黄昏時の喜遊曲*
立ち並ぶ木々が緑の絨毯のように広がり、葉の間から差し込む陽光が柔らかく地面を照らす。煉瓦で舗装された道の左右には色とりどりの花が咲き乱れ、空気は甘い花の香りに満ちていた。
森に住まう小動物たちが、木々の間から街道を歩く女性を覗く。彼女は僅かな物音に気が付き、夜明け前を思わせる紫色の瞳を向けた。慈しむ様に目を細め、薄紅色の唇が柔らかく歪む。
彼女は風で乱れた白金の髪を耳にかけ正面に視線を戻した。
深緑の森の中にそびえ立つのは石造りの巨大な門。
門は年月を経て苔に染まり、蔦が装飾のようにその表面を纏っていた。彼女は身に纏う白のローブを揺らしながら、軽やかな足取りのまま潜り抜ける。門番を置く代わりに備え付けられた生体認証魔導機は彼女を認識していない。
煉瓦作りの建物が広がる中、街道沿いには露店が並ぶ。色鮮やかな生地や雑貨が並べられ、香辛料の香りが風に乗り鼻をくすぐる。露天商達の声が響き、陽気な笑い声があちこちから聞こえ、街は一つの家族の様に感じられた。
女性が歩みを進めると一人が会話を止め彼女を見た。さらにもう一人、彼女を目で追っていく。会話が止まり、不自然に思った男性が視線の先を見た。また一人、また一人と街道の中央を見る。
一瞬の静寂の後、歓声が広場を包んだ。
「巫女様だ!」「来てくださったんですね!」「今日はなんて素晴らしい日だ」「巫女様!」「相も変わらずお美しい」「巫女様」「巫女様よ」「態々神殿から降りて下さった」「巫女様のおかげで今年も豊作ですよ!」「我々を気にかけて下さるなんて」「巫女様!」「巫女様」「巫女様いつもありがとうございます!」
一組の男女が女性に近付いて行った。男性は深々と頭を下げた後、口を開く。
「巫女様、先日子供が生まれたんです」
女性の腕の中では赤子が静かに寝息を立てていた。彼女は手を伸ばし赤子の額に触れる。そのまま指を這わせ優しく撫でた。
「ああ……! ありがとうございます!」
赤子を抱く女性の声は歓喜に震え、感極まり落涙する。突然の感覚に目を覚ました赤子は、訳も分からぬ顔で彼女を見る。赤子の青い瞳に微笑む彼女の姿が映った。
住民たちは次々と近付き彼女へ感謝の言葉を述べていく。彼女は嫌な顔もせず、長い時間をかけ一人一人に耳を傾ける。
人々の顔には笑顔が絶えず、明るい陽光がその喜びを一層輝かせていた。美しいその光景に、懸命に生きる命たちに彼女は慈愛の目を向ける。
魔導機に囲まれながらも自然を慈しみ敬うこの国を、人々を、彼女は愛していた。
彼女は森を走っていた。遠くで噴火する山々を背に、髪が乱れるもの構わず息を切らし人々の元へ向かう。
夕焼は灰に隠れ、空は黒に染まる。目前は炎の赤で埋め尽くされ、荒れ狂う風に乗り異臭と熱風が届く。
燃えていた。
美しかったあの森が、街が、人々が。全て、全て燃えていた。
突如、大地が怒りに満ちたように激しく揺れ始めた。地面が波打つように揺れ、足元から不気味な轟音が響く。震えが全身に伝わり体が振り回される感覚。バランスを崩し立っていられず地面に膝をついた。
不安に心臓が早鐘を打つ中、落雷が直撃したかの様な激しい音が響く。目を向けると、街を囲っていた門が崩れ始めていた。瓦礫が重なり合って地面に叩きつけられる音が空気を震わせる。
揺れは次第に小さくなり彼女は立ち上がる。服の汚れも払わないまま街だった場所へと向かった。
倒壊した門を越えかつて街道だった場所を歩く。古き良き町は崩壊し、通りには無数のひび割れが走る。瓦礫の山と化した建物の間から炎が勢いよく噴き出していた。
立ち上る黒煙と人の焼ける臭いに彼女は顔を歪める。美しかった森も街も、今は灰と赤に染まり地獄へと化す。目に入る物全てが壊れ果て、重い静寂が街を包み込んでいた。
炎から逃れた瓦礫の間から人の腕が見えた。彼女は駆け寄り、凄まじい力で瓦礫を退かす。一筋の希望を信じて、祈り、願いと共にその先を見る。
そこにあったのは三つの人だった物。骨は砕け、内臓が圧し潰された痕。かつての人間の姿は無残にも消え去っていた。大人の遺体の間には小さい肉塊が転がる。体は潰され、頭には瓦礫が刺さり脳が零れ落ちていた。残った青い瞳が恨めしそうに彼女を見る。
彼女は絶望に嗚咽を漏らしながら崩れ落ちる。苦しみの中で命を奪われた痕跡が、それでも小さき命を守ろうとした勇気が、瓦礫に埋もれたままそこに残っていた。
覚束ない足取りのまま歩いて行く。
空には灰色の埃が舞い、時折聞こえるのは残った建物がさらに倒壊する音だけ。
許さない。
この国が何をしたと言うのか。
戦乱の世から外れ、自然と共存し生きていた彼らが何故死ななければならないのか。
人間が悪と言うのなら、世界の理から外れるお前は、私達は、何だと言うのだ。
何度生まれ変わろうが、この憎しみ、忘れるものか。
あの女を絶対に許さない。