愚者と深緑の森⑦
「スヴェンはなんですって?」
「無事に向こうの仕事も終わったらしい」
横で通信が切れるのを待っていたネルは俺の言葉を聞いて「良かったです」と胸を撫で下ろした。
転移通路の不具合から一夜明ける。俺達も仕事を終え、あとは術師協会でスヴェン達の帰りを待つだけとなっていた。一応の転移通路の置かれる建物の外で待機しているが、これを使って帰る事はないだろう。
「こちらも何事もなく終わりましたしね」
「……そうだな」
何事もなく、本当にそうだろうか。
違法術師達の拘束は想定していた通りに行かず大乱闘となった。幸い逃亡者も出ず、こちらに怪我人もいない。結果的に見れば任務は成功と言えるのだが、問題はなかったと言えば嘘になる。
こうも思考せざるを得なくなった二人を見る。ネルは俺の視線に首を傾げる。壁に背を預け、目を閉じるシモンは本当に何も考えてなさそうだ。普段好戦的なマルティナでさえ彼らの行動を肯定せず明後日の方向を向いている。
シモンについてはスヴェンの話でなんとなく想像していたが、まさかネルまでとは思ってもいなかった。通信が切れる間際「ネルとシモンの管理は任せた」と言っていた意味を痛感する。スヴェンのいつもの苦労を思い知り、彼に少し優しくしようという感情さえ芽生えた。
話を聞いていたマルティナが体を伸ばす。
「それじゃあ、あたし達はしばらく待機になるの?」
「そうだな。ここに到着するのは夕方以降になりそうだ」
彼らは樹海の半ばまで行っている。順調に帰って来られても時間はかかるだろう。
昨晩の出来事についてはもう終わった事だ。良い経験になったという事にして気持ちを切り替えていこう。
「久々に大人数を相手にしたな。高位術師でもいればよかったのだが……まあ良しとしよう」
シモンが満足気に呟き動き出す。
「やる事はないのだろ? 俺は素振りでもしてくる」
「遠くに行っちゃ駄目ですからね」
ネルの言葉を聞いているのかいないのか、シモンはそのままどこかへ歩いて行った。素振りで建物を壊さないか心配だがとりあえず放置でいいか。
「でもやっぱりアイクさん、凄いですね。倉庫の崩壊から押収物を守り切るなんて」
「はは……」
思わず乾いた笑いが出た。結局話は昨日の仕事へと戻る。
戦いの際、シモンの刃が倉庫の支柱を破壊。当然倉庫は崩壊を始める。証拠となる押収物が敷きにならない様、俺は強化術式を多重展開し落下する瓦礫を全て叩き切る羽目になった。本当に死ぬかと思った。
「でも」
ネルの声色が突然変わる。
「アイクさん、違法術師相手に手加減してませんでしたか?」
先程まで笑顔だった彼女は疑い、訝しげに俺を見た。
「剣の振りや踏み込みが不自然に遅い事が何回かありました」
彼女の指摘に心臓が強く脈を打つ。共闘を思い出しながら話し、考え、そして結論を出す。
「いえ、違いますね。躊躇ってるんですね」
ネルは断言する。彼女の言う通りだった。
「何故ですか? 彼らは悪です。悪は叩き切るのが正解です。躊躇う必要がありますか?」
曇りのない瞳は真っ直ぐに俺を見る。純粋で揺るぎない信念がそこにあり、彼女の言葉に迷いや疑念は微塵も感じられなかった。
俺は正論に対し目を逸らす事しかできない。
昨日オリヴィアに指摘された事と同じだ。日々の仕事で忙殺され忘れていた事をルークスの一件で思い出し、嵐となって胸中に吹き荒れていた。
俺は刃を振るう事に躊躇い、戸惑い、泥沼の様な感情の中で抵抗できないまま溺れていた。
「悩み事、かな」
歪な弧を描いた口から言葉が漏れる。ネルは首を傾げた。
「悩みですか」
復唱し眉に皺が寄る。
「悩みですか……」
確認する様にネルはもう一度呟いた。神妙な面持ちで腕を組み考え始める。刃を鈍らせる原因が悩みと言うのが理解出来ないのだろうか。寄り添おうと考える姿勢は嬉しいが、正直この話題は避けたい。俺としてはまた、時間が解決するのを待つしかない。するのだろうか。
ネルは何か思いついたのか、勢いよく顔を上げた。
「昨日言いかけてた事、今言うのが丁度良いですね」
真っ直ぐに俺を見る。
「アイクさん。私と手合わせしてくれませんか? こういう時は体を動かした方が良いですよ」
それは意外な言葉だった。いや、彼女らしいと言うべきか。
