愚者と深緑の森③
「ネルとシモンも気が付いたら二人だったと」
「はい。ここに到達したのは私達だけで、先に転移したはずのスヴェンとリーナが見つからないんです」
部屋を移さぬまま、俺達はお互いに状況を確認していく。
「それで迂闊に動かない方が良いと判断して待機していたら、お二人の声が聞こえてもしやと思い……」
そこまで話してネルは項垂れる。顔に浮かぶのは若干の疲労。班長も不在、通信魔具も繋がらないという状況は心細かっただろう。エドガーやヴィオラも彼女と同じ状況に陥っていると思うと不安と焦燥に駆られる。しかし、俺達に今できる事はない。広域探知魔法に彼らが引っかかるのを待つだけだ。
後ろでは元々ノトス支部で転移通路の調整を行っていた技術者達が話し合っていた。会話の内容は専門用語が多すぎていまいち分からない。
「ネル達もノトスに仕事だったの?」
「ええ。用があるのは樹海ですけどね。今日も違法採掘者の取締りの予定でした」
ネルはマルティナの問いに答え壁側に顔を向けた。
「ね? シモン」
同意を求めた先にいるのは退屈そうに壁に背を預けた一人の少年、ネルと同じく四班の班員だった。
「なんだ? 行くのか?」
シモンは俺達の視線に気が付きこちらを見る。薄紫色の癖のない髪は耳にかかる程度。長めの前髪の間から除く深緑の瞳は、グラウスに在職する中で最年少とは思えない程鋭い。精緻な模様が施された袖の長い民族衣装に身を包み、背中には身長くらいある大剣を背負っている。
身長はエドガーよりさらに低い。それもそのはず、彼はまだ十三歳なのだから。
「別にあいつらがいなくても問題ないだろ」
「もー。私達の話聞いてなかったんですか?」
シモンの発言にネルは呆れ声で返す。そんな事は構わず、シモンはつまらないと言わんばかりに鼻を鳴らし視線を戻した。
「そんなの聞く必要はない。戦いの場が用意出来たら教えろ」
「ないですよそんなもん。待機って言ったじゃないですか。いいですか、もう一回説明しますからね」
ネルは事情を説明していくが、シモンはその言葉さえ聞いていない様子だった。相変わらず四班の班員達は皆個性的だ。二人の様子に苦笑いを浮かべつつ前を向く。
「でも、実際いつまでもこうしてる訳にはいかないでしょ?」
マルティナが俺に問う。指は自身の腕を叩いていた。茶色の瞳は選択を迫る様に壁に掛けられた時計へ動く。
「移動時間を入れてもまだ時間には余裕はある。でも最悪の場合俺とマルティナだけで行くしかないな」
俺の回答に同意し頷いた。彼女の言いたい事は分かる。班員の安全の確認も大事だが、今後の被害を考慮するのなら取引の阻止の方が優先度が高い。
「ほんとにどこ行ったんだか……」
マルティナは呟き遠くを見た。彼女も行方の分からない二人を心配していない訳ではない。表情には若干の影が落ちている。しかし、非情に見えるが俺達は時として選択しなければならなかった。
めげずに説明するネルの腕から音が鳴り響く。通信魔具の呼び出し音を聞き分け俺を見た。
「スヴェンからです!」
吉報に喜びたいところだが、平静を保ちつつ頷く。全員に通話の音が聞こえるように音量を調節しネルはそのまま通信を繋いだ。
「スヴェン! 大丈夫ですか!?」
問いかけに反応はない。聞こえるのは不安を煽るようなノイズのみ。通信先の状況に最悪の事態も想像しながら応答を待つ。
ノイズが徐々に小さくなり、雑音の奥から人の声がした。
『……し? もしもし? 無理矢理繋げてるけどやっぱり難しいな』
聞こえる声はいつもと変わりないスヴェンのものだった。転移の失敗により重傷を負っているわけではなさそうだ。ネルも安堵の息をつく。
「ちゃんと聞こえてます。今どこにいるんですか?」
『樹海の中。俺とリーナだけ座標がずれてこっちに飛ばされたらしい。ネルは?』
「こっちは正常に転移できています。シモンも無事ですよ」
『シモンの事は別に良いや』
二人は状況を確認していく。ひとまず片方でも連絡が取れたのは喜ばしいことだ。
「俺達も二人に連絡してみるか」
繋がる可能性は低いがやるに越した事はない。ピアス型の通信魔具に手を当てた瞬間、ネルとスヴェンの会話が止まっている事に気が付いた。
『ん? その声、もしかしてアイクもいんのか?』
「ええ、マルティナさんもいます」
『あー……』
魔具の向こう側からはなんとも言えない声が聞こえた。続けてノイズとは違う物音がする。
『おい今アイクって言ったか!?』
ネルの腕から響く少年の大声。間近で聞いたネルが突然の大音声に目を閉じる。その声は紛れもなくエドガーのものだった。
『うるさい、黙ってろ。こっちにエドガーとヴィオラも来てる』
「声を聞く限り元気そうだな」
胸を締め付けていた不安が消え、思わず口元から笑みが零れる。
転移先の座標のずれなんてどこに飛ばされるか分かったもんじゃない。海中や上空など最悪の事態も考えていた。とりあえず一つ問題が解決し、緊張から解放される。
そして、ある事実に気が付き全員で顔を見合わせた。
「前衛と後衛見事に分断されたみたいだね」
よくよく考えればそうだ。どちらの班も後方支援や回復を担う班員が樹海の中へと飛ばされている。
『転移の失敗に保有魔力量が関係してんのか? いや、でも……』
思考するエドガーの声に被さる様にスヴェンのため息が聞こえた。
『そんなん考えるのは後にしとけ。で、これからだけど、』
今まで問題なく行えていた通話だが、声の裏にノイズが走る様になる。その次の瞬間、スヴェンの声を遮り魔物の咆哮が聞こえた。
『スヴェン魔物! しかも大型!』
女性の声。おそらく四班の医術師、リーナだろう。
『ちょっと待ってろ! これからだけど俺達はこのまま仕事を続行する』
「一旦戻った方が良いんじゃないか?」
『そう思ったけど俺達のいる位置からそこは遠すぎる。そっちの仕事も間違いなく間に合わなくなる。おいエドガー炎は使うな! あ、やべ』
爆発音と共に不穏な声が混ざる。
『とにかく! 戻るよりそれぞれ仕事した方が早い!』
間近で魔物の唸り声。それに伴い雷撃魔法の音。遠くではリーナの悲鳴。通話先では混沌が広がっていた。
『ネルとシモンの管理は任せた!』
言葉を残して轟音と共に通信が切れる。
「だそうです」
ネルが俺を見た。他の二人も俺を見る。それぞれ瞳に浮かぶのは諦め、呆れ、そして期待の色。思わずついた深いため息が部屋に溶けていく。
「やるしかないのか……」