三つ声のコンチェルト③
エレフ共和国二日目、朝。
外は変わらずの暑さだろうが術師協会の中は空調魔具で管理され、過ごしやすい室温となっていた。建物の作りはグラウスと差異は殆どない。
こっちは魔石、魔具の管理と研究を担う術師協会本来の在り方。俺達は術師協会の活動を妨げる犯罪者を追う派生組織。組織の目的は違うが建物自体を変える必要はないためか。
寮の廊下を進むと途中でマルティナとヴィオラと合流する。少し歩き、その先に食堂の出入り口が見えた。丁度込み合う時間なのだろう、前に数人入っていく。
俺達も続き、扉に手をかけた。半分押した所で、焼き立てのパンとエレフ料理特有のスパイスの香りが鼻を掠める。次に入ってくるのは職員の声。扉を開き切った所で食堂全体が見えた。目に入るのは人、人、人。それぞれ会話をしているため場は騒然としていた。寮に住む職員皆がこの時間に集まるのだから、まぁ、そうなるだろう。
皿を受け取り料理を載せていく。この形式もグラウスと変わりない。パン、ソーセージ、卵、葉野菜など、とりあえず目についたものを皿に積んでいく。前にいる職員に俺の皿を二度見られた気がするが気にしないでおく。
食事を取り終え席を探す。一応間借りしている身なので奥の机、その端に座った。マルティナとヴィオラも近くに食事を置いた。
フォークを手に取りソーセージに突き刺す。弾力のある皮が弾け、肉汁がフォークを伝い流れていく。そのまま齧ると芳醇なスパイスの香りが鼻を抜けた。続いて肉の旨味が口の中に広がっていく。食事の美味さも変わりはないようだ。
食べ進めていると少し遅れてエドガーがやってくる。表情は──あまり優れない。
「大丈夫か?」
合流が遅かったのもあり一応聞いてみる。小さい声で「問題ない」と返されるがそれはそれで余計心配になる。明らかに疲労が残っているようだ。
しかし無理もない。昨日、二件の仕事を終えここに帰ってきたのは陽が落ちた後。そこでようやく施設とエレフでの仕事の説明が始まった。慣れない環境と激務、二つが重なり体力も極限の状態。俺も各部屋に案内されベッドに倒れ込んで以降の記憶がなかった。
「これからしばらくこんなだろうね」
マルティナがパンを千切りながら呟く。そう言いながらも表情には余裕があり、昨日の洗礼に対し何も感じていないようだ。
「仕事は別に良いけど暑さだけはどうにもなんねーよ」
エドガーが呟く。フォークは持ったまま動かない。食欲がないのか皿に乗る朝食も少量だった。
しかしエドガーの言う通り、疲れの原因を辿ると外の気温によるものもあるのかもしれない。ヴィオラも疲労が残っているのか、いつにも増して表情がないように見えた。俺も、今日もあの中で仕事をすると思うと憂鬱な気分となる。暑いからと言って装備を軽くするのは安全上良いとは思えないし。うーん。
「馴れだよ、慣れ」
マルティナは昨日と同じようなことを言って笑った。元々軽装の彼女が少し羨ましく感じる。少々肌を見せすぎだとは思うが。エドガーの手がようやく動き、野菜の酢漬けを突き刺した所で再び止まる。呼吸と共に肩を落とした後俺を見た。
「今日もこれですぐ仕事だろ」
「ああ」
短く肯定し今日の日程を思い出す。
「この後、任務の説明を聞いたら出発だろうな」
あからさまに浮かべる嫌な顔。表情で不服を示したままエドガーはようやく食事を始めた。
「空いた時間に三班の調査をする暇はあるのかしら」
ヴィオラが言う。彼女は既に食べ終え、食後のコーヒーに手を付けていた。問いについて考える。
「正直、今は厳しいな」
誤魔化しても仕方がないため率直な答えを伝える。
マルティナの言う通り、俺達はこの環境と激務に対して慣れが必要だ。術師協会から三班の捜査について、頼りにされていることは何となく伝わってくるがだからこそ手を抜く訳にはいかない。焦って同時に進めようとすればどちらも中途半端な仕事になるだろう。皆も分かっているため、異なる意見は出なかった。
「そもそも、分かってるのは三班がリベレフに行っていたということだけだ」
捜査はしないと言っても雑談程度のまとめなら許されるだろう。現状を声に出していく。
「捜査記録がない以上、彼らがそこに何の目的があって行ったのかも不明。傷から解析された術痕は一人によるものだが、勿論術師協会に登録されてない」
「なんも分かんねーてことが分かるだけだな」
エドガーが口の片側だけ笑みを浮かべた。しかしその通り。今の段階では解決まで果てしない道のりがあった。下手すると、俺達が本格的に捜査に取り掛かる前に、昏睡状態の彼らが目覚めるだろう。
「一応、分かっていることはあるわ」
空になったコーヒーカップを置き、ヴィオラが言った。
「それは?」
問うと彼女の表情が若干曇る。
「三班の傷の状態。昨日、一応彼らの様子を見に行った時に聞いたの。皆、致命傷となった傷は捩じられるような攻撃を受けていたと聞いたわ」
ヴィオラの説明を想像したのか、咀嚼中のエドガーが顔を顰めた。
「捩じられる、か……」
俺も彼らの傷について考える。捩じれると聞いて様々な魔法を思い浮かべるが、それが犯人を特定する情報にはつながらない。だが、三班全員の戦闘不能に陥れたとなるとアーティファクトかオートマタによるものか。一筋縄ではいかない相手なのは間違いない。
「それにしてもリベレフねぇ……」
黙って話を聞いていたマルティナがようやく口を開く。口調には苦みを帯びていた。
「そういえば、前もリベレフに反応してたな」
つい先日、確か町の名前に対して反応を示していた気がする。それはあまり良い表情ではなかったと記憶しているが。マルティナは頬杖を付き視線を斜め下へと落とす。
「そこ、あたしが育った町なんだよね」
その口調には明確な嫌悪が混ざっていた。
「そうなのか」
あまり踏み込みすぎないよう、適当な相槌を打つ。
「あんまり……というか全く良い町じゃないからね」
マルティナは気を使っていることを察したのか口元に笑みを浮かべた。彼女の空いた左手、その指で机を軽く叩きつつ故郷を思い出す。
「前にも話したでしょ。ギャングに警察の不正。治安の悪い区域は懸賞金付きの犯罪者が逃げ込むから賞金稼ぎとの戦闘でいつも大荒れ」
「とんでもねぇな」
エドガーの言葉に「でしょ?」と喉を鳴らした。しかし、マルティナの話では誰もが知っている部分を出していない。
「でも、都市でもあるんだろ」
リベレフは全く聞かない名前ではない。むしろよく耳にする都市の名だ。生活魔具を扱うドラミニ社に、魔石の加工を得意とするマフラング工房、クマロ商会など様々な本社が置かれている。
「まぁ、ね。一応魔石や鉱石の採掘地ではあるし」
琥珀色の瞳は遠くを見る。
「工場とか企業とかで栄えてるけどさ、そのせいで町が分断されてるし」
「犯罪者が逃げ込むっていう区域と富裕層が住む工業区域ってか?」
エドガーが簡単にまとめると頷き同意を示した。
「そういうこと」
マルティナの口から小さなため息が零れる。
「結局発展の恩恵は富裕層にしか届いてない。住民のほとんどは安い賃金でこき使われてる採掘者だからね」
それが彼女が育った都市の裏側だった。華やかに見える表層の下にあるのは歪な力関係。職を探す者は安価な労働力として買い叩かれる。それを分かっていても他の選択肢などなく、飢えを凌ぐため目の前の労働に縋るしかない。そうして生まれる不満は犯罪へと形を変え、悪循環を繰り返す町の姿となっていた。
「って言ってもその魔石鉱山も鉱山主の不正で権利取り上げだしね」
「そんなニュースもあったな」
エレフに来る前に見た記事を思い出す。様々な事情が入り乱れる混沌の町で一体何が起こったのか。しかし、それについて考える余地はない。俺達に求められているのは、目の前の仕事を片付けることだけなのだから。