だが返答に詰まる。今の俺達は待機中。一応仕事中である。そんな時に手合わせするのは如何なものか。
でも空き時間には変わりないし、シモンの素振りだって問題ないと言える。それなら、
「……そうだな」
短い沈黙の後、俺は答える。多分、大丈夫だと思う。度を過ぎなければ。多分。
それに、忙しさに忘れていた感情なら、同じように活動していた方が良い。俺が承諾したのを聞いて、ネルの顔に笑顔が広がった。
「やった! ありがとうございます!」
喜びながらネルは剣を抜き後ろへ下がっていく。助走のための距離を取っていた。それに応じ俺も柄に手を沿えた。
「本気で! 魔法ありで!」
条件を伝えながら彼女は走り出す。疾駆から跳躍へ。剣を振り被り、そして頭目掛けて振り下ろす。抜刀しその刃を受けきった。満面の笑みを浮かべたネルが叫ぶ。
「殺す気でお願いします!」
「勿論そのつもりだ!」
剣を振り切ると体重の軽いネルは後ろに飛ばされる。空中で一回転。体制を整え着地する。口元には笑み。
彼女は再び向かってくる。間合いに入ると片足で旋回。薙ぎ払われる瞬間、刀身に四重の黒い術式が浮かんだ。剣を立て迫る刃に備える。刀身が衝突し、剣にあるまじき轟音が響いた。
先程とは比べ物にならない剣戟の重さに上腕まで痺れが走る。しかしそれは一瞬、上へ受け流すと再び術式が浮かび上がった。
ネルは剣を引き刺突の構え。高速で繰り出された突きを剣の腹で受け止める。先程とは違い刃に重みはない。ネルはそのまま高速で刺突を繰り出してくる。速さに特化した攻撃に間合いを取ろうと左足を下げた瞬間、剣先が右肩を穿つ。寸での所で止めると、正面でネルが笑った。
「流石ですね」
「そっちこそ」
弾き、今度こそ距離を取る。
ネルが使用したのは『軽重操法』という術式。物質の重さを操る使い手の少ない魔法だ。剣の重量を変えるこの魔法は、剣の形状や体格で衝撃を予測できないため厄介だ。
ネルは再び跳躍、空中で水平回転、さらに『軽重操法』の術式が浮かび上がる。こちらも『強法』を発動。腕に強化術式が浮かぶのと同時に、刃と刃が交差し凄まじい音と衝撃が轟いた。膝が沈みそうになるも何とか耐える。
術式を解除したネルがそのまま剣を弾くと共に飛ぶ。俺の後ろに着地。旋回し足を上げた。回転の途中で足に術式が顕現。足の先に仕込んだ鉄の重さが増し、上段回し蹴りが加速した。
避ける間もないため右腕で受けると重すぎる一撃に骨が軋みを上げる。ネルはさらに体勢を整え、軽量化した剣で高速の刺突を放つ。屈んで避けるついでに足払い。ネルは後ろに飛び回避し、着地と同時に跳躍。俺も前進し、再び剣がぶつかり合う。
それは正義のために振るわれる迷いのない真っ直ぐな剣戟だった。
では俺は? 今、ここで、何のために剣を振るう?
故郷から逃げ、流されるまま戦い続けるこの剣に意味はあるのか。
「戦いの最中に考え事ですか?」
ネルが問う。
腕を振り被ったネルが重量の増した斬り下ろしを放つ。受け流し無防備な側面へと刃を突き立てた。ネルは剣を軽くし素早く避けていく。俺は踏み出し攻撃を続けた。『軽重操法』の効果が十分に発揮される距離を取られるのは面倒だ。
遠心力と重さによって必殺の一撃を繰り出せても、受けるのが苦手なネルは躱していく。
攻撃を全て躱していたネルが突如剣を受ける。一緒に術式も発動。先程と同じ術式に見えるが輪の数が一つ多い。その瞬間、俺の剣に重みが増した。剣先が下がるのと同時にネルは斬り下ろしを放つ。重量の増した剣を上げ彼女の斬撃を受けるとさらに重み。これは術者の剣が触れた物の重さを変化させる高位魔法『授軽与重操法』によるものだった。
剣は少しずつ重みを増していく。剣を掲げ続けるにも限界がある。抗マナ術式『拒魔干渉』を発動。『授軽与重操法』の術式に拮抗させ本来の重量へと戻す。
続けて繰り出される回し蹴りは体を逸らせ回避。ネルは蹴りの勢いのまま旋回。そのまま踏み出し放った刺突は後方転回で躱す。
幾度となく脳内で反復される疑問が動きを鈍らせる。
ルークスの一件で思い知らされたのは自分の弱さ。自分がもっと強ければ、彼を制圧出来る力があれば悲劇は生まれなかった。
強ければ。強ければ? 強くなろうと決めた理由は?
