静穏に潜むバガテル④
「お集まりいただきありがとうございます」
カティーナが頭を下げながら俺達を見る。並べられた長机と簡素な椅子、いつもの会議室に召集されていた。
正面の受像機の横にカティーナ。その手間に座るのが俺でその横には腕を組み眉をひそめるエドガー。俺の正面には机に肘を置き頬杖を突くマルティナ、その横に静かに座るヴィオラがいた。いつもの面々、変わった様子もない。
「説明の前に昨日のことですね。報告書を持ってきて下さったのに対応できず申し訳ありません」
「いいよ、気にしなくて」
肩を落とす彼女に声をかける。報告書は先程提出できたので問題ない。紙切れ一枚の有無で犯罪に派生していくことはないだろうし。
「で、次の仕事は?」
退屈な表情のままマルティナが問う。それに対し、カティーナの表情に若干の苦みが増した。
「昨日のこともありますし、皆さんならもうある程度予測はしていると思うのですが……」
含みを持つ言い方。カティーナの瞳が動き横目で俺を見る。目が合ったかと思えばすぐに逸らされた。昨日感じた嫌な予感が膨れ上がっていく。
「皆さんには明日から長期の任務に就いていただきます」
彼女は俺達の誰とも目を合わせないまま告げた。しかしその言葉は大体予想していたこと。重たい気分を抱えながらも、胸の内は妙な納得をしていた。
正面から視線。マルティナが俺を軽く睨んでいた。何故、と思うのと同時に昨日の会話を思い出す。書類の提出を後回しにしようとする彼女に対しかけた言葉、「そんなこと言ってると長期任務が入るぞ」と。
責めるような瞳は、俺がそんなこと言うから、と告げているようだった。痛みを伴うような視線から逃げるように顔を背ける。
「場所は?」
ヴィオラの問いにカティーナの表情が更に険しくなった。長期任務の告知以上に言いにくいことなのだろうか。
告げるのを憚られるような場所──、フォリシアは現在ほぼミルガートの管轄となっている。俺達にまで上がってくるような問題はそうそう起こらないだろう。イスベルクのような大国も告げにくい場所とは思えない。アウルムはあり得ないし、ならまたノトスのような場所か。
カティーナは息を吐き、そして口を開く。
「それがですね……皆さんにはエレフ共和国に行って頂きたく……」
静かに告げられた言葉。囁きに似た声は何故か重く響いた。様々な疑問が浮かび上がり思考が絡まる。
「どういうこと? エレフには三班が居るんじゃないの?」
最初に不満の声を上げたのはマルティナだった。しかしそれは当然の指摘。彼女の言葉に対して俺も頷く。
「増員が必要なくらい大きな事件でも起きたのか?」
カティーナは首を振る。
「いえ、そういう訳ではありません。ないんですけど」
僅かに俯いた顔に影が落ちた。
「昨日の夕方、三班全員が重傷を負いエレフでの任務継続が困難になったんです」
隣でエドガーが息を飲む音が聞こえた。突然の出来事に対する衝撃が言葉を詰まらせる。
俺も驚いていない訳ではない。だが、いつかこんなことが起こるだろうという漠然とした予想が事態に対する受け入れを容易としていた。
これはあり得ない話ではない。俺達だって幾度も生死を彷徨うような重症を負い、その中で何とか命を繋ぎここにいる。どこかで退避が遅れ、回復が間に合わず命を落としていた可能性だってあったはずだ。
「三班はその、今、大丈夫なのか?」
エドガーは質問を躊躇うように視線を彷徨わせた。問いに対してカティーナは頷く。
「昏睡状態ではありますが。こちらの医療班もエレフに派遣し最善を尽くしています」
安堵の表情を浮かべるも油断できない状態であるのに変わりはない。言葉の意味に気が付き、すぐに重い沈黙へと変わる。彼女の口ぶりから命があるだけ。現代の医療魔法を施してもなお昏睡が続くと言うのはそういうことなのだろう。
「じゃあ、あたし達がエレフですることは三班の代わりってことね」
沈み切った空気をマルティナが引き裂いた。顔を上げると真っ直ぐにカティーナを見る琥珀色の瞳があった。そうだ、沈んでいる場合ではない。こうしていても何も変わらないのだから。マルティナは続ける。
「そんで、二班が後続に選ばれたのはあたしがエレフ出身で土地勘があるし勝手も分かるから、でしょ?」
「申し訳ありませんが、おっしゃる通りです」
カティーナは眉を下げ、口の端を僅かに引き上げた。
「特に犯罪の多いエレフ共和国で三班が動けないとなると早急な対応が必要となります。しかし何かと特殊な地、ここでの活動は何かと慣れが必要です」
「だから元々エレフで活動してたマルティナの居る班が適任ってことか」
エドガーの責めるような瞳に対しマルティナは笑みを浮かべた。そのまま俺を見る。
「急な里帰りだね」
別に嫌じゃないけど、と付け加えさらに瞳を細めた。揶揄うような表情に、フォリシア行きを拒んだ二ヵ月前を思い出し手に力が入る。いや、あれは、俺も酷かったが。でも仕方ないだろ。零れ落ちそうになる苦鳴を咳払いで押し込みカティーナへ向き直した。
「そもそも、三班はなんで重症を負ったんだ?」
無理矢理話を逸らしたようにも見えるが重要なこと。
「それが、分からないんです」
「分からない?」
予想外の返答に思わず言葉を繰り返してしまう。
「どういうことだ?」
彼女も手元の資料を見るが顔を顰め再び俺を見る。そこに答えはないようだ。
「三班は重傷を負った状態で班長であるローレニーヌさんによってエレフの術師協会へ運び込まれました。その後彼女も倒れてしまったため詳細は不明のままなんです」
「仕事中だったんじゃないのか?」
新たな問いに対しても首を振る。
「いえ、その日三班は昼頃に仕事を終えており報告書も確認しています。しかし、彼らはその後揃って外出。それで……」
ここから先は皆が把握する事態、と。腕を組み思考する。俺達の仕事は恨みを買いやすい。捕まえた違法者の残党からの報復、という可能性も考えられるだろう。しかしこの場合、仕事が終わった後全員で外出していたという点が気になる。考えられるのは、
「三班が与えられた仕事とは別に何かを調べていた、とか」
「あり得るね」
マルティナが俺の意見に同意し、カティーナに視線で情報を促した。
「彼らは特に捜査の情報を残していません。こればかりは何とも言えませんね」
期待していた情報は得られずマルティナは目を伏せる。記録していないからと言ってそうではないと限らない。突発的な捜査、もしくは確認段階だった可能性もあるため判断はできない。だが、憶測で話を進めるべき内容ではないな。一度息をつき、頭の中を整理する。
「とりあえず、俺達は明日から三班の代わりにエレフでの通常任務。それと並行して三班が襲われた経緯を調べれば良いんだな?」
「はい。大変だと思いますがよろしくお願いします」
やることは単純。にも関わらず拭えない不安は、俺達の置かれた状況の不明瞭さからくるのだろう。三班が復帰し聴取することで全て解決するのか、それとも仕事の期間が延びるのか。後者については、あまり考えないでおこう。
一節 静穏に潜むバガテル 了