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愚者と深緑の森⑤*

 焚火の小さな炎が揺らめきながら暗闇の中で淡い光を放つ。

 光が不規則に揺れ、その影が木々に映し出される度に心を冷やしていくような感覚に襲われた。周囲に広がる森が、漆黒が、得体の知れないものを隠している様で不安に胸を締め付けられる。エドガーは身を抱く手にさらに力を込めた。


 不慮の事故により飛ばされた樹海で迎えた夜。班員の入れ替えはあったが、彼らは当初の予定通りに深緑の森を進み、想定されていた地点で野営を行っていた。

 密集する木々が空を遮り、夜の樹海は深淵のように暗く静まり返っていた。先の見えない闇の中、冷たく湿った空気が肌にまとわり付く。


 焚火を中心に四人は座り、エドガーは木に背中を預け、炎を挟みその正面にスヴェンが胡坐をかく。リーナはどこからか持ってきた丸太を叩き切り椅子にし、その隣にヴィオラを座らせていた。

 微かな風に乗り獣の遠吠えが耳に届く。エドガーは音の方角に目を向けるが、その先に広がる暗闇を直視できず目を逸らした。


「そんなにビビんなよ。普通の獣なら襲ってこない」


 エドガーの動作を見ていたスヴェンが笑う。左右五つと三つのピアスに一つ縛りにした金色の髪。相も変わらず軽薄な印象を与える姿だった。恐れを抱いている事を見透かされ、苦し紛れに彼を睨む。


「警戒するに越した事はねーだろ」

「そんなに緊張して一晩持つのか?」


 スヴェンは嘲るように喉を鳴らした。事実を指摘され何も言えず視線を泳がせる。自分と同じく樹海に慣れていないヴィオラを見るも、彼女が手に持つコップの水面は平面のまま。落ち着かないのは自分だけだと気が付き瞳を焚火へと戻した。

 エドガーは荒れる胸中を平常へと戻すため深く息を吸い、そして吐き出す。森の奥への嫌な想像を拭うため別のことを考えようとするが思い返されるのは昼間の出来事だけだった。


 樹海での仕事を見くびっていた。高濃度マナ地帯であるため生息する魔物は強大。自分たちはマナの人体への影響も考慮し高位魔法も連発はできない。そんな状況での初戦闘はほぼ動くことが出来ず、スヴェンとリーナの補助によってなんとか生き延びることが出来た。

 その後も何度か戦闘を重ね、スヴェンの指示により何とか戦えるようにはなっていったが怪我は普段より多い。魔物の攻撃を避ける際、いつもアイクが助けてくれていた事を再認識する。明日に活かすため今日の戦闘を振り返ると不甲斐ない自分の姿しかなく、口からは何度目かもわからない落胆を示す息が漏れた。


「仕方ないじゃない。エドガーやヴィオラはこんな樹海の仕事初めてなんだから」


 横から宥める様な優しい声が聞こえた。声の先で目が合うと「ね?」と四班の医術師リーナは微笑む。

 桃色の肩までの髪は黒のリボンでハーフアップにされている。フリルのついた白のシャツと黒のロングスカート、さらには底の厚いブーツを身に纏う、樹海を主に担当する四班には似つかわしくない服装だ。しかしエドガーは思い出す。彼女はこんな格好でも平然と樹海を進み、悲鳴を上げつつ両手杖で魔物を殴り飛ばしていた事を。


「最初から樹海の仕事って言われてたら覚悟してたよ」


 何か言おうと開いた口からはつい愚痴が零れた。今日の失態に対する言い訳の様で胸が重くなる。


「起った事は仕方ないだろ。今回は我慢しろ」

「そう言うスヴェンだって、二人と合流する前はずっと文句言ってたじゃない」

「そうだっけ?」


 スヴェンは足元の薪を拾い上げ焚火の中に投げ込んだ。薪が火に触れると小さな音を立てて燃え始め、炎が勢いよく舞い上がった。


「でも、スヴェン達がいて助かったよ」


 エドガーは続ける。


「ヴィオラと慣れない樹海に放り出されて、通信魔具も繋がらないし、最初はどうなるかと思った」

「やけに素直だな」

「こんな所で強がったって意味ねーだろ」


 不真面目な印象のこの男は好きになれないが、助けられたのは事実だ。未知の土地に連れて来られ、他の班員との連絡も取れない状態。さらに周囲からは魔物の気配だってした。そんな時に拾い上げ状況を聞き、高濃度マナ地帯特有の通信不良を無理矢理突破し通話を繋げ、素早く判断を下す。こんな見た目でも一級術師資格持ちで、執行部の班長を務める人物なのだと実感させられた。


