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悪い魔法使いを捕まえるお仕事  作者: 中谷誠
四章 魑魅踊る焦土

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灯りなきノクターン⑧

 手の甲で木製の扉を叩く。乾いた音が二回、その後室内から短い声が聞こえた。肯定と受け取り扉を押す。そこは俺達がこの家で最初に訪れた部屋、応接室と言うべきか。家主のボンガーニは執務机の後ろに座っていた。手に持つグラスには丸形の氷と小麦色の液体。おそらく酒だろう。


「お前もどうだ?」


 ボンガーニがグラスを掲げると中の酒も一緒に揺れる。氷塊がグラスとぶつかり涼し気な音を立てた。


「明日早いので」

「真面目だな」


 よく言われる言葉。それをここでも聞くとは。口元には引き攣った笑みが浮かぶ。ボンガーニは書類が積み重なった机に酒を置き、そのまま親指で正面を指した。


「要件は明日のことだろ。とりあえず座れよ」

「ありがとうございます」


 促されるままソファーに座り、ボンガーニに顔を向ける。


「明日は明け方から動きます。先程の提案通り、陽動班と護送班に分かれて」


 夕食の片付けの後、話し合いで決まった内容を伝えていく。


「俺とマルティナ、エドガーが陽動班。そしてあなたとヴィオラが護送班となります。俺達から行動し、戦闘を開始したのが確認出来たら移動を始めてください」


 リベレフに詳しいマルティナとボンガーニは分けるとして、回復魔法が使用できる俺とヴィオラも分けるべきだ。何かあった時のために高位の医術師であるヴィオラはシャネーの傍に付いていた方が良い。そして、おそらくまだ協力していることが割れていないボンガーニに誘導して貰った方が安全性が高いだろう。

 俺達陽動班は背丈の小さいエドガーが身を隠ししばらくシャネーのふりをして貰う。


 作戦は隠れて移動している、と思わせつつスカドゥラ、及び住民に発見してもらう所から。こちらに人が集まっている間にシャネーを工業区域手前まで護送する。至極単純なものだ。皆はもう明日に備えて仮眠を始めている。最後まで聞いたボンガーニの喉が鳴った。


「別に良いけどよ、俺をそんなに信頼していいのか?」


 琥珀色の瞳は俺を刺し貫くように鈍く光る。ボンガーニの言っていることは正しい。彼が裏切ればこの作戦は一瞬で崩壊する。

 ボンガーニと俺はまだ知り合って間もない。出会い方も術師協会と敵対するような形、決して良いものではなかった。しかし、俺の中には確信があった。


「はい、マルティナがあなたのことを信用しているので。だから、俺も信じます」


 言葉を受け、ボンガーニの表情が固まる。俺の不明瞭な理由に驚いているのか呆れているのか。それとも別の理由か。だが、人一倍警戒心の強いマルティナが心を許す相手なら俺も信頼するべき、そう思ったから。

 ボンガーニは間を埋めるように酒を一口含む。飲み込んだ彼の口から、短い笑い声が上がった。


「だったら仕方ねぇよな」


 それは浮き立つような声だった。緩んだ口元からは感じ取れるのは隠しきれない喜び。


「マルティナにも仲間ができたんだな」


 噛みしめるような、深い余韻を残す声で呟いた。遠くを見る瞳は寂寥感を滲ませる。


「いつも助けられていますよ」


 補足に対してボンガーニは乾いた笑い声を上げた。


「もう一年と半年近くになるか。突然俺んとこ来たと思ったらよ、術師協会に行くって言ってそれっきりだ」


 視線が刺さる。選定するように俺を見た。


「仲間引き連れて戻ってきたと思ったらトラブルまで抱えてるとはな」


 多分嫌味だ。突然現れ、ギャングと少女を引き連れ転がり込んだ俺達は厄介者と思われても仕方がない。けれどもボンガーニのその口調は柔らかく、出会った時とはまるで違う。思わず苦笑が零れる。

 その温かさはきっと、マルティナに向けたものだ。ボンガーニと彼女の間には俺達以上の信頼関係があるのだから。声の端々から捉えられる感情に滲むのは安堵感。


 術師協会に行ったきり音沙汰のなかったマルティナが生き延びていたという事実。そして、今まで一人で活動していた彼女が、班という括りの中で過ごしていることに安心したのだろう。

