできない。
「一年ぶりになりますか? こんな所で会えるなんて思ってもいませんでしたよ」
俺の魔具へ検査用の術式を向けながら彼は楽しそうに話す。鑑定結果を眺めていた青い瞳が俺へと向けられた。
「自分の事覚えていますか?」
「勿論。レイマだろ」
答えると口元を綻ばせた。忘れる訳がない、志を共にした者の名を。彼とは部隊は違ったが騎士団の宿舎で挨拶を交わし、何度か会話もしている。初めて名を呼び、声をかけた際はとても喜んでいたのを思い出し、懐かしさに笑みが零れた。
「術師協会でもフォリシア製の魔具を使用し続けているんですね。魔石の制御魔具は、随分面白い事になっていますけど」
「まあ、な……」
フォリシアを離れた際に魔具を変える選択も存在した。だが、新しい環境で使い慣れた剣を手放すのはあまりにも無謀で、新しい魔具を試す機会を失ったままずるずると使い続けている。魔石の制御魔具は、改造を重ねる内に最早別物となっていた。それに関しては何も言えず、ただ苦笑いを浮かべた。通常なら改造痕の残る魔具はその場で差し押さえられてもおかしくないのだが、術師協会の特権で国を渡る際も何とかなっている。
検査を終え、安全が確認された魔具が俺へ差し出された。
「こんな情勢ですがまた会えて嬉しいです。他の皆もアイクさんに会ったら喜ぶと思いますよ」
「そうかな……」
表情を見るに本心から俺との再会を喜んでくれているのだろう。だが、懐旧の情はすぐに罪悪感に塗り潰された。どんな顔で王都に戻れば良いのか、未だに分からない。
魔具を腰へと戻し横を向くと、他の三人はもう検査を終え待機していた。話していた分長くなってしまったようだ。
「術師協会の仕事頑張ってください」
名残惜しそうに笑いながら頭を下げた。俺も片手を上げ答えると入国管理室を後にする。
そのまま要塞を通り抜け王都へと続く道に出た。道と言っても木々を切り開いただけで舗装もされていないお粗末なものだが。
すぐ傍で待機していた馬車に乗り込むとすぐに出発した。
深い木々の間を通り進んで行く。国境から王都までだいぶ離れている。今は昼前だが、到着は夕方になるだろう。
やはり不安でしかない。
重大な仕事だと自分に言い聞かせ納得したはずだのだが、やはり嫌なものは嫌だった。お陰で昨日は寝つきが悪く、やっと寝れたと思ったら子供時代の夢まで見てしまった。懐かしく美しい思い出だが、今では罪悪感を増強する代物でしかない。
大腿の上で組まれた指に力が籠る。そう言っても逃げられる訳ではない。そろそろ現実を受け入れなければ。口からは大きなため息が漏れた。
「そんなに嫌なのかよ」
エドガーの問いに顔を上げる。隣からは呆れを含んだ視線。頷く俺を見て怪訝な顔をした。
「昨日も散々ごねてたけど、なんでそんなに帰りたくねぇんだ?」
エドガーの率直な疑問は刃となって胸を抉る。
「それは……」
答えられない。視線に耐えられず前を向く。瞳だけエドガーに向けるとまだ俺を見ていた。
「それは?」
エドガーは回答を促す。視線が痛い。まだ見ている。答えるまでこのままなのだろうか。
確かに俺がこんな状態では不安に思うのだろう。仕事に支障が出ると思われても仕方がない。なんせ今回はアウルム帝国に圧力をかけるための派遣。こんな状態では術師協会の威厳も何もない。
一度冷静に今後の事を考える。この場を何とか乗り切っても、出向いた先で俺を良く知る人物に出会う可能性は高い。ならば、今ある程度話しておくべきか。
「……術師協会に行く事をさ、」
話始めると胸が強く脈打つ。嫌な動悸に顔を歪めるが、ここまで来て途中で止める事は許されない。
「誰にも言わずに来たんだよ」
「マジか……」
予測できなかった答えなのか、エドガーの喉から驚きの声が零れた。
「フォリシアの皆からしたら、俺は突然いなくなったようなもんだから……」
フォリシアを去った時の事を思い出し胸が痛む。ほぼ突発的な行動だったため、離れた直後は今より激しい罪の意識に苦しんだ。なんだか頭まで痛くなってきて額に手を当てる。
だが、こうして苦しむのは自らが招いた結果だ。騎士団を辞めるとしてももっと方法があったはず。自業自得としか言えない。この苦痛は逃げ出して得た一時の安楽の代償と言ってもいい。
「そりゃ帰りにくいよな」
エドガーは納得すると、腕を組み背に体重を預ける。そして首を捻った。
「でも、アイクがそんな不義理な事するなんて考えられないな」
