三つ声のコンチェルト②
エレフ共和国の首都だけあって街は賑わっていた。石造りの建物が続く街並み。通りに面する店は飲食店や魔具店など、統一感はない。道は絶えず人の波に満ち、気を抜けば対面する通行人と肩が触れそうだった。
しかし問題はこの雑踏ではない。暑さだ。
照り付ける太陽に熱を帯びた空気。建物の間を吹き抜ける風すら肌を刺すよう。限りなく広がる空は憎らしいと思う程だった。服の中に籠る熱気により背中を汗が伝っていくのが分かる。
布地が肌に張り付く感覚に覚えるのは不快感。気持ち悪いが今ここでそれを解消する術はない。額から伝う汗を拭ってもすぐにまた流れ出るため無駄な行為だった。
「あっつ……」
酷く消耗した声でエドガーが呟く。誰もが思っていること、ただ我慢しているだけ。それを耳にしてしまえば実感となり、さらに暑く感じる。隣を歩くエドガーを見た。
「そんな目で見んなよ」
責めるような視線を送る俺に対し、疲れ切った顔を浮かべた。口調は弱々しく、ただただ疲弊していることが分かる。普段どんな場所であろうと顔色一つ変えずに付いてくるヴィオラでさえ、彫刻のような美貌を曇らせている。この気候への適応に難儀する俺たちに対しただ一人、マルティナだけは違った。
「これだけは仕方ないよね」
彼女だけは涼しい顔で歩いている。流石ここが出身地と言うべきか。
考えていると余計熱くなるので別のことを考え気を紛らわそう。エレフ共和国について記憶を辿る。世界地図の南方に位置する中規模の陸地、その一角にエレフ共和国は存在する。大陸の三分の一を広大な砂漠が占めており、年間を通じて温暖な気候が続く。特に日中の暑さは厳しく、身を焼くような熱気が大地を包み込んでした。
主な産業は鉱石や魔石の採掘。あと香辛料なども有名か。豊富な魔石資源から、千年程前の大災害以前は緑豊かな地だったと推測されているが今は見る影もない。
あとは、暑い。考えるなと言う方が無理だ。とにかく暑い。俺でも耐え難い暑さなのだから、寒冷地出身のエドガーはさらに苦痛を感じるのだろう。
「……それにしても、エレフについてすぐ仕事に送り出されるとはな」
このまま気候について考えていても仕方がない。余計苦しくなるだけなので無理矢理話題を変える。しかしエドガーの眉間の皺は深くなる一方だった。
「ほんとだよ」
僅かに上げた顔、緑色の瞳は街並みを越え遠くを見る。
「エレフ支部の説明も碌にしねーまま、すぐ行って来いってさ」
エドガーの言葉に俺達がこうして町を歩く経緯を思い出し苦笑いを浮かべる。組織の形態としてどうなのか疑問に思うべきなのだが、あまりの唐突さに笑うしかないのだ。
エレフの首都に置かれる術師協会の支部に到着した瞬間の出来事だった。俺達が案内を受けたのは生活の拠点となる施設の紹介ではなく、魔具の違法売買のグループについての説明。
話は勝手に進み、質問をする間もなくいつの間に送り出され、そして今に至る。ちなみに、この後も別件があるから早く帰って来いと指示された。
エドガーが振り返りマルティナを見る。
「マルティナに土地勘があるからって人使い荒すぎんだろ」
「そんなに頼られすぎても困るけど」
マルティナは向けられた視線に対し短く息を付いた。そんな彼女の後ろに増設中の建物が目に入り、俺達が選ばれた理由を実感する。
「でも、他の班がこのなかで対応するのは難しいだろうな」
開発途中の町は建物が乱立し道も入り組んでいた。おまけに地図と食い違う道も多数。普通に歩いていたら混乱しそうだった。
「まあ、その内馴れるよ」
「馴れる前に帰れれば良いんだけどな」
気楽な笑みを浮かべるマルティナに言葉を返す。俺達がここに滞在するのは一応三班が復帰するまで。つまり、俺の願いには三班の回復も含まれている。
それに俺達の仕事は三班の代わりだけではなく、彼らが重傷を負った経緯も調べなければならない。通常の仕事に加え大きな事件の捜査も付随するこの状況。この激務の中で平行して行うことができるのだろうか、不安だ。
先のことを考えながら歩いていると、男性が前方から走ってくるのが見える。浅黒い肌にくたびれた衣服。現地の住民だろう。俺達に近付いても足を緩めることなく直進。道を開けたつもりだが避けきれずエドガーに肩が触れた。軽度な衝撃だが転倒しないよう背中に手を回し支える。
「悪いね!」
男性は謝罪するも止まることなく去って行った。
「なんだあれ」
衝突されたエドガーは当然不満の声を上げる。しかし突然の出来事に怒りが追い付いていない様子だった。だが、今の男性は。とある可能性について考えた瞬間、マルティナが走り出した。
駆けながら小石を掴むと右手を振り被り投擲。道行く人々の間を通り抜け、先程の男の背中に当たる。痛みによろけた間にマルティナが追い付いた。腕を掴み、そのまま捩じり上げる。
「盗ったもの、置きな」
「なんのこと、」
マルティナが更に力を加えたことによって言葉は途中で止まった。無実を訴えようとした口からは代わりに呻き声が漏れる。男は彼女の手から逃れようと身を捩るが、抵抗するのを見て関節にかける力を増していく。
「分かった! 分かったから!」
降参と言わんばかりに叫びながら地面に何かを投げた。本?