「もっと感謝して良いんだぜ? あと敬え」

「黙って仕事だけこなしてたら敬ってやるよ」

「本当に執行部は生意気なガキが多いな」


 スヴェンは呆れ声と共にさらに薪をくべる。明るさを増した炎の中で薪が爆ぜる音が夜の静寂の中に響いた。


「そういえば」


 思い出したかのように、スヴェンは口を開く。


「エドガー、お前最近禁忌術式使っただろ」


 突然の言葉に顔を上げスヴェンを見た。禁忌術式を使った事は技術部や手続きに必要な部署を除いて誰にも話していない。アイクは勿論、マルティナやヴィオラが言いふらす訳がない。


「なんで知って……」

「やっぱり」


 スヴェンの口元が歪む。その表情を見てエドガーは意図に気が付いた。

 彼は知っていたのではない。ただそうなのではないかと思い、言葉を引き出したのだ。エドガーはスヴェンを睨む。


「そんな顔すんなって。別に咎めてる訳じゃない」


 緑色の瞳はエドガーを見据える。


「技術部で俺が見かけた解析中の術式がお前が得意な炎系統だったのと、技術部への頻繁な出入り。あと、つい最近まで体調悪そうだったのを見て推測した」


 スヴェンは考えられる理由を、指を折りつつ話していく。意外にも周りをよく見て生活していた事に驚くが、探りを入れられ不快な事に変わりはない。エドガーはスヴェンに対する警戒を続ける。


「俺が禁忌術式を使おうがスヴェンには関係ないだろ」

「そうだな。別に何があったか聞かないしどうでも良い。これは俺の中で答え合わせをしてるだけだ」


 スヴェンは軽薄な笑みを崩さぬまま続ける。


「お前が体調崩した時期とアイクが妙に落ち込み出した時期が一緒だ。ルークス教国での長期任務から帰って来た辺りだな」


 アイクの不調は班員であるエドガーも気が付いていた。おそらく他の班員も。ならば彼と仲の良いこの男も気が付くのは当然か。理由を思い出しエドガーは顔を曇らせる。


「ただ、禁忌魔法を使う程の事件があったのに世間的には何もない事になってる。だから、」


 そこまで言ってスヴェンは話すのを止めた。おそらく彼の中では正解に近い結論が出ている。全て見透かされている様で怖くなり、エドガーは目を伏せた。その動作がスヴェンに確信を与えていた。面白がるように彼の喉が鳴る。


「繊細だな、お前ら」

「仕方ないだろ、そういう性分なんだから」


 エドガーは呟き焚火を見つめた。揺らめく炎に自分が使った禁忌魔法を思い出す。それと同時に浮かぶのは当時の状況。禁忌魔法の発動を成功させた高揚感と、それに伴う罪悪感すらはっきりと覚えている。


 止めを刺したのはアイクだが彼に致命傷を与えたのは間違いなく自分だ。変えようのない事実が胸に刺さり痛みとなっていた。

 客観的に見て正しいことをしたのだろう。違法術師を止めるのは必要な事。罪人へと向けられるこの力は正当性のあるものだった。


 しかし、命と人生をかけて孤児院を守るために違法術師となった彼を悪人と呼べるのだろうか。少年の疑問は正義と良心の間を揺らぎ続ける。


「所詮許可を貰って人を傷付けてるだけだよ、俺達は」


 吐き捨てた言葉が重く圧し掛かった。

 術師協会所属の術師として世間から羨望の目で見られようが、結局これは人殺しの証でしかないのだから。


 リーナが無言で立ち上がりそのままスヴェンへと近付いて行く。

 握った拳を振り被り、スヴェンの頭に向かって勢いよく降ろした。子気味良い打撃音が森に響き渡る。


 スヴェンは声にならない呻きと共に頭を抱え蹲った。対してリーナは一度殴ったくらいでは怒りが収まらず、手を震わせたままスヴェンに向かって怒鳴る。


「何苛めてんのよ! 馬鹿!」


 痛みに耐えながらスヴェンが顔を上げた。


「そんな大声出したら魔物が寄ってくるだろ!」

「はぁ? あたしの結界魔法がそんな簡単に破られるわけないでしょ!」


 そう言いリーナは振り返りエドガーを見た。スヴェンへ向けていた憤怒の表情は一瞬にして変わり、少年を労わる慈母の顔となる。


「エドガー、こんな奴の言葉なんて気にしちゃ駄目よ?」

「あ、あぁ……」


 リーナの勢いに圧倒され頷く事しかできない。スヴェンは未だに頭を押さえ激痛に堪えていた。彼女はエドガーの回答に満足気に微笑むと方向を変え歩き出す。


「スヴェンなんて放っておいて」


 軽やかな足取りで進む先は隅に置かれた彼女の荷物だった。肩掛けの鞄を漁り目的の物を取り出す。


「これ、食べましょ?」


 満面の笑顔で掲げたのは様々な色彩で彩られた袋。それにはマシュマロと書かれていた。


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