新たに生まれた疑問を口にする。緑の瞳が再び俺に向けられた。
「何かあったのか?」
エドガーの追及は確信へ迫ろうとする。答えられない。嫌な静寂に息が詰まる。馬の蹄が地面を叩く重い音だけが響いていた。
以前ジョエルに話した時に思ったが、あんな情けない話皆に出来る訳がなかった。威厳を保ちたいという訳ではない。だだ、なんとなく、話した事で皆が俺に向ける目が時騎士団内で向けられていたものに変わってしまう気がして。実力不足に関して決定的な理由を付けられてしまう気がして。そう、怖かった。
「あたしも故郷に帰りたいと思わないけどな」
マルティナの声が沈黙を割いた。
「マルティナはエレフ共和国出身だったよな」
「そうそう、治安最悪」
彼女の出身地を答えると、俺の前の席に座る彼女は嫌そうに頷いた。
「生きてるだけで犯罪に巻き込まれる様な都市、帰りたいなんて思わないよ」
「確か年間の犯罪数は毎年増えて記録更新し続けてるんだっけか?」
マルティナが振った話題にエドガーも乗る。俺への興味はエレフの話題へと逸れていった。
話が変わった事に安堵感を覚える。マルティナは俺に対して片目を閉じ薄く微笑んで見せた。彼女の気遣いをただありがたく思う。笑みを返し、感謝の意を示す。やっと呼吸が出来る気がした。
「三班もよくあんな所で仕事続けられるよな」
「事件が多すぎて帰ってくる暇がないんじゃないか?」
エドガーの言葉に返す。言われて思い返したが、そう言えばほとんどグラウス内で姿を見ていない。
「地元の警察じゃ手一杯だからね。だから賞金稼ぎが幅を利かせてんの。他じゃありえないでしょ?」
あの町で賞金稼ぎとして生き、暮らし着てきたマルティナの言葉には説得力があった。思い出しながら彼女は続ける。
「折角術師協会に勤められたのにあそこから帰って来れないのはちょっと可哀想。あたしなら絶対文句言ってるよ」
「執行部が常駐してんのは特殊だからな」
エドガーは眉間に皺を寄せた。俺達がたまに行う長期任務だって長くて二週間程度。半年以上エレフに関わっているのは少々異常だった。
「私達の今回の仕事だって十分特殊じゃないかしら?」
斜め前の座席でヴィオラが呟く。長い睫毛に縁取られた紫の瞳は帆馬車の小窓、フォリシアの有する森へと向けられた。
「それもそうだな」
俺達に与えられた仕事はグラウスが開設されて以来初めてのものだろう。なんせミルガート合衆国がフォリシア王国と交渉を開始するまでの繋ぎ、アウルム帝国に対しての圧力をかけるという役割なのだから。
違法術師を捕まえるのが仕事の俺達が何故こんな諍いに巻き込まれたのか。あくまでも予想だが、今回の派遣に求められたのは少人数で小回りが利き、ある程度実力が保証され、かつ堂々と活動できる者達。つまり俺達だった。天下の術師協会の派生組織なのを良い事に、都合の良い様に使われている。
「なんか、荒れてるな」
エドガーも小窓から外を見て呟いた。目を向けると丁度国境手前の村に差し掛かる所だった。
地面には深い爪の痕がめり込む様に所々へ刻まれている。その横、手入れの行き届かない畑は雑草が覆い尽くし枯れた作物が風に揺れていた。先に佇む家屋も扉や窓が開けられたまま放置され人の気配はない。静けさが漂い、ただ空虚な広がりが残されていた。
「ここも元は綺麗な村だったんだけど」
魔物の討伐で一度立ち寄った事がある。確か三年程前だっただろうか。久しぶりに訪れたこの村は驚くほど変わり果てていた。
何故廃村となってしまったのか。考えられるのは一つ。国が保障として稼動させる魔物除けの範囲を狭めたせいだろう。
ふと、ミシェル指令が話していた内乱について思い出す。
「今回の暴動はいつか起こる事だった。主な産業は魔石の採掘くらいしかない。魔石だっていくらでも取れる物じゃないし、自然保護協定で年間の採掘量は制限されてる。仕事が増やせないのなら、国民の生活は今以上に潤う訳がない」
フォリシアでの生活一つ一つを思い出せば叛逆への兆候はあった。ただ皆静かに耐えていただけで、不満はずっと抱えていたのだ。
「それに弱小国では他の国に対して政治的にも貿易的にも優位に立てない。いつだって搾取される側だ」
視線を床へと移し続ける。
「生活が困窮すれば、その責任は国王に向けられる」
暴動は起こるべくして起こった。ここで暮らす者、誰もがそう思っただろう。
馬車は廃村を通り過ぎていく。