三つ声のコンチェルト⑤
「二班の皆さん! 丁度良かった!」
術師協会の男性職員が俺達に声をかける。今日の仕事を終え帰還した直後だった。駆け寄ってくる男性を見てエドガーが顔を顰める。彼だけじゃない。皆、若干嫌そうな表情を浮かべていた。何か緊急事態が起きたのではないか、嫌な予感が頭を過る。
「自分達になにか?」
とりあえず聞いてみる。俺達の心情を察したのか、職員は苦笑いを浮かべた。
「仕事の話じゃないですよ。でも、その関係であなた方に挨拶がしたいとおっしゃっていまして」
職員はそう言いながら振り返る。彼の後ろには二人が連なって歩いてくるのが見えた。前を歩くのは壮年の男性。薄金色の頭髪は乱れなく整えられ、その下には切れ目の瞳。南部大陸出身に多い琥珀色だった。その後ろには黒髪の男性。前髪を含め、髪全体を後ろへと撫でつけているため精悍な顔立ちが良く分かる。褐色の肌に黒みを帯びた瞳。彼もエレフ人だろう。
「こちらは?」
職員に問う。記憶を辿るもこの二人との繋がりは思い出せない。二人とも一級品のスーツを身に纏い、見るからに俺達とは住む世界が違った。困惑していると壮年の男性が頭を下げる。
「初めまして、ルタンド・ドラミニと申します。こちらは私の秘書を務めるネイサンです」
一歩後ろで若い男性も会釈をした。彼の姓名には聞き覚えがある。考え、すぐに思い出した。
「もしかして、ドラミニ社の」
「ええ」
ルタンドは肯定し口元に薄い笑みを浮かべる。
「一応、代表という立場です」
彼の名乗りに対して慌てて頭を下げた。
「グラウス執行部二班班長のアイク・ワイアットです。ご挨拶が遅くなり、大変失礼いたしました」
目の前の人物に対して本来なら自分から挨拶をするべきだった。頭を上げると穏やかな笑みが目に入る。彼は笑って謝罪を流していた。
ドラミニ社と言えばエレフを代表するような大企業。生活魔具の生産や開発に特化した会社であり、なんなら術師協会の空調魔具もドラミニ社製のものだろう。
そして目の前の人物、ルタンドはドラミニ社をここまで成長させた人物。
ドラミニ社は元々彼の父親が立ち上げた小さな魔具の制作会社だったらしいが、経営権が彼に移った後急激な成長を遂げた。その偉業は海を越えた遠い地まで届いている。だからこそ、この状況に疑問が浮かぶ。
「なぜ自分達に挨拶を?」
「ドラミニ社は術師協会の活動支援も行っていまして。今日はその話のために立ち寄ったのですが、丁度皆さんが帰ってくると聞き是非挨拶をと思ったのです」
丁重で棘のない柔らかな口調でルタンドは話していく。術師協会で過ごす中では滅多に聞くことのできない声音だ。心なしか空気も柔らかく感じる。もう一度頭を下げた。
「お忙しい所わざわざお時間を頂きありがとうございます」
「いえいえ、それはこちらの台詞です。皆様にはエレフの治安維持に多大なご協力をいただいていますからね」
彼は社長という立場にありながら随分物腰の低い人物のようだ。けれども、静かな言葉の裏で瞳は揺らがず真っ直ぐに前を見据えていた。眼差しには芯の強さが宿り、穏やかそうに見える表情にも隙はない。流石、一代で会社をここまで大きくしただけある。
「折角なので名刺を、」
ルタンドは言いながら胸ポケットから名刺入れを取り出した。その拍子に何かが一緒に零れ落ちる。ひらひらと左右に緩やかな弧を描きながら落ちていく。
屈み手に取る。一枚の紙、それは写真だった。スーツの男性とドレスの女性、その間に二人の面影を宿した少女が並ぶ。共通の表情として、皆幸せそうな笑みを浮かべていた。
「これは……家族写真ですか?」
立ち上がり写真をルタンドに手渡しながら訪ねる。
「ええ、ありがとうございます」
「家族思いの様で」
受けた印象そのままを伝える。わざわざ写真を持ち歩くと言うのはそういうことなのだろう。ルタンドは僅かに瞳を伏せ、照れたように笑う。彼の後ろでネイサンと呼ばれた男も微かな笑い声を零した。
「社長がご家族を大切にされているのは社内でも有名なんですよ」
勝手に暴かれる事情にルタンドは眉を寄せる。
「あまり余計なことを言わないでくれないか?」
「良いじゃないですか、これくらい」
ネイサンの言い分に肩を竦めるも、戯れのようなもの。笑い合う二人から感じるのは確固たる信頼関係だった。家族と同じく、部下も大事にしているのだろう。ルタンドは短く息をつく。
「父から受け継いだ会社を大きくするためにがむしゃらに働いてきましたからね。家族には……特に妻には迷惑をかけたでしょう」
言いながら手に持つ写真に目を向けた。眼差しに帯びる寂寥感がこれまでの苦労を物語る。一体どのような道を歩みここまでの成功を収めたのか、彼とは違う世界に生きる俺には想像が付かなかった。ルタンドは胸ポケットに写真をしまい前に向き直る。
「だからこそ、大切にしたいのです」
決意を湛えた声が胸に叩きつけられる。俺達を見る力強い瞳、そこに先程の影はない。彼もきっと、何かに報いるために生きているのだろう。差し出された名刺を受け取ると、ルタンドは微笑んだ。
「それでは、私たちはこの辺りで失礼したします」
彼は一歩下がり深々と頭を下げる。
「お暇があれば是非リベレフにもいらしてください」
最後にもう一度柔らかな表情を向けた。
「術師協会の皆様なら、あの町にもすぐに慣れるでしょう」
言葉を残し踵を返す。遅れてネイサンが頭を下げルタンドに続いていった。穏やかな時間であったからこそ、去り際の言葉が耳に残る。
リベレフ。ここ数日で最も耳にする都市の名であり、事件の渦中の地。偶然だろうが若干の不安が募る。だが考えていても仕方がない。胸に残る靄を息と共に吐き出し、元の進行方向へと体を向ける。エドガーとヴィオラも歩きはじめるが、マルティナだけが立ち止まっていた。
「大企業の社長さんもあの町の状況は分かってんだ」
小さくなっていく背中に彼女は小さく投げかけた。