三つ声のコンチェルト⑥*
無骨な石壁に囲まれた部屋。唯一の電球は微かな明かりを投げるだけ。薄暗い部屋に煙草の煙が層をなして漂い、視界をさらに霞ませていた。床には紙くずや注射の殻、部屋の隅には埃が塊となって積もる。
一人の女性が椅子に座り足を組んでいた。
均整の取れた長身の体躯に端正なスーツ姿。足を包む革靴は光沢を帯びる。彼女は茶色の短い髪を払い左右、そして正面を見た。冷徹な輝きを持つ緑色の瞳が弧を描く。
「私のためにお集まりいただきありがとうございます」
丁重だが抑揚のない冷たい声。部屋に反響するだけで返事は帰ってこない。自分を取り囲む者達を見て、女性の目がさらに歪んだ。
彼女の周囲には屈強な男性が立ち並び、その逞しい腕や背にはそれぞれ色鮮やかな刺青が刻まれている。鋭い瞳は全て女性に向けられ、敵意に満ちた視線を注いでいた。張り詰めた空気の中、女性は余裕の表情を崩さないまま佇んでいる。
「まず自己紹介からいたしましょうか」
女性が立ち上がると長身が更に際立つ。周囲の男性も体格に恵まれた者ばかりだが、その身長を優に超えていた。彼女は右手を胸に当てながら静かに頭を下げる。
「私、レフィルウェと申します」
自分の存在を示すように男達の間を通り抜け、鉄製の扉の前で振り返った。
「この度はあなた方の支援、及び私達の最終目標のためリベレフに派遣されてきました。皆さん、どうぞよろしくお願いいたします」
返ってくるのは舌打ちのみ。名を明かそうが、彼女に向けられた視線の重さは変わらない。むしろ、目的を明かしたことで威圧感はさらに強くなる。顔面まで刺青の入った男がレフィルウェに歩み寄る。わざと大きな足音を立てながら近付き、顔面を彼女の鼻先まで寄せた。
「本当にお前みたいな奴が幹部なのか?」
視線を下に落とし徐々に上へと移していく。舐めまわすようにレフィルウェを見た後、瞳が胸の位置で止まった。男性が下卑た笑みを浮かべた直後、太い腕が彼女の胸倉を掴む。勢いでシャツの留め具が外れ、乱れた服の間から胸元が露出した。
「こんな女がよ」
男が言い放つと周囲の男達が笑い声をあげる。レフィルウェに向けられた嘲笑。
それを見て彼女も笑っていた。喉の奥から零れるような笑い声は次第に高くなり、肩を震わせる。男性は不快感に顔を歪めた。
「テメェ、何笑って」
言い終わる前にレフィルウェが自らを掴む男性の腕に触れる。同時に男性の言葉も途切れた。男性の身に起きた異常に中断せざるを得なかった。
黒い術式と共に男性の腕から異音が上がる。レフィルウェの服を掴んでいた手が外側に向いていた。それだけでは止まらない。そこからさらに一回転。上腕が関節を無視して勝手に捻られる。骨が砕け、肉が裂かれ、筋肉が断裂する音。指先から上るように腕が捩じれていく。裂けた皮膚から骨が付き出しても回転は止まらない。
「何だよこ、」
悲鳴のような男の声は途中で途切れた。指先から始まった捩じれは肩を巻き込み首に到達。更に大きな破砕音を立て顔と背が絞られた。砕けた頭から脳が零れ、体に収まりきらなくなった内臓と脂肪が皮の切れ間から溢れていく。つま先まで捩じれると術式が停止する。
そこにあったのは絞られた雑巾のようなもの。元人間とは思えない肉塊が血と臓器の海に沈んでいた。
「これは服を乱した罰です」
レフィルウェは乱れた襟元を正し言う。平坦な声は無音の室内に響き溶けていく。平常を保つレフィルウェの異様さが、この場の理解を滞らせていた。
「てめぇ!」
一人の男が怒号を上げる。無残な死体へと変貌した仲間の血を踏みしめレフィルウェへ駆け出した。腰から短剣を引き抜き腕を振り上げる。刃が額に届く寸での所で、彼女は男の腕を掴み制止させた。男は彼女の手を引き剥がそうとするが微動だにしない。怒りの形相が絶望へと変わっていくのに対して、レフィルウェは愉悦を湛えた笑みを浮かべた。触れた部分から術式が発動し同じように捩じれていく。
仲間が倒されるのを見て男達はさらに激高し、各々が武器を構えレフィルウェへと詰め寄った。
彼女は体を後ろに逸らし凪払われるナイフを避けるとそのまま刃を蹴り上げる。男が上空へと打ち上げられた獲物に目を奪われた一瞬でその懐に潜り込み男の顔を掴んだ。黒い光の発生と共に顔面が崩壊。破裂した頭で脳と歯が混ざり合い倒れていく。
遅れて蹴り上げたナイフが落下。レフィルウェは柄を掴みそのまま横に振る。放たれたナイフは右から距離を詰めようとしていた男の眉間に突き刺さった。
レフィルウェの前方では別の術式が展開されていた。男が『火弾』を放つも彼女は避ける素振りを見せない。ただ左手を掲げ黒の術式を発動。火球が術式に触れると渦を巻きながら消失した。
「は?」
突然消えた自身の魔法に、男は間の抜けた声を上げる。確かに魔法は発動した。部屋を満たす白煙が、そこに炎があった事を証明している。唖然とする男へレフィルウェが詰め寄っていく。そして、男の顔へ手を伸ばし、
「やめろお前ら!」
部屋の奥から男性の声が響いた。その一喝にレフィルウェへ向かおうとしていた男の動作が止まる。同様に彼女の腕も男に触れる直前で静止した。寸での所で生き延びた男は力が抜けたように臀部から転倒。叫び声を上げ後退していく。
レフィルウェは目元を歪め振り返る。
「あなた方の立場が分かっていただけたでしょうか?」
彼女が視線を向けるのは先程声を上げた禿頭の男。奥の資材に腰を下ろし、静かにこの状況を見ていた。しかし、表情は怒りを露わにし、暗茶色の瞳で彼女に殺意を向けている。
けれども彼女に敵わないことは彼が一番分かっている。返事の代わりに舌打ちをすると、レフィルウェの喉が鳴った。
「途中で邪魔が入りましたが話の続きをしましょうか」
誰のことを指しているのか、答えを示すように周囲を見渡すと彼女を取り囲む男達が引いていく。
「現状はどのようになっています?」
「術師協会も俺達に感付いてる様子はねぇ。スカドゥラの奴らも動いてるみたいだが俺達に対抗してるだけだ。そこまで脅威じゃない」
男の言葉にレフィルウェは腕を組む。小さく開かれた口から吐息が漏れた。
「ふむ。それではあとは鍵の確保、と言うことですね」
確認のため向けられた視線に男は頷いた。
「鍵はあいつのガキが持ってる」
男が顔を上げる。その視線はこの町のどこかに向けられていた。
「だがあそこは厄介だ。下手に動くと術師協会も絡んできやがる」
「まぁ、奪取の方法はお任せしましょう」
この先を予測したレフィルウェの口の端が吊り上がる。そこから零れるのは暴力性を帯びた、悦楽に酔う笑い声。
「どうしようもなければ、無理矢理奪ってしまえば良いのですから」