 五年間、共に生活していたのなら弟子の安否を憂う気持ちも分からなくはない。しかし、二人の関係はそれ以上の。まるで──


「なんだ、その顔」


 ボンガーニに表情を指摘される。いつの間にか緩んでいたらしい。


「あ、いえ……その、二人が親子みたいだな、って」


 取り繕っても無駄だろう。感じたことを正直に伝えた。

 気まずい沈黙の後、逸らしていた視線を戻す。彼の表情には驚きの色が浮かんでいた。すぐに破顔、彼は肩を揺らして豪快に笑い声を上げる。


「俺とマルティナが親子か。そりゃ良い」


 その単語を繰り返す。彼は笑って流しているが、マルティナにこれを言ったら怒られるのだろう。あの冷たい視線が即座に想像できた。


「マルティナはあなたに拾われたと話していました」


 ボンガーニは残っていた酒を飲み干しグラスを置いた。


「正確には、声をかけてきたのはマルティナだ」


 呟き、背に体重をかける。しなる椅子の音が無音の室内に鈍く響いた。天井を仰ぐその表情は遠い昔を想起していた。


「だからあいつを拾った。術師資格を取らせて、生きてく術を叩き込んで、二度と道を踏み外さないようにな」


 この言葉はマルティナの過去と同時にボンガーニの信念を示すものなのだろう。

 彼の活動は何となく理解している。彼はこの町で犯罪に走る若者を更生させるために奔走しているのだろう。だからこそ、俺達はあの場で出会った。当時のことを思い出す。


「あの後、あなたが連れて行った子供はどこに行ったんですか?」


 問うと俺を見るボンガーニの瞳が鋭さを増した。


「知り合いが運営する施設にぶち込んだよ。なんせ身寄りは全員お前らが捕まえちまったからな」


 耳にはまだ子供の泣き叫ぶ声が残っていた。俺達の手によって家族と引き裂かれた少年の怨嗟の声が。

 だが、胸を圧迫するような感覚を抱えたままボンガーニと向き合った。あれが間違った判断だと微塵も思っていないのだから。


「違法は違法です。秩序から逸脱したことを裁かなければこの魔法文化は成り立ちません」


 毅然とした態度は崩さない。崩してはならない。いくら恩人とは言え、自分の信念を曲げることはあってはならない。

 今まで踏み躙ってきた者のために。正義から背くことは、絶対に許されない。

 俺は、この正しさの中で生きていく。


「分かってるよ。それがお前らの仕事だ」


 ボンガーニは小さく笑う。


「でも、この町では正しいだけじゃ生きていけない」


 歪んだ口元から零れるのは諦めのような乾いた声だった。


「この町の貧富の差は激しい。犯罪に手を染めるガキはその道しか選べなかっただけだ」


 口調に熱が灯る。彼の言葉に思い出すのは町の現状だった。ゴミを漁る痩せた子供、職もなく彷徨う青年、ギャングの抗争に巻き込まれる住民達。

 正しく生きることによって貧困に喘ぎ続けるか。それとも犯罪に手を染め、一時的な富を得るか。彼らの選択肢は極端に狭まれていた。


「だから、俺達大人が違う選択肢を持たせてやる必要がある」


 炎のような言葉だった。淡々とした声音にも関わらず、宿る意思は熱を持ち胸の奥を焦がす。彼の瞳に湛えた光が、その情熱をより一層強く照らしていた。

 罪を犯す子供達に真っ当な道を歩ませるために彼は活動をしている。だからこそ、彼はあの場で俺達に声をかけ、そして敵意を示したのだ。ふと、疑問が過る。


「どうしてそこまで?」


 俺の問いにボンガーニは鼻を鳴らす。笑っていた。


「おかしいってか?」

「いえ、そういう訳じゃ。でも、言ってしまえば赤の他人です」


 正直に疑問の正体を伝える。何故なら、彼の活動は完全に善意で成り立っている。強烈な目的を持たず成し遂げられることではない。だから、その先にあるのものが気になってしまったのだ。

 ボンガーニの表情が一瞬だけ揺らぐ。それを隠すように椅子を回転させ体ごと俺から背けた。長く、静かに吐き出した息は重く、沈黙に溶けていく。


「そうだな、あいつらは何の面識もない他人だ」


 ゆっくりと、ボンガーニは呟いた。


「だが、そこから変えなければ、この町は一生変わらない」


 言葉と共に、握りしめた彼の拳が更に固く結ばれる。


「この町が悪人を作る。この町のせいで犯罪が生まれる。この町が、俺の家族を殺したんだ」


 哀感を宿す横顔は遠い過去を見ていた。想起される事柄が感情を蝕み、瞳に憎悪の熱を灯す。


「無駄かもしれない。でも、変えていかなきゃなんねぇんだよ」


 吐き出される意思。その最後を飾るのが彼の原点となるものだった。何も言うことができない。

 ボンガーニが掲げる根本的な解決と俺達の法に基づく対処は決して交わることはないだろう。いつかまた、あの時のように衝突するのだ。

 それでも今は、彼の信念の傍に立ちたかった。それは過去を垣間見た同情かもしれない。

 ボンガーニは再び深いため息を付く。


「余計なことまで話しちまったな」


 椅子をさらに回転させ俺に背を向けた。


「お前も早く休めよ」

「はい、そうします。明日はよろしくお願いします」


 立ち上がり軽く会釈をする。ボンガーニは俺を見ないまま手を振った。


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