「あっ」
地面に落ちるそれを見たエドガーが声を上げる。次に自分の腰を確認した。魔具を固定していたベルトの中は空。あのすれ違い衝突した瞬間で盗まれていた。即座に取り出せるように外側に固定しているが、まさか一瞬で解除されるなんて。
マルティナは魔具を拾い上げた。屈む際、手が緩んだその一瞬で男は拘束から抜け出し走り出した。しかしそこから追う素振りを見せない。悠長に魔具に付着した砂を払っていた。エドガーが走ってマルティナの元に寄る。軽く息を切らしながら問う。
「追いかけねーのかよ」
「そっちの方が良いから」
疑問に軽く返すその声は当たり前と言っているようだった。
「何でだよ」
エドガーの声が苛立ちを帯びる。しかし男が逃げた方向を見るマルティナの目は冷静そのもの。
「ああ言うのは負った先で仲間が待機してる可能性がある。無暗に追わない方が良いよ」
返答を聞きエドガーの眉が上がる。
「だったらそのまま一網打尽にすればいだろ」
マルティナは短くため息を付きエドガーを見た。
「それってあたし達の仕事?」
「それは……」
自分たちの目的とただの正義感を天秤にかけた結果、言葉は途中で止まる。口を引き結び僅かに俯いた。
「エドガーの言いたいことも分かるよ」
俺は追い付き二人の会話の間に入る。後ろからヴィオラもゆっくり付いてきた。
「放置すれば新たな被害者が出るかもしれない」
先程の男が今の一瞬で反省することはないだろう。きっと、次はさらに盗みやすい相手を見つけ同じ犯罪を繰り返すだけ。
「でも、今の俺達に求められているのは迅速な帰還と次の仕事だ」
エドガーも分かっている。けれども、納得はしていない様子だった。だからこそ自分の非を認めた結果、押し黙る事しかできない。
正直、俺だってエドガーと同じ意見だ。今も目の前の罪を放置することに対して不快感と罪悪感に苛まれていた。未然に犯罪を防ぐことができるなら、状況が状況でなければ間違いなくそれを選んでいる。
しかしそれ以降はマルティナの言う通りだった。俺達の仕事はあくまでも魔法関連の犯罪を取り締まること。魔法に対しての犯罪には術師協会という強力な後ろ盾が付くが、軽犯罪にそれは通用しない。術師協会が一般人を殴ったなど言い触らされたら少し面倒なことになるだろう。
「とりあえず、はい」
マルティナは魔具を差し出した。盗まれそうになった本型の魔具。先程の男がこれがどれだけ高価なものか知っているのかは分からない。もしかしたら盗めそうだったから盗んだ、という可能性もある。ここはきっとそういう町なのだ。
エドガーが受け取ろうとした直前、それは高く掲げられた。一瞬何が起こったか分からず目を丸くした後、彼女の行為を理解する。エドガーが睨み付けると、彼を見下ろすマルティナの瞳が猫のように細く歪んだ。
「お礼は?」
ただ一言問う。エドガーの眉間に皺が寄り、視線が右下へと逸れる。悔し気に空いた口からは微かなため息が零れた。
「……ありがと」
エドガーは小さく呟く。マルティナが喉を鳴らすと、差し出された彼の手に魔具を置いた。