考えると吐き気が込み上げる。故郷へ抱く感情が確信へ変わっていく。
考えるな! 思考を振り払うために踏み出していく!
ネルが再び飛び上がる。ネルの剣には『軽重操法』と『授軽与重操法』二つの術式。超重量で圧し潰すつもりだ。
俺も『強法』を二重展開。さらに『拒魔干渉』も発動。普段同時に使わない魔法に術式がもつれそうになるも何とか維持!
轟音。刃を受け止め、踏みしめた足が地面を砕く。ネルが『授軽与重操法』の出力を上げ刃が押される。俺も対抗して術式を持続させた。付与術式同士がぶつかり激しい粒子を散らす。どちらも長くは持たず、徐々に術式が収束。僅かな差で俺の術式が勝り、刃を押し返し振り切った。
後方へ飛ばされたネルは地面を削りながら停止。俺は体勢を立て直される前に地を蹴り進む。
剣を振り被るとネルの口元に笑み。大振りになる瞬間を狙っていたとネルの剣が引かれる。突きの構え。それこそ俺が狙っていた。
いくら高速で繰り出されようが、予測していた箇所に来る攻撃に対応するのは容易に出来る。
ネルが動き出すと同時に停止。俺の胸を穿とうとした突き出された剣を蹴り上げる。攻撃速度のため極限まで軽くしていた剣は衝撃でネルの手から離れ宙を舞う。俺が首元に剣を突きつけるのと同時に甲高い金属音を立て真横に落下した。
「やっぱりお強いですね」
ネルは両手を上げ降参の意を示した。剣を引き納刀する。
「ネルだって」
「いえ、まだまだですよ。悩みを抱えたままのあなたに剣は掠りもしませんでした」
ネルは不満気な顔で告げ、足元に落ちた自分の剣を拾った。傷がないか確認し、納刀しないまま俺を見る。
「時間はまだあります。もう一度お願いして良いですか?」
懇願するネルの眉間には皺が寄り、口元は堅く引き結ばれている。悔しさの滲む表情の中、瞳は爛々と輝き闘志に燃えていた。
「そうだな……」
どうせやる事もない。ただ帰りを待つよりこうして体を動かしていた方が有意義とも言える。柄に手をかけると、後ろから足音が近付いてくる。
「先程から愉快な事をしているな」
素振りに行っていたシモンがこちらに歩いてくる。音に気が付きやってきたのだろうか。
「俺も混ぜろ」
大剣を軽々構え、獰猛な笑みを浮かべる。
「なになに? こういう流れ?」
近くで俺達の手合わせを見ていたマルティナも両手に武器を構え参戦。
シモンが動くのと同時に俺達も走り出す。
響く金属音に発砲音。血飛沫が舞い、誰かの腕が飛んでいく。刃が俺の脇腹を裂いた。痛いし苦しい。しかしこの苦痛が悩みと思考から解放してくれる。
結局俺は、剣に縋り生きていくしかない。
太陽がゆっくりと地平線に沈んでいく。遠くの雲が紫と赤の色彩を帯び、空を鮮やかに染めていた。一日の終わりを告げる景色の中、黄昏時とはまた違った冷たさの空気がこの場を包んでいる。
違法採掘者の取締りを終え帰って来たスヴェンは俺達を見て顔を引きつらせていた。
「お前たちはなんでそんなにボロボロなんだ?」
怒りで震える声で問う。彼の後ろでは愕然とするエドガー、眉間に皺を寄せるヴィオラ、頭を抱えるリーナが立っている。皆共通して俺達に氷の様な視線を送っていた。
「えっと……これは……」
俺は言葉を詰まらせる。
あの後、俺達は手合わせに熱が入り殺し合いに近い乱戦となった。
今更無駄な足掻きだが右腹部の大出血の後を手で隠す。右腕のないネルは俯く。左前腕の解放骨折をしたマルティナは不自然に彼らから目を逸らす。周囲には攻撃によりいくつもの大穴が穿たれ、斬撃により薙ぎ倒された木々が残っていた。建物に被害がなかったのは奇跡と言えるだろう。
「何って、組手をしただけだ。見れば分かるだろ?」
頭から出血痕の残るシモンが堂々と答える。
俺達の溜息の後、スヴェンの怒号が樹海に木霊し、消えていった。
断章 愚者と深緑